45 第一圏

〇第一圏_潜航地点


[バク起動より十分経過。展開深度圧は対象区域内ニーズランド第一圏域潜航完了ポイントから全方位にに漸次浸透中。深度圧は一定水準を並行的に推移。潜航者に占める2%のバイタルに異常発生。耐用値が精神構造に占める許容量に達した者から順次現実世界へと退却を強制的に実行]


[準ボイジャー部隊、総員14名の潜航が完了。エンゲージメントにおけるバイタルに異常は散見されません。準ボイジャー:イージス号による対精神干渉防御壁展開……完了。対精神汚染防御壁展開……完了。潜航ポイント中心の直径約100キロメートルまで超高圧空間深度耐性の伝播が開始されました。獏とのリンクの完了を以て、ニーズランド第一圏の約7000キロメートルまで同質の耐性を付与するものとします]



「ったく。あっちもこっちも海ばっかり。嫌になるぜ」


 夢想世界に舞い降りたガブナー雨宮。もとい、新たに創設された準ボイジャー部隊の隊長を務める準ボイジャー:イージス号。

 眼下に膨らんだ大海原を拝し、黒の濃いサングラスの奥で細まる瞳を殺意で濡らす。


 彼こそがニーズランド勢力大討伐における第一の重要存在だった。

 佐呑島の事件ではボイジャー:キンコル号の謀略に加担し、自然悪の保有者である鯵ヶ沢露樹の人造悪魔化に深く関与した重大戦犯として、後の世間から大きく取り上げられることとなった。彼は戦いの中で反英雄と対峙し、夢想世界で受けた深刻なダメージによって二カ月近くの植物状態を経験したが、彼の持つ独自で高純度な夢想世界耐性に着目した学者たちの間で彼に復職を求める声が多く挙がることとなり、新たに発足の案が審議されていた準ボイジャー部隊の発足に伴う再実験に投じられる運びとなった。

 元々がボイジャー化実験の失敗作であるとされる彼だが、再検査の段階で示したその夢想世界への耐性の数値はボイジャー実験を行った時とは比較にならない水準の領域へと達していた。単純な防御性能だけ見ても、常人ならば精神汚染が免れないレベルの敵対冠域の内側で一カ月は潜航を続けられる程だと言われた。

 

 かつてから、彼のようにボイジャー化実験を経験し失敗作だと判定されたものの、一部の領域で特出した才能を持つ逸材は全世界に複数存在すると言われていた。それでもボイジャー化実験に失敗した大抵の被験者は申告な精神的な負荷を被るため、彼のような明確な自己認識と目標意識のある存在は稀だった。

 有り余る才能により前科と呼ぶに相応しい暗躍の恩赦を得たガブナーは目覚めた後に聞かされたクラウンによるキンコル号の殺害の報せを以て、即刻準ボイジャーの隊長を務める旨の命令に準ずる姿勢を示したという。



[準ボイジャー:イージス号より対精神汚染防御壁の恣意的な密度上昇が感知されました。出力は既に想定された要求値に達しています。不要な能力開放は疲弊に繋がる恐れがあるため、準ボイジャー:イージス号は……]


「うるせぇなぁ。……数値でしか戦場を語れないからして、今まで負けてきたんだろうに」

 ガブナー雨宮は潜航ポイント近くの空間域に流れる夢想通信を受けて、それを唾棄するような反骨心を露わにした。


「まぁまぁ。我々が気張らんことにはこの大討伐も何も成し得ないんだから、全部終わって帰ったらきっちりと貰うもん貰ってスローライフでも楽しみましょうや!」

 

 苛立つガブナーを諫めたのは、彼と同じくボイジャー化実験を受けて失敗作と断じられた過去を持つバレンティアナ・ベネットという女性隊員だった。明朗な性格をしている彼女はボイジャー計画の暗黒面の寄せ集めである準ボイジャー隊員たちにとってはある意味で光のような存在であり、以前より数段増しで気難しい性格になったガブナーとも良く打ち解けた関係となっていた。

 彼女もまた、このニーズランド大討伐において無くてはならない存在だった。彼女もガブナーと同様に夢想世界における自衛と攻撃を兼ね揃えた空間拡張能力である固有冠域の生成手段を持たない。彼女が何よりも特筆して保有する夢想世界における優位性とは即ち、"圧倒的な想像力イメージセンス"だった。

 通常、夢想世界に潜航状態にある人間は、自身がその性質や見た目を正確に想起できる範疇での物質を恣意的に生み出すことが可能だ。だが、思い浮かべる何もかもが実物と同じ性質で生成できるかと言われればそうではなく、多くの場合は自分の想像力の及ばない精密な機構の構造物や巨大な建造物、意思を以て行動する生物などは生み出すことができない。さらに言えば、大抵の人間が夢想世界で物質を生成するにはそれなりの精神的なエネルギーが必要とされるため、複雑な物体を生み出す処理を断続的に行ったり並列作業として実行できる存在は貴重だと言われている。TD2Pで最強の実動部隊と言わしめた擲火戦略小隊の隊員のように特定の分野に特出した知識や趣向を持った人間が断続的な物体生成を可能としているように、彼女もまた己の得意分野であれば誰にも負けない特出した物体生成能力を有していた。



「スローライフには興味ないわ。この戦いの先に何があるかなんて、俺にとっては割とどーでもいいことなんだよ」

「いやぁ。隊長は難しい人ですねぇ。私としては、私をこれまで馬鹿にしてきた連中を見返すチャンスがやっと回ってきたことだし、きっちりと成果出して現実世界でブイブイ言わせるのが次の目標ってカンジかなぁ」


 ガブナーは口元に煙草を一本出現させ、それをそのまま咥えると同じく想像力でジッポを生み出して火を点けた。


「少なくとも俺はクラウンさえ斃せば環太平洋に安定が齎されるっていう机上論に乗れるほど無教養じゃないからなぁ。クラウンがいなくなれば裏社会は否が応でも大きく動く。お前がのんびりとスローライフが遅れるような社会が担保されるとは思えないけど、まぁ、応援くらいはしてやろうか」

「押しも潰れぬ人間の悪意。醜いよねぇ。……ま、いいよ。世界に屑共がどんだけ溢れかえっても私が常に上から叩き潰してあげるよ」


[準ボイジャー:ゴフェル号による深度圧干渉を感知。上昇値は規定の範囲内を推移。要求された出力まで約15秒]


「所詮ボイジャーの連中なんてのは中の上のランクでイキってる平均点集団。私は上の下だよ。だってほら、現行・退役含めて一体誰に私の真似ができるのかな?」


[準ボイジャー:ゴフェル号と獏のリンクを開始。同期処理の完了を待ち、当該機体の"筐艦きょうかん生成"を許可します]


 準ボイジャー:ゴフェル号。人名バレンティアナ・ベネットは両手を祈る様に組み合わせ、空中にて片膝を付く。祈祷の様相を呈しているが、それでいて彼女の眼は炯々と歪光を放ち、面持ちからは鬼気すら感じさせる圧迫感を生み出している。

 彼女が組んだ手指を解き小鳥を乗せるように掌で皿を作れば、そこには小石ほどの大きさの直方体のオブジェクトが生成されていた。半透明な立方体は七色に輝きながら徐々にバレンティアナの手から離れて行き、頭の少し上の辺りで点対称に回転しながら徐々にその大きさを拡大させていった。


 小石ほどの大きさの立方体はみるみるうちに人間の体躯に勝るスケールに増大していった。規模感の拡大のスピードは加速するように進んで行き、一辺10メートルほどの直方体だったと思えば数秒後にはその二倍、三倍と大きさを増していく。およそ巨大高層ビルに迫ろうかという大きさになってなお拡大を続け、いよいよその全長が人間の視野で把握できる大きさの限度を迎えた頃になってようやく巨大化は停止を迎えた。

 

[構築された筐艦の深度圧の安定を観測。筐艦内部に接続された対冠域中和性質と獏とのリンクを拡張]


 バレンティアナが生み出した筐艦と呼ばれるそれは、TD2P側における戦争時の橋頭保きょうとうほに該当するものだった。元々現実世界で運用されていた橋頭保とは、戦争時の進軍などのシチュエーションで危険な敵地での行動に優位性を持つために用いられる前進拠点の意味を持っている。

 彼女らが特定座標を用いて夢想潜航を行ったニーズランド第一圏は、その全域がカテゴリー4の悪魔の僕で知られる"海賊王"の保有する冠域によって形成されており、内部の空間全ては等しく水深が200メートルを超える海で満たされている。そのため、潜航ポイントに指定されている限られた座標に位置する空間においては、彼女らは空中に存在を預けて浮遊していられるが、ある程度の進出を試みれば冠域内の重力に押し負けて大海に墜落してしまうのだ。

 筐艦はその空間制約を乗り越えるために用意された宙を浮く巨大な箱舟であり、獏とのリンクや他のボイジャーらの能力を複合的に用いることで戦闘指揮所としての機能を保有することが可能である。つまり、既に一面が36平方キロメートルにまで形成された直方体の内部は戦艦であり、要塞であり、大討伐の指揮中枢としての機能を持つ最重要機構として爆誕したのだった。


[獏。筐艦内部の空間中枢とのリンクを完了。筐艦内部に並列処理された準ボイジャー:イージス号の対精神干渉防御壁展開……完了。対精神汚染防御壁展開……完了。筐艦内部の総合耐性基準値が要求値を満たしました]


 天に聳えるような巨大な直方体のさらに上。水平にキープされた上部の面と睨めっこするように、ニーズランド第一圏の天空に巨大な風穴が穿たれた。


[これよりニーズランド大討伐軍。全軍の潜航を許可します]


〇第一圏_筐艦


「これは凄い。シミュレーションで見るのと実際に目の当たりにするのでは……こう、圧力というか。体の芯に染み入るような迫力を感じさせられます」


 クリルタイ所属:新生テンプル騎士団大幹部アレッシオ・カッターネオが感嘆の声を漏らした。

 眼下に在るはずの海すら拝めないほどの巨大な直方体の存在には、視線を奪われる以上の何か特別な魅力があったのだ。


「こうも埋もれていた鬼才が躍動する姿を見せられては、準ボイジャー部隊創設を指揮した貴方の手腕はもはや疑いようがありませんな。ジュガシヴィリ閣下」

「いえ。私はあくまでも組織改革の一助に努めた程度です」

「これはこれは、ご謙遜なさる」


 アレッシオと肩を並べて潜航を実行中のTD2P戦略塔軍部所属のクリルタイ副議長であるコンスタンティン・ジュガシヴィリ中将の表情は浮かなかった。


「……今この時にこんなことを言うのは非常に心苦しく、憚るべきな本音であるということは重々に理解しています。ですが敢えてここは一人の人間として言わせて頂くとするならば、私はボイジャー計画及び、ボイジャーの戦略的な運用には懐疑的な声を上げてきた人間の一人です。従って当然、準ボイジャーという存在そのものにも私は寛容とは言えません」


「その件に関しては噂程度にですが耳にしたことがありますね。一時期には悪魔の僕に対するボイジャー戦略の解体を訴えていたとか」

「騎士団の方々は何とも耳聡いようで…」

「しかし、ボイジャー運用による戦線の確立はリスクや社会通念上の非道徳さこそ指摘されがちですが、それでもプリマヴェッラやクロノシアのような高潔で英雄的な活躍を果たした機体も存在しているのも揺るがぬ事実。傍から見たTD2Pは兎にも角にもより強きボイジャーを生み出さんと必死に奔走しているように見えておりました」


「TD2P内部にもボイジャーの運用そのものに異議を唱える者も少なくありませんでしたよ。…それでも誰もが暗黙の了解として口を噤んでいたのは、殆どの人間はボイジャーの持つ基本的な夢想世界での戦闘性能に比肩できないからという単純な理屈でした。

 我々人類がボイジャーという存在に意義を見出さざるを得なかったのは、天文学的な速度で増殖を続ける夢想世界での人間の悪意に打ち勝つため。ですが……結果として生まれた世界はあまりにも彼らに都合が良く形造られてしまった」


「彼ら、というのはボイジャー機体のことですか?」

「ええ。このままボイジャー実験が人類史における禁忌の道を歩み続けることを好しとするならば、世界における悪魔の僕とボイジャーの境界線は一体どこにあるというのでしょうか」

「それは……」

「私は人が人の為に心血を注ぐには必ず限界があると考えています。まして、人の手によって存在そのものを捻じ曲げられた心持つ人造兵器が、与えられた骨、肉、魂をどれほど真摯に人類史に向け続けてくれるものでしょうか。……何をどう違えたとしても、夢というのはそもそもが限りなく自己本位的な概念であることは明白です。今の我々は自分より遥かに高位な上位存在に対し、単に社会的な縦方向の秩序によって制動が叶っているに過ぎないのですから」


「んん。なるほど」


「ですから、やはり。……戦場という舞台に全てのボイジャーが否応なく立たされる大討伐という境地に際して、彼らにしても、我々にしても、試される瞬間が必ず来ると思っています」

「まるでそれを望んでいるかのようですな。試されるというのはつまり、真に彼らが人類に益成す存在であるかということでしょうかな?」

「…口が過ぎました。これより東郷中将も潜航されます。くれぐれもこの愚痴にも似た稚拙な吐露をご内密にお願いいたしますよ。カッターネオ殿」

「ふふ。こちらこそ、失礼な態度でございました」

「いえ。どうぞご謙遜をなさらずに。ちなみに、最期に一つ付け加えさせていただくとすれば……この未曾有の規模を誇る大討伐、私の見立てではおそらく準ボイジャー、ボイジャーの区別なく、彼らは一様に全滅という結果を受けることになるでしょう」


「んん。是非ともそうならないことを願いたい次第ですな」



 その後、クリルタイを含めたTD2Pの主力部隊のほぼ全てがニーズランド第一圏に潜航を完了した。

 大討伐の本質が総力戦という形を強制される都合上、この夢想世界での戦い方は現実世界のどんな戦争とも様相が異なる。多面的に展開し、地理や技術を生かした攻防が繰り広げられるという点では似ている部分もあるが、それでも個人の持ちうる夢想世界独自の実力や戦闘経験から冠域による環境構築などを加味すれば、全ての戦いが歴史上の如何なる経験則からも知恵を得れない難解な問題なり戦いに臨む者たちに背に重くのしかかるのだ。

 

 戦争における軍事的な中枢に該当するクリルタイが、その構成者の全員が戦いの最前線である筐艦に投入されることがそもそも現実の戦争ではありえないことだった。しかし、現状でいう第一圏の筐艦は現実世界で生身を晒して活動するより遥かに防御力に優れた最善択として存在している。それほどまでに夢想世界における個々人の持つ能力は、それがたとえ準ボイジャーという歪な存在による力だとしても、現実を遥かに凌ぐパワーとエネルギーを秘めていることの証明だった。


―――

―――

―――


[第一圏冠域内部の深度圧上昇を感知。測定された冠域波長のスキャンが完了。一致率99%。カテゴリー4対象識別名"海賊王"が出現。繰り返します、第一圏冠域内部の――]

 

 果てしなく続く大海原に降って湧いたような木造帆船の群れ。

 

 悪名高い海賊王の手指であるならず者たちのバトルシップが筐艦の眼前に姿を現した。

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