06 固有冠域

 --- 固有冠域こゆうかんいき


 夢の世界における自己のアイデンティティの顕現。自らの最強を証明するために夢の世界を自分の色に染める空間干渉の技術の総称である。

 言ってしまえば自分の好きなように世界を設定できるという法外な権力行使。自己が描く最も自分らしい世界を実現しうる技。専門に研究する人間からは、それが夢の世界の出来事であるにも関わらず、仮想現実,拡張現実,複合現実に並ぶ格納現実と呼ぶものも存在する。


 夢を見る全ての存在が扱うことができる力でこそあるが、これを可能とする人間は一握りであるとされている。

 殆どの人間は日頃から培われてきた根強い現実感と常識による創造力の束縛を無意識に自己の枷としてこの力から自ずと離れていってしまう。だからこそ、自分が冠を戴くに値するだけの強い独善意識や独裁感情、湧き上がるような欲望や恩讐の念がその存在を固有冠域という生命としての次のステージに誘うのだ。

 生成した世界はその展開・延長・固定のフェーズを経て夢想世界に定着し、主の心が満たされるまで異彩な環境を提供し続ける。この上ない自己主張といえる固有冠域だが、もしそれが同じ空間に二つ同時に存在していた場合、両者はその存在証明のために絶対の排除闘争を余儀なくされる。



『固有冠域:陽の沈む町サン・ゴーズ・タウン

 正体不明の悪魔の僕である通称信号鬼が作り出す固有冠域。町全体に付与された特殊効果により発現自在な危険車両を操作して内包された魂ごと不可避の弾丸に昇華させる能力を持ち、独自のルールを科す信号機の生成と発色によって敵の排除能力を高水準まで向上させる能力。

 彼が何を想いその世界を悪魔の力によって実現させたかは定かではない。だが、これほどまでにかも蓋然性があるかのような殺意をひたむきに浴びせてくる固有冠域もそう存在するものではなかった。


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太陽越す者テセナ・メロス愚者の旅路ぐしゃのたびじ

 

 水瓶に金色の画材を差すように、スカンダの周囲の光景には金色の光を放つ空間が揺らぎながら延びていく。形容し難い複雑怪奇な地形が生成され、伸びていくその凹凸だらけのカーペットを滑るように彼女の体は走りだす。意識を置いていくような速度。認識の外側を奔る彼女の助走をつけた突撃はただ漫然と信号機に立っている鬼を安全圏から吹き飛ばした。

 なおも伸長していく世界。拡がる町を浸食していくような金色の庭がスカンダと鬼に追いつく頃、彼女はさらに技を放つ。


魔醯首羅まけいしゆら金剛賦乱こんごうふらん

 空を揺らす猛攻。全身を用いた強力なコンビネーションが信号鬼の悪意が揺らめくような黒いオーラごとタキシードにめり込む。驚くべきはその効果音。爆発でも起きているのかと錯覚するまでの凄まじい衝撃と破壊音がその当身や蹴りからいちいち発されている。

「オォ…ッ」

 この攻撃には流石の信号鬼も笑みを浮かべる余裕はなく、堪えがたい痛みに襲われてかその貌は悲痛に歪み始める。先ほどのようなメッセージによる技の発現ではなく、今度は彼はその腕を振り上げるだけで周囲に信号機を出現させて目が眩むような赤信号を点灯させた。

 だが、それを意にも介せずスカンダは攻撃を続ける。人間であれば的確に急所を突ける正中線に一呼吸で数発のコンビネーションを合わせると、怯んだ顔が背けられればそこに向けて容赦なく回し蹴りを食らわせる。それから一拍も置かずに膝蹴りを頭部に見舞う。姿勢が崩れて倒れるよりも先に刈り払いを仕掛けて鬼の体を宙に浮かし、その体が地面に落ちると同時に凄まじい威力の拳撃で鬼の貌を殴りつけた。


「アァアア!」

 信号鬼の嗚咽と共にその姿が消える。その姿は少し離れた位置の信号機の上に出現し、肩を揺らしながら痛みに喘いでいた。


真言宿命オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ晴舞台はれぶたい

 その詠唱と共にその信号機まで通じる金色の道が生成される。それを見て信号鬼は同様の瞬間移動によって別の信号機への移動を繰り返して距離を取ろうとするが、その先にも金色の道が先読みするように生成されていく。

 スカンダはその道を持ち前の神速で駆け抜ける。特別走りやすい舞台なのか、フォームも捉えられないような出鱈目な駆け方をしているのにこれまでよりさらに彼女は速く動いた。


 戦場が町の中へ中へと誘われる。大団円のステージ照明のような何本もの光の束が錯雑と入り乱れ、その光は彼女を追う生き物のように瞬時に生成される信号機の群れからしきりに打ち出される。信号機の上を瞬間移動する鬼を捕まえるため、彼女は宙を舞うような複雑な金色のステージの上で跳躍し、迫りくる光の群れを交わしたり、時には気圧されるような赤や黄の光の中を韋駄天の速度で突破した。

 ここにきていよいよ鬼も逃げながらではあるものの再び神出鬼没の暴走車両の召還を再開する。何もない空間から吐き出されるように時速百キロを超えるような大小さまざまな車が飛び出し彼女に迫る。その合間を縫うように光を差し込む信号機も一秒間に十本以上の速度で生成されており、錯雑としたカオスが町を一挙に満たす。


「鬼ごっこは終わりだッ」

 スカンダが吐き捨てる。

 彼女の瞳から溢れる紫の軌跡が脚に伸びて纏わりつき、右足全体が濃い紫色のオーラを纏う。


魔醯首羅まけいしゆら妙蹄隕鉄みょうていいんてつ

 飛び上がった彼女が着地と同時にコンクリートの地面に対して放った一撃。右足を全面に出した踏み込みは百万人の四股でもなお足りないような超絶的な威力を示し、周囲の建造物を激震する。地面から生えた信号機は立ちどころに岩盤ごと倒壊し、迫りくる車たちは衝撃派だけで玉砕されてしまった。


 次いで左脚にも光が帯びる。煌々と輝く重瞳は敵対者である信号の鬼を睨み、噛みしめた歯の奥から次なる大技の名を呼起す。


「魔醯首羅:女神捧脚じょしんほうきゃく


 それはまるで蹴りにより打ち出された光の大砲。大怪獣が放出するような凄まじい熱量を持った光のビームが宙に一本の槍となって突き進む。一軒家がそのまま収まるような大きな直径を持った光線が周囲のビル群を穿ちながらその先で目を剥いている信号鬼に迫り、その姿は凄まじい光の中に消えていった。

「ぐわぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁああ‼‼」

 光の槍は執拗なまで一分以上に渡って放出され続けた。光線は穿ったビルにたちどころに火災を生じさせるほどの高温を内包しており、それが数秒でも直撃すれば生命としての原型を留めていることは困難だとうとさえ思える威力だった。



―――――――――――


「人はその痛みが伴うまで自分の過ちに気が付かないとはよく言ったものだが、今の貴様がまさにそれだな」


 収束する黒い靄。黒い炎のような靄が町の至るところからぽつぽつと湧き上がってきたかと思えば、それらは渦を巻きながら地面に転がった青色の何かに向けて集束していく。


「この町は実在する環境をベースに俺の力を使って細部にまで仕掛けを施してある格納現実。信号だけじゃない……標識や停止線、禁止区域の指定や民家の配置まで様々なものに力を割いているからこそ、この町はそれそのものが俺の固有冠域であり、と定められた構造体だ」


 青色の何かが持ち上がる。黒い炎の中で宙に浮遊するそれは、先程まで信号鬼の貌の奥で青色に燃えていた重瞳の眼球のうちの一つだった。


「ある程度のルールを仕掛けられたところでそれを火力による突破力に任せて俺の夢想世界での存在核ごと消し去ろうとしたのは愚かにも実に惜しいラインまでは達していたな。事実、俺が普通の夢見人だったら今の攻撃を脳で処理しきれずに五回は死んでいたかもしれないし、眼も一つ壊れてしまった」


「てめぇ……」

「だが、ルールは破れば破っただけペナルティを被るものだ。そうでなくてはルールがある意味がない。破ったな羅それに似合う罰を…否、俺の世界ではそれ以上の痛みを以て清算してもらう。残念だが貴様はここで死ぬ」


 既に地面に俯せに伏したスカンダ。光のビームを放ったことによる疲労とは別に、何かとても強い力によってその体の自由は既に奪われてしまっている。


「貴様はその大立ち回りによって自ら蜘蛛の糸を掻き集めるようにして呪いを集めた。俺が出現させた信号の一つをとっても本来対抗しえないだけの拘束力を持っていて、それを破ればさらに強力な呪いが発動する。貴様が町を破壊しながら浴びた呪いの数は千を既に千を超えた大台だ。それでいてよくもまぁのうのうと人様の世界で存在が許されているものかと関心さえ覚えるよ。それも単に固有冠域による支配権の中和の作用か。貴様の業突く張りな理想の世界なぞ、私の世界には必要ない」

 信号鬼の全身が再生する。先ほどと違う点があるとすれば、その貌に備わった眼球が一つ欠けていることくらいだろう。


「固有冠域:陽の沈む町サン・ゴーズ・タウン。冠域延長:天蓋てんがい

 鬼の背後の空間から車両が出現する。これでまでとは違い暴走状態の高スピードで飛び出してくるのではなく、エンジンが掛かってない既に傷跡だらけの事故車両のような状態で姿を現す。それらは一つ、また一つとしきりに出現しては狼煙のように空に向けて浮き上がっていき、現実には起こり得ない廃車による暗雲のような大きな景色を展開していく。

 さらにこれまでにスカンダや英淑、その他隊員らによって破壊された車両の瓦礫も空へと昇っていく。風船やシャボン玉が浮き上がっていくようにふわふわとそれらはある一定の高さで集積し、これまた廃車による天蓋の一部として吸収されていくのだ。


「俺の夢は復讐だ」

「は……?」

「愚か者への復讐。無垢な人間への復讐。みんなを殺した世界への復讐。

 …ぼくたちをころしたせかいをつかった復讐」


 それだけ言うと鬼は僅かに掲げた腕を振り下ろす。軍の号令のように指示を受けた廃車の天蓋がこれまでそれを浮き上がらせていた力を失い、むしろ何倍にも膨れ上がった重力に引かれるようにスカンダに向けて一斉に迫る。

 スカンダは抵抗を試みるも技を出すよりも降り注ぐ天蓋の到達が先だった。

 瞬時に全身が玉砕される感覚。湧き上がるような痛み。

 重い、痛い、苦しい。

 やめてほしい、助けてほしい、助けてほしい、やめてほしい。

 様々な感情が車と一緒に心に侵入してくる。スカンダ自身の痛みを掻き立て、堪えられるかもしれない負担を堪え難い苦痛へと昇華させていく。



「固有冠域:大曼荼羅顕現だいまんだらけんげん

 車に埋め尽くされた世界の中で、か弱く咲いた蓮華の花。瓦礫の嵐が空間にノイズを走らせるような異様な光景の中で真っ赤な蓮華を手にした男がスカンダだった挽肉の中に転がっている紫色の二つの眼球を拾いあげた。


「作戦は失敗。……これより撤退する。恨むなよ、スカンダ」

 激しく音を立てながら世界が暗転する。

 二つの眼球を手の上で転がしながら、男は静かに信号鬼を睨みながら、舞い降りる不思議な背景の中に溶け込んでいく。数秒も待たぬうちにその体は夢想世界から存在を現実世界へと天を昇るような心地で転移させていった。







 何か途方もないような悪夢を見ていた気がする。


 両手に手が入らない。自分の名を呼ぶ声もどこか上の空になってしまう。


 もろこし。唐土己?

 そうだ。今はそういう風に呼ばれていた。ついでにアンブロシアっていう意味の分からない名前もあったっけ。


 何をしていたんだっけ。何もしてなかった?

 寝てただけ?この物騒な鉄のヘルメットはなんだ?

 

 ああ、そうだ。そうだよ。

 僕はあそこにいたんだ。

 夢の中の地獄にね。


―ー

―ーー



「おはよう。唐土君、目覚めはどうかな?」

「おい、コルデロ。何もそう嫌みらたしく言う必要はないだろう」


 いくらか耳に馴染んだ二人の声。ボイジャーの整備技師のセノフォンテ・コルデロが今ここにいるということはここは現実世界なのだろうなと唐土は察した。


「気分が悪いだろう。まだ少し休んでいてくれ。初潜航でその身が殺されては、認識の乖離もあってまだ頭が現実に慣れないはずだ」

「いえ、大丈夫です。一杯だけ何か飲み物をくれませんか」

「わかった。冷たいお茶でいいか?」

「ありがとうございます」


 受け取ったお茶を喉に押し込みながら、唐土は周囲を見渡す。

 前に目覚めた時と同じ、湖畔に隣した掘っ立て小屋のような場所だった。


「………」

「………」


 英淑はなんだか居心地が悪そうだった。唐土は早々に殺されて意識を失っていたが、彼女の表情を見るだけでも既に今回の討伐作戦が悪い結末を迎えているということは想像に難くなかった。


「…夢の中なら死んでも大丈夫なんですね。てっきりもう目覚めることもないのかと」

「やめてくれ。無限に命が湧いてくるわけじゃないんだ。君がボイジャーという特異な耐用値を持つ存在であるからを破壊されずに意識体の再現がまだ可能だが、それでも精神には確実に傷を負ってる。これから君の回復を待ってから再度戦略会議がオンラインで開かれるが、本当に無理だと思ったのならば君は今回の作戦から外れることも私は認めたい」


「嫌だからって断れるもんなんですか?」

「……」


 英淑は本当に申し訳なさそうだった。拳を硬く握りしめ、重々しく口を開く。

「あの戦いで君を守れなかったのは明らかな私の過失だ。ボイジャー運用経験の多寡にかかわらず、私には君を守る義務があった。……君にあんな凄惨な死を迎えさせてしまった以上、私は君の意志を全てにおいて優先し、上層部への直接の抗議も談判も厭わない」

「そうですか」


「いやいや、TD2Pにそんなまともな人権意識があったらボイジャー計画なんてふざけた改造人間の運用なんて実現してないだろうさ。君には酷だけどね唐土君、目覚める前に既に君のバイタルチェックは完了してる。数値的にはすぐに夢想世界に潜航することもできるし、戦略会議は君の回復を待つというていで準備されてる。お姉さんの思いやりも気遣ってやりたいけど、君は兵器だからね。いつまでも逃げ隠れするわけにもいかないのさ」


「だからなぜお前はそんな言い方をっ」

「いや、別に良いんですよ。白さん」


 まだ僅かに残っているお茶の残りを唐土はぐいっと飲み干した。


「僕はいつでもいけます」

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