クリスマスデート、距離399キロメートル(掌編・1話完結)

天野橋立

クリスマスデート、距離399キロメートル

 年の終わりは、みんな忙しい。

 仕事帰り、通りがかったリニア新幹線の駅前広場では、たくさんの人々が足早に行き来していた。どこか満足げな顔をした人が多いのは、それだけ充実した一年を送ることができたということなのだろう。

 遠いこの町で暮らした、僕の一年間。そんなに悪いものではなかったけれど、恋人の美帆みほと離れ離れになってしまったのは辛かった。

 来年には、東京の本社に戻って一緒に働けるのだから、あと少しの我慢ではあったけれど。


 駅に近いわが社の屋上では、天に届きそうなくらいに巨大なツリーが、七色の光を辺りに振りまいていた。

 本来は、僕が研究している超々高速データ通信ナインジーに使われる鉄塔なのだが、豪華なイルミネーションの輝く様子からは、昼間の無骨な姿は想像できない。

 そう、今夜はクリスマス・イブなのだった。

 もちろん、ちゃんとデートを予定していた。ところが、彼女の関わっている開発プロジェクトがリスケになって、会いに行くことができなくなってしまったのだった。


「ごめんなさい、とても残念なのだけど……」

 と彼女は謝ってくれたが、重要なプロジェクトだとは聞いている。

「大変だね、無理しないようにね」

 となぐさめて、リニア新幹線「かすが」の貴重な指定席をキャンセルするしかなかった。

 でも、この歳末に思わぬ空席を確保できた人は、きっととても喜んだだろう。

 399キロ彼方の東京までの旅を、見知らぬ誰かにプレゼント。そう思うと、心が少し和らいだ。


 ふと思いついて、駅前のショッピングモールでショートケーキを二個買った。そしてそのまま、ツリーの土台みたいになっている職場のビルに引き返す。

 まだ残業中の同僚に差し入れのつもりだった。その同僚も、美帆が担当しているのと同じプロジェクトに関わっていると聞いている。

「うそ、パティスリー・シロモトのイチゴショートだし!」

 クリームたっぷりのショートケーキに、やつれ気味だった同僚の顔が、瞬時に輝いた。流体工学の専門家、草津音々ねおん博士。今回のプロジェクトではコア技術の開発に関わっているらしい。


「そっか、クリスマスだもんね。ちょうど本社むこうのテスト待ちだからコーヒー淹れるよ」

 白衣を着た音々ねおん博士は、何だかわからない青い液体が入ったビーカーを加熱器から動かして、ミントグリーンのやかんを載せた。

「ほんとは、美帆と食べるはずだったんだよね? クリスマスのケーキ」

「ばれてたか」

 僕は苦笑いした。美帆と音々博士は同期入社の親友だ。

「世界の終わりでも来るんじゃないの、ってくらい悲痛だったもん、美帆からのメッセージ。イブのデートが吹っ飛んじゃったんだもんね。ちょっとは考えろ、本社むこうも」

 顔が赤くなりそうだった。僕への連絡は、冷静だったのに。


「ケーキを一緒に、は無理だけどさ」

 音々博士は、壁の時計に目を遣った。

「テストが上手く行って、あれがちゃんと動きそうならさ。美帆に会わせてあげるよ。そんくらいOKさせるからさ、開発者権限で」

 お前は何を言っているんだ? という顔で、僕は博士が指さしたほうを見た。


 分厚い強化ガラスを隔てた隣の実験室、その真ん中には、透き通った板で造られた立方体が置かれていた。大人一人が中に入って、いくらか歩き回れるくらいの大きさだ。周囲では、何人ものエンジニアが作業をしている。

「あれは……ホログラム投影装置か?」

 それならば、音々博士の言うことも分かる。あの大きな水槽みたいなものの中に、彼女の姿がリアルに出現するというのではないか。

「違うわね。あの中に入るの、君のほうだから。まあ、もうちょっとすればわかるわよ」


 音々博士が淹れてくれたドリップコーヒーを飲みながら、二人でショートケーキを食べた。濃厚な甘さのクリームなのに口当たりは軽く、人気店なのが分かるおいしさだった。

「今日これ買うなんて、普通無理なんだよ。美帆に勝ったね、今日は」

 満足げな顔を浮かべて、博士は手元の端末でケーキの写真を撮った。バレッタでまとめた長い髪のつやまで、良くなったように見える。


 すっかりくつろいでいたその時、電子チャイムの音が響き渡った。

「あ、来たっぽい」

 大きな口を開いてケーキの残りを一瞬に食べきり、音々博士はメイン端末の前に走った。

「はい。ですね。分かりました。えーと、そちらでログインするのって誰が。ああ、ばっちりね。では、こちらも」

 博士は、僕のほうを振り返った。

「さ、デートの準備はばっちりよ。砂箱サンドボックスに入って。急いでね」

 そう言って音々博士が指さしたのは、隣の部屋だった。


 訳も分からないまま、僕はあの水槽みたいな透明直方体、博士たちが砂箱サンドボックスと呼ぶ装置の中に閉じ込められた。

 続いて、口元を覆うマスクとゴーグルを装着するように指示される。なんだ、VRなのかと思ったが、どちらも素通しの透明な素材で作られていた。

 首をかしげていると、足元に何かの液体が流れ込み始めた。どんどん水位が上がってくる。これじゃ本当に水槽だ。


「おい! 水中マジックショーでもさせるつもりかよ!」

「それ、水じゃないよ。わたしが開発した超粉体アルティパーティクル。まあ、もうちょっと待ってなさい。君が思ったみたいな、しょぼいVRじゃないのが分かるから」

 考えていたことがお見通しだったらしい。これはマジックなんかじゃなく、僕が単純なのだろう。


 やがて、その超粉体とやらの水位が、僕の頭を超えた。マスクから酸素が供給されているらしく、溺死はせずに済みそうだ。水に比べるとずいぶんサラサラと軽くて、動き回るのは楽だった。

「さあ、いよいよ本番だよ。磁気銃エムガン全基照射!」

 必殺技を繰り出すような音々博士のハイテンションな声が、頭蓋の中にキンキン響く。


 暗かった視界が、突然開けた。見覚えのある場所。そこは美帆とデートする予定だった、赤レンガ倉庫の前だった。きらめくツリーと、赤い壁のライトアップ。

 他の観光客は、誰もいなかった。そこにはたった一人、白衣を着た女性が立っているだけだった。美帆だ。

「美帆……。これって」

「すごいでしょ? とうとう成功ね、仮想実体システム」

 彼女は穏やかに微笑んだ。何かをやり遂げた、そんな満ち足りた笑顔で。

「でも、デートの格好じゃないよね、これ。着替える時間なくって」

 自分の服装を確かめるように、彼女は白衣のくたびれた両袖に目を遣った。


「……瞬間移動したみたいだ、まるで」

 僕はようやく、そう言った。

「大変だったのよ、現実を完全にスキャンするのも、こうして磁気硬化で遠隔実体化するのも。あなたの超々高速通信と、音々ちゃんの超粉体のおかげね」

 美帆は、さらに歩み寄ってきて、僕の目の前に立った。

「ちゃんと、こんなこともできるのよ」

 そう言って、彼女は僕の胸に顔をうずめた。強く抱きしめる。美帆はちゃんと、僕の腕の中にいた。


 誰もいないはずの周囲で、拍手が聞こえた。

「ブラボー!」

 音々博士の叫び声。僕はやはりまだ、あの「砂箱サンドボックス」の中にいるらしい。

 だけど、今はもう少しだけ、こうしていたかった。


「一つだけ、お願いしてもいい?」

 腕の中の美帆が、僕の顔を見上げる。

「どんなこと?」

「私も、あのショートケーキ食べたいな」

 音々博士、僕が差し入れたケーキを、いつの間にか美帆に自慢していたらしかった。

「それは、うん、今度会うときにちゃんと持って行くので」

「約束ね」

 彼女は、また微笑んだ。

 399キロメートルの彼方。こればかりは、本物のケーキを持って行くしかないのだった。

(了)

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クリスマスデート、距離399キロメートル(掌編・1話完結) 天野橋立 @hashidateamano

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