静河政男 ~ 3 ~

12 Have a bowstring for incompetent guitar flipping

 二〇〇五年八月二十日 土曜日

 七本槍ななほんやり市内 ライブハウス Letaリータ

 

「うわー、客減りそうもないぜ。帰る様子がないもんよ」

 Beatビート Releaseリリースの演奏の後、ステージを覗いてシズが言う。MCでも次のバンド、つまりKoolクール Lipsリップスのステージも見てから帰ってね、という、字面だけでは大変にありがたいお言葉を述べて下さっていた。

「みんなきてる?」

「そこまでは暗くて判んねぁなぁ」

 先ほどまでの緊張は大分和らいだ様子でシズは言う。リハーサルで一度演奏できたことが大きかった。楽器を持ってステージに立てばもう大丈夫だろう。極度に緊張することも時にはあるが、粗方こんな感じだ。

「はい、すんませんねー」

 楽屋とステージを繋ぐ出入り口からBeat Releaseのドラマーがまず戻ってきた。

「お疲れっす。さ、邪魔んなるからもう出るぞ。楽器隊先行って」

 たくが言ってスネアとペダルを手に取る。

「うっし!んじゃ行きますかー!」

 シズが行って出ようとしたところにBeat Releaseのギタリストも戻ってきた。確か坂本さかもととかいう苗字だ。

「……っと、あぶねーっ」

「あ、悪ぃ」

 ギターのヘッドがぶつかりそうになってシズは慌ててヘッドを引いた。軽く言ってシズは道を譲る。

「態々客残してやってるからよ、千晶ちあき、聴いててやるよ」

「そりゃどうも」

 随分な口の利き方に千晶も気圧されることなく答える。

(うは、なんか強気じゃん、千晶)

 それに便乗してシズも口を開く。

「でさ、そこ、通してくんね?」

「あ、あぁ」

 どうやら千晶の強気に面食らっていたらしい坂本が慌てて体を動かす。

(何だか楽しくなってきそうじゃん!)

 ボルテージが上がっていくのを感じながら、シズはステージに出る。

「おー!出てきた出てきた、シズー!」

(あ?)

 声のする方へと目を向けるとThe See Kill Lowザ シー キル ロウのメンバーがいた。ナオフミにボーカルにドラム。

(ナオフミの野郎結局全員連れてきたのかよ!)

 一応チケットはメンバー分を渡していたものの、まさか全員がくるとは思ってないかった。

「てめー、莉徒りずちゃん紹介しろよ!」

(ソッチかいー)

 もちろん冗談ではあろうが、何にしてもThe See Kill Lowのメンバー全員がきてくれたのは素直に嬉しいと思えた。

(あんな辞め方したってのにな……)

 どちらにしろみんな音楽が好きでその音楽で繋がっている、ということなのだ。千晶とBeat Releaseもきっとそうだ。今現在はまだ仲違いをしているように見えるけれど、そのうちお互いが歩み寄ることだってあるのかもしれない。更にアチコチと見回すと、政希まさき美里みさともこちらを見て手を振っていた。

「おーし!気合入れて聴けよなー!」

 視線をThe See Kill Lowの面々に戻し、シズは笑顔になった。

「ミスったら笑ってやるよ!」

「言ってろ!」

 言い返し、シズはシールドケーブルをマーシャルのアンプに差し込み、電源を入れた。ボリュームつまみをいじり、調整する。ギターアンプはどこのライブハウスでも大体がマーシャルなので、シズのセッティングもほぼ同じだ。

 アンプも本来ならば車等と同じで暖機運転が必要だが、つい先ほどまでBeat Releaseが使っていたので殆どその時間は必要ない。少しずつボリュームつまみを捻り、その間にも弦の手触りをチェックする。

 弦は丁度一週間前に張り替えた。古い弦ではいつ切れるかも判らないし、真新しい弦では演奏中に伸びてしまい、チューニングが狂いやすくなる。オートバイや自転車のチェーンと同じく、弦も新品のうちは初期延びを起こす。曲の合間合間でチューニングを合わせても良いのだが、チューニング中は音をアンプから出さないようにできるクロマチックチューナーは持っていない。音を出しっぱなしでチューニングをしてしまっては聴いている側の立場になれば、MCなどの邪魔になるし、何よりプレイヤー側としても聞き手側としても鬱陶しいのでできるだけ避けたいところだが、MCの間にチェックはしたい。攻め手クリップチューナーくらいは買っておくべきかだったか、ついつい忘れてしまう。

 程なくして千晶と莉徒もアンプのセッティングを終えて、音を出し始めた。莉徒はいつも使っているオーバードライブでの歪み、ブルースドライバーとクリアトーンのレベルをリハーサルで出した音と同じように調整をし、千晶はピック弾きで使うアンプのグラフィックイコライザーと指弾きで使うコンパクトタイプのグラフィックイコライザーのレベル調整をし始める。リハーサルで一度調整してあるのでそれほど時間はかからない。

 スタッフがマイクのポジションなどを確認し、ステージを降りる。シズもレベル調整を終え、莉徒と千晶がミュートしたのに続き、ミュートをする。拓がPAにスタートの旨を伝えるために手を上げる。ステージが暗くなり、三つ数えた後にハイハットでのカウントスタート。

(きたきたー!)

 軽く一分程度のインストロメンタルで、ここはシズが好きなように弾いて良いことになっている。

 できれば即興演奏インプロヴィゼーションを披露したかったが、Kool Lipsでの初めてのライブで暴走する訳にはいかない。あるコード進行に則った上での弾きは決めてある。愛機のSGエスジーをうねらせて、莉徒のコードを耳に入れる。コードだけはアウトしてはいけない。The See Kill Lowの連中には魅せなければならない。The See Kill Lowの頃の自分とは違う、と。

(くはー、気持ちいー!……けどここで)

 音の奔流に飲み込まれてはいけない。ざらり、っと一瞬だけ莉徒がバッキングのストロークパターンを変えてきた。莉徒からの警告だ。ちらりと莉徒の顔を見ると、にこやかな笑顔には見えたものの、その実目が全く笑っていない。

(うお怖え、判ってるっつーの)

 苦笑してシズは急速にフレーズを弾き始め、曲のエンディングに向ける弾きに変える。

(……トゥー、スリー、フォ!)

 締めのリズムで全員が揃う。千晶がくい、と眼鏡を上げた。

(お?)

 千晶の視線を追うと客席のクラハシミズハとアイコンタクトを取っている。

(……何かイイカンジですかー)

 ちょっとムカついた。

「……」

(……え?)

 次の曲に入る前にさらり、とネックを触ってゾッとする。ヤバイ、と咄嗟に客席から背を向けた。

(弦切った……)

 また四弦だ。どういう訳か一番良く切れる。何故だかはさっぱり判らないのだが、シズは四弦を一番良く切る。すぐにマイクから外れた位置にいる莉徒にそれを伝える。

「弦切った!」

「はぁ?ったく!次シズギター後半なんだからすぐ張り替えてよ!時間だってないよ!」

「も、持ってねぇよ、楽屋だもん」

「ったくー!」

 言いながら莉徒はデニムの尻ポケットから弦を取り出す。あろうことか、その手にあったのはギターの四弦だった。

(……何で、持ってんだ?)

 そう思いはしたが、悠長なことを言っている場合ではない。

「私歌うから早くして!」

「お、おぅ」

 進行を止めても良いのだが、莉徒は止めるつもりはないようだ。なんというスパルタ進行だろうか。

「すいませーん、なんかギター弦切っちゃって!とりあえずそんなヘボギタリストは置いといて次いっちゃいますねー!」

 一瞬ヘボ、という言葉に反応しかけたがそれどころではない。一バンドの持ち時間は転換も含め三五分しかないのだ。シズが弦を張り終えるまで演奏をストップさせてしまってはセットリストの曲全曲を演奏できなくなってしまう恐れもあるし、時間が押してしまってはトリのバンドやトリのバンドを見にくるお客にも迷惑をかけてしまうことになる。更にトリのバンドは拓の知り合いらしいし、迷惑はかけらない。

「シズ!ギターよこせ!」

 莉徒から受け取った四弦の袋を割いたところでナオフミがステージギリギリにまで詰め寄ってきていた。

「は?」

「張り替えてやっから!」

「え?あ、お、おぅ……」

 シズはギターをナオフミに渡した。どう考えても冷静な判断ではなかった。ギターを肩から降ろし、他人に手渡して弦を張り替え、チューニングをし、再びシズに戻し、ギターをかけるよりも、シズが一人でやった方が確実に早い。

(あ、ちょ、楽器持たねーでステージ上でオレ、どうすんだ?)

 シズは棒立ちになって思う。本来ならば前半はシズが歌い後半に莉徒が歌う曲だ。最初からナオフミがやってくれていると判れば、メインボーカルもできたというのに。

(……こ、コーラス入れるしかねぇな)

 シズの代わりに歌ってくれている莉徒に合わせ、軽く声を乗せる。いわゆるハスキーボイスである莉徒は、基本的に歌うときの声が高い。莉徒の声の三度上であり、音階的には一オクターブ下の所の声を出す。

(よし、乗った)

 煩くならない程度に声を乗せる。シズのギターは間奏からだ。間奏までは二分程度だ。客席の方へ目を向けると既にチューニングを始めている。

(おぉ、早ぇ早ぇ)

 気付けばもう間奏は目の前だ。

(いや、やっぱ遅ぇ!は、早く……)

 だっ、とナオフミが立ち上がり、ギターをシズに渡す。シズはギターを肩にかけ、シールドをアンプに差すと電源を入れる。

 莉徒と同じコードを弾き、モニターが返ってきていることを確認すると本気で弾きに入る。

 やたらともっさりとした音になり、低音域からハウリングが生じた。

(うがっ!トグルスイッチいじったな!)

 すぐにトグルルイッチをフロント側に切り替えて、トーンバランスも少し絞る。

(ふぅ……)

 莉徒や千晶を見ると、苦笑している。間奏明けはシズが歌い、莉徒がギターを弾く。何とか無事に曲を終えると、再び莉徒がMCを始めた。

「やっぱりライブってコワイですねー!何が起こるか判ったもんじゃありません。お客様なのに、スタッフさんみたいな働きしてもらっちゃってどうもすみませーん」

 てへぺろりん、と演出。カワイコブリやがって、とは口が裂けても言えない。そもそも弦交換するんでちょっとだけ待っていて下さいね、と言ってくれていればここまで慌てることもなかったはずだというのに。The See Kill Lowの連中がやんやと騒ぎ出す。

「オレは何でアナタが四弦持ってたかの方が判りませんがね」

 とはいうものの、アクシデントで進行を止めたくないという莉徒の気持ちも判らなくはなかったので別の方向性で摂っ込みを入れる。

「ロックの神様の啓示があったのよ。ヘボギタリストのために四弦をお持ちなさい、って」

「ま、助かったけどよ」

「崇め讃えシュークリームとミルクレープを奢るが良いわ」

 軽口を叩いて客を和ませる。軽口ではあるが、きっと奢らされる羽目になるだろうとシズの予知能力が告げている。流石に莉徒はステージ慣れしていて安心感がある。客席から笑い声が聞こえてきてひとまずシズも落ち着くことができた。マイクパフォーマンスもライブを盛り上げるために重要なファクターだ。

「さてさて、じゃ次の曲行っちゃうよー!」

 口笛やら歯笛やらが聞こえてくる。おそらく顔見知りの演出だろう。ありがたい。次は対Beat Release用に創ったポップナンバーで莉徒のカッティングが生きる曲だ。シズはギターのボリュームを少しだけ絞る。それを確認したのか、莉徒が軽快なカッティングを始めた。やはり莉徒の持つテレキャスターやストラトのようなシングルコイルピックアップのギターはカッティングの音が素晴らしい。もちろんカッティングを綺麗に鳴らすにはそれなりの技術も必要で、それはとりもなおさず莉徒の地力の高さも立証されたようなものだ。

(あぁーイイカンジ。やっぱこいつ、巧ぇよなぁ)

 音とリズムを取りながらスイッチをいじる。前半はギターは弾かず、唄だけだ。丁度客席にBeat Releaseのメンバーが入ったのが見えた。

(へへっ、聴いてろよ、てめーら)

 莉徒や千晶、拓は土俵が違う、と言っていたが、曲自体が持つ力そのものは充分に勝負になるものだ。土俵が違おうがジャンルが違おうが、そのバンドを喰う演奏ができれば、それは即ち勝ちだ。

(負けてなんかやんねーよ。千晶みてーないいベーシスト、クビにするような連中になんか)

 ありったけの思いを声にする。莉徒がシズに寄ってくる。莉徒は流石にステージングというものも熟知している。莉徒の正体を知らない者が見れば、誰が見てもカッコカワイイ女に見えること受けあいだ。概してステージという場所はたいていの人間を格好良く見せてくれるものだ。スキー場ではみんながみんな美男美女に見える、という話に似ているかもしれない。

(詐欺くせー)

 笑顔になって莉徒が突き出してくるギターにぶつけるようなジェスチャーをしてシズもギターを弾き始める。他のことを考えなくて良いのはリズム隊のおかげだ。バンドの根と幹が確りしていれば葉や花が枯れることはない。音の流れに乗ったまま、シズは確りと音を厚くする。Beat Releaseのメンバー達は意外にも真剣にこちらを見ていた。

(へへ、ここまでやるとは思ってませんでした、ってツラだ。あぁー気持ちいー!)

 最後のフレーズを鳴らして、客に礼を言う。

「どうもっ!……さてさて、オレ達ね、実は初ライブなんですよ!なもんでここいらで一つ、メンバー紹介なんぞをしてみたいと思いまーす!」

 だんだんだん、ぼーん、とリズム隊が持ち上げる。

「まずは我々Kool Lipsの扇の要、ベースの千晶ちゃんでーす」

「ちゃん言うな」

 言いながら軽くスラップのフレーズを弾くと、千晶は頭を下げた。

「はいはい、カッコイーすね。そりゃ彼女もメロメロですね」

 そう言いながらわざとクラハシミズハを見る。客席のクラハシミズハは口を両手で押さえてびっくりしている。確かに可愛らしい。あれでもっとナイスバディーなら、と何度思ったか。

(いや、それは莉徒も美里もそうだけどさー……)

 内心で笑って、次に行く。

「続いて、ドラムスの拓さん!」

 三二連符のショートフィル・インを入れてくるくるとスティックを回す。

「ここいらじゃ顔広いドラマーさんだけど、今は正式にKool Lipsのメンバーです。よろしく!」

 そういえば拓の彼女もきているはずだ。一度も見たことはないが、どこかにいるのだろう。打ち上げのときにでも冷やかしてやろう、とシズは心に決めた。

「そんで紅一点、ウチのお姫様です。莉徒ー」

 りーずちゃぁん、と野太い声が上がる。今まで一度として見たこともないような可愛らしい笑顔で莉徒が手を振る。

(ばかどもめ)

 ふ、と一瞬鼻で笑う。莉徒の正体を知らないからそんな声をあげられるのだ。

「ギターと唄をやってくれてます。ウチのカワイイ方面担当、よろしくー!」

 きゅーん、とチョーキング。やんやの声援が上がる。

(男と女ってこういうときに差が出るよなぁ)

「んでリーダーやってます、シズです、よろしくー」

 どんどんどん、とベースドラムが鳴り、莉徒がコードを弾く。クランチな歪みが心地良い。そのまま次曲に入るのは打ち合わせ通りだ。

「さてさてー!次はちょっとカッチョイーのいくぜー!」

 千晶の顔を見ると、千晶もこちらを見ていた。そしてゆっくりと頷く。

 思えば一番最初に千晶と出会ったときにはこうも早くライブができるとは思っても見なかった。この曲は拓が入ってからすぐに千晶と二人で詰めた曲だ。

(やっぱエフェクター要るかなぁ……)

 もう少し、アンプの歪みとは違う歪みが欲しいし、ギターソロの時はもう少しだけブーストをかけたい。

(次はもう少し音創り考えるか……)

 まぁいいやと、とりあえずその考えを頭の外に放り出す。今はこのライブに集中したい。シズの案でこの曲にはベースのショートソロを入れた。千晶のベースはグラフィックイコライザーがなくとも良い音が鳴る。どんな弾き方にしろ良い音で弾けることは間違いなかったが、千晶は先週までこのベースソロを悩んでいたほどだった。概してフロントマンは、リズム隊は狂っていなければそれで良いという考えをしがちだが、曲を創る上で特にベースラインを生かすような曲創りをすれば、魅力的な曲を創ることができるはずなのだ。それにベースの弾き甲斐も出てくるので、モチベーションも下がらない。

 ロックという音楽はシンプルで楽しいものだ。あえて複雑化することはロックの長所を殺すことにもなりかねないが、今、この時代の音楽シーンでのロックは少し楽器をかじった人間なら誰でもできる、昔ながらのそれこそJロックでは通用しない、とシズは常々思っている。だからこそ、ベースやドラムが生きる曲創りが大切なのだ。

 そして、そういったものに応えてくれるリズム隊に出会えた。万人が受け入れてくれるような音楽をやるつもりはないし、できるとも思っていない。まず、自分たちで満足できる、楽しめる音楽をやりたい。それから、少しでもいい。楽しさを、楽しい、ということを伝えたい。それを莉徒が思い出させてくれた。我の強いフロントをしっかりとまとめてくれる拓にも出会えた。最高のメンバーとやっているこのライブは、シズにとって今までで最高のライブだ。

(うぉしゃー!)

 気合を入れ直して、シズはベースソロ前のカッティングを決めた。

 

 Have a bowstring for incompetent guitar flipping END

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