遅刻する食パン令嬢は王太子を落とせるか?

書籍6/14発売@夜逃げ聖女の越智屋ノマ

遅刻する食パン令嬢は王太子を落とせるか?

「大変……! 遅刻しちゃう」


私はいま、王立アカデミーの中央校舎を目指して走っている。

寮の食堂で朝食をゆっくり食べる時間もなく、寮母さまから頂いた食パンをかじって、全力疾走の真っ最中だ。


私ったら、転校早々に朝寝坊なんて……



(貴族令嬢が食パンを食べながら走るなんて、はしたない! 侍女たちが、ここにいなくて良かったわ……見られたら、ショックで気絶されちゃう!)


王立アカデミーの校則により、生徒は身分の貴賤を問わず、侍女・従者の同伴を禁止されている。全寮制なので、自分の邸宅から通うことはできない。


つまり。

朝寝坊すると、誰にも起こしてもらえない!


王立アカデミーはぐるりと塀で囲った広大な敷地の中に、18棟の校舎と研究棟、学生寮、図書館などなど各種施設のある巨大学術都市なのだ。寮から中央校舎まで、15分もかかる。


(中央校舎の時計塔が見えてきたわ! これなら何とか間に合いそう……!)


次のT字路を右に曲がれば、残りは数百メートルのポプラ並木を直進するだけ……きっと間に合う!

私は全速力でT字路に飛び込んだ!


……飛び込んだのが、いけなかった。


どかーん。

みたいな、ものすごい衝撃に全身を打たれた。

「きゃぁ!」


仰向けに転倒。目の前に星が飛ぶ……痛い、意識が、もうろうとする。

やっぱり、遅刻なんて……するんじゃ、なかった…………



「おい、君!? しっかりしてくれ。大丈夫か!」


――え?


よく通る男性の声。

学生服姿の男性が、私を抱き起していた。


「すまない! 遅刻を恐れるあまり、誰かが飛び出してくる可能性を考えなかった。君のようなか弱い少女を突き飛ばすとは……本当に申し訳ない!」


きりりと整った顔立ちを深刻そうに歪め、彼は私にひたすら謝っている。

私はぽかーんとして、彼の顔を見つめていた。だって……この人は……


「意識がもうろうとしているのか!? 大変だ、保健室へ運ばなければ……」

と彼が私を抱き上げようとした。


「い、いえいえ! 結構です、おろしてください、殿!!」

うろたえるあまり、私はいきなり彼を『殿下』と呼んでしまった。彼が私を知らなくても、私はもちろん彼を知っている。だって彼はこの国の王太子――カイネ殿下だ。


初対面であるはずの私からいきなり『殿下』と呼ばれて、彼は驚いている様子だった。

大きく目を見開いたまま、私を見つめて静止している――釘付けになったみたいに、目線をそらそうとしない。


どうして、私を見てるのかしら?


「あの。私、もう大丈夫なのでお気遣いなく……」

「………………」

彼は私と向かい合ったまま立ち尽くしていた。

そのとき。


時計塔から始業10分前を告げる鐘がなり、2人そろってハッとした。


「カイネ殿下! 何を突っ立っておられるのですか、お急ぎください! 遅刻しますよ」

後ろから、眼鏡を掛けた男子学生が息を切らして掛けてくる――この人は確か、宰相閣下のご子息だ。


「! そうだ、遅刻はまずい。父上に知られたら何と言われるか!」

と、カイネ殿下が顔をこわばらせた。


「あのっ、どうか私を気にせず先に行ってください。本当にもう大丈夫ですから!」

「……すまない! ――あとで改めて謝罪させてもらう!」


カイネ殿下は、宰相の子息と一緒に校舎へと駆けていった。

「まったく! 王太子ともあろう方が寝坊とは。情けない!」

「そういうお前だって遅刻じゃないか、コンラッド!」

「カイネ殿下の剣術修行に、深夜まで付き合わされたせいです!」


私は、遠ざかるカイネ殿下の後ろ姿をじっと見つめ続けた。

胸が、ドキドキしている。


(カイネ殿下がこの学園に通っているのは、もちろん分かっていたけれど……まさか転校初日に、こんな形で殿下に会えるなんて! こういうの、運命的っていうのかしら)



始業5分前を告げる二度目の予鈴よれいが鳴るのを聞いて、私はようやく我に返り全力疾走で校舎に向かった。


   *



「転校生のアリス=テレジア君だ。皆、仲良くするように」

クラス担任の先生に紹介され、私はクラスメイトに一礼した。


王立女学院リュケイオンから転校してまいりました、テレジア男爵家のアリスです。よろしくお願いします」

クラスメイトの視線が、私に注がれた。

特にが、じっと私を見つめていた。


(……まさかカイネ殿下と、同じクラスだったなんて)


私も殿下を見つめ返した。目が合った瞬間、彼は歯を見せて爽やかに笑った。とても凛々しい笑顔で、私はまたドキドキしてしまう。


(カイネ殿下……やっぱりすてき)

私は殿下のことで頭がいっぱいになって、授業に全然集中できなかった。


   *


中休み。

「ねぇ、アリスさん。ご実家のテレジア男爵家が治めている領は、どんなところなの?」

「この時期に転校なんて、めずらしいね」

「アリスさん、ショートボブが似合うね! 髪色もかわいい。染めてるの?」

などなど。クラスの生徒たちが私を質問攻めにしてきた。

「いえ……ピンクが地毛なんです……」

彼ら彼女らの質問に答えながらも、私はちらちらとカイネ殿下の様子をうかがっていた。


……殿下は、とてもモテるらしい。

何人もの女生徒が、殿下を取り囲んで親し気に話しかけている。


「カイネ殿下ぁ、魔導学のテスト、学内トップおめでとうございます!」

「ありがとう」

「殿下、高等算術の宿題で分からない問題があるんですけど、聞いていいですか?」

「構わないよ」

「わたしたち、カイネ殿下と一緒に勉強会をしたいんですけどぉ……」


きゃぁきゃあと盛り上がる女生徒たちの中心で、カイネ殿下は落ち着いた様子で淡々と受け答えをしていた。そんな涼やかな態度も、かっこいい。


硬派で誠実な人柄で有名な、カイネ殿下。学園内でも噂通り、うわついた態度を取るようなことはないらしい。

学術も武術も成績トップクラスのカイネ殿下は、まさに理想の存在……



(……私も、カイネ殿下とお話ししたいな)

ついつい殿下に目が行ってしまう。

そのとき、不意に殿下が見つめ返してきた。


(……え? 今、目が合った!?)

殿下は静かに席を立ち、私の目の前まで歩いてきた。


「まさか転入生だったとは。今朝は失礼したね、アリス……さん。と呼べばいいのかな?」


殿下のほうから話しかけてきてくださるなんて! 嬉しさと恥ずかしさで、顔がかぁっと熱くなった。


「……君の髪、とても可愛らしい色だね。ベビーピンクと言うのかな? よく似合っている」

「えっ? あっ……えっと。ありがとうございます」


どうしていきなり髪の話なんて……と、戸惑っていると。カイネ殿下は柔らかく微笑みながら、私の頭を撫でてきた。

「ひゃ!? な、何をなさるんですか、殿下!」


クラスの女子たちから、「きゃあ!」と悲鳴が上がった。婚約者でもない女性の髪に触れるなんて、普通なら許されない行為だからだ。


「あぁ……そうだね。失礼した。こんなところでは何だから、場所を変えようか」

そういうと、彼は私の手を取って、自然な所作で席を立たせた。


「おいで、アリス」

「え!?」


いきなり呼び捨て? どこに行くの? あわあわしながら、私は彼に手を引かれて教室を出た。


エスコートされるみたいに、2人寄り添って廊下を歩く……

すれ違う女子生徒たちが、敵意のこもった眼差しを私に向けている。


「誰よ、あの子!」

「転校生らしいわ」

「殿下に馴れ馴れしくしちゃって、許せない!」


……ヒソヒソ声が、怖すぎる。


「あの。殿下……そろそろ離していただきたいんですけど――」

と言っている途中で、宰相の令息がいきなり割り込んできた。


「カイネ殿下!? 一体なにをしているんですか!!」

「どうした、コンラッド。血相を変えて」

「どうした、じゃありませんよ殿下! 女性を連れ歩くなんて、何を考えているんですか? ピュティア公爵家のテレサ様という婚約者がありながら……貴方という人は、なんと軽薄なマネを!」


宰相の令息が『婚約者』と口に出した瞬間、カイネ殿下はじろっと令息を睨みつけた。

「黙れコンラッド。お前がとやかく口出しすることではない」

ぴしゃり。と冷たく言い放たれて、令息は息をのんでいた。


「俺はアリスとの出会いを楽しみたいんだ、邪魔立てするな。……さぁ、行こうアリス」

甘やかな笑顔で私に囁きかけると、彼はふたたび私の手を引いて歩き始めた。


でも。私はもう、全然うれしい気分じゃなかった。

――カイネ殿下がこんなに浮ついた人だったなんて。


学園で過ごすカイネ殿下の姿を見れたら、それだけで満足だったのに。

ひとこと、ふたことお話が出来れば、それ以上なにも望まなかったのに。

硬派で誠実だと信じていた殿下の、軽薄な側面を知ってしまって……私は、ただただ悲しかった。


   *


彼に導かれるまま、私は西校舎の屋上に連れてこられた。


「いい眺めだろう? ここの屋上は、俺の占有スペースなんだ。一人きりで考え事をしたいとき、よく来ているよ」


「……」

どうせ、気に入った女性を連れ込んだりしてるんでしょう? イヤらしい。婚約者がいるくせに。――そんな非難を一生懸命に飲み込んで、私は口をつぐんでいた。


黙り込んでいた私を、カイネ殿下が覗き込む。


「どうしたんだ、アリス。怖い顔をして……」

と、恋人に囁くような甘い声で、彼は尋ねてきた。


……最低な人! 


彼が私の肩を無遠慮に抱いてきたから、ぴしゃりと腕を叩き落してやった。

「さわらないで! 殿下がそんな軽薄な男性だとは思いませんでした!!」


すごく怖い顔をして怒っているつもりなのだけど、カイネ殿下はうろたえる様子もなく、余裕の笑みを浮かべていた。


「軽薄? 俺が? いったいどこが、軽薄なんだ」

「軽薄でしょ!? 婚約者がいるのに、他の女性を連れ込んだりして。最低です!!」

「心外だよアリス。――連れ込んだんじゃないか」


そういうと、彼は私の髪に両手を差し入れて、うなじの辺りに少し強めの力を加えた。

「あっ」

ピンクのショートボブにしていた私の髪が、みるみるうちに腰の長さにまで伸びて、もとの銀髪に戻ってしまう。


「目の色と声も、元通りにしてあげようか」

いたずらっぽく笑いながら、カイネ殿下は私のまぶたや喉に触れ、変身魔法を勝手に解除してしまった。


「ほら。いつもの君の出来上がりだ。今度はいつも通り、テレサと呼べばいいのかな?」

「……もう! わたくしの正体に気づいてたんですか? 殿下」


得意げな顔でうなずく殿下の態度が、ちょっと憎らしい。


「気づくに決まってるだろう? その程度の変装と化粧で、俺を欺けるものか――こんなに愛してるんだから」

わたくしを抱き寄せて、優しいキスを落としてくる殿下。

完璧な変装だと思っていたのに……悔しいわ。


「テレサ。どうして変装なんかして、王立アカデミーに転校してきたんだ?」

「だって……殿下の日常を、見てみたかったんですもの」

俺の日常? と、殿下が首をかしげている。


「わたくし、お父様に無理を言って、1か月だけ王立アカデミーに転入させてもらったんです。テレジア男爵にもご協力いただきました。……あなたが学び舎で過ごすお姿を、こっそり見たくて」


実はわたくしの転入は、1か月限定なのだ。来月には王立女学院リュケイオンに戻らなければならない。……学友の皆さんには、ぎりぎりまで内緒にしておくつもりだけれど。


「昨日はドキドキして、全然眠れませんでした。転校初日から寝坊してしまったのは不覚でした……いつもだったら、侍女が起こしてくれるのですが……」


「そうだったのか。食パンをかじりながら走る令嬢にぶつかったのは完全に想定外だったが……。食パン令嬢が君だと気づいた瞬間は、さすがに腰を抜かしそうになったよ」


「……恥ずかしいから、今朝の出会いは忘れてください」

「忘れるものか。テレサは本当にかわいいな!」


愉快そうに笑っている殿下を見ていると、頬が熱くなる……


(殿下。わたくし、本当はあなたの素行調査をするために転入したんですよ……)


殿下はステキな人だから、絶対モテるに違いない。婚約者わたくしの不在をいいことに、学園内でチャラチャラしているのでは?

……と不安でたまらなくなって、今回の潜入調査を決行したのだけれど。殿下には内緒にしておこう。


でも、殿下はニヤっとして図星を突いてきた。

「テレサ。どうせ俺が浮気してないか探りに来たんだろ?」

「な、なにをおっしゃるんですか殿下ったら! わたくしが、あなたを疑うわけないでしょ!?」


「心配ないよ。誰に聞いても構わない、俺に浮ついた話なんて全くないから。君以外の女性なんかいらない」


柔らかく微笑んで、わたくしの髪を指で梳くカイネ殿下。やっぱり、この方はすてきだ。


「わたくし、殿下とずっと一緒にいたいです。この学園に、本当に転校したくてたまりません」


「それは難しいよ。次期王妃となる令嬢は、王立女学院リュケイオンで王妃教育を受けるのが習わしだからね。だが、見聞を広めるために短期転入するくらいなら、今後も可能かもしれない。父上に掛け合ってみよう」


「本当ですか!? カイネ殿下、大好きです!」

人目がないのをいいことに、わたくしは思いっきりカイネ殿下に抱きついた。


「ピンクの髪、とても似合っていたよ。次回のテレサはどんな変装をしてくれるんだ?」

そう言って、殿下は嬉しそうに笑っていた。


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