40 佐呑にて

「視界は良好。しかし、深度圧の継続的な変化により、構成されている空間環境に著しい差異があります。潜航開始時点では12時の方角から3時の方角までには森林形態の環境が見られましたが、今では1時から2時の辺り一帯が荒野に変質しているように見受けられます」


[やはり、時間経過に比例して佐呑一帯をパスとして紐付けた夢想世界アンダーワールドでは、著しい安定性の欠落と崩壊が進行している。潜航ポイントとしてはそれなりに安定していたが、モニタで確認できる数値ではそこも決して安全とは言い難い。

 空間安定の限度を鑑みるに、これが最期の特務となるだろう。気を引き締めて作戦を続行しろ、ボイジャー:アンブロシア号]


「了解です。室長」


―――


 日本海に面する佐呑島で一年前に突如として巻き起こった大騒乱。佐呑島防衛戦を経てもなお、積極的な関与が取りざたされている佐呑の夢想世界。

 夢想世界では現実世界の数百万倍もあろうかという広大なフィールドは展開されており、その九割以上の空間は佐呑島防衛戦で繰り広げられた冠域の乱立と強力な能力の衝突に伴う安定性の欠落を受けて、コンピュータ演算で算出不能な特異領域へと化している現状にあった。

 本来であれば、夢想世界は現実世界の部分投射空間としての側面が強い。現実世界という大きな被写体が強い光を浴び、裏世界である夢想世界にその像が反映されながら静謐さを欠いて影が生み出されることにより、人間の意識体が存在し得る空間が構成されるのだ。これは、もともと人間が見る夢は現実世界で生きる魂が覚えた色彩を記憶するからこそ存在し得るものだとされるところに由来する。ある程度議論されてきたこの性質も、人間が現実世界で溜め込んだストレスや欲望を夢に昇華させて叶えるには、ある程度現実に似通った環境が前提となることに最終的に帰着する。


 目下、現在の佐呑に含有されている注目の要素は、戦争の中でボイジャー:キンコル号の策略により誕生し、封印された鯵ヶ沢露樹の意識体の所在だった。

 多くの裏社会の実力者の衝突を用いて、人造悪魔を生み出すに足る儀式を成功させたキンコルにより、類稀な純粋な悪性を有した鯵ヶ沢露樹という一人の女が千の魔法を操る魔法使いとしての悪魔化を実現させた。元より悪魔化した露樹の長期間に及ぶ活動は認めていなかったキンコルは自身の究極反転の成就を以て、持ち前の非闘争強制能力の派生として露樹の封印を図った。


 結果として、ボイジャー:アンブロシア号やカテゴリー5の悪魔の僕である反英雄による足止めを受けて停滞気味であった露樹はキンコルの封印術式である『冠域固定:相対する地獄インフェルノ』によって夢想世界の超高深度層まで撃墜させられた。

 夢想世界の構造には未だに未知の部分が多い。通常、人々の意識体が活動する空間は夢想世界としては氷山の一角に過ぎず、人智の及ぶ領域を超えた高深度の層の集合体によって、その氷山の一角である活動領域が包まれているというのが定説であった。これは、夢想世界が三次元的な空間を更に超えた、を内在させているという性質にある。冠域に見られるような空間の侵食は、視覚的に捉えられる存在空間とは別に、さらに深い空間領域に自身の魂を再投射しているという意味合いも存在するのだ。


 通常では足を踏み入れることができないその世界の最下層に、鯵ヶ沢露樹の意識体が封印されていると見られている。佐呑の動乱の中で監獄塔からの脱獄を成功させた裏社会のダークホースである曲芸師が、現実世界での露樹の肉体を持ち運んだこともあり、佐呑の一件の後ではクラウンと結託した露樹が復讐の為に夢想世界で復活するのではないかという懸念がTD2Pを大きく揺るがした。

 情報操作の失敗により、五体満足で生存を続ける露樹の存在についてが世間にも報道され、世界中が新たに誕生したカテゴリー6の悪魔の打倒が訴えられたり、終末論が注目や支持を集める結果となった。

 また、同時に多くの人間が鯵ヶ沢露樹に起きた悪魔化の儀式に興味を持ち、佐呑への無謀な潜航と滞在、調査を試みる結果となっている。


 無論、TD2P側も封印した露樹の所在の特定はかなり優先度の高い事業として実施する必要が生まれ、TD2P側は佐呑全域に対応する夢想世界の座標を立ち入り禁止区域に指定し、不正に調査を実施する勢力に対しての排斥と調査が進められていた。

 だが、この事業の課題として佐呑の夢想世界の空間の不安定さが指摘されており、TD2P側も安易に手を出すことができない魔境化が進行しているのが現状だった。


 そこで、三か月ほど前から特務部隊として新たにTD2P捜査部に"Veakヴィーク"という極所遊撃捜査室が設立された。これまで軍部に所属していたボイジャー:アンブロシア号の捜査部への移籍を受けてヴィークにはそれなりに知名度が高まり、佐呑へ潜航して調査を行う彼らと不法滞在者との衝突が度々生じる事態が起こっていた。



[十日後には第一回の大討伐会議、クリルタイ最高意思決定機関が招集される。お前がクリルタイに参加することはないだろうが、俺はヴィークの室長として出席が確定している。元々難易度の高い任務ではあったが、この潜航で何かしらの収穫は上げたいところだな]


 アンブロシアの脳に直接響くように、遠く離れたTD2P日本支部の通信室からのメッセージが伝わってきた。

 通信を行っているのは今のアンブロシアの直接の上司である極所遊撃捜査室ヴィーク室長の捜査部警視正纐纈良うげつあきらで、彼はこれまで戦略塔軍部と管理塔研究部のみが許されていたボイジャーへの指揮命令権を与えられた特例的な人物であった。


「所在が不透明な人間の活動を目視で捕捉。照会を願います」


[……登録されていない。不明対象としての排他の是非は現場の判断に任せよう。おそらくは、噂話程度で佐呑に興味を持った野良の若人といった風情だが]

「では、排除を実行します」


 通信室でモニターされている夢想世界上のアンブロシアの座標が大きく動く。潜航地点からかなり離れた地点に存在する人間の反応に向かって彼は一挙に進撃し、対象物との距離をゼロにする。


[相変わらず。困った奴だ]


――――


 宙を滑るように夢想世界を駆けるボイジャー:アンブロシア号。視点の端に映った細かな人影に向けて迫る中、身に纏った軍服の腰に日本刀を佩かせる。鵐目を指でなぞり、鯉口を引きつつ着地。舞い上がる粉塵を払うように抜刀の一閃が、何者かの右腕を斬り落とす。


「ぎゃあ‼……なっ…ん」

「この地区は一般の立ち入りが禁止された特異点です。パスを元に侵入を行ったというのであれば、もはや知らなかったでは済まされません。直ちに所属と身分を明かした後、速やかなる退去を命令します」


「お前っ!…ヴぃ、ヴィークか‼俺は只の動画投稿者だ‼……佐呑ネタはバズるからっ、興味本位で手を出しただけなんだ‼;……て、てか‼俺にこんなことして、ただで済むと思うなよ!」

「本当にただの野良か。……くだらない」


 アンブロシアの腰が沈み、同時に太刀の剣線が跳ねるようにして若者の首を跳ね飛ばした。恐怖を貌に張り付けたように強張った生首が宙に放りだされる中、彼はそこから縦方向に太刀を曳いて空中の生首を両断してみせた。


 血の飛沫を避けるように彼の身が大胆に跳ね飛び後退する。先ほどまで彼が立っていた位置に血が飛散し、頭と泣き別れした胴体は痙攣しながら消滅していく。


「民間にも佐呑のパスが流出しているのはやはり問題視するべきでしょうか。クラウンが民間の介入し組んでTD2Pの注意を向けさせ、その間に鯵ヶ沢露樹の封印ポイントを割り出そうとしているとか」


[無論、クラウン一派のそういう意図も考慮には入れている。どのみちあと数日もすればこの一帯の空間は深度の不和の結果として因果消滅するという試算もある。これだけ安定度を欠いた空間にクラウンの重要な部下が差し向けられるとも考えられん。発見したとしても嫌がらせ程度の野良だとタカをくくっていいとさえ思える]

「いえ。こういう瞬間にこそ、警戒心を高めるべきだと存じます」

[ああ。そうだな。引き続き警戒し、調査に当たれ]

「了解」


 広大な佐呑の夢想世界は局所的なバイオームが不正確に乱立しており、絶えず変化している。今まで足場があったような場所でも瞬きをするうちに大きな湖や火の海へと変わっていてもおかしくはない。ある程度の高度からは雨や雹が生成されて降り注ぎ、遠い空からは雷鳴が轟いている。

 潜航時点から対空間深度の耐性である風除け機能が発動しているボイジャーであれば、ある程度不安定な空間でも生命が脅かされることはないが、これが訓練も行っていない一般人では、潜航ポイントを少しでもミスすれば現実世界で目覚めることすら叶わない凄惨な夢の中の死を迎える可能性もゼロではない。


(これだけ崩れた環境下である程度まとまった数の人間が動き回るリスクは目に見えて高い。死を恐れない人間なら問題はないだろうが、少しでも効率的に散策を行うのであれば………複数の人間が動けそうなのはあの辺りか)


 ところどころ空間そのものに亀裂が走っているような特異な空間を横切りながら、一ヵ所に留まらないように絶えず動き続ける。こういった不安定な空間では、同じ場所に滞在するリスクは高く、ピンポイントで安全地帯を即時判断して移動するのが適しているのだ。


「室長。目視では確認できませんが、複数人の人間が活動可能な空間の目星がつきました。この先12時の方角へ十数キロ進んだ先に対人反応は確認できますか?」

[少し待て……。いや、ビンゴだ。アンブロシア。お前の指定した空間域を拡大したところ、二十名程度の人間の反応がある。接触には慎重を期せ]

「十中八九、クラウンの下っ端の下っ端でしょう。このまま突っ込みます」


 大きく跳躍したアンブロシアの姿が変化する。

 彼の両目に備わった重瞳が赤く発色し、突き刺すような赤い閃光によってその姿が光に隠れる。


 光を抜けた彼の姿は、禍禍しい人と蟲の融合体のような容貌へと変貌していた。頭の半分以上が蜂のような肉質に侵食されている。背筋からなぞるように人間の肢体の他に黒い昆虫の翅と黒と黄の入り混じった毛皮が生え揃っている。腕と脚にはそれぞれ対を成すような脚が生成されている。

 蜂の皮を被ったような人蜂が翅を用いて急速な飛翔を始めた。直線的に空を飛び、見当をつけたスポットまでノンストップで突き進んでいく。


「見えた」


 目視で確認できる距離まで迫った人の群れに対し、人蜂は突撃する。周囲は荒涼なサバンナのような土地となっていたが、他の猛吹雪や洪水チックな土地と比較すればまだマシな方と言えた。


「な、なんだァ‼」


 またも舞い上がる粉塵の中から、アンブロシアは姿を現す。既に蜂と交わったような容姿は解除されており、軍服を纏った一人の青年の姿で腰に太刀を佩いている。

「何って。敵に決まってるでしょうが」

 彼の腰が沈み、捻り、抜刀する。抜刀の流れから滑らかな軌跡を描き、折り重なるような剣線は立ちどころに五名程度の脚や腕を斬り裂いた。多くの者が狼狽える中、ただひたすらに淡々と屠り去っていく様にはどこか人間性を欠いたような冷酷さを感じさせるに十分だった。


「これより尋問を始めます。意識の在る者は包み隠さず丁寧に回答するように」

 一人の男の頭を大地に押し付けながら、アンブロシアは言う。

「所属を身分と目的を答えよ。黙秘、或いは抵抗をする場合、速やかにこの場からの強制排除を実行する」

 十名近くの者たちが固唾を飲んでアンブロシアを見据える。何名かの者は、口を開くよりも先に手元に拳銃を生成させ、彼めがけて発砲した。

 それを他人事のように穏やかな姿勢で躱しながら、彼は太刀を納刀し、上体を勢いよく捻って抜刀に繋げる。

 最も近い位置にいた人間を一手で斬首すると、生首を片手に収めてそれを自身の前に翳し上げる。


「対話の実現性の可否はこちらで判断させてもらうこととする。よって、早急に退去しない場合は、このような安易な手法ではなく、さらに数倍の苦痛を味わう形で命を落として貰う。最悪、現実世界で二度と目覚めることはできず、最低でも高度障害を背負った生活を押し付ける形になるが……構わないな?」


「TD2Pの犬ッコロがァ!ぶち殺せッ」

 大柄の男が叫んだ。

 その男が何者であるか判別がつかぬまま、アンブロシアは刺突にて男の心臓を穿つ。目まぐるしく空を掻き鳴らす太刀の剣線によって男の指を何度かに分けて斬り崩した後、怯んだ貌めがけて跳び蹴りを食らわせる。首の骨がひしゃげる蹴りを喰らった後もなお、彼からの攻撃は続き、正中線に的確な当身が浴びせ掛かった。

「おぉっぷ」

「ひゅう」

 呼吸を乱すことなく、一瞬の息継ぎを挟んだ後に既存の剣術の形では考えられないような七連続の回転斬りが大男の胴を七度両断してみせた。

 彼を囲うように謎の集団が重火器を生成して狙いを定めるが、アンブロシアが発砲まで許すことが稀だった。尋常でない眼球の運動で周囲の出来事を瞬時に理解し、最小限の身体操作で集団の手元足元を斬りつけていくのだ。


「なんだこの化け物ッ」

「このままじゃあ全滅する!」


(妙だな。……こいつらが鯵ヶ沢露樹の精神体の座標を抽出しようと潜航しているなら、この空間自体の不安定さを考慮して急いでことを進めようと躍起になる気持ちはわかる。…だが、だからといってここまで一貫して誰も自己退去せずに応戦を試みるのは何故だ?)


 弧を描くように血飛沫が舞う。


(耐空間深度の兼ね合いで自己退去にも精神汚染のリスクが伴うのか。それとも何らかの勝ち目があって、俺との交戦を継続する姿勢を貫くのか…)


「ひ」

「ん?」


「姫を呼べ!一番近い"姫"で良い!!」

「なんだ?」


 ある者が叫ぶ。


 アンブロシアの眼に映る生き残りたちの表情に揺らぎが見えた。


[アンブロシア。後ろだ。6時の方角から何か来る]

 纐纈の声もまた、何かに駆りたてられるような口ぶりだった。


「あの嵐から……」


 風除けであるボイジャーですら危機感を覚える嵐の曇天の中から、人が一人、飛び出してきた。



「……ッ…!?」


 アンブロシアの太刀が唸る。本気の受けに回って尚、対処するには余りあるえげつない角度の斬撃が滑り込んできた。

 彼の太刀と相手方の片手剣が火花を散らしながら拮抗する。一瞬の出来事だったが、アンブロシアの感覚が一時的に麻痺するレベルの強烈な一撃だった。


「ああ。そうか。……君か」

 聞き覚えある声に耳が跳ねる。

 見覚えのある容姿に目が丸くなった。


英淑ヨンスク……さん?」

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