第48話 突然の依頼
「えっと……夜会のお花を、ですか?」
店の定休日。新店舗への引っ越し作業中に現れた赤の騎士に、リアは目をパチパチと瞬かせた。
「うん。急で申し訳ないのだけど……依頼していた花がどうも間に合わないようなんだ」
「依頼されていた、ということは特別なお花だったのでは……?」
赤の騎士、ジャックが思い切り顔をしかめた。
「そうなんだ。ちょっと珍しい薔薇でね……」
はぁ、と深い溜め息を吐いた。リアは気の毒そうに眉と口角を下げる。
「でしたら……エルダー園芸店の花では力不足ではありませんか?」
品種としてはたくさん揃えているのだが、特段、珍しいものはない。それに薔薇というのであれば、先日、ハートラブル公爵家へ入れ替えに行ったばかりだ。
申し訳なさそうにうつむいたリアに、ジャックは笑顔で首を振った。
「違うんだ、リアちゃん! 公爵様からリアちゃんの選んだ花で、リアちゃんがアレンジをして飾って欲しいっていう依頼なんだ」
「ええ? 私に?」
デスペード公爵も言っていたがハートラブル公爵がなぜエルダー園芸店を贔屓にするのか、リアにはその理由がまったく分からなかった。
(まさか、私を監視している――というわけではない……わよね?)
王太子の元婚約者。そして、数々の傍若無人ぶりがいけなかったのか――リアは思わず、両腕を抱え込んだ。
過去の非礼を詫びるようにリアが縮こまっていると、ノック音とほぼ同時に扉が開く。
「リア、引っ越しの準備は順調? 手伝いに来たよ――って、ジャック? 何でここにいるんだよ?」
店に様子を見に来たアッシュが、店内にジャックの姿を見つけるとあからさまに嫌そうな顔をした。
「ああ、急な要件で。実は明日、ハートラブル公爵家で夜会があるのだけど、花が届いていないんだ。だから、エルダー園芸店で会場の飾り付けをお願いできないか、っていう公爵閣下からの要請」
「明日だって? いくら何でも急すぎだろ……」
「だから、困ってるんだよ! 頼む……!」
両手をパチリと端正な顔の前で合わせると、瞼をぎゅっと瞑る。本当に切羽詰まっているようだ。
アッシュは嘆息を漏らすと、目を伏せた。
「状況は分かった。協力するよ。それで? リアに飾り付けをしてほしいって?」
ほう、と肩を下ろしたジャックはコクコクと頷き「そうなんだ」と肯定した。
「明日の午後、花を用意して来て。屋敷で待ってるから」
「あの……ジャックさん! どのような夜会なのでしょう?」
「ああ、夜会の形式? 舞踏会か、晩餐会か、ってことかな? 今回はね、舞踏会。ホールと軽食用のテーブルの飾り付けをお願いしたい」
「では、時期的にも薔薇をご用意したほうがよさそうですね。ところで、“珍しい薔薇”といってましたが、どんな薔薇を?」
ジャックは「うーん」と考えるように、顎に手をかけて首を傾けた。
「どんなものか詳しくは分からないんだけど、何でも“伝説の薔薇”らしい」
「……伝説の薔薇……」
それを聞いてリアには、ある薔薇が思い浮かぶ。
“
青の色素を持たない薔薇から青い花びらの薔薇を作ることは不可能とされていた中で、限りなく青に近い薔薇の開発に成功したことから、青い薔薇には『不可能を可能にする』『夢が叶う』『奇跡』『神の祝福』という花言葉がある。
この世界でも青い薔薇はみたことがない。
ただこの世界には『魔法』がある。色違いの薔薇なら容易く作れてしまうだろう。
リアの脳内で“青い薔薇”は早々に忘れられ、また違った形の薔薇が浮かんできた。
(宝石で出来ているとか? もしくは、キラキラと光り輝いているとか!)
そういうのも見てみたかった。もし間に合わないというだけであれば、いつか公爵家に届いたとき、見せてもらうことは可能だろうか。
どちらにせよ、ここで完璧に代わりを務められれば、交渉の余地はあるかもしれない。
淡い期待を胸にリアは早速、花を選び始めた。
この時期であれば、デビュタントを終え、社交界デビューしたばかりの者たちが多いだろう。ならば白い薔薇、そして、先ほど思い浮かんだ青い薔薇を取り入れてみてはどうだろうか。
白い薔薇を『魔法』で青く変えて。
しかし、飾るのは“赤の公爵家”である。問題はないだろうか――とリアがチラリとジャックを見る。すると目が合った瞬間、思わず息を呑むほど整った笑顔が向けられた。
「何色でも大丈夫だよ。公爵閣下は“リアちゃんに任せる”って、言っているんだから」
考えていたことを口に出してしまったか、と思うほど的確な回答にリアは目を丸くする。
確かにアッシュから『ジャックは勘が鋭い』とは聞いているが、いくら何でも――
「リア。顔に出すぎ。さすがに僕でも分かるよ」
「え……」
「ふっ、ははははっ。リアちゃん、この3か月で、ほんっと表情が豊かになったよね」
「ええ……っ!」
リアは思わず両手で顔を覆う。
(そんなに分かりやすいの? 恥ずかしすぎる!)
侯爵令嬢時代には『表情が乏しい』とか『感情が読めない』とか『まるで人形と話しているかのようだ』と陰で言われていたのを知っている。
怒りも、喜びも、悲しみも、すべてを抑えて生きてきた。侯爵家から除籍され、追放され、修道院へと一歩踏み出したとき。あの時、迎えに来てくれたアッシュがリアのすべてを洗い流してくれた。
だからきっと今のリアがある。すべてはアッシュのせいだ。それがいいのか、悪いのかは分からないけれど。
「ぜ、全部、アッシュのせいなんだから!」
突然、頬を膨らませて、ムッとした表情になったリアにアッシュとジャックは大きく目を見開いた。
しかし、アッシュの顔は、すぐに笑顔に変わる。
「分かってる。大丈夫。全部、僕が責任取るから」
顔を真っ赤にしたリアをジャックから隠すようにギュッと包み込む。
「ジャック。明日の午後、二人で公爵邸へ行くよ」
「了解。じゃあ、頼んだよ」
ジャックは片手を挙げると「お邪魔しました」と一言いい、帰っていった。
しばらくの静寂の後。
「あの……アッシュ。そろそろ離してくれない?」
アッシュの胸に顔を抱え込まれたままのリアが、しびれを切らし、アッシュの背中を軽く叩く。
アッシュは少し残念そうに腕を解いた。
「じゃあ、明日の準備と引っ越しの準備の続きをしようか」
まだまだ慣れないアッシュの甘い雰囲気を切り替えるように、リアはブンブンと首を縦に振った。
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