第二章② 社会人になるとMPの概念が身を持って理解できる
「もちろん、君のことはわたしができるだけ守る。なんて、さっき助けてもらったのはわたしのほうだけどね」
真帆はちろ、と舌を出しながらはにかんだ。
「さっきはあの吸血種に勝てたからよかったけど、あいつ以上に強いさらなる脅威が襲ってこない保証なんてなくて。むしろ勇者復活のニュースがアンダーグランドに生きるすべての魔物に知れ渡ったら、これからどんどん君に危険が迫ってくると思うんだ」
アンダーグランドに生きるすべての魔物、という言葉がすごく気になったが、俺は極めて冷静を装いながら話を続けてもらうよう促した。
「そんな危険がいつ襲ってくるかわからない状況に立たされる君を、わたしが毎回助けに行けるわけじゃない。となると、君は自分の身は自分で守らなきゃいけないんだよ」
真帆の凛とした声が、暗い夜道に響いた。
自分の身は自分で守る。
それは夏休み前の先生の話やニュース番組でよく聞く言葉だったけれど、今ほど自分ごととして捉えられた瞬間はなかった。
確かにカインのような存在が再び襲い掛かってきたら無事でいられる保障はない。
さっきはたまたま相手の攻撃を目で追うことができたし、ガールズバーで完全に消し去ることができる相手だったから勝てただけで、例えば背後から暗殺的に襲われていたらひとたまりもなかっただろう。
「その時のために、家に拠点を作っておいたほうがいいと思うの。自分のおうちくらいは絶対に安心してくつろげる空間にしたくない?」
「……」
それでもまだ少し迷う。
確かに外敵からの攻撃は抑えることができるだろうが、家にずっと聖がいて思考を読まれ続けるというのもなあ。
それって、安心してくつろげる空間ではなくない?
そう思っていると、聖が笑いながら絶望的な情報を告げた。
「ちなみにツルギ、①あたしにあんたの心の声が流れてくる話と②あんたの家を拠点にする話は全く別の問題なんだよね。別にあんたんちを拠点にしようがしまいが心の声は流れてくるわ。あたしを洞窟に戻したところで
「なんだって」
つまりもう俺にプライベートはないと?
「ほら、じゃあこれで剣くんの家を拠点にしない理由がなくなったね!」
真帆が満面の笑みで親指を立てる。その可愛さに負けて頷きそうになったけれどそういうことじゃない。俺は強い意志を持って首を横に振る。
「例えば友達を連れて帰ってきてバカ騒ぎしているときも、見えないだけで部屋の隅に聖がずっといるんだろう?」
「気にしなければいいんだよ。聖さんだって別に気にしないでしょう?」
「もちろん」
「例えば恋人ができたとして、ちょっといい雰囲気とか、まあ、その、やらしい雰囲気になったときも、部屋の隅に聖がいるわけだろ」
「わたしは別に聖さんがいても気にしないけどなー」
「あたしも気にしないわ!」
「えっ真帆さん気にしないんですか?」
思わず真帆の顔をまじまじと顔を見つめる。
真帆は凛とした顔でそれを受け流す。
それにしても整った顔立ちをしているなあ、と思ったところで、俺はふと洞窟でも同じように真帆と見つめ合ったことを思い出した。
あの時は確か、一分近く見つめ合った挙句、聖が突然声をかけてきたんだよな。
……ん?
「あの、聖さ。洞窟で一番初め俺に声をかけたときのことを覚えているか?」
「覚えてないわね」
「覚えてないとは言わせん! お前、俺の脳内に馬鹿でかい声で『いちゃいちゃするなら別の場所にいってほしいんだけどー!』って言ってきたよなぁ!」
それを聞いてあちゃーという顔をする聖。
俺は確信を持って問い詰める。
「お前、俺が自分の部屋で女の子とやらしい雰囲気になったら絶対そんな感じで騒ぎ出すだろ」
「……シマセン」
「片言をやめろ。さっきまで日本語ペラペラだっただろうが」
「アタシ、ゲンサンチ、ヨーロッパ」
「日本語初心者が原産地なんて言葉知ってるかよ!」
俺が背負ったままの状態で器用に聖のほっぺたを引っ張っていると、そんなやり取りを見ていた真帆が吹き出した。
「あは、こんなに楽しいのはじめて」
「……楽しい? これが?」
「うん。人と会話するのってこんなに楽しかったんだね」
「お前は積み木しかない部屋で育ったんか?」
積み木しかない部屋で育ったのなら、このやり取りが楽しいというのもわかる。
と、冗談で言ったはずだったのに真帆は少し沈んだ顔で「似たようなものかな」と言った。
「ほら、わたしって魔法使いの末裔として育てられてきたから……」
「魔法使いって積み木しかない部屋で培養されるのか?」
「積み木は例えだよー」
それに培養って言い方なんか嫌だ、と彼女は笑った。
そして俺の方に手を差し出す。
「この話は長くなるからさ、どこかで座って話さない? これまでのことと、これからのこと」
「……」
俺は差し出された手をじっと見つめながら、「あー、じゃあ、ファミレスかカラオケにでも行くか?」と言った。
「剣くんが幼い女の子を背負ったままお店に行く勇気があるのならそこでもいいけど」
「あたしファミレス行ってみたい!」
そういえばそうか。
俺は当然そんな勇気は持ち合わせていない。しかし桜塚の地に引っ越してからまだ数日の俺に、時間を潰せる場所なんて思いつくわけもなく。
しばらく黙り込んでいると真帆が躊躇しながら口を開いた。
「剣くん、一人暮らしだよね。君の家、あがっていいかな?」
「ひぇ」
美女に上目遣いでそう迫られて断れるわけもなく。
俺たち三人は部屋に上がり込んだというわけだ。
はい、過去回想終了。
**
「ここがあたしの新しい拠点かー」
「まだそこを許した覚えはねえよ!」
聖を壁に立てかけて、俺は床に、真帆はベッドに座っている。
ほぼ初対面の女の子をベッドに座らせるのもどうかと思ったが、聖がいる手前、いかがわしい何かが起こるはずもない。
「じゃあ、君の質問にどんどん答えてあげたいんだけど、まずわたしから質問していい?」
改まった口調で真帆がそう言ってきたので快く受け入れる。
「君が勇者に選ばれたことと、その力でカインを倒したことはわかったんだけど、どうやってわたしの場所を特定して、どうやって空を飛んできたの? 聖剣に選ばれたとしても、魔法や魔術が使えるようにはならないはず。位置特定や空中浮遊が、勇者になりたての君にできるとは思えない。もしかして実は魔術師だったりするの?」
その疑問に俺は首を振ってから答える。
「いや、俺は聖と合体することで一時的に魔術を使える状態になったんだ」
「なっ!」
俺がありのままを話すと、彼女は焦ったような顔になって勢いよく立ち上がった。
「合体? 合体って君……」
その剣幕を見るに、エロい意味で捉えているわけではなさそうだった。
「君、それがどれだけのリスクを秘めていたかちゃんとわかっているの?」
その剣幕を見るに、妊娠のリスクとかを説教されているわけではなさそうだった。
「下手したら君と聖剣のふたつの自我がなくなって、新たに誕生した自我のまま一生を過ごすことになるところだったんだよ?」
その剣幕を見るに、産まれるかもしれない新しい命について説き伏せているわけではなさそうだった。
真帆の言葉で俺は、聖と合体しているときのことを思い出す。もうかなり遠い記憶になっているが、確かにあの時は別人格だったし、自分が合体していたことすら忘れていた。
カインが「女ァ」と叫んだから、もともと聖だった部分が自分の性別を思い出し、合体していたことを思い出したんだ。もしあのまま合体状態でカインと戦っていれば、余裕で勝てたことは間違いないが、朝田剣という人格がどうなっていたかまではわからない。
俺は正直に謝る。
「ごめん。正直そこまでのリスクがあるとは思っていなかった」
「いや、わたしのほうこそごめんなさい。声を荒げちゃって。君のその行動のお陰で助けてもらったからあまり言えた義理じゃないけど、合体はもう二度としないでほしい。次もちゃんと戻ってこられる保障はないから」
真剣な顔でそう言う真帆に対して、俺は頷くことしかできなかった。
心の底から心配してくれているのが伝わってきたので、少しだけ嬉しかった。
「さて!」
真帆が小さく手を叩く。気を取り直したようにベッドに座りなおした彼女は、笑顔でこう言った。
「じゃあ剣くん。ここからは君の疑問に答えていく時間にしよう」
俺もつられて笑顔になる。
真帆は本当に全部教えてくれるつもりらしかったので、俺は気になっていることを全部聞くことにした。
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