私と光


 そこここで蝉が鳴いていた。

 ママとアユのお墓は、お父さんの実家の近くの墓地に、隣同士で並んでいる。

 私が「私」として家族のもとへ帰ってきて、約一年。ふたりに伝えたいことが、たくさんあった。

 墓石やその周辺を軽く掃除してから、それぞれの墓の前に花を供えると、お父さんと私、それに理佳子さんの三人で手を合わせて目を閉じる。

 ――アユ。来るのが遅くなってごめんね。あなたがいなくなってから自分を呪ってばかりだったけど、いろんな人に支えられて、私は今、ここにいます。

 その重要なひとりである沙那は、この春から無事、パティシエの専門学校に通い始めたそうだ。数日後に会う約束もしている。

 ――新しい事務所に入って、もう一度モデルの仕事も始めたんだ。またいつか表紙を飾れるように頑張るから、見てて。情けないお姉ちゃんだったけど、あなたに守ってもらった命も、未来も、大事に使うね。

 モデルとして再スタートしたのをきっかけに髪を伸ばし始めた。事務所の方針じゃない。今の事務所では本名で活動しているし、きちんと本人の意思を尊重してくれる。ただどうしても私は、彼が愛してくれた、あの頃の私でいたかったから。

 ――それと、ママ。向こうでアユと仲良くしてくれてるのかな? あなたの大切な人の息子だし、私の優しすぎる自慢の弟だから、よろしく。

 ふたりにも、散々心配をかけてしまっただろう。だからこれからは、穏やかな気持ちで見守ってもらえるよう、ちゃんと自分の人生を歩んでいこうと思う。最期を迎えたとき、悔いなく彼らと同じ場所へいくためにも。

「それじゃあ、行こうか」

 最初にお参りを終えて声を上げたのは、お父さんだった。急かすような口調。ふたりのお墓を目の前にするのは、まだ心が落ち着かないのかもしれない。

 しかたないなと思いながら「うん」とうなずいて、先に歩き始めたお父さんに続こうとしたとき、

「あのね、彩」

 どことなく緊張した声色で、反対側の理佳子さんに呼び止められた。

 きょとんとして振り返ると、耳もとに顔を寄せてくる。

「実はアタシ、妊娠したみたいで」

「えっ、ほんとに!?」

 反射的に驚いた私に、理佳子さんは「シーッ!」と自分の唇の前に人差し指を立てた。――まだあなたにしか言ってないの、と。

「それで……名前、考えてくれない? 泰晴さんに報告するのは、それからにしたくて」

 思わぬ提案に、私はますます目を丸くした。

「いいの?」

「もちろん」

 なんだろう。こんな会話、昔にもあった気がする。

 お父さんも気づいていないし、お腹も全然大きくない。きっとまだ初期の段階で、性別も分かっていないのだろう。

「うーん……」

 思案しながら空を見上げれば、昼下がりのかすれた青に浮かぶのは、淡く欠けた月。

 私が魔女だった頃、身近に感じていたもの。私が変わるきっかけを作ったもの。ママの人生にも、大きく関わったもの。

「――ミツ。『光』って書いて、ミツ。これなら、男の子でも女の子でも大丈夫でしょ?」

 私たちを照らす光になってくれるように。そして何より、この子の人生が光で満ちあふれるように。

 私の答えに、理佳子さんは「いい名前ね」と微笑む。

 ――そっか、そっか。

 私、またお姉ちゃんになれるんだ。

 高齢出産だし、しっかり支えてあげなくちゃ。今まで支えてもらったぶん、今度は私が。

 なんだか胸がじんわりとあったかくなるのを感じていると、

「あっ、そうそう。それとね」

 理佳子さんは思い出したように言って、左肩にかけたバッグをごそごそと探り始めた。

「はい。これ」

 程なくして姿を見せたのは、斜め掛けされた青いリボンのイラストが印象的な封筒。

 直結する要素なんて何もないはずなのに、ふっとママの顔が思い浮かんだのはなぜだろう。

「あなたのママからの預かりものよ」

 こちらの心を読んだかのように続けられた一言に、息を呑んだ。

「本当は二十歳になったらって約束だったんだけど……どうしてかな、今朝起きたときに『今日渡すべきだ』って思ったのよね」

 差し出されておずおずと受け取り、

「今、読んでもいい……?」

 穏やかにうなずいた理佳子さんに見守られながら、慎重に封を開ける。

 封筒と同じデザインの便箋には、あまりにも懐かしい文字が並んでいて、鼻の奥がツンとなった。

『大好きな彩へ

 あなたがこの手紙を読んでいるってことは、ママはもうママじゃなくなっちゃったってことだよね。

 大人になったあなたはどんなだろう? かわいい系かな? きれい系かな? 見てみたかったなぁ……

 会えなくなるのは寂しいけど、ママの大親友にあなたとパパのことを任せたから、心配はしてないよ。

 理佳子は高校時代、パパのことが好きだったけど、ふたりに新しい家族――あなたのきょうだいをつくってってお願い(というより命令?)したのはママです。

 だってそうでもしないと、あなたたち後追いしそうなんだもの。途方もないかなしみに打ち勝つためには、未来への希望と引き留める理由が必要なの。

 ママのわがままのせいで辛くて苦い思いもさせてしまっただろうけど、強くて優しいあなたならきっと乗り越えられたはず。丸投げでごめんね。

 生まれてきてくれてありがとう。あなたの母になれて幸せでした。

 またいつか、どこかで。

                                ママより』

 読み終えたとたん、こらえていたものがあふれだした。

 もう二度と再現できない筆跡が滲んでしまわないよう、封筒もろとも理佳子さんへ押しつける。

「ママのばぁか……」

 ――あぁ、よかった。私はたしかに、この人の娘だ。

 最近、よく思っていたのだ。ママは、信頼できる存在だった理佳子さんに、私とお父さんを託したんじゃないかって。自分がいなくなった後、共倒れしたりしないように。

 都合のいい妄想かも、なんて考えたこともあったけれど、今、真実であることが明かされた。

 でも、たとえ真実がどうであれ、彼らの選択を否定したくはない。

 だってそれはやっぱり、アユと、この子を否定するのと同じだから。

「ほら、泣いてるのバレたら、泰晴さんが心配しちゃう」

 元の状態に戻した手紙を再びカバンにしまいながら言った理佳子さんの言葉に、私はあわてて涙を拭い、ふわっと彼女に抱きつく。そして、まだ目立たないお腹を優しく撫でた。

「私もう、間違えないよ」

 ――どうか、元気に生まれてきてね。

 そっと祈ったちょうどそのとき、ずいぶんと遠くまで行ってしまったお父さんが振り向いて「おーい、ふたりとも何してるんだー?」と呼ぶ。

「今いくー!」

 私はいたずらを仕掛けた子供みたいに返事すると、理佳子さんと顔を見合わせてくすりと笑い、彼女と――それからミツと歩幅を揃えて、ゆっくりと歩き始めた。

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