第七話

 互いに気を吐いてから、膠着状態が続いていた。

 シグルの部屋の前から母堂は不動。

 星舟としては勝つ必要はなく、室内に踊り込んで面通しすればそれで勝ちだ。これは、そういう趣向だ。通過儀礼だ。

 だがその我が身をねじ込む一分の隙さえ、相手にはない。


 だが相手が仕掛けないのは、何故か。この憎たらしくてたまらない相手を肉塊に変えないのは。


 隙を与えないためか。否。それにしては不必要に時をかけ過ぎている。

 手心、否。そんなことを持ち合わせる段階ではない。

 騒ぎを聞きつけた増援を待っている。もっとも可能性が高いが……否。彼女の気性から、直接手を下すことを望んでいるはずだ。


 緊迫により力が知らずかかるのか。あるいは階下のネズミが駆けずり回っているのか。

 床下で何かが這うように擦れる音を、聴く。


 星舟はふと違和感に気がついた。

 その鉄鎖の如きもので出来た彼女の『髪』。

 その動き、というよりも状態。戦巧者としての眼が、そこに行く。

 下に垂れたその髪。だが床につくほどのその髪は、岩礁に掛けられた錨のように、張りがある。


 ……垂れている?

 否、確実に地面に達して余りある長さであったはずだ。

 であれば、今その『余り』は、どこにいった?


 転瞬。

 星舟は床下の異音の正体を察したその刹那。

 背後に回り込んだその鉄髪が、彼の喉首に絡みついた。

 そして肌肉を巻き込むように密着して絡め取り、床の穴をより広げながら彼を階下へと引きずり込んだのだった。


 〜〜〜


 派手な破砕音と共に、土煙が舞い上がる。強かに打ちつけた背に、いくつかの木片が並ぶように突き立っている。


「がッ……はっ!」

 危なかった。

 咄嗟に鎖が撓んでいなければ、隙間が生じていなければ、摩擦と圧で確実に首が捩じ切れていた。


 落ちた先は、勝手口だ。

 己が拵えた梅干しの壺が転がっている。割れていないのが何よりの僥倖だ。


 だが、何故。

 何故、生きているのか。文字通りの土壇場で、確保した獲物に手心を加えるほど、酔いを抜いたハンガに温情はあるまい。

 つまり要因はこちら側にあるはずだ。

 そう思案を巡らせた時、己が握りしめているものに気がついた。

 無我夢中だった。感覚が麻痺していたし、それがうっすら戻ってきた後も、起き上がる際に何か破片でも巻き込んでしまったのだと思った。


 だが、違う。

 それは、鉄華の鞘。細い鋼の刃。

 暇乞いをして、遠く離れたはずの……シャロン・トゥーチの『牙』。


「……ッ、止めろ! 呼んじゃいねぇ! 来てんじゃねぇ!」

 星舟は思わずそう叫んだ。

 己が人ならざるモノになりつつあることの証左。それに対する本能的な拒絶の声だった。

 震える咽頭に、鉄の感触が触れる。

 黒き『鱗』が部分的に、首にまとわりついている。おそらくそれが、ハンガの絞首攻撃を内側から跳ね除けたのだ。


 と同時に、天井から無数の刃髪が降り注ぐ。蛇行と共に、四方より攻め来たり、八方に細分されて星舟に迫る。その一節一節に、鋸の歯のようなものが蠢いている。


「お前の力は借りない! 消え失せろッ!」

 そう叫びつつ、退転を繰り返す。

 だがかわし切れずに腿や腕に血の線が奔った。


 だがそれで満足する道理はない。

 快活な酔女らしからぬ攻め方で執拗に、確実に逃げ口を奪う。そして、これまでと見切ったかのように、楔のような先端が、一気呵成に星舟の身に襲いかかった。


「……とか言ってられない状況なんだよなぁッ!」

 裏返った声と共に、星舟は『牙』を鞘走らせた。

 予想を超えて上回るその猛攻を、刃風が吹き飛ばす。それをすり抜けた攻めは、持ち手に生成された甲殻で弾く。

 その隙に梅壺を拾い上げ、小脇に抱えて駆け去る。


 寸毫の間と時が生死を分ける、追走劇が始まった。

 曲がりなりにも台所を支えてきた家宰の命を奪う容赦も、自身の屋敷を破壊する呵責もない。


 階層の合間を這いながら、戯れるが槍襖のように降り注ぐ刃が貫通し、外したと思えば浮き上がって星舟を追う。


「……これだけのモン隠し持ってて、どこに日和る必要があんだよ……!?」

 という非難は、決して逆恨みからくる的外れなものではないはずだ。

 だが同時に理不尽では片付けられない、疑問もある。


 ハンガ本体が動かない。

 理由は分かる。相手もこちらも図りかねている。隙を狙われていることを知っている。なればこそ、愛息の下を離れることは許されないのだろう。


 問題は、であればこの追撃は、何をもって標的を認識しているのか。


「……」

 まず一つ、思い浮かんだ可能性がある。

 星舟は、壺の蓋を取り、斜め前方へと投げる。

 その着地と共に、足を止めた。


 すると背を狙っていた鉄髪は方向を転じて蓋と、その下の板張りを粉々にした。


(初手からドンピシャ。やっぱ音か)

 正確には、空気の振動か。

 感知の方法が分かれば、恐れるには値しない。


(こうなりゃ、根比べだ)

 梅干しをつまんで口に含み、消耗する塩分を確保する。『鱗』の展開は大量の塩分を消耗する。そしてその減りは、全身全霊で殺しに来ているハンガの方がはるかに大きい。

 そこに生じる隙は、必ずある。


 そしてもう一つ、思いついた回天の策がある。

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竜星の宰相 第二季 〜南部戦線波高し〜 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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