第10話 魔法薬学の教授


 ジャックがいなくなり、中庭の手入れに戻ると、普段一人でしている作業を二人で手分けしたからなのか、もしくはリアの手際よさからか、だいぶ早く終わることができた。


 あとは校舎内に飾られている花を替えれば、今日の仕事は終わりだ。


「さあ、あと一息だね。リア、大丈夫? 疲れていない?」

「大丈夫。まだまだ全然平気よ!」


 リアとしても、こうして外に出て身体を動かせるのは嬉しい。ずっと隠れて生きていくわけにもいかないのだから。


 リアはグッと手のひらを握り締めて唇を引き結ぶと、その様子にアッシュはクスリと優しく笑んだ。


「リアの意気込みは分かったよ。じゃあ、さっさと終わらせて帰ろうか」

「はい!」


 変幻の魔法にかかった今のリアの姿で微笑まれると、アッシュは悶絶しそうになる。


(ああ……次、ジャックに会ったとき、絶対にからかわれるよな……)


 分かってはいる。けれど、咄嗟に遣ったのだから仕方がない――ということにしておく。


 今のリアはいつもの藤色ではなく、その瞳はヘーゼル、そして、後ろに一つでまとめた髪は茶色い。


 まさしく、“自分”と同じ色だ。


 不意に出てしまった自分の独占欲の強さに苦笑いすると、アッシュは何事もなかったかのように顔を引き締めて歩き出した。




 廊下の花を少しずつ替えていく。基本的には保存魔法がかけられているため、綺麗に咲いている状態ではあるのだが“飽きてしまわないように”と替えている。今日は一階の廊下と教員室が対象だ。


「え? この部屋……」


 その教員室の前でリアはアッシュがノックをする直前に呟いた。不思議そうに首を傾けたアッシュが「どうかした?」と問いかけると、リアは少し慌てたように首を横に振った。


「あっ……ううん。何でもないの」

「そう? 何かあれば、遠慮なく言ってよ?」


 リアは大きく頷いた。


 リアには、隠している“能力”がある。そして、今、その“能力”がこの部屋の主に起こっている出来事をリアに伝えてくる。


 一度は躊躇われたノックをして、アッシュは室内に向けて声をかけた。


「エルダー園芸店です。お部屋の花を替えに参りました。入室の許可をいただけますでしょうか」

「――許可しよう。入りたまえ」

「失礼いたします」


 二人が入室すると、そこは雑然としており、初老の教員がこちらに顔を上げることなく、黙々と筆を走らせていた。


 もはや、どこに花瓶があるのか、すら分からないような室内の状態に二人は呆気にとられる。前回、来た時とはまるで違う景色に、アッシュは入る部屋を間違えてしまったのではないかと目を疑った。


 魔法薬学のハイデ・クレメンタイン教授。

 少し変わっていて、理解しづらい部分もあるが、いつも先を見据えており、基本的には穏やかな人物だったはず。リアは魔法薬学を専攻していなかったため、教授と直接面識はない。ここから身バレする危険はなさそうだと安堵する。


 ただ、この状態は由々しき事態でありそうなのは面識があるアッシュには、もちろん分かっていた。

 しかし、安易に口出しすることもできない。


 アッシュはいつものところに花瓶を発見し、この部屋の花が他の場所の花とは違いすぎる状態に目を見開いた。


 ――枯れているのである。ドライフラワーなんてものではない。朽ち果てているのだ。


 何か嫌な予感がして、アッシュは手早く花を替えると、その部屋を一刻も早く出ようとした。


「あの……っ! クレメンタイン教授!」


 突然、声を発したリアにアッシュは息を呑んだ。


 教授はチラリと視線だけを向け、無言で話の続きを急かす。リアは大きく息を吸い込むと、言葉と共に一気に吐き出した。


「お帰りの際、花屋にいらしていただけませんか」

「……なぜ?」


 教授は怪訝な顔を隠しもせず、なかば不信感さえ抱いているかのように低い声を出す。

 しかし、リアの続く言葉を聞いた瞬間、その顔色を変えた。


「奥様に花束など贈られてはいかがでしょう?」


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