第58話 秘密の約束

「僕もリアに話したいことがあるんだ。すべて話すから……帰ったら、聞いてくれる?」

「――ちゃんと聞くわ。アッシュが話したいこと、すべて」


 リアとアッシュが微笑み合っていると、階段の上からカタリと扉が開く音がし、二人は身構えた。




「――アッシュ様?」


 薄暗い地下への階段。冷たい石造りの壁。そこに手を置き、伝うように階段を降りていく。


 庭にいたはずのアッシュを探し回っていたローズマリーは廊下の端に彼の姿を見つけた。

 慌てて追いかけると、そこは行き止まり。一体、彼はどこへ行ったのか――と、首をひねったローズマリーの視界に小さな扉が入ってきた。今まで気にかけたこともない扉だ。


 行き止まりまでにあるのはその扉だけ。彼がそこに入った可能性は高い。


 ドアノブをひねり、少しかがむようにして入ると、中は少しジメッとしていた。石で造られた階段が下まで続いているようだが、覗き込んでみても、薄暗くて先が見えない。


「――アッシュ様?」


 呼んでみても何の音もなく、ただ暗がりに自分の声が反響するだけ。ローズマリーは大きく息を吸い込み、意を決して下り始めた。


 薄暗い地下への階段。冷たい石造りの壁。そこに手を置き、伝うように階段を降りていく。


 時折、換気口のように開いた小さな隙間から入る光を頼りに、ゆっくりと少しずつ下る。

 階段が終わると、少し開けた空間になっており、左右に扉がいくつかあった。備蓄や貯蔵用の部屋のようだ。


 辺りを見回し、だいぶ暗さに目が慣れてきた頃、ふと扉が少し開いている部屋に気がついた。


(あそこにアッシュ様がいるのかも!)


 コツコツと靴音を響かせ、その扉に近づいた。


「ああ、どなたかと思いましたら、お嬢様ではありませんか。なぜ、このような場所に?」


 ローズマリーが扉を開くよりも先にその部屋から出てきた想い人に心が跳ねる。


「アッシュ様が見えたので――追いかけてきてしまいました!」


 ニッコリと微笑んだローズマリーに、アッシュも微笑み返す。


「このような場所にお嬢様を連れてきたとなれば、旦那様は私に出入り禁止を命ぜられるかもしれませんね」


 ローズマリーはその意味にハッと気づき、焦ったように首を左右に振った。


「えっ……それは困ります! 私、アッシュ様にはずっと側にいていただきたいのです……」


 照れたようにうつむきながら、声が小さくなっていくローズマリーに、アッシュは眉をハの字にし、困り顔をした。


「お嬢様。以前も申し上げましたとおり、私はただの庭師でございます。その……“様”をつけて呼ばれますと旦那様も不快に思われるかと」


 ローズマリーは「あっ」と口元に手をあてると、大きく頷いた。


「それと……そのお話、直接旦那様とさせていただいてもよろしいでしょうか? できましたら……今、すぐに」


 ローズマリーの顔がまるで花が咲いたかのようにパアッと輝く。


「もちろんです! 私も同席しますので、アッシュさ……あ、アッシュも安心してくださいね!」

「ええ、とても心強いです」


 アッシュはニッコリと笑ってみせた。


「では、お嬢様は先にここから出られてください。誰かに見られては大変です。どうか誰にも見つかりませんよう、お気をつけて。私は、後から参りますので」


 アッシュの微笑みに、すっかり絆されてしまったローズマリーは満面の笑みで頷くと、足早に階段を上がっていった。


 ローズマリーの姿が見えなくなると、アッシュは扉の向こうに話しかける。


「僕は何であんなに気に入られているんだろう?」


 わけが分からないと首をひねるアッシュに、扉の向こうからクスクスと小さな笑い声が聞こえた。

 アッシュは、その声の方向にジトリとした視線を送る。その視線に気づいたのか、笑い声はピタリと止まった。


「今まで会ったこともないのに……おかしいと思わない? しかも何で敬称つけて呼ぶの? 僕の正体を知ってるってこと?」


 鋭いアッシュの指摘に、扉の向こうにいたリアは目を丸くした。


「その理由。たぶん私、分かるわ」

「え……?」


 見張るように階段の方向を見つめていたアッシュの瞳が扉の向こうのリアに移る。リアは優しく口角を上げた。


「帰ったら、ね」


 リアの不意打ちにドキリと胸が高鳴ったアッシュは胸元を抑えてうずくまる。


「えっ?! アッシュ!! 大丈夫??」


 突然、しゃがみ込んだアッシュに、慌てたリアが思わず駆け寄る。すかさずリアを捕獲したアッシュは腕の中に閉じ込めたまま悪戯に笑った。


「今のは、リアが悪い!」

「ええっ?」

「帰ったら――、ね」


 目を見開いたリアの耳元に「期待してるから」とアッシュは囁き、腕を解いて立ち上がると、階段へ歩みを進めた。


「じゃあ、リア。手筈てはず通りに」


 手をひらひらと振りながら、アッシュは軽快な足取りで階段を上がっていってしまった。


 そこに一人取り残されたリアは真っ赤に染まった耳を抑えながら、ぷるぷると唇を横に結び、叫んでしまいそうになるのを、ただひたすら堪えていた。

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