05 鬼の力

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[空間深度が上昇している。数値上は2500を示してるが、アンブロシア号の耐用値をベースに周辺空間の中和効果が働いてるから実質的な影響度はそこまでじゃない。しかし信号鬼の能力が確定しない以上は極めて慎重に作戦を続行するのが大前提だ]


「深度2500か。町一つを飲み込むコロニーを維持するだけはある」

 英淑が片手剣を構える。剣術に明るくないアンブロシアとしてはそれがどういう流派なのかはわらかなかったが、やや前傾姿勢を保ちつつ剣先を地面すれすれに浮かせるように構えるのが彼女の初動の形らしい。


「せいぜい気をつけろよ。こんな夕暮れ時には事故も多いからな」

「英淑さん!後ろッ」


 音もなく出現する大型トラック。この町にはやたら交差点や大きい道路が続いている印象だったが、そんな道路からは当然のように危険車両が突如として出現し、それを攻撃として信号鬼が繰り出してくる。今度の英淑もまた完全な背後をとられてはいるが、彼女はアンブロシアの声が耳に届くや否やその身を大胆に翻して剣を大上段に構えなおして振り下ろす。すでに眼前までに迫っていた大型トラックはその太刀筋の軌跡に沿って派手な音を立てながら両断され、振り下ろした刃が地面すれすれで停止する頃には絶たれたトラックは左右に割れて崩れ去った。


「人の背後を突くのが好きらしいな」


 英淑が舌打ちする。その背後で激痛からの回復を果たしたスカンダがゆらりと立ち上がり、腹の底からの怒号に似た号令を発する。


固有冠域こゆうかんいき展開。一気に叩けッ」

 湧き上がるようなスカンダの重瞳の光。その言葉を境にスカンダに同行していた隊員の手には一斉に槍のようなものが握られ、彼らはとてつもない踏み込みで信号鬼に飛び掛かる。五つの影が舞うように跳躍し、信号鬼は不適な笑みを浮かべつつも先ほどからと同様の手法で今度は何もない空中から複数の車両を出現させた。重力に沿って落下するその数々の車両を前に隊員たちは怯むことなくその槍を振る。凄まじい衝撃とスピード感でたちまちに車両たちはバラバラに瓦解していき、その礫を足場にするように隊員たちは途轍もない身体能力で跳躍を継続した。


「ほぅ」

 信号鬼はその勢いに気圧されるように背後に複数の信号機を出現させ、その上を足場にしながらノールックで飛び移って隊員たちと距離をとる。その間も隊員たちの頭の上だったり背後、あるいは左右正面のあらゆる方向から暴走気味の大型、中型、小型、果てはバイクや自転車までの様々な車両が出現して突進してきた。隊員たちは迫りくる車両を的確に破壊しながら突き進むが、その背後にも様々な車両がまっすぐに狙ってくる。やや呆け気味にその光景を見つめて手に汗握るアンブロシアだったが、そんな彼の懸念する隊員たち背後からの攻撃は凄まじい突風を引き連れるように躍動するスカンダによってほぼ同時に破砕されてしまった。

 それどころか空中で方向転換したスカンダは宙を舞う隊員たちよりもなお速く信号鬼に向けて駆ける。空で解体されていく車両たちの瓦礫を足掛かりにしながら、まさに韋駄天を思わせる豪胆かつ繊細な足捌きを見せて常識離れした速度で信号鬼に詰め寄った。

 そのスピード感。まるでハリウッドの映画を間近で見せられているようであった。


「殺してやんよ」

 宙でスカンダの体が捩れる。蹴りを繰り出すために彼女の身が不自然に沈み、溜め込んでいると思われる韋駄天の脚力が感情に押されるように空間を揺らがすパワーに変わる。


「思ったより、やるじゃないか」


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 何が起こった?

 生じた異変。

 時間が止まった。いや、ゆっくり流れている?

 身動きが取れない。威圧による身の竦み?それとも毒のようなものの効果だろうか。

 

 手からも足からも力が逃げていく。

 怖がっているのか。何を怖れる?

 詰問されているみたいだ。途轍もない二択の問題を強制的に押し付けられてる。


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 花が咲くような光を瞬時に放った赤信号。まるで信号機が瞠目して彼女らの姿をその慧眼に収めるかのように、その煌々とした光によって睨まれている。

 たった一つの赤い光を目に留めただけで、神の速度を有した韋駄天の動きが止まる。放とうとしていた蹴りは何もない空を薙ぎ、それからすぐに全身を硬直させながら瓦礫の山にその姿を投落させた。


「急ブレーキも危ないぜ?」

 目を白黒とさせながら地面に落下した隊員たち。彼らはその赤信号を不思議と凝視しながら、未だにその肢体を動かせずにいた。


「これも能力か…ッ」

「ああ。所詮は光をピカピカとさせてるだけの力だがな。貴様らに信号を守るだけの良識があるとは思えないが、どうだ?ここは一思いにこのまま殺されてみるというのは」

「ほざけ、悪魔の僕が」

「どうだろうな。どちらが悪魔かわからん。貴様らこそ、俺に蹴り一つ当てようとするために露払いみたいにぶっ壊した車に乗ってた哀れな魂たちを現実世界でぶち殺してるわけだが……どうにも、として命の価値を割り切る習慣はばっちりらしいな」


 英淑の前にも、アンブロシアの前にも同様の赤信号の光が浮く。その光を浴びているうちには、不思議なことにその場を離れてはいけないような重々しい威圧感と束縛間に捕らわれる。英淑はそれでも身動きが取れそうな雰囲気があったが、別の何かの要素を懸案してかひとまずは様子見をしている。


「コルデロ。現実世界ではどうなっている?」

[ああ。信号鬼の言う通りだな。おそらくはお前さんたちが破壊した車に因果のある運転手が暴走したり、昼寝してる一般人の民家に車が突っ込む事故が急増してる。中には白昼夢に落ちてそのまま創傷や裂傷、内臓破壊を受けてそのまま死んでしまうパターンすら散見されるほどだ]


 アンブロシアは想像しただけでも驚嘆の声すら上げられないまでにその現状に絶句してしまう。


[そいつの能力が現実に紐づいた睡眠者の魂や運転者の無意識に直接干渉できるとすれば、これは由々しき事態だ。攻撃するまでに防壁のように車を出さればそれを破壊して現実世界の一般人を巻き込むことになるし、そうでなくとも一つ一つの攻撃が魂を人質にした特攻突撃だ。TD2Pもそっちの指揮系統も既にそいつのカテゴリーを3に格上げした。そして潜航している現状のボイジャー三機では相性が悪いとみる意見が多く、一時撤退の声も上がってる]


「そうか。……いや、キンコル号の準備さえ整えば形成は逆転する」

[だが、キンコル号も事態の把握から固有冠域こゆうかんいき展開のために備えをしているけど、何より時間がかかる。その間も君たちの派手な戦闘で車両が破壊され続ければ現実世界での被害もとんでもないことに]


 少し臆面を見せたセノフォンテの声に対し、英淑は呆れたように返した。

「これだから頭ばかり大きくなった技術屋は嫌いなんだ。徹底だと?……こんな人間の動作そのものを封印するような深度の結界の中で逃がしてもらえるわけがないだろう」


 瞬時の力の発散。赤い光に捕らわれた肢体に全霊を以て肉体としての命令を出し、英淑はその心理的な束縛の中で身を動かす。光の範囲を外れればそこからさらに手に持っていた剣を消滅させ、その分の空いた脳のリソースを使って自分が奔るための足場を生成した。


 スカンダの能力行使の影響で同時に底上げされている英淑の脚力も人間離れした水準であり、数舜立つ頃にはスカンダの付近で信号機に立ち乗っている信号鬼に達していた。


「こっちは信号無視か」

 英淑の足場が途絶え、代わりに手の中に片手剣が生まれる。飛び上がった勢いそのままに大上段から剣をまっすぐに振り下ろし、信号鬼の脳天を割りながら地面まで叩き落す。その後、手ごたえをそのままに剣術の型を廻して断続的に斬り続け、目にもとまらぬ剣捌きによって信号鬼の仮染めの肉体をバラバラにしてしまう。

 不規則に四散する血飛沫の中で英淑はなおも徹底して斬撃をたたき込み、足元に人間一人分の血溜まりが生じてなおもその周囲の肉塊や臓物を強く蹴り放った。その様はまるで戦いに心血を燃やす修羅の姿であり、彼女はそれだけの大立ち回りをやってのけてなお不満そうな面持ちだった。


「なんてことしやがる可哀そうに。信号無視した危険車両が何の罪もない子供たちを轢き肉にしやがった」

「貴ッ様ァ…‼‼」


 アンブロシアが丸くした目を声の方向に見やれば、先程滅多斬りにされたはずの信号鬼が自分のすぐ近くの信号に突っ立っていた。それでは今殺した血溜まりは何かとそっちも確認すれば、先程は確かに仕留めたはずの信号鬼の肉体は、どこか子供を思われるような小さな人間の体の一部がちらほらと混じっているように見えた。

 そして、息を切らしながら血の池に立つ英淑の体は新たに生成された三つの信号機の赤い光に絡みつかれるようにして拘束されてしまっていた。



[成程、てっきりこの町全体に能力を展開して侵入者の排除に徹底した姿勢をしていると見てたけど、そうじゃない。奴はそれに加えて信号の点灯色に応じた様々な追加効果を即席で付与する能力者。赤信号を浴びれば移動は制限され、それを破ればペナルティが課される。この場合は皮肉なことに危険車両が無辜の民に襲い掛かったシチュエーションを作り出されたわけだ。……そしておそらく、今、お姉さんが殺した子供は現実世界で何らかの形で死を迎える]

 

「既に数十人は殺してしまったようなものか」


 端的な言の葉。顔色一つ変えない英淑の態度に対しても、アンブロシアは違和感を覚えた。

「……そんな人を虫を数えるみたいに」

「………アンブロシア号。いや、唐土君。君はこの戦いにはあくまで無機質な態度で臨んでほしい。とてもつらいだろうが、今はそれが…」

「辛いわけない‼‼だって意味が分からないんだからっ‼」

「っ!」


 赤い光に包まれる中、唐土己はその痩躯を自分で抱き寄せるように両手で抱えた。

「僕は怖いッ。怖いだけだ!!意味の分からない世界で、意味の分からない人たちが人を虫のように数えて殺しまくってる!!目を閉じても、耳を塞いでも、この戦いから逃げることになるんですか!?ただ飾ってある人形のようにしてろって……人形が何も感じずにそこに在るだけだってなんで勘違いしてる!」

「いや、私はっ」

「ただここに在るだけでも命がどんどん削れていくみたいだ!それでいて目の前のあり得ない世界のことは気にせず置物になってろって?人間を馬鹿にするなッ!!」


 怒号に震えるアンブロシア。それまで細々と開いていただけの瞼の奥の瞳は今では紫色の涙で満たされている。


「うんざりだ。……夢の世界の戦いに少しでもメルヘンな要素を期待した自分が本当に馬鹿だと思うよ。他人に縋ろうにも右も左も気のふれたような人殺しばかり。まともな人間なんて一人もいやしない」

 肩を揺らすアンブロシアの背後からは音もなく普通自動車が出現し、タイヤを唸らせたそれが躊躇なく彼を背後から打ち砕く。

「うっ」

 意識が飛ぶような味わったことがない衝撃。それでも彼はこの痛みと共に悪い夢ならば覚めて欲しいと切に願った。そんな淡い望みを打ち砕くように彼の正面にはマイクロバスが数台に渡って列をなして迫る。既に最初の一撃で意識が飛びかけている唐土に対して無情にもそのバスの群れは速度を増す。


「唐土君、いけない!その車両に現実と同質の重量や硬度はない。君が強く思えばガードは可能だ!」

 英淑の必死の訴えも無に帰すように、唐土の痩躯にマイクロバスが波濤の勢いで襲いかかる。彼の体からスプリンクラーのように血が吹き上がり、骨の破壊音と肉を引き裂かれる音が同時に周囲に混濁する。来ていた衣服はねじ切れ血と混じり、おかしな方向に曲がった手指の先が次第にぽろぽろと捥げていく。


[おい、まずいぞ!……想定より遥かにダメージを受けてる!耐用値的には問題ないような攻撃もガードの仕方がわかってないッ‼白英淑何してるッアンブロシアを守れ!]

「わかってるッ」


 宙を舞う剣の軌跡。十台以上並んだマイクロバスは獅子奮迅の剣術の手腕で霧散するように破壊され尽くした。それでもその無理な動きが祟ってか英淑も少なからずの悲痛を浮かべた表情を滲ませ、手指から力が抜けたのか剣が意図せず零れ落ちてしまった。

 剣は音を立てながら車の残骸が山積する中に僅かに垣間見える唐土のものだった肉片を目に留める。少しでも彼が逃げる姿勢を見せればカバーも出来た可能性があるが、攻撃を受けるまでの勢いがあまりにも早く、流石の英淑でも対処が間に合わなかった。

「………」


 夢の世界における空間深度への耐性はボイジャーの存在に大きく左右される。特にアンブロシアと同じパスで潜航している英淑にはその影響が強く、まだ力の操作が不完全なアンブロシアの耐用値中和でも彼女一人分くらいの深度干渉は十分に風除けの役割は果たせると思われていた。

 だが、結果としてアンブロシアの全身が打ち砕かれ、もっとも重要な要素であるボイジャーの精神状態は極めて薄弱或いは皆無の状況に陥ってしまった。そのために不可視の中和作用で守られていた英淑の身に徐々に異常が生じ始め、数秒後には激しい頭痛と倦怠感に苛まれる。


「うぅ」


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「なぁアンタ。聞けばボイジャーとの連携作戦は経験がないんだってな」

 瓦礫の山を歩むボイジャースカンダと隊員たち。スカンダはやはり砂埃ばかりかぶってはいるが、目立った外傷はついていなかった。

「あぁ。私の所属していた部隊ではボイジャーを必要とする深度まで潜航したことがなかったからな…ハァ…ハァ」

「じゃあ初陣みたいなもんで変なボイジャーと組まされて災難だったね。…見る限りの戦闘センスは見所あるよ。もし無事だったら私の隊にヘッドハンティングしたいくらい」

「…うっ……それは…ハァ…願ってもないが……勝算は…?」

「ただの風除けじゃないボイジャーの本気の戦い方ってのを見せてあげるよ」


 それを言うと少しスカンダの雰囲気が変わる。神速移動をしていないのに周囲には旋風のようなものが発生し、砂埃を立てながら徐々に勢いを強めていく。


「黄信号」

 信号鬼が言う。するとスカンダとその周囲の隊員たちを睨む黄色信号の光が点灯する。赤信号との違いは明確ではないが、なんらかの牽制を行う意図があることは明らかだった。



「固有冠域:真言宿命オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ、冠域延長:太陽越す者テセナ・メロス。……深度展開3000。冠域固定:魔醯首羅まけいしゆら


 彼女の眼の紫の光が溢れる。溢れた涙のような紫の重瞳からの光が足元から周囲に天延し、次第に風景にすらも変化が生じる。金色の後光に後支えされるように彼女の存在感は一回りも二回りも跳ね上がり、その韋駄天の超脚には箔が貼られたような金と紫の混じった異様な輝きが宿った。


「ボイジャー:スカンダ号。押して参る」

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