20.ロリババアとYoutuber
「のう、おぬし。おぬしじゃ。わしが見えておるな?」
電信柱を背に項垂れていたときだった。
視界の端に、なにかが見えた。子供のようだった。長い黒髪に、赤い着物。いかにもという風体に、思わず目を逸らす。それが失敗だった。
「見えておるじゃろ? ん?」
そして、この問いだ。ふだん見られることのないものから発せられる問いだ。つまり人間ではない。そういった類には、見えていることを気づかれてはならない。無視するのが鉄則だ。
「おぬしも
幼女の姿に古風な口調。いかにもだ。すぐそばまで近寄り、背伸びしながら顔を覗きこもうと、裾まで引っ張る。無視し続けるのも限界に近かった。
「スマホは……やっぱ圏外か」
よって、独り言で誤魔化す。虚空を見つめるよりはスマホでも眺める方がそれらしい。もっとも、圏外なのでそれも限界があった。
「見えておらんのか……? ん? いや待て。その声、どこかで……。そうか。おぬし、アカヒトじゃな」
「え?!」
思わず振り向いて、声を出してしまう。しまった――とは思ったが、こうなっては手遅れだ。見れば、普通の子供だ。幼いながらに目鼻立ちはしっかりしている。着物なのは七五三かなにかか。おばけではないかと怖れていたのは、考えすぎだったかもしれない。
「し、知ってるの? 俺のこと……」
「わしのもとまで訪ねてきたじゃろ」
「え、知らないんだけど……」
「なんじゃ。おぬしではないのか。ゆーつーぶで……」
「たしかに俺、YouTubeはやってたけど」
「だったらおぬしではないか!」
「し、知らないよ! 誰なの君!」
相手にすべきではなかった。姿も声もまともだが、ここにいる時点でまともじゃない。ごくまれに人間が紛れ込んでくることはあるようだが、それこそごくまれだ。出会うのは、人間のようななにかばかりだ。
「途中で逃げ帰って気まずいのか? ん?」
「ホントに知らないんだけど……」
「まあ、わしは寛大じゃからそういうことにしてやらんでもないがな。ん? んん~? それよりおぬし、優子を知っておるな?」
「え……?」
名前も知っていた。YouTubeをやっていたことも知っていた。そしてさらには、つい先ほど出会ったばかりの伊藤優子の名前が出た。見た目こそ可愛らしい幼女が、彼にはひどく怖ろしいものに思えた。
この手の怪異には、決して気を許してはいけない。
「いや、知ら……」
「におうぞ。優子のにおいじゃ。どこにおる?」
「いや、その! 君、名前は? 俺はアカヒトだけど」
「芙蓉じゃ」
「えっと、芙蓉ちゃん? ここにはどうして? 迷子?」
「優子を探しに来たんじゃよ」
話が見えない。話題を逸らすこともできない。
「で、優子はどこじゃ?」
逃げられない。下手な誤魔化しや嘘の方が危うい。そう思えた。
「その、トンネルに……」
そう、答えるしかなかった。
「ほう、やはりトンネルか」
そう零して、幼女はニタリと笑んだ。なにもかもすべてを知ったうえで弄んでいるに違いない。そう直感した。
「あ、案内します!」
「ん。いや、ええよ。場所はわかっておる。もともと向かうつもりだった場所じゃ」
そうだ、思えば。
この少女はトンネルの方向から歩いてきたのだ。
(やつらの、仲間なのか……?)
だとすれば、「伊藤優子の行方」を問うのはおかしい。彼女は、彼らに引き渡したのだから。
(俺に彼女を売らせて、それを咎めに来たのか?)
支離滅裂だ。しかし、怪異の考えることなど人間に理解できるはずがない。
心霊系YouTuberとして全国さまざまな心霊スポットを巡った。驚くほど怪奇現象とは出会わなかった。それでも真面目にコツコツと、チャンネルは伸び悩んでいたが動画を撮り続けた。やらせも少ししか手を出さなかった。
それがよりによって、「本物」を引いてしまった。創作だとしか思っていなかった怪談のような境遇に陥った。雲一つない不気味な青い空。人気のないどこまでも広がる田園。当初は興奮しながらバズ間違いなしと編集計画を頭に浮かべながら撮影を続けていたが、ついに帰れないことを悟った。
持ち運ぶのに重いだけの機材は、もう手放した。手放さざるを得なかった。トンネルの向こうに置いてしまった。もはや取りには戻れない。
「そうじゃ、おぬしは?」
「な、え、なんです?」
「なぜここにおる?」
「それは……ご存じないんですか?」
「なんの話じゃ。知らん知らん。というより……まさか、おぬし人間か?」
「え? いえ人間ですよ! 人間!」
変な質問だ。人間であるかを疑う。それではまるで、彼女もまた人間であるかのようではないか。
勘違いだったのかもしれない。彼女もまたこの異界に迷い込んだ人間なのか。であれば、残る疑問はその姿だ。
「ちょっと失礼なんですけど……その、おいくつですか?」
「なんじゃ藪から棒に」
「いや、その、見た目は子供なんですけど、とてもそうは思えないといいますか」
「ほほう、わかるか? そうか。わかってしまうか~。そうじゃろうな? 今は見た目こそ童じゃがな? 隠し切れぬ貫禄が溢れてしまうようじゃのう?」
「あ、やっぱりそうなんですね。てっきり子供かと……。で、俺は十八なんですけど」
「まあ、おぬしが思っている以上の年齢じゃよ。正確にはよくわからん」
子供ではないとわかれば十分だ。女性に年齢を聞くのは失礼だったな――と思い直す。とはいえ、さすがに年上ということはないだろう。
「しかし人間か。それもそうか。優子も迷い込んでしもうとる以上、似たようなものもおるか。だとするなら……どうやってここへ来た? あれについては童であることが条件じゃったはずだが……実はそうでもないのか?」
「え、芙蓉さん童なんですか」
「童ではない」
「ですよね」
「ならば、童であることは重要ではないのかもしれん」
「いや、俺は……」
言いかけ、気づく。
ここへは、いったいどうして迷い込んだのか。
その記憶が曖昧に、靄がかかったように思い出せない。
「いえ、その、よくわからなくて」
「そうか。まあ、そういうこともあろうな」
気立のいい女性だ。そう思った。おばけだと疑っていたのが申し訳なくなるほど、話しているとどこかホッとする、そんな人だった。
「芙蓉さん。ところで伊藤さんとは……どういう関係なんです? 友達?」
「主従じゃ」
「主従……?」
「わしが主で、あやつが従じゃ」
「は、はあ」
人間ではあるかもしれない。だからといって、まともとはかぎらない。「第一印象」は二転三転して大迷子だ。
「でも、わざわざこんなところまで、その……助けに来たんですよね? やっぱり、大切な人なんですか?」
よせばいいのに、深掘りしてしまう。
「大切……そうじゃな。わしにとって、あやつはなくてはならぬ人間じゃ」
「そ、そうなんですね」
心が痛む。そんな女性を、やつらに売り渡してしまったのだから。
(大丈夫だ。別に、すぐに取って食われるってわけじゃ――)
自責の念に足が重く、いつしか芙蓉の後ろを歩いていた。
(行くべきなのか? 俺も。あの先に。トンネルの向こうに)
震える。足が止まる。考えるだけで怖ろしい。
(ダメだ。行かないと。ここから出て、帰るにも……)
顔を上げる。そのせいで、見えてしまった。
「な、え?」
見間違いだと思った。見間違いであって欲しかった。
そんなものがあったのなら、もっと早く気づいているはずだったからだ。
「な、なん、ですか、それ……!」
「ん?」
見てはならないものだと感じた。だが、見てしまった。
影だ。巨大な影である。芙蓉の背後に、巨大な影が見えた。
最低限人の形をしているような、あるいは、人を取り繕うことをやめたような。
何本も。
「ひ、ひぃぁっ」
膝から、力が抜ける。呼吸の仕方が思い出せない。
「な、なんなんだよ! なんなんだよお前! なっ、なんっ、ぁ、うあああ!」
彼は狂乱し、なりふり構わずに逃げた。逃げ出した。
その様子を、芙蓉は呆然と見送っていた。
「うーむ。人間のふりをしておるつもりだったんじゃがのう。ふつうに振る舞っていても恐怖の威容が漏れ出してしまっておるのか。いかんのう、気をつけなければのう。わしが本気を出せば人間など泡吹いて倒れてしまうからのう。いかんいかん」
芙蓉は、トンネルへと向かった。
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