第29話 牧村 栄子②

  佐山からのラインはあれからも続いた。

”最高”、”気持ちいい”等という単調な感想を述べた後、豪との行為中の動画を送って来る。

そんなものブロックすれば済む話だと頭ではわかっている。

だけど……いざブロックしようした瞬間、私の脳裏に豪のたくましい体が無限ループのように再生され、体が何かを求めるように震え上がる。

悶々とする気持ちを静めようと私はスマホを操作する……そして画面に映し出されたのは佐山が送ってきた動画だった。

初めて性を覚えた中学生男子のように高まる胸を鎮めようと……私は動画を再生してしまった。

動画に映る佐山を自分に置き換え、脳内で豪と行為をするイメージを流すことで欲情を高ぶらせ、それを一気に処理する……それがたまらなく心地よい。

私は真人に隠れて1人こっそりと快楽に浸かっていた……背徳感も混ざったことで真人との夜よりも濃密な刺激がここにあった……そして私は思った。


 ”実際に豪と体を重ねたら自分はどうなってしまうの?”


 もちろんそんなことは許される訳がない。

それは快楽ほしさに不貞に走るということ……私は真人を裏切りたくなんかない!!

それじゃあ豪と同じじゃない!

あんな非情な男と同類になんかなりたくない!!

私は真人の妻……真人以外の男を受け入れてはいけない!……何度も自分にそう言い聞かせてきた。

だけど……私の頭は四六時中、豪と体を重ねる妄想を抱いてしまう。

”豪を感じたい”……”頭が飛ぶような快楽に溺れたい”……心に芽生えた小さな欲望は……いつからか自分でも制御できなくなるほど大きくなっていった。

そのせいか、動画を使って自分を慰める応急処置も自然と意味をなさなくなっていった。


「もう……こうするしか……」


 手段を選ぶ余裕がなくなってきた私は、友人経由で精力増強の薬を手に入れ、それをこっそり真人の食事の中へ混入した。

あまり好ましい方法とは言えないけど、こうでもしないと私の体は納得してくれない。


「栄子……きれいだよ」


「真人……」


 その日の真人はいつもよりも活発的に私を求めてきたけど、やっぱり豪と比べると不満が残ってしまう。

私が満足する前に結局先に真人が力尽きてしまった。


「……」


 絶望的な結果だった……もう何をしても真人に私を満たす力はないんだ……。

こうなってしまった以上……欲求不満を抑え続けることが妻として正しい選択だ。

真人は夫として最高の男性……私さえ我慢すればこの幸せは永遠に続く……。


「……」


 そう自分に言い聞かせている私の隣で満足げに眠っている愛しい真人の寝顔に少しイラ立った。

日に日に溜まる欲情を必死に押さえつけ、妻としての役割を果たしている私の苦悩を知らず、幸せに浸かる真人にどこか怒りを覚えていた。

それが理不尽な怒りであることや八つ当たりであることはわかっている……だけど、どこにも発散することのできない苦悩を抱えているのだからどうしようもない。

それに真人は何も知らないんだから仕方ない……仕方ないんだ。


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 私の中で溜まってきた不満は私の感情や思考を徐々に狂わせていった。


「栄子?……どうしたの? ボーっとして」


「えっ?ううん、なんでもない。 仕事中なのにごめんね」


「そう? だったらいいんだけど、じゃあ私は春野さんに包帯を巻きなおしておくから、栄子は前の包帯を捨てておいて」


「わかった……」


 この日、私は同僚の女性看護婦と一緒に春野さんというサラリーマンの男性の包帯を取り換えていた。

春野さんは1ヶ月ほど前にバイク事故で大けがを負ってしまい、この病院で入院している。

手術自体は成功しているから、今は足が完治するまで安静にしていればすぐに退院できる。

そんな春野さんの包帯を取り換えた際に見えるたくましい体を横目でチラチラと盗み見ている自分がいた。

特に目についたのは下着に山を作っている、春野さんの”アレ”。

気さくに奥さんや子供のことを同僚と話しているところを見ると、性的に興奮している訳じゃないみたい。

でも下着越しでもはっきりとその存在感を見せつける春野さんのアレに私は釘付けになっていたみたい……。

これは春野さんに限った話じゃない……春野さん以外の男性患者さん達に対しても、今みたいに体中を舐め回すように見てしまう。

時には男性の下半身を触りたくなる衝動に襲われることもある。


「一体……どうなってるのよ……これじゃあただのケダモノじゃない……」


 今まで男性患者に対してこんな邪な気持ちを抱いたことは1度もない。

患者さん達の役に立ちたいという純粋な気持ちで看護婦という仕事に誇りを持っていた。

その私が仕事上の立場を利用して、自分の欲情を満たそうと考えてしまっている。

私達看護婦を信じて体を預けてくれる患者さん達に対して、いつからこんなバカげたことを考えるようになったの?

いつからこんな痴女のような思考に変わってしまったの?

私は怖かった……このままだと暴走して男性患者達に自分の欲望をぶつけてしまいそうな最悪の結末が……もしそうなってしまったら……私はもう看護婦として生きていけない。

そんなの嫌!

看護婦は子供の頃から憧れていた私の夢……ようやく夢が叶って働くことができたのに……こんなくだらないことで看護婦を諦めたくなんかない!!


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 体を満たしたい……でも真人にはその力はないし、自分で慰めることも無意味だ。

看護婦を捨てることもできない私にはもう……選択は1つしかない。


 ”真人の代用品となる男性を見つける”


 それしかこの地獄から抜け出す手段はないわ。

代用品とはいったけど……誰でもいい訳じゃない。

私の体を必ず満たしてくれる……そんな男性じゃないといけない。

とは言っても……片っ端から男性と関係を持つような淫乱なマネはしたくない。

そうなったらもう……自然と相手は豪に絞られる。

でもそれは……私にとってこの上ない屈辱だ。

過去と決別し、新たな未来を歩んでいるはずなのに……私はまた過去にすがり着こうとしている。

豪と真人……過去と未来……究極の二択に私は頭を悩ませていた。

……いや、もうすでに決まっていたというべきね。

単に決断するだけの勇気が出なかっただけ……。


『あたし達の幸せを分けてあげましょうか?』


 そんな私の決断に拍車をかけたのは佐山香帆からのラインだった。

口説き文句のようなその一言に、私の中の何かに亀裂が走った。


『豪に……会えますか?』


 気が付くと……私は佐山からのラインに初めて返信していた。

豪は警察から接近禁止を言い渡されているけど、私から会いに行く分には問題ないはず。

私はラインで豪に話があると定型文のような口実を提示したけど、佐山は私の真意を見透かしていたみたい。


『豪とヤリたいの?』


 佐山からストレートな問いかけが投げられた。

もう遠まわしな言い訳は通用しない……そう悟った私は素直な気持ちを文字にした。


『豪と……ヤリたいです』


『だったらヤリたいって証拠見せてよ』


 佐山は私の言葉が本心であることを証明するための証を求めてきた。

私は下着を脱ぎ、その中身を写真に収めて佐山に送付した……いや、捧げたといった方がいいか。


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 後日、私は真人に黙って佐山のアパートに足を運んだ。

指定された部屋の前に立ち……あとはインターホンを押せばこの地獄から抜け出せる。

でもそれは……真人を裏切るということ。

今引き返せばまだ間に合う……真人との誓いを守ることができる。

そう自分に言い聞かせても……私の体は聞く耳を持ってくれなかった。


ピンポーン……。


 私は自ら運命を変えるボタンを押してしまった……。


「いらっしゃい、豪は中にいるわ」


 すぐさま部屋から佐山が飛び出すように出てきた。

そのまま流されるように部屋の中に入り、中にいる豪と目が合った。


「久しぶりだな……栄子」


「うん……」


「俺は信じてたぜ? お前が俺の元に帰ってきてくれるって」


「帰ってきたつもりはないわ」


 私は豪とよりを戻しに来たんじゃない。

このどうしようもないモヤモヤした気持ちを消し去りたいだけ……豪に対して何の気持ちもないわ。


「たっぷりと愛し合おうぜ? 昔みたいによ」


「ひ……避妊はしてよ?」


「俺がゴム嫌いなのは知ってるだろ? まあ一応今は人妻だからな、薬くらいは用意してある」


 私は豪から受け取った薬を飲んだ。

ひとまずこれで豪の子供を身ごもることはないわね。


「栄子……」


慣れた手つきで私の体をまさぐる豪の手が心地よく感じてしまった。

久しぶりに感じる快楽に私の心のストッパーは完全に消滅し、狂ったかのように豪の体を求めた。

崩壊したダムから流れる水のようにこれまで溜まっていた不満を一気に吐き出した瞬間、私は豪から与えられる快楽に身をゆだねた。


「香帆もこい! 3人で楽しもうぜ!」


「いいわよ」


 ノリに乗った豪が佐山とも楽しみだした。

さすが風俗で働いているだけあって、佐山は男を満足させるテクニックをいくつも持っていた。


「ちょっと! 今は私とシテるんだから邪魔しないでよ!」


 私はさらなる快楽を求め、佐山と豪を取り合った。

はたから見れば1人の男を2人の女が取り合う修羅場だ。

客観的に見れば豪を独占する佐山に嫉妬しているように見えるだろうけど、それは大きな間違い。

私は快楽に浸かりたいだけ……そのために豪が必要なだけであって、佐山と取り合っている訳じゃないわ。


「相変わらず香帆のテクはやべぇな……」


「そう? これくらい普通レベルじゃない? ねぇ?栄子」


「わっ私だってそれくらい……」


 香帆の体で満足している豪の姿にイラ立ちを覚え、後半は佐山と競うような形で豪と絡み合った。

絶対豪に気があるだろって?

そんな訳ないでしょ!?

私が愛しい男はこの世で真人だけ……豪は欲望を発散させるために利用しているだけよ。

私はもう2度とこんなクズを愛したりしないわ!


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「また来てくれよ? 栄子」


 行為が終わった私は、豪に見送られながら私は帰路についた。

長年私の中でくすぶっていた不満は嘘のように消え失せ……私の体には豪から与えられた快楽の余韻が根強く残っていた。

久しぶりに満たされた私に、罪悪感は一切なかった。

あるのは晴れ晴れとした青空のような解放感だけ……。

豪と体を重ねるのは屈辱だったけど、これで真人と仕事を失わずに済む。

闇に覆われていた私の人生に今、明るい希望の光が差し込んだんだ。


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 その日以降……私は佐山のアパートに通い、豪と何度も体を重ね続けた。

発散された欲望というものは時間が過ぎれば自然とまた溢れてくる。

欲望に耐える日々が恐ろしくなった私は豪の体を求めるほかなかった。

豪は真人には言わないと約束し、破ったら慰謝料を払うと契約書を書いてくれた。

これで結婚生活が脅かされることはないわ。


「栄子……愛してるぜ?」


「そういうのはいいから早くヤリましょうよ」


「ヒヒヒ……せっかちだな。 そんなに真人じゃ満足できなかったのか?

女1人、満足させられねぇとはだらしねぇ野郎だぜ」


「真人の悪口は言わないで!」


 豪は私とよりを戻したと思っているようだけど、勘違いも良いところだ。

私は豪の体を求めているだけであって、豪を求めている訳じゃない。

豪と体を重ねている最中も、私の心には真人しかいない。

えっ? 結局は浮気だろって?

馬鹿を言わないで!

浮気というのは、自分のパートナーを裏切って他の異性に愛を求める人間として最低な行為。

でも私は違うわ!

私にとって生涯のパートナーは真人であって豪じゃない!

神様にだって誓えるわ!

豪との行為は……一種のストレッチ。

体をほぐして欲という名の悪玉菌を落としているに過ぎない。

やることは同じであっても、その間に感情がなければ不貞とは言えないと思う。

心が清らかであれば、どれだけ体が汚れようとも女性の価値は変わらない。

そうでしょ?


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「栄子……」


「真人……私達の赤ちゃんよ」


 真人と結婚し、豪と”体だけ”の関係を持ってからいくつもの時が流れ……私は男の子を出産した。

私と真人の愛で生まれた可愛い子……名前は光輝。


「よく……頑張ったな……」


「子供のためだもの……これくらいなんでもないわ」


 新たな家族が加わったことで、私達の人生はさらなる輝きに満ちた。

これからは家族3人でこれまで以上に幸せな時間を過ごしましょうね? 真人。


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「これはどういうことだ!!」


「嘘……なんなのこれ……」


 ある夜……いつも通りに帰宅した私に、鬼のような顔で怒る真人が1枚の書類を突き付けた。

それは真人と光輝が親子じゃないというDNA検査結果。

どうして真人が検査をしたのかはわからないけど、それ以上にわからないのがこの検査結果だ。

私がお腹を痛めて生んだ光輝が真人の子じゃない?

そんなバカなことがある訳ない!

だって私は真人の妻よ?

体も心も真人にしか許していない……いや、1つだけ可能性があった。

豪だ……真人以外に体を重ねた男は豪しかいない。

でも私は子供ができないように、彼からもらった薬を飲んでいたはず……それなのにどうして?

パニックになった私は、嘘や隠し事をする余裕すらなく、ただただ事実を真人に告げてしまった。


「なんでだよ……なんで浮気なんかしたんだよ……栄子だって西岡に裏切られただろ?

たくさん傷ついただろ? そのお前がなんで……あいつと同じことができるんだよ!!」


「違う! 私は真人を裏切ってなんかいない! 私は今でも真人だけを心から愛している!本当よ! 豪にはなんの気持ちもないの! あいつとつながったのは体だけ……心は一切許していないわ! お願い信じて!!」


 浮気がどれだけ人を傷つける行為なのかは知っている……何せその被害者なのだから。

でも私は浮気なんてしていない!

だって私は、真人を心から愛しているんだから……豪のようなクズとは違う!!

何度そう訴えても、真人は納得してくれなかった。


「今から香帆のいる店に行ってくる。 金さえ出せば香帆も俺を受け入れるはずだ」


 怒り狂った真人が香帆の元へ行くと言って玄関に歩き出した。

いや……どうしてそんなことを言うの?

佐山は真人を傷つけた最低女でしょ?

真人を裏切り、托卵した佐山みたいな汚らわしい女なんかに私の真人に触れてほしくない!!


「だっダメ!!」


 私は無意識に真人の腕を掴んでいた。


「西岡に抱かれた自分は許してほしくて……香帆を抱きに行こうとする俺は許せないって?……勝手すぎるだろ……」


 違う違う違う!!

私は豪を利用しただけ……抱かれてなんかいない!!

私は真人の妻よ!!


「お前の語る愛は薄っぺらすぎて笑う気にもなれない」


「おっお願いします……許してください……なんでもしますから……」


 必死に懇願する私に背を向け、真人は出て行ってしまった……。

どうして?……どうしてこんなことになってしまったの?

私は真人と光輝の3人で幸せな家族として暮らしていたいだけなのに……どうして……。


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 翌日……真人から電話が掛かってきた。


「真人!? 今どこにいるの!? お願い!帰ってきて!!」


『直接話がしたい……今から言う場所に来てくれ』


「わかったわ! 光輝を両親に預けたらすぐに行くから!」


 私は両親に光輝を預け、真人に指定された倉庫へと急いだ。

どうしてそんな場所を指定したのかはわからないけど、そんなのどうでもいい!!

真人に会って、もう1度話し合う!

しっかりと話し合えば、きっとわかってくれるはず!!

だって私達は夫婦なんだから!!


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「栄子……」


 倉庫前で真人が私を待っていた。

昨日と何か変わったようには見えないけど……もしかして、佐山と寝たのかしら?

昨日の様子から、かなり錯乱しているようにも見えたから……可能性は否定できない。

光輝の件があるから仕方ないとは思うけど、もしそうなら正直に言ってショックだ。

どんな事情があったとしても、パートナーが自分以外の異性と体を重ねたらショックに決まってる。

それを問いただすことが恐ろしい私は、そうでないことを祈るしかない。


「どうしたの? こんな所に呼び出したりして……それで話って?」


「……その前に、飲み物でも飲まないか? 今日は熱いしさ」


「ありがとう……」


 真人は事前に買ってきたというジュースを私に手渡してきた。

それは私が良く飲んでいるお気に入りのジュースだ。

やっぱり真人は優しい……。

私はジュースの蓋を開け、熱さで失われていた水分を補給した。


「あ……れ……」


 だけど……ジュースを飲んだ途端、私は猛烈な睡魔に襲われた。

私は成すすべなく、そのまま意識が遠のいてしまった。


【長くなりそうなので一旦区切ります。 by panpan】

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