第一話『蛮族達の午後』その4

 埃とかび、それらが腐敗した靴下と融合フュージョンしたような悪臭で、勢十郎は覚醒かくせいした。


「……くそったれ。どこだ? ここ」


 意識を取り戻すなり毒づくと、彼はあたりを見回した。

 およそ二畳半ほどの手狭てぜまな空間は、木製格子と土壁で囲まれていた。明かりは壁際にしつらえた燭台しょくだいの炎がひとつきり、物音はしない。


 無論、気絶した勢十郎をここまで引きってきたのは、例の忍者女に違いない。


「なんだったんだよ、あいつ? ……ここに住んでんのか?」


 勢十郎は大花楼に居候がいる、などという話は聞いた事がない。例の水道代についても、あの少女が関与しているのかもしれないが、今は確認しようがなかった。


「あー……」


 そういえば、腹も刺されたな、と、勢十郎は悠長に思い出す。彼が何気なくシャツをめくってみると、何のことはない、すでに傷口は塞がっていた。


「だろうな」


 どういうわけか勢十郎は、子供の頃から生傷の治りが異常に早い。

 だがこの奇妙な体質は、同時に彼から危機感をも奪い去っていた。こんな異常事態に巻き込まれて、これほど平然としていられるのも、そうした感覚が極端に鈍いせいだろう。


 どこか懐かしさを感じさせる場の悪臭が、勢十郎の脳内検索にヒットする。彼の記憶が確かなら、この臭いはかつて、学校の体育倉庫で嗅いだ事があるものだった。

 しかし、勢十郎が今いるこの場所は、そんな生易なまやさしいものではない。


 座敷牢ざしきろうであった。


 母屋の裏手にある土蔵どぞうに、地下へと続く貯蔵庫があるとは勢十郎も聞いていた。しかしいくら地下蔵が広くとも、こんなものまであるとは誰も思うまい。

 入り口の金具には、ご丁寧に錠前がかけられている。それも、表門に掛かっていた錆びだらけのものとは違い、新品同然の頑丈な代物だ。


「ぶっ壊すのは……、ヤバいか?」


 たとえどんな材質だろうと、その気になれば壊せない物はないという。しかし、格子と一体化した土の天井を見上げた勢十郎は、一瞬だけその暴挙を思い止まった。


 座敷牢を破壊した次の瞬間、支えを失った土砂で生き埋めになるかもしれない。


「そして今ならWチャンス、何もしなくても干物になれるってか。ったく……、おトクなこったな!」


 言うや否や、うなりを上げたスニーカーが、木製格子に激突する。


 勢十郎の脚力が並外れていたのか、単に木材が腐っていただけなのか、とにかく物凄い音がして、格子はバラバラになって吹き飛んでいた。

 幸いな事に、天井は落ちてこない。ただし、この暴挙の代償に、燭台の炎はあっけなく掻き消えてしまった。


 座敷牢の外へ出た勢十郎は、暗闇の中を手探りで進んでいく。ところが、地下蔵は思いのほか雑多な物品であふれ返っているらしく、闇雲に動くたび、彼は何度も頭や手足をぶつける羽目になった。


「ったく、勘弁してくれよ」


 ようやく階段を発見した勢十郎は、うんざり声でそう言った。


 鋼鉄製の天上扉は、地上側からガッチリと施錠されている。天井は一面コンクリート張りになっており、中身も鉄筋に違いない。

 勢十郎は階段を昇りつつ、今度こそ生き埋め覚悟で天井を破ろうか、とさえ思い始めていた。しかしその考えは、実行寸前で頓挫とんざする。


 もとより、手入れとは無縁の地下蔵である。

 湿気で腐りかけた階段の踏み板に、数十キロも加圧すれば、当たり前に『事故』は起きるのだ。


 

 


「まてまてまてまてまてえぇぇえええええ――――ッッ!?」


 す術もなく、勢十郎は奈落の底へ落ちていく。


 まるで転落人生のような垂直落下が、実に一・五秒。突如現れた足場にかかとがぶつかると、屈伸の要領で膝が折れ曲がり、彼は土下座も同然のモーションで、地面に強烈なキスをした。

 

 もちろん前歯は折れそうになって、勢十郎はしばらく無言で転げ回った。


「べっ、ぺっ。……は、初めてだったのに……」


 涙目で土を吐き出すと、勢十郎は自分がとんでもない場所にいる事に気が付いた。


 そこは、土蔵の地下のさらに地下。荒削りの地下空洞とでもいうべき場所だった。天井から伸びた鍾乳石しょうにゅうせきには地下水が伝い、水滴が不気味なリズムを奏でている。


「……ありゃ、なんだ?」 


 勢十郎は、洞窟の奥に赤い光を見た。

 おそるおそる、その頼りない光源へと近づいた彼は、――我が目を疑う光景に、息を呑む。


 幽霊屋敷。

 誰もいないはずの家にいる女。

 そして、地下に灯る謎の炎。


 何もかも、勢十郎が事前に聞いていた話と違う。

 

 ここには誰もおらず、何もないはずなのだ。

 しかしその光景は、これまで直面したいかなる状況よりも、大槻勢十郎を戦慄させていた。


「……? じじい」


 鼻腔びくうをくすぐるいに、大槻勢十郎は目つきを鋭くした。


 無数の炎に揺らめく、地下蔵の闇から浮かび上がった非日常の正体。



 それは――、



 地下空洞の奥にあった二十畳分ほどの広間には、壁という壁、地面から天井まで、所狭しと日本刀がひしめめいている。炎色に染まるそれらは、どれもこれも似たような外見でありながら、その実、同じこしらえの物は一つもない。

 太刀、打刀うちがたな、果ては短刀にいたるまでが、意匠をらした刀装具によっていろどられ、まさに芸術品の様相を呈していた。


 もちろん勢十郎には、大小長短の違いすら分からなかったが、すべての刀が鞘に納められており、整然と安置されている。

 一振一々から異様な迫力が伝わってくるのは、それらすべてが殺傷の目的で作られた、正真正銘の『凶器』だからだろう。それがまた、山のように飾られているのだから圧巻である。

 ふと、勢十郎の頭の中で、土間で見たあの木製看板がフラッシュバックしていた。


『骨董秋水・大花楼』


 つまりこの幽霊屋敷の正体は、刀剣専門の骨董店だったのである。


 ところが、勢十郎の反応は意外にも醒めていた。


「……じいさん。あんた自分の命より、こんな鉄の塊が大事だったのか?」


 大槻八兵衛。享年、九十一歳。

 激動の時代を生き抜いた彼の人生は、病魔との戦いでピリオドを打つ。病院嫌いの性格故に、一切の医療行為を拒み続けた結果の最期だったと、勢十郎は親から聞いている。


 しかしこの刀の山を見れば、真実は一目瞭然だった。趣味への投資を惜しまなかった八兵衛は、いつの頃からか刀の魅力に取りかれ、なけなしの貯金まで使い切ったのだろう。

 その結果、医療費の工面さえできなくなったのだ。

 どう考えても、正気の沙汰さたではない。


 勢十郎は唾を吐き捨てた。


「胸クソ悪い。ソッコーで廃品回収にしてやる」




「――、




 ぺた。ぺたと、地面を確かめるような足音がした。


 恐怖を感じるより挑発的な言葉に腹が立ち、勢十郎は自ら後ろに振り向いていた。

 そして固まった。


「……冗談、だよな?」


 蝋燭の炎が作り出す新たな影は、小さい。

 というか、そもそも人型をしていなかった。


 振り返った彼の足下には、


「冗談だよな?」


……繰り返しになるが、ペンギンが、いた。


「さて、何が冗談と申すかの、小僧?」


 しかも人語をしゃべるペンギンであった。


「おっぱい姉ちゃんの次は、喋るペンギンか。じじい、よっぽど寂しかったんだな」


 勢十郎は遠い目でそう言った。


 ペンギンの姿をしたツートンカラーの小動物は、まるでぬいぐるみのようだった。

 だが肝心の縫製ほうせいあやまったのか、左右の瞳がまるで見当違いの方向を見据えており、はっきりいって不気味である。


 足下でうごめくこの化け物に、勢十郎は問うた。


「一応いとくが、どこの実験動物だ? てめえ」


 いくら七期山が途方もない魔境でも、こんな理不尽な生物が存在していいわけがない。だがペンギンは勢十郎の質問を聞き流し、そばにあった台座へ飛び乗っていた。


「ときにお主、ずいぶんと冷静じゃな?」


 当然の質問だが、「なぜ、こんな生物が現実に存在するの?」という勢十郎の疑問に比べれば、些細ささいな事である。

 やがて彼は、諦めたように吐き捨てた。


「アホくさすぎて、慌てるどころじゃねえんだよ」

「ふふ、ふ。なるほど、確かにあやつの後継者じゃの。肝が太い。目つきも悪い」

「うるせえ、ほっとけ」


 さりげなく気にしている部分に触れられて、勢十郎は人間様をナメきったこの下等生物を、いずれ見せ物小屋に売り払うと心に誓う。

 そのためにはまず脱出が先決なのだが、地下空洞を見渡す限り、階段はおろかハシゴすら見当たらない。状況は絶望的だった。


 数秒後、勢十郎はヤケクソになって絶叫していた。


「おおぉぉォーい! おっぱい丸出し姉ちゃあああん! 助け――デッ!?」


 口は災いの元、覆水ふくすい盆に返らず、後悔先に立たず。

 勢十郎の脳裏をあらゆることわざが駆け抜けていくが、もう遅い。



 何者かに後頭部へパンチを打ち込まれ、彼は



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