第20話 佐山夫婦(母)

私達夫婦は琴美という収入源を失い、お互いに背負った借金が原因でホームレスにまで転落してしまった。

そんな私達がすがったのは無能で育てるメリットがないと見放していた香帆。

香帆は琴美のかつての婚約者で大病院の院長の息子である真人君と結婚することになった。

どんな汚い手を使ったのかしらないけど、私達にとっては香帆だけが唯一の希望。

プライドなど捨て、人前で土下座して香帆に援助を求めた。

香帆なんて正直どうでもいいけど、真人君と繋がりが持てればこんな地獄のような現状から抜け出すことができるはず!

香帆は家事と育児の代行を引き換えに援助を受け入れてくれた。

香帆ごときに家政婦扱いされるのは屈辱だけど、これからの人生がかかってるんだから仕方ないわ。


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「じゃああたし出かけるから優のことよろしく」


「わかった……」


「あと今日は真人が早めに帰宅するみたいだから、夕飯作ったらさっさと消えてよね」


「はい……」


「くれぐれも真人にバレたりしないでよね?」


 それだけ言い残すと、香帆は意気揚々と外出していった。

その目的は男……つまりは不倫。

香帆の行動が気になって後を付けたことがあり……その時、男と会っていた所を目撃した。

その後はホテルに入って数時間は出てこなかった。

私達に家事と育児を押し付けて、自分は不倫三昧とは良いご身分だとは思う。

私は香帆と男の写真を取り、不倫の件について後日話をした。。


『香帆、不倫してるでしょ? 証拠画像もあるんだから言い訳なんて無駄よ?』


『わざわざ付けてたの? それはそれはご苦労さん』


『この画像を真人君に見せたらどうなるでしょうね?』


 私は写真を武器にして香帆と対等な立場になろうとしていた。

こんなクズ女に家政婦のように扱われることが屈辱でしかない!

離婚と慰謝料をちらつかせたら、誰だって隠ぺいしようとするはずよ!


『そんなの慰謝料払って離婚になるに決まってるでしょ? あんたその程度の知識もないの?』


『なっ!』


 ところが香帆は不倫写真を突き付けてもなお、青ざめもせず余裕の笑みを浮かべていた。

なんで笑っているの?

この写真が怖くないの?

香帆は不倫写真が写し出されている私のスマホを奪おうともせず、どうでも良さそうに欠伸しながらスマホをいじり始めた。


『もしかして……その写真を使ってあたしを脅そうとか思ったわけ?』


『!!!』


 虚を突かれた私はビクついて言葉を詰まらせてしまった。


『図星かよ……別にチクりたければチクれば? あたしは別に止める気はないから。

あたしの彼は金も権力もある完璧な男なの。

真人程度の男とは比較することもおこがましいわ。

慰謝料なんて彼から見ればただのはした金よ』


 香帆の目には恐怖や不安といった曇りが一切ない。

口止めすらしない様子から、これがハッタリではなく本意であることは理解できる。

慰謝料は相場でも300万程度だろう……それをはした金と言えるほどの力が香帆の不倫相手にはあるみたい。

そんな好条件な男がいるならどうしてその男と結婚しないのかは疑問だったけど、”あんたには関係ない”と香帆は口を閉ざした。

まあ確かに、私には関係のないどうでも良いことね。

とにかく香帆には離婚と慰謝料は取引の材料になれるほどの価値はないということ……偶然掴んだ不倫写真という名の光が霞のように消え失せてしまったことに私は落胆した。

私は一生この女の言いなりとして生きて行かないといけないの?


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「ただいま! おばあちゃんお腹空いた」


「そうね……そろそろお昼にしましょうか」


「やった!僕ね? ハンバーグ食べたい!」


「はいはい、その前におじいちゃんと手を洗ってきなさい」


「はーい!」


 優は香帆が生んだとは思えないほど聞き分けの良い子だった。

言いつけはしっかり守るし、1度注意したことは決して忘れない手間のかからない子供だ。


「ただいま……」


「おかえり……随分くたびれているようね」


「当たり前だろ? ブランコを押させるわ……砂遊びに付き合わされるわ……なんで俺があんなガキと一緒にそんなくだらんことをしないといけないんだよ……」


「仕方ないでしょ? そうしないと私達はホームレスに逆戻りなんだから」


「ったく! やってられるかよ!」


 公園から優と共に帰ってきた夫が私にだけ聞こえる声で愚痴をこぼす。

優は良い子だが遊びたい盛りの幼子。

優は家に籠るより外に出て体を動かすことを好む。

だがこっちからすれば非常に迷惑な話。

家で遊んでいる分は私達も家でのんびりとできるけど、外出するには私達のどちらかが付き添う必要がある。

ただ見守るだけなら良いが……そういう訳にもいかない。

優のように活発な子供はやたらと遊び相手を欲することが多い。

ただ……最近の子供はゲームやマンガと言った娯楽に浸るため、遊び場は自分の家か友達の家の2択になる。

そうでなくたって少子化で子供が少ない現状……公園で遊ぶ子供は少ない。

そうなったら遊び相手は消去法で同伴している大人……つまりは私達となる。

とはいえ、私には家事という仕事があるので付き添いは決まって夫となる。

表向きには優と一緒に楽しく遊ぶ祖父だが本音はこれ。

いくら血の繋がった孫相手とはいえ、金とギャンブルにしか興味のない夫が子供の相手をするなんて退屈を通り越して苦痛でしかないでしょうね。

だからといって、優を1人にする訳にもいかない。

もし万が一、優の身に何か起きれば私達は終わりだ。


※※※


「おばあちゃん! このハンバーグとってもおいしいよ!」


「それはよかったわ……腕によりをかけて作ったおばあちゃん特製のハンバーグだから味わって食べてね」


「うん!」


 私の作ったハンバーグを笑顔でおいしそうに食べる優。

大抵の人間は孫のこんな姿を見たら頬の筋肉が緩むでしょう……だけど、私の心にはそんなことで幸福を感じるほど余裕はない。

琴美が生きていた頃は……ショッピングでブランド物を買い漁ったり、推しアイドルやホストに金を貢いだりと充実した時間を過ごすことができていた。

でも今は香帆からもらっている最低限の生活費しかない。

これ以上は借金でもしないと欲することはできないが、そんなリスクを背負えるほど私の心は理性を失ってはいない。

だから我慢をして香帆の代わりに家事と育児を続けるしかない。

そんな悲惨な私と違い、優は毎日自由にのびのびと過ごしている。

まだ3歳児だとは理解しているけど、何もせず遊んでばかりの優が親の金で当たり前のように暮らしていることには正直腹が立つ。

琴美の時は顔がとても整っていたし……女優としての才能があったから可愛がることができた。

でも優は顔は平凡だし、特別な才能があるとは思えないただの子供だ。

血がつながっているから何?

優を生んだのは香帆なんだから私達が優を可愛がる道理なんてあるはずないでしょ?

香帆から得られる生活費がなければ、こんな出来損ないと関わりすらしなかったでしょうね。

もしも悪魔に大金と引き換えに優を渡せと言われたら、迷うことなく優を差し出すでしょうね。


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 だけど……そんな私達の窮屈な生活は突然終わりを迎えた。


「優が……死んだ?」


 ある日、私と夫が暮らしているボロアパートに警察から電話が掛かってきた。

その内容は優が死んだという最悪なものだった。

訃報を聞いた私達の心を支配したのは深い悲しみではなく、育児から解放されたという解放感だった。

面倒事が1つ減ったんだから、誰だってラッキーだと思うでしょ?

だって私達にはまだ家事代行というパイプがあるんだから、香帆にはまだ私達が必要なはずよ。

香帆はともかく優を可愛がっていた真人君はショックでしばらくは新しく子供を作ることはしないでしょうから、家事にだけ専念できる。


※※※


 そう思っていたのもつかの間、真人君が香帆に離婚を突き付けてしまった。

後日、真人君は弁護士と一緒に私達のアパートを訪ねてきた。

真人君は香帆と不倫相手に慰謝料を突き付けるだけに飽き足らず、私達にまで不倫ほう助の名目で慰謝料を請求してきた。

金額的は20万と一般的な感覚で言えば出せないほどの金額ではないでしょう。

でも私達は香帆から生活費を援助してもらっている身よ?

そんな私達に慰謝料なんて払えるわけがない!!

そんなの良識のある人間なら誰でもわかることでしょ?


「ふざけるなっ! 俺達から琴美だけでなく優まで奪っておいて、金までむしり取る気か!」


「そうよ! 私達は生きていくのに必死になっていただけなのよ!?

それなのにあなたという人は……心というものがないの!? この人でなし!!」


「お2人に同情する余地がないとは言えません……ですがどんな理由があろうと、あなた方が香帆の不倫に協力していたのは紛れもない事実でしょう?

過ちを犯したのならきちんとケジメを付ける……それが大人として……親として果たすべき責任ではないのですか?

本来なら100万ほど請求することもできるようですが……まがいなりにも優を育ててくれたことには感謝しています。

これは俺なりの最後の情けです」


 淡々と私達に反抗的な真人君が嫌味ったらしくてイラつく!

何が責任よ!偉そうに!!。

だいたい本当に情けをくれるなら慰謝料なんて取らないでしょ?

要は金がほしいだけじゃないこの守銭奴!!

だったら琴美と優を死なせたこいつだって責任を取るべきでしょう?

私がそう訴えたら、真人君の横にいる弁護士が……。


「彼が負うべき責任はありません。 納得できないようでしたら裁判を開いても構いませんが、負けるのは確実にあなた方です……まあ、あなた方が弁護士を雇えればの話ですが……」


 なんて挑発めいた言葉で私の訴えを一刀両断した。

憎たらしいが、裁判で戦おうにも私達にはその資金はない。

借金というリスクを犯せばなんとかなるかもしれないけど……そこまでして裁判で争うメリットははっきり言って私達にはない。

だから大人しく真人君の要求を飲むしかなかった。

はぁ……どうしてこう世の中は不公平なの?

こんな血も涙もない人間に弁護士は味方して金が集まり……私達のように生きていくのもやっとな可哀そうな人間には誰も味方せず金だけを取り上げる。

弱肉強食とはよく言ったものだわ……。


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 その後……私達は借金で慰謝料を支払い、またホームレス生活に戻ることになった。

香帆にすがろうとも思ったけど慰謝料で私達以上の借金に追われていた。

強みであった不倫相手も社長である父親が行方を眩ませてしまったため、無職のニートへとなり下がっていた。

親戚には不倫ほう助の件で見捨てられ、友人と呼べる人間も特にいない。

もはや私達に頼れる人間はいなかった。


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 生活保護でギリギリ飢えは凌いでいるが、それでも家賃が払えずアパートは追い出されてしまった。

今は公園のベンチで眠る毎日を送っている。

身なりを整えることはできず、私はシワだらけの醜い老婆のように変貌していた。

そんな私を見た子供は口をそろえて妖怪となじってくる。

夫も私と同じく不衛生な生活を毎日送っているためか体臭がひどく、道を歩く際に夫を横切れば臭いに耐えきれずに吐いてしまうほど。

私自身も夫の体臭がきつくて数メートル距離を開けていないと鼻が曲がりそうになる。

そんな私達が公園に住み着いているためか……公園には自然と誰も寄り付かなくなっていき、いつしか”ゴミ捨て場”なんて呼ばれるようになっていた。

……惨めだ。

かつては人気女優、佐山琴美の親と周囲から尊敬の眼差しを受け、有り余る金で遊びつくしていた。

それが今は汚らしいホームレスとなり、周囲から軽蔑される毎日。

眠りにつく際、いつも近所の家から聞こえてくる家族団らんの声。

それを聞くたびに私の中である思いが浮かび上がってくる。


”私達がこんな目に合っているのに、なんであいつらは楽しそうに過ごしているの?”


 私達は琴美という国宝と呼んでも過言ではない人間を作ったのよ?

真人さえいなければ芸能界に……いや、世界に革命を起こしていたはず!!

そんな私達に比べて、あいつらは何?

見た感じ平凡なサラリーマンの旦那と別段美人でもない専業主婦。

不細工なくせに私達をたまになじってくるガキ。

ただただ毎日を平凡に生きていくだけで特別なことなんて何もしない……そんな連中がどうして毎日おいしいご飯を食べて屋根のある家で眠ることを許されているの?

こんな理不尽なこと許されていいの?



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「ねぇあなた……」


 ある夜……私は久しぶりに夫に話しかけた。

今の惨めさに比べたら、夫の体臭なんて許容範囲だ。


「なんだ?」


「ちょっと提案なんだけど……あそこの家から金目の物をもらってこない?」


 私が指さしたのはあのムカつく家族が住む家だ。

偶然耳にしたんだけど、旦那は今日残業で帰りが翌朝になるという。

つまり……今家にいるのは妻と幼い子供の2人だけ。

年齢と不衛生な生活で体力が落ちている私達でも”対処”できる。


「あんなに立派な家に住んでいるんだもの、少しくらいお金をもらったって罰は当たらないわ。

旦那もいないみたいだし、大丈夫よ」


「……そうだな。 俺達みたいな可哀そうな人間なら、何をしたって許されるよな?」


「そうそう!」


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 私達は親子が寝静まる頃合いに、庭のベランダから家の中に入った。

鍵は掛かっていたけど、布を当てて石でガラスを割れば意外と簡単に開いた。


「私は1階を探すから、あなたは2階をお願い」


「わかった……」


 二手に分かれ、金目の物を探す私。

キッチンに入るとテーブルに旦那の分と思われるおかずが並んでいた。


「おいしそう……」


 普段から空腹に苦しんでいる私にとって、それは目の毒だった。

気が付いたら獣のように料理を貪り、さらに飢えを満たそうと冷蔵庫にまで手を出していた。

だってお腹が空いているんだから仕方ないでしょ?


※※※


『きゃぁぁぁぁ!!』


「なっ何!?」


 突然2階から女の悲鳴が聞こえてきた。

私はまずいと思い、玄関に向かった。


「あっあなた! 何をしているの!?」


 玄関に向かう途中、階段から小さな子供が勢いよく落ちてきた。

すぐに夫が上からトボトボ降りてくるが、なぜか下半身は裸になっている。


「いやその……上にいた奥さんが妙に色っぽくてな?

ついブチ込んでやろうと思ったら、急に悲鳴を上げやがったんだ」


「そっそれでどうしたの?」


「こっ怖くなって首を絞めちまった……そしたら全く動かなくなったんだ」


「……はぁ?」


「一緒に寝ていたガキも目を覚ましちまって……逃げようとしたからつい……」


「ついって……」


 私は嫌な予感がして足元に転がっている子供を確認すると、それは紛れもなくこの家の子供だった。

頭からあふれてくる血が床一面に広がっていき、すでに息もない。

状況から見ても、夫がこの子を階段上から突き落としたのは間違いないみたい。


「何をやってるのよ!!このバカ!!」


「なっ何をいってるんだよ! もとはと言えば、お前がこの家に盗みに入ろうって言い出したのが発端だろ!!」


「誰が人殺しをしろなんて言ったのよ!! 良い年したじじぃが欲情してるんじゃないわよ!このケダモノ!!」


「なんだと!! このくたばりぞこない!!」


バタンッ!!


 私達が言い争っていると、玄関のドアが勢いよく開いた。


「おっお前ら、ウチで何をしているんだ!!」


 そこに立っていたのはこの家の主である旦那だった。

私達はすぐにその場から逃げようとしたが、すぐに2人共取り押さえられた。

後から聞いた話だけど、旦那は高校時代ラグビー部のエースだったらしい。

そんな男から逃げられる訳がなかった……。


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 私達は旦那が通報した警察に逮捕された。

後日行われた裁判の結果……夫は死刑となり、私は無期懲役となった。

夫は当然の報いだけど、なんで私がこんな重い罰を受けないといけないの?

身勝手で悪質な行為だとか言われるけど、私が何をしたって言うのよ!!

殺したのは夫であって私は何もしていないじゃない!!


「妻と息子を返せ!! 人殺し!!」


 法廷で涙ながらに旦那が私達に浴びせた言葉がこれ。

殺したのは私じゃないって言ってるでしょ!?

なんで私まで責められてないといけないの!?


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 その後……夫は死刑が執行されてあの世に旅立って行った。

私は不衛生な生活が祟ったのか……クズ旦那の呪いか……夫が死んだ2週間後に冷たく狭い獄中で心筋梗塞を起こして倒れてしまった。

これはたぶん死ぬわね……まあこんなゴミみたいな人生に未練なんてないけど。


 はぁ……私の人生、一体どこで間違ったの?

……いや、私の人生に間違いなんてないわ!

私は夫や香帆のクズみたいな人生に巻き込まれただけ……いわば被害者よ!!

あいつらがいたせいで私の人生が狂ってしまったんだわ!!

なんて可哀そうな私……ホント、世の中クズばかりで嫌になるわ。

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