今日は、最後の日。

幽八花あかね

今日は、最後の日。


 一針、一針、想いを込めて縫い上げました。


 ずっと待ち望んできた貴女の花嫁姿をこの目で見られないことに胸を痛め、けれど貴女の幸せを祈って、私はこの白い絹を花嫁衣裳に仕立てたのです。


 今日は、貴女が私の主人である最後の日。


 物心ついた頃からお仕えし、お守りしてきた貴女は、今日できっぱりと私の手を離れてしまう。この国から離れ、遠い遠い異国へ嫁いでしまう。


 衣を掲げる手が震え、貴女を祝福する声も震えました。


 ――嗚呼、この想いをお伝えしたい。

 お慕いしておりました。と。


「お嬢様。……どうか、お幸せに」


 これ以上、口を開いたら泣いてしまいそうで。私は唇を引き結びました。


「貴女も、幸せにね」


 お嬢様が私の髪へと手を伸ばされて。シャランと軽い音が鳴りました。


「このかんざしは、お前が持っていなさい」

「……はい、お嬢様」


 お嬢様は輿こしに乗られて。この手の届かないところへ消えてしまわれました。


 お嬢様を想い、涙も枯れ果てるほどに泣いたその夜。


 私は床に入る前に、お嬢様から頂いた簪をろうそくの灯りのもとで眺め、造り物の花のうてなに細い紐のようなものが巻かれていることに気づきました。


 それは、文でした。

 それも、きっと、ただの文ではなく。


 ――こうしてはいられない。


 お屋敷を抜け出し、馬に乗り、駆け出しました。お嬢様をお守りできる女になるためと、武術や馬術を嗜んできた甲斐がありました。


 お嬢様の綴られた、かろうじて読めるほどの小さな文字。控えめに隠した、気づかれぬやもしれなかった、恋心。


 ――もしも、貴女が私と同じ想いを抱いているのなら――…………


 答えは、とうに決まっておりました。



 お嬢様の嫁がれる家のお屋敷で行われていた婚礼の儀式――否、生贄の儀式に私は乗り込む。


さらいに来ました、愛しいお嬢様」

「もう、遅かったじゃないの」


 狂おしいほど愛おしく想ってきた貴女の手をとり、白き衣をまとう貴女を抱えて逃げる。


 たとえ、これが罪と呼ばれても。許されぬ恋だとしても。貴女の幸せが、この世で何よりも大切なものなのです。


「最後まで、お守りします」

「最後まで、私のすべては貴女のものよ」


 ――白き衣に包まれた姫君を女は抱きしめ、月夜の中を駆けていく。彼女は呪われし災厄の姫を抱き、この世を滅ばせぬことよりも、愛する彼女の儚い幸せを望んだ――


「貴女が幸せになれない世界なぞ、いりません」




 今日は、私が貴女と生きる最後の日。

 今日、この世界のすべては、貴女とともに滅びてしまう。


 でも、それでも良いと思うのは。


 私たちが最後まで互いに愛し合ったことを、知っているからなのでしょう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日は、最後の日。 幽八花あかね @yuyake-akane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ