幕間③ 真帆の章

「『飛べ』」

 と真帆は小さな声で呟いた。

 魔法使いの末裔打海真帆は、防護壁を張る魔法のみ最速の一文字詠唱を行うことができる。

 彼女は一通り魔法を覚えた後、次にそれのみを特訓したのだ。それこそ、勉学や趣味の時間を削って。

 彼女は、戦う上で一番大切なことは勝利することではなく、誰も傷つかないことだと考える。その考えの元特訓を行い、難易度の高い一文字詠唱を可能とした。

 それからも彼女は詠唱短縮の修業を続けた。当然詠唱の短縮は簡単ではない。文字通り血を吐くような努力と時間。それに運と才能が必要になる。

 しかし彼女は諦めなかった。魔力を持たない人間を守るためには、防護壁の他にもう一つ、必要な魔法があると考えたからだ。

 それが移動魔法。

 他人を安全な場所へと運ぶ魔法だ。

 魔力を持たない人を防護壁で護るのは、対症療法である。

 本当に求められることは、戦い自体から遠ざけることだ。

 しかし、ただでさえ瞬間移動の魔法は習得自体の難易度が高い。詠唱短縮も並大抵の努力で得られるものではなかった。

しかし彼女は諦めず、結果的にある制約のもとを可能とした。


 条件は二つ。


 ひとつめが、対象は手で触れているだということ。

 ふたつめが、あらかじめセーブしたポイントにしか飛ばせないということ。

 つまりは自己犠牲の魔法だった。

 アヴェリンの攻撃が当たる瞬間、真帆は剣とアイリーンの体に触れ、『飛べ』と魔法の詠唱を行った。

 セーブポイントは昨晩勝手に設定していた剣の家。聖は剣の道具としてみなされているので、三人は無事アヴェリンの攻撃をかいくぐり、剣の家へと転送された。

 しかし真帆は移動できない。を運ぶという条件の元で精霊と契約を交わしているからだ。


 この魔法は、完全なる自己犠牲で。

 この詠唱は、世界でいちばん優しい二文字。


 剣と聖、アイリーンを飛ばしたあと、真帆は目を閉じた。

 自分を瞬間移動させる魔法の詠唱には五秒程度かかる。アヴェリンの魔力の塊が真帆を押しつぶすまで五秒もかからないだろう。

 彼女は既に詠唱することを諦めている。

 みっともなくあがくよりも、感謝の気持ちを伝えようと考えたのだ。

 それが、たとえ誰にも届かないものだとしても。

「師匠、本当にお世話になりました。最後の最後まで、わたし人を守ったんですよ。いつかまた出会えたらいっぱい褒めてくださいね」

 剣やアイリーンは、死を覚悟した直後に自室に飛ばされていて、何が起きたかわかっていないだろう。

 夜明けまでもうすぐだ。よっぽど馬鹿なことをしない限り、アヴェリンは剣を見つけることができない。明日も息を潜めて過ごしていれば、探知されずに済むだろう。

 あの王が腹いせにこの世界を征服しようと動き出すかもしれない。でもその時はその時。

 世界が五つあるという話が真実なら、この世界にはこの世界の特徴があるはずだ。だからきっと、吸血種を退けられるだろう。

 そのために多少の犠牲が出てしまうことは悔しかったが、真帆は三人を逃がせたことに満足していた。


「剣くん。たった二日だったけど、本当に楽しかったよ。ローストビーフ丼は見た目のわりにあんまりだったけど、また機会があったら一緒にご飯、食べたいな」

 魔力の塊が近づく。

 真帆はゆっくりと目を閉じた。

「ばいばい」

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