39 腕試し

 コンビニ一つ程度なら余裕を持って覆えるような、横にも縦にも大きな白鯨が、澐仙が横臥していた藤色の台座から背後の後光を模したアーチもろとも飲み込んでしまい、勢いをそのままにその先の拝殿ごと食い破りながら激しい粉塵を巻き上げていった。

 白鯨の背鰭から尾椎骨の先までが引き絞るようにボイジャー:グラトン号の右腕へと繋がっている。彼の冠域の性質は、彼の悪食と大食の夢を叶えるというものである。そのため、彼が想像力で補完できる範疇であれば実在・架空を問わずに多種多様なな生物の捕食行動を自身の器官として操作することができる。



「冠域延長:光喰醜鮫スクアロ・ベヘモト


 グラトンの左手が拍動する。即座に左腕全体の形状が変形し、右腕の白鯨よりもさらに大きな生き物の頭を形作っていく。

 生み出された牙剥く体躯は一般にメガロドンと呼ばれるホオジロザメに近似した鮫だった。だが、その大きさはホオジロザメを大きく凌駕する16メートルクラスの怪物だった。右腕同様にグラトンの左腕の変化系であるメガロドンは、畝りながら白鯨の腹部目掛けて突進し、途轍もない咬合力をそのままに白鯨の腹を大胆に食い破ってみせた。


「冠域固定:天蝕醜蟲バグリアル・ベヘモト


 グラトンの瞳が紫色に発色し、やがてその光を覆い尽くすように、彼の体が膨大な量の羽虫へと変化していく。静謐なジグソーパズルが崩れていく様に似たグラトンの変身は、粉塵に塗れた堂を埋める蟲の嵐へと成った。

 有象無象とした蟲たちは白鯨を喰らったメガロドンをさらに喰い荒らす動きを見せ、それもかなり高速に大鮫の肉を貪っていった。


 辺りには耳障りな羽音が犇き、この技の仕様を知っている梨沙でさえ顔を覆わねば見ていられないような酷い捕食の光景が繰り広げられる。


「不意を突いて対象を捕捉。間髪入れなずに上位捕食期間による固定。前段階を踏まえての侵食。

 冠域を使った戦闘としては、チープではありますが、なかなか練度が見て取れる組み立て方ですね」


 籠った声が蟲溜まりの中から溢れだす。すると、砂嵐状に鮫と鯨を蝕んでいた蟲たちが一斉に停止し、砂鉄が集まるようにして元のグラトンの肉体を再構成した。


「決め手として夢想解像で体躯を人間サイズでは抵抗しずらい蟲に転じて攻勢の決め手とするのはアイデアとしては嫌いじゃないです。流石は雑魚狩りのボイジャー。自分より弱い相手にはとことん強いと言われるのが理解できます」

 人間の姿形に戻ったグラトンは澐仙を睨みつけた。

「お前を食おうとした側から蟲が消滅していった。…何をした?」

「自分の冠域の中で能力使って何が悪いんです?」


 堂を荒らした白鯨と鮫の体躯が霧散していく。内部から特殊な化学反応を見せるようにして、肉片が熔ける、裂ける、崩れるなどして消滅に向かっていくのだ。巨大生物の亡骸の中から澐仙の大きな体が姿を現し、鉛色の素足で音もなく彼女は堂の中央に歩み進める。

 最初はその姿を睨みつけていたグラトンだったが、彼女が自身の間合いに迫ろうとしたその刹那に、口と鼻から噴水のような血液を噴き出して目を瞳から色を失った。


「ぶっ……ご…ポォア………ッ‼‼‼????????」

 糸が断たれたマリオネットを思わせる痙攣を見せるグラトン。指の先から髪の毛までを荒ぶらせながら、必死に口と腹を手で押さえて堪えようとする。

「鴇田君‼‼」

「オォ…??…ぐっ……オぇッ‼」

 痙攣が収まった彼だが、それでも立つのがやっとといわんばかりに消耗している様子は明瞭だった。だが、傍らにあった梨沙から見ても、攻撃を仕掛けたと思われる澐仙が何か特別なアクションをしたようには見えなかった。

(冠域発動後のボイジャーをノーモーションでここまで削る攻撃って……どんな怪物だよ)


「おやおや。我らと渡り合うべくして生み出された人造兵器の耐久度としては、いささか役不足感も否めない脆さですね」

「な…にを……したッ‼」

「貴方。そうやって毎回敵に対して自分に何をしたか訊いているのですか?私、戦闘中のお喋りは大好きなんですけど、他の人って割と無視してトドメ差してきたりとかしません?」


 歩幅を変えぬまま、大胆にグラトンまでの距離を歩いて詰める澐仙。彼女は姿勢を一瞬沈めた後、素足の先をグラトンの鳩尾に打ち付けて彼の全身を宙に蹴り上げた。蹴りのショックでグラトンの意識は暗転し、落下は床に対して顔から崩れるようにして昏倒していった。


「意外ですね。お嬢さん。貴方はもっと積極的に仕掛けてくるかと思っていましたよ。仲間が半死半生になるまで棒たちとは…」

「期待に沿えなくて悪かったね。一つ質問なんだけど、今ウチらが使える冠域ってさぁ、アンタの敷いた冠域の中に入れ子構造として再構築した仮想領域に対する空間浸食なわけでしょ。でも前提となる因果律は地球の表側、つまりは地上の現実世界を元に構築された生存権利が尊重されるわけだ」

「小難しいことを仰る」

「この空間の裡で傷ついた肉体は……。いや、死んだ人間はどうなる?」

「そういう心配でしたか。まぁ、夢想世界と同じように、死んでも死んでも現実に退去してやり直すということはできません。夢心地ではあるかもしれませんが、ここは間違いなく現実の世界ですから、限界まで肉体を損傷させれば生命としての定は覆せません。でも、私。しっかりと手加減してるんであんまり心配しなくていいですよ」

「夢想世界に近い耐久度の確保は出来ても、耐久度を超えた場合は夢は覚めずに永遠の眠りにつくと」

「詩的ですね。先ほどの印象より貴方が好きになりました。どうです、叢雨の会に入りませんか?」


 弾丸の速度を超えるボイジャー:スカンダ号の蹴撃が澐仙の頭に飛ぶ。

 澐仙はそれ難なくを躱した。


「私は私で韋駄天っちゅう神の名前で張らせて貰ってるワケ。今更アンタを崇めるとか無理なのね」

「良いですね。でも、神を名乗るには実力が不可欠ということを、この場にて学んで頂きます」


 重低音が響く。踏み込み、加速、攻撃の予備動作がそれぞれ音速を超えるようなスカンダの攻撃的なアクションが神社の外周に至るまでを轟轟とした衝撃で踏み鳴らしていく。


「魔醯首羅:猩猩行脚しょうじょうあんぎゃ

 不定形な金色のカーペットが生み出されるスカンダの冠域。個体と液体と繰り返す金色の物質が神社の至る処へと延伸していく。彼女の冠域内部では彼女自身の身体能力に飛躍的な強化の効果が齎され、常人からは目にも留まらないような速度で絶えず動き続けている。

 単純な移動における彼女の速度は韋駄天の脚を用いた踏破だけに留まらず、両手を用いた建築に対するクライミングや受け身を用いた大胆なパルクールも強みだった。完全にアウェイの環境である丐甜神社の内部であっても、回避のフェーズでは的確に澐仙の追尾を切ることに成功している。


「私の結界の内側における自己の最強証明の空間の限度を調べるための大胆な大立ち回り。大したものです。使える部品の量がわからないなら、今使えるものを確立するという目的意識を感じる冠域固定は流石といったところでしょうか」


 中雀門のような建造物までたどり着いたスカンダの前方に澐仙が出現した。ここが彼女の冠域の内部であるためなのか、スカンダからしても異質に感じられる速度での移動を実現させてくる。


真言宿命オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ:晴舞台」

 迎撃を決めたスカンダは再度冠域の構成を変化させる。飛び掛かってくる澐仙に向けて金色の道を生成し、その上を走破することでさらなる加速と威力の増強を図り、澐仙が仕掛けてくるよりも先に彼女の腹部に対して前蹴りを向ける。

「事前情報ではボイジャー:スカンダ号はわかりやすい強襲型や速攻型のイメージを抱きましたが、やはり、それを感じさせるだけのスピード感はありますね」

「……………」

 蹴りは躱されたが、そこからスカンダは間髪入れずに全身を総動員したコンビネーションを繰り出す。

 澐仙は指先で文字を描くように、飛び掛かってくる拳や脚を捌いていく。

「魔醯首羅:金剛腑乱」

「惜しむらくは技の豊富さからくる一つ一つの練度の低さですかね。頭の中では敵のパターンに合わせた攻撃手法のレパートリーを想像し、なおかつ瞬時に切り替えられるように戦闘中も己の中の手札の管理に集中力を割かれている。爆発的な感情を力に乗せられるような優秀な適正はありながら、いまいち行動と選択の整合性の補完に気を取られて過ぎているといった印象でしょうか」

「………………」

 澐仙はふわりと攻撃を躱すと、今度はスカンダに併せる形で脚を使い始める。

「魔醯首羅:怒涛業」


 中朱門が崩壊するほどの強烈な競り合いが生じる。重みと速度を含有した韋駄天の蹴撃が度々澐仙の急所を的確に突こうと狙うが、その全てに対して澐仙は自分の蹴りを併せて捌いている。


「単純な疑問にはなるのですが。……今こうして局所的な究極反転を実現させていますが、貴方が自身の宿敵と見据えていると言われている反英雄もまたこういうシチュエーションで戦うことになると思います。どうやってアレに勝つつもりだったのですか?」

 澐仙はスカンダの顔面に強烈な拳を叩き込む。彼女の顔から血が噴き出し、瞬時に表情筋が崩れる。

「まさか、この程度で私たち"星の主"と渡り合えるとしていたのですか?」


 石畳の庭園に落ちて行くスカンダ。半ば昏倒気味に倒れ伏そうという時に、彼女の瞳に紫色の閃光が奔り、彼女に闘気が戻る。回転するようにして体を立たせ、息を切らしながらも脚に意識を割く。


「魔醯首羅:女神捧脚」

 蹴りにより打ち出される光の大砲が澐仙を捉えた。彼女の持ちうる最大火力であり、即効性と確実性を示してきた彼女の自信を持った一撃だった。

 光と熱のビームが澐仙を巻き込んだ辺り一帯を焼き払う。振り切った脚をそのまま固定し、持ちうる全てをその光線に注ぎ込む。


―――

―――

―――


「神を語る傲慢さが、身に染みて理解できたのではありませんか?」

「ハァ…ハァ」

「最低限の礼儀としてガードはしましたが……あの程度のスピードでは、仮に反英雄と相対したとしても、奴のカウンターで貴方は十回は殺されるでしょう」

「……ハァ……フーッ‼」


「貴方ごとき、能力を使う必要もないくらいの雑魚ではありますが、一応は私を否定する神の自称者であるという点から最低限の縄張り争いの体裁は保ちましょう。私には信者がいますから、時折恰好をつけないといけなくてですね」


 澐仙はスカンダの前に立ち、真顔で詠唱を行う。


「固有冠域、再々展開。極点きょくてん熱砂急ねっさのきゅう

 これまで広がっていたスカンダの金化粧の背景が侵食され始める。

 丐甜神社を取り巻く環境の一切が不安定な空間に侵食されて消滅し、代替となる広大な砂漠地形がみるみるうちに構成されていく。砂の一粒一粒が恒星のような眩き煌めきを帯び、空として存在する広大な景色は夜空を称えたような満点の星空となった。

 一つ、この景色に馴染まない特異な異常があるとすれば、それは温度だった。


 スカンダの皮膚からは雑巾を絞ったような大量の汗が秒刻みで勢いを増し、ただそこに在るだけで混濁しそうになるほどの急激な気温の上昇に対してひたすらに危機感ばかりを募らせた。

 

 そこで彼女の脚が燃え始める。

 

 スカンダは目を剥き、嗚咽を漏らしながら膝から崩れ落ちた。


「いいさ。……元々無くしてた脚だ。現実世界でまた思いっきり走れて、満足だよ」


「そこで満足していては、何も為せませんよ」


「あっちぃな。もう、限界だ。あーあ、負けた」


 スカンダの喉が焼け落ちる。体中の肉の油が煮え立つように泡立っていき、全身が炎に包まれて気絶した。



―――――――――

―――――――――



 次ぎに目が覚めた時、眼前に立っていたのは叢雨の会の幹部である鐘笑という男だった。


「ご両人、お目覚めにてございますね」


「………………」

「大丈夫か、スカンダ」


 裕田が梨沙の肩を支える。

 梨沙はぼんやりとした感覚の中で自身の脚を見つめる。無機質な義足が二つ、当たり前のようにそこに存在した。


「…で、どんな感じ?」


「澐仙様から言伝を預かっております。ご両名の参拝に対して感謝を示し、近日中にTD2P日本支部へと参上すると申しておりました。これにて、参拝は終了にございます。遠方から遥々お出向き頂いたお礼として、僭越ながらこちらを私個人から進呈させて頂きます」


「なにこれ」


「叢雨の会が販売しているオリジナル饅頭です。お土産に人気を戴いております。どうぞ、ご堪能ください」

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