49 霧中の対話

〇筐艦_第一層


 準ボイジャー:ゴフェル号の突出した想像力イメージセンスにより生み出された筐艦内部において五層に分けて生成された都市型の冠域。これらの階層分けされた同心円状の都市設計は準ボイジャー:ゴーロト号による広範囲の冠域維持の才能あってこそのものだが、その都市にはそれぞれの準ボイジャーらが得意とする領域での特殊な冠域空間が両立していた。

 大討伐を期に新たに創設された準ボイジャー部隊の神髄はこの筐艦内部を最もTD2Pにとって効率的に運用することであり、ボイジャー化実験で失敗作と断じられた個性豊かな冠域の持ち主らが多く起用されている。


 準ボイジャー:トーイェン号は大一層にて軍の心的消耗を回避するために、自身の冠域の能力によって温泉施設を作り出していた。およそ同時に二百人以上は入浴ができるであろう巨大な石造りの浴槽は戦闘帰還者を優先的に回復させるために常に稼働している。そのため、つい先ほどまで海賊王と死闘を演じていた準ボイジャー:イージス号ことガブナー雨宮は戦闘による消耗から復帰するために、冠域の作成者であるトーイェン号と共に大浴場へと訪れることとなった。



「どーです隊長。我が秘境、固有冠域:九寨溝温泉シルツァデグ・スパは」

「……なんでここに来るだけで服が弾け飛ぶんだよ」

「いやいや。服着て風呂入るとか頭沸いてンすか?僕の冠域では粗相は許しませんよ」

「…………」


 敷き詰められた石畳を歩く二人。ガブナーが来ていた特徴的なアロハシャツとサングラスは九寨溝温泉に足を踏み入れた途端に勢いよく消滅し、開放的な姿でのっそりと眼前の大きな浴場へと向かっていった。


「凄い湯気だなぁ」

「設計段階でリソース節約のために混浴の巨大浴場にしましたからね。少ないとはいえ麗しいご婦人方をみすみす野郎どもの前に晒すのは憚れますので、そこはほら、フィクションで良く出てくる謎の光によるモザイクみたいなもんですよ」

「それをバレンティアナに言ってやればアイツも来ただろうに。お前は妙な配慮しすぎて空回りしがちだよな」

「こだわりには個人差がありますからね。肝心なのは効果ですよ。しっかりと腰を落して湯船につかっていれば、どんなに消耗した戦士でも、社会に揉まれて草臥れたサラリーマンでもみるみるうちに元気百倍になってしまうことでしょうとも」

「へぇ」


 二人は異常なほどの湯気に揉まれながら、湯船に浸かった。


「おぉ。悪くないねぇ」

「そうでしょうとも。腐っても冠域ですからね。人類史に稀に見る最強スパリゾートですとも」

「景観のこだわりは?」

「時間があれば出来ますけど。まぁ、湯気も大事ですから」

「……へぇ」


 しばらく浸かるうちに人気のない浴場の中を湯船に浸かりながら二人は移動を行った。


「しっかしカッコよかったですねぇ。まさかあの海賊王相手にほぼ一人で勝っちゃうなんて。さすが隊長だなぁって」

「あれは海賊王の性格による影響が大きいかもな。挑発合戦に真面目に付き合うような勝気な子供でもなきゃ、俺に付け込む余地なんてないくらいに恵まれた強力な力の持ち主だった」

「…確かに。過去にはあのスカンダ号やグラトン号も負けてる相手ですしね。子供だろうがなかろうが、これまでに傷つけてきた人々の数を考えたら何万回死んでも償えませんよ」

「償う気なんてないだろうけどな」



〇筐艦_九寨溝温泉


「英雄になった気分はどうだ?……イージス号」


「あン?」


 煙幕に成り得るような重厚な湯煙の中、低く淀んだような独特の声音が響く。初めは姿こそ視認できなかったその声の主は、自ら湯船を突き進んでガブナーとトーイェンの前に現れた。

 

 裸体だからこそダイレクトに伝わる引き締まった筋骨隆々の肉体。掻き揚げた湿った前髪の辺りから見られる多くの古傷は歴戦の猛者の感を存分に演出しており、彼の猛禽類を思わせるような顔立ちの奥で浮かぶ重瞳には一つの眼に瞳がそれぞれ三つずつ浮かんでいた。


「あんたっ……いえ。貴方は…」

 トーイェン号が驚嘆の面持ちを浮かべる。言葉を追随するようにガブナーがその男の名を口から零す。

「ボイジャー:クロノシア号」


 クロノシア号は首を鳴らして、湯気の溢れる髪を再度掻き上げた。


「よぉ」


―――

―――

―――


 ボイジャー:クロノシア号。

 TD2Pアメリカ支部に常駐する世界最強と名高い、現行機の中でも群を抜いた偶像視を受けるボイジャー。

 

 戦闘機として登録を受けるボイジャーの所属が基本的にTD2PとAD2Pに限定されていることに対し、彼は特例中の特例の処置を受けており、彼は実質的にボイジャーであった。

 ボイジャー機体の多くが悪魔の僕との苛烈な戦闘の中で10年以上連続して稼働するケースは稀であり、アメリカ合衆国は当時世界的な対悪魔の僕の象徴であったプリマヴェッラ号が打倒されることを期に、次なる平和の象徴に成り得るクロノシア号を300億ドルという破格の値段で彼の独占使用権をTD2Pから買収している。

 それ以来、彼はアメリカの権益を最大化するため粉骨砕身の想いで彼の国に出現する別解犯罪者や悪魔の僕を悉くを鏖殺した。彼の獅子奮迅の活躍に影響される者は多く、彼は望まれる通りの英雄として実質的に合衆国の英雄としての活躍を果たしてきたのだ。

 そうして得られた圧倒的ブランドは、彼一人の存在でアメリカ大陸の別解犯罪発生率を激減させるまで強力なものとなった。他国から見たクロノシア号の脅威はカテゴリー5に匹敵するものとえ言われており、多くの先進国がアメリカになぞったボイジャーの買収合戦に発展しそうになるも、TD2Pがクロノシア売却によって得た資金のほぼ全てが大討伐にて泡沫化したことを背景にこの後に続くボイジャーの国家所有の事例は存在しなかった。



「クリルタイはどうしたんですか。ボイジャーで唯一クリルタイへの参加権と発言権を持ったクロノシア号がこんな風呂に用事でも?」


「こんな風呂と断じるにはここはとても立派だ。回復に特化した冠域が少なく再現性がない都合上、この能力は重宝されるだろう」

「あ、あ。どもー」

 トーイェン号は遜るように言う。汗が噴き出るような温泉の中にあってなお、トーイェンの貌はどこか青ざめていた。


「クリルタイへの参加権はあっても、あの議会は実質的に東郷の発言力に裏打ちされた予定調和の出来レースだ。俺があそこに四六時中居座る理由もあるまい。

 それに、用向きというのであれば俺の目的は君だよ。準ボイジャー:イージス号」

「あまりその呼び方は好きじゃないんですけどね」


 クロノシア号がガブナーの隣に腰かけた。


「では、ガブナーと呼ぶ。君がボイジャーを快く思っていないことは知っている。俺のような存在も本心では気に入っていないだろうし、無理して敬語を使う必要もない」

「あっそう。それじゃあ初めまして、クロノシア号。まさか生きている間にアンタにお目にかかることがあるとは思わなかったよ」

「そうか?同じ境遇どうし、縁があることも不思議ではないだろう」

「同じ境遇?」

「我々は形こそ違えども同じボイジャーだ。人為的に生み出された兵器として、君は十分な性能を持っている」

「はは、あのクロノシア号にそこまで言われるとは、俺も出世したもんだぁ」


 ガブナーはわざとらしく微笑むと、一度湯船に顔を沈めて水面から勢いよく顔を出す。


「で、俺に用事っていうのは?」

「こうして話してみたかっただけだ」


「へぇ。…そりゃ随分と」


「ガブナー。君が殺されない理由がわかったよ」

「…………」


「あのー。……俺、どっか行きましょうか」

 トーイェン号があからさまに居心地を悪そうにしていると、ガブナーは無言で彼を制止した。


「……。意味が聞きたいなァ」


「佐呑での凶行。キンコル号と謀略して臨んだ鯵ヶ沢露樹の人口悪魔化の儀式はTD2Pの組織体制の中でキンコル号が権力を集中的に有してしまったが故の暴走だが、結果的に一連の事件を通じて佐呑は陥落し多くの犠牲者が出た。   

 だが、キンコルが脱走したクラウンの手によって討たれ、人造悪魔と化した鯵ヶ沢露樹はクラウンに連れ去られた。残ったのはタンカーによって無差別に破壊された佐呑と積み上がった死体の山。キンコルが噛んでいたとされる原初V計画の極秘研究の跡も綺麗さっぱり無くなってしまったとか。

 当然、責任の所在や事件の仔細。原初V計画に纏わる様々な研究成果についての知的要求は君に向く。私の知っているTD2Pのやり方なら、まずは君の頭の中にある様々な知識や経験を拷問によって絞りだしてから、暴走したキンコルの分も合わせた制裁を加える。かつてTD2Pに害を成した当局員を別解犯罪者と見做して大義名分的に殺処分するようなことは俺も何度もやってきたからな」


「組織に生きる以上、都合の悪い存在を処分する判断が早いのは当然のことだなぁ」

 ガブナーはあっけらかんと言う。


「そうだ。だがしかし、君はあろうことか五体満足で復職してみせた。俺が独自に調べる限り、無理な拷問にかけられた記録もない。あの佐呑の惨劇を引き起こした主犯格の君が、まるであの事件がなかったかのように扱われている様は傍から見れば異常な光景だった。……そして、この筐艦を始めとしたニーズランド討伐の主柱として君の力が重宝されている。確かに君の持つ独自の耐性は夢想世界に呑まれた現代社会にとっては再現性の極めて低い専売特許のような性質があるのも事実だから、恐らくはTD2Pは君を最大限に有効利用して大討伐で使い潰そうと企てているのだと自分の中で無理やり納得していた」

「ご明察だと思うぜ」

「無論、俺の考えも半分は正しいだろう。だが、海賊王との闘いを見て理解した。東郷は君の所有する佐呑の獏の力を確信していた。海賊王が姿を現した時点で大討伐軍は俺や叢雨禍神、そうでなくてもボイジャーを二機以上投入すれば勝利が確定しているようなシチュエーションだった。東郷はおそらく、君に佐呑の獏を使わせたかったのだろう。獏のような複雑で静謐な機構の元に成り立っている貴重な管理権限システムを個人単位に落し込んで任意のタイミングで局所的に発動させるなど、夢想世界の常識をひっくり返すほどの大偉業だ。……キンコルと共謀した君がどういう経緯でその力を託されたのかも興味に尽きない」


「意外と人様のことに興味津々な英雄さんだな。風呂場で長話すれば俺がベラベラ喋ると思ってんのか?」


「いいや。君はおそらく、他の人間より深い視点から物事を見ているのだろう。俺にその世界を理解することはおそらくできない。

 だが、俺は俺としてやはり気になるわけだ。気になるから調べた。調べるほどに募っていった疑念が己の中の猜疑心を駆り立てた。……佐呑の事件はあまりにも奇妙なんだ。或る瞬間までは限りなくパーツが噛みあった予定調和の戯曲のようであり、それでいて決定的にかみ合わない歯車のツケを払うようにしてキンコルがこの世を去る形となった。どう考えてもあの事件はキンコルに都合よく運んでいたのに、最終的にはクラウンの一人勝ちだった」


「……それ以上は自分の頭の中に仕舞っておいた方がいいぞ」


「俺がどんなに調べても、佐呑を強襲したタンカーの出所が掴めなかった。それはおそらく、各国が試みた事件の考証の中でも同じ結果だっただろう。敢えて隠そうとしない限り、現実世界では必ず何らかの痕跡が見えるはずだ。だが、実際には煙に巻かれたような虚無感だけが残り、あのゲリラたちが何者だったのか、今もなお謎に包まれている」

 クロノシアは再び、自身の太い首を傾けて関節の音を鳴らした。

「同じような違和感を感じる事件が過去に一つだけ存在する。

 闇社会の複数の組織が関与し、その全容や目的が未だに煙に巻かれているように解明されていない"夢想世界闇市アンダー・ブラック・オーディション"だ。アメリカに駐留している俺からしてみても、一見は解決された過去の出来事のように感じるあの事件と佐呑の一件がどこか似た匂いを感じてならない」


「どうしてそこまで首を突っ込もうとするんだ?やっぱり彼の国の国益のためか?」

 ガブナーが湯船から身を引き上げて石畳を歩みだす。


「俺の戦う理由は、俺がボイジャーになった時から変わらんさ。

 俺が望むのはあくまでもだ。献身的にステイツに尽くすのは、それがTD2Pに属するボイジャー全体の権益に繋がると確信しているからだ。ボイジャーの立場を確固たるものとし、兵器としての運命を背負ったボイジャーのせめてもの地位という奴を保証したい」


「聞いたことないぞ。そんなこと」


「ああ。自分の夢の噺なんぞ、嬉々として人に聞かせたところで喜ぶのはそいつの親くらいなものだ」

「違いねぇ」

「俺の目的に嘘はない。過酷な運命を背負うボイジャーに幸福をもたらすために、俺は悪魔の僕や別解犯罪者を皆殺しにしてみせる。準ボイジャーだって同じだ。君たちの立場を考えれば、大討伐後もしっかりと存続していて欲しいと思っている」


「…なんだ。随分と俺はアンタを買い被ってたみたいだ。聞いてみれば何ともスケールの小さい望みだぜ。

 キンコルさんは人類を救おうとしていた。あの人の理想に比べればアンタは霞んでしょうがねぇ」


「何もキンコルのように君を懐柔しようとは思わない。だがな、ガブナー。俺が抱えている謎を探求することと、君がクラウンを討とうとすることの利益は相反しないと思う。無理に手を組もうとは言うまいが、それでも覚えていて欲しい。俺たちはきっと、より多くのものを救うことができるということを」


「アンタもさっさと風呂から上がることだな。茹蛸になっても知らねぇぞ」


 トーイェンがガブナーを追って九寨溝温泉シルツァデグ・スパを後にした。

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