第39話 運命の星(8)

「王子のお傍に宿敵たる天族が将軍、四天王の二柱、東天王、迦陵と南天王、祗柳がいます」


「東天王、迦陵に南天王、祗柳? 一体だれのことだよ? 俺の傍って……」


 言いかけて静羅の顔色が変わった。


 ずっと嘘をついていると見抜いていたふたりのことを思い出して。


「心当たりがあったようですね。たぶんそのおふたりです。南天王には逢っていませんので、直接だれだとお教えすることはできませんが、東天王ならわかります。天野東夜と名乗っていた相手です」


「東夜が……神……それも阿修羅族の宿敵?」


 では静羅が本当に阿修羅の御子なら、東夜と静羅は敵なのだろうか。


 あの東夜と敵対する?


 本気で静羅を心配して叩いてくれる東夜と?


「東天王、迦陵は聖戦の折りも幾度も我らを苦しめたと聞いています。我々はだれも聖戦は経験していませんが、当時を知る者からは東の守神の恐ろしさをゆめゆめ忘れることなかれと説かれてきました」


「阿修羅王とも闘ったのか?」


「闘いました。王が倒せなかった唯一の相手です」


 志岐の言葉に紫瑠が何気なく言い添えた。


「今になって思えばこの結果がわかっていたから見逃した。とも取れるがな」


「紫瑠?」


「「紫瑠さま?」」


「義理の弟として彼からはとても大事にされているんだろう? さっきの様子を見れば、それくらいすぐに見抜ける。

 その彼の護る相手だからと、彼の大切にしている相手だからと、ついでのように護っていたことは予測可能だ。

 そうなることを知っていて見逃した。それが正解じゃないだろうか」


「確かに阿修羅王が東天王を倒せないなんて変だ。東天王の力は確かに侮れないが、だからといって阿修羅王を凌いでいるとも思えない」


「ラーヤ・ラーシャ」


 静羅の複雑な声にラーシャは肩を竦めてみせる。


「静羅には辛いことだと思う。それって義理の兄とも敵対する運命にあるかもしれないと言われているようなものだからな」


「和哉と敵対する? 冗談じゃねえっ!!」


「だが、それが避けられない運命ならどうする? 天族要の二柱たる東天王と南天王が、おまえの兄に従っていることは確かだ。そこから導き出せるのは……」


 言いかけてラーシャが黙り込んだ。


「まさか」


「夜叉の君。どうかしたのか?」


「俺は密命を帯びていたんだ。今となっては天界に問い質す必要があるが、俺は天を探せと言われて降臨した面もあるんだ」


「天を?」


 ふたりの会話が呑み込めなくて、静羅が近くにいた志岐に訊ねた。


「天ってだれだ? それとも天界のことか?」


「天帝、帝釈天の現在の通称です。昔は帝とか天帝とか呼ばれていましたが、現在は実在しないので大方、天で通っています」


「……帝釈天?」


 それは静羅の父かもしれない人を殺した相手だ。


 阿修羅の御子にとっては仇だ。


「天は転生している。しかもこの地上にいるらしい」


「本当か?」


 驚いた顔になる紫瑠にラーシャが頷いた。


「確かだ。これは星見の長老から聞いた託宣だから。それにナーガからも聞いたし」


「ナーガというのは……」


「ああ。済まない。竜帝陛下のことだ。俺はいつも幼名のナーガ・ラージャからナーガと呼んでいるから」


「なるほど……竜帝から言われたことなら確かだな。彼は天の要だ」


 片腕を支えに顎に手を当てる紫瑠を静羅が見ている。


 なにか言いたそうに。


 でも、言うのを恐れているように。


「夜叉王討伐と平行して天も探すように。そう言われていたんだ。天界は天を天帝として迎え入れるつもりのようだ。阿修羅の御子がいない今、転生した天に賭けるしかないということだろう」


「それはあり得ない」


「「紫瑠?」」


「何故なら天の覇権は既に動いているからだ」


「なんの話だ? 俺はそんな話聞いたこともない」


「それは当然だろう。あ……阿修羅の御子がいない今、これを公にすれば天族と戦になる。ようやく平定を保っている世が荒れる。だから、黙っているしかなかった。聖戦の真相を」


「どういう意味だ?」


 怪訝そうなラーシャに向かって紫瑠は説明しているが、その説明は静羅に向けられたものでもあった。


 これは彼が天界に戻ってからしたいと言っていたあの聖戦の真相なのだから。


「阿修羅の御子が生まれたとき星が流れた」


「……え?」


「阿修羅の御子、アーディティアは天空の星を宿星として生まれたんだ」


「天帝の証のっ!?」


「天帝!?」


 びっくり仰天するラーシャに静羅もびっくり仰天した。


 まさか阿修羅の御子が次期天帝だったとは。


 それは確かに簡単には言えないだろうと静羅は納得してしまった。


 紫瑠が安全圏に戻ってから話したいと言っていたのも頷ける。


「天はそれを認めなかった。自らから天帝の座を奪う阿修羅の王子を暗殺するために、阿修羅族に身柄の引き渡しを要求したんだ。当然拒否する。最強と謳われた阿修羅王が健在なんだ。そんな無体な要求を呑むはずもない」


「だろうな。俺でもそうする。それが闘神だ」


「結果として聖戦は起こった。夜叉の君。伝承を習っていて気付かなかったか?」


「なにに?」


「天軍には天帝軍と天族しかいなくて、すべての一族は鬼神軍に加わっていた事実に」


「……あ」


 言われてみればそうだ。


 どの伝承もその事実は伝えていたのだ。


 それに気付かれないように教えているだけで。


 おそらく天族との無用な諍いを避けるために。


「天族は天界最大の一族だ。それが一丸となっただけでもかなりの戦力だ。その上に当時の天はまだ天帝の座にあり、軍を動かすことができた。だから、天が二分したんだ」


「その通りだ。気付かなかった俺がどうかしていたよ。確かにその事実はどの伝承も伝えていたんだ。どうして気付かなかったんだ?」


「それは阿修羅の御子の不在が関係している」


「え?」


 言ってラーシャの視線が静羅に向いた。


 見られても静羅にはなにも言えないのだが。


「正式なる天帝が行方不明なんだ。当然譲位もされていない。次期天帝だというだけだ。その状態で事実を明らかにすれば天族が黙っていない。そのためこの事実は秘された。それだけのことなんだ、夜叉の君」


「そうだったのか」


「阿修羅の御子は生存している。今更天を呼び戻してどうするんだ? 再び天界が荒れるだけだ」


「それは天の長老たちに訊いてみないとわからない。阿修羅の御子の生存に気付いていないのかもしれないし。その証拠にナーガも気付いていなかったからな。そんな事情があったのなら、気付いていたら天を探せなんて言うわけがない」


「どうして?」


 静羅が不思議そうに問いかけて、ラーシャは苦笑した。


「まだ知らないか。竜帝陛下は阿修羅の御子の母方の伯父に当たる人物だ」


「……伯父」


「阿修羅王の妃となった姫君が竜帝の妹姫だったんだ。現在では唯一の御子の血縁だ」


「唯一? だって紫瑠が」


「え?」


 静羅が不思議そうに言い、ラーシャも意外そうに紫瑠を見た。


 こんな場面で名前が出てくるとは思わなくて。


 身分を隠そうとわざと「兄者」と呼ばずに「阿修羅の御子」と呼んでいた紫瑠は、あっけらかんと教えた静羅に頭を抱えてしまった。


「兄者……どうして俺が兄者と呼ばずに阿修羅の御子と呼んでいたか、察することもできなかったのか?」


「兄!? ええっ!?」


 慌てたようにふたりを見比べるラーシャに静羅は困惑顔。


 紫瑠は呆れ顔である。


「外見……逆転してる」


「言うなよ、それを。俺も気にしてるんだから。普通あり得ねえだろ」


 ムスッとした静羅に文句を言いたいのは、こちらの方だとばかりにラーシャがため息をつく。


「しかしナーガの妹姫は御子を産んですぐに亡くなったはずだが?」


「え?」


 びっくり仰天する静羅にラーシャはできるだけ優しく事実を伝えた。


「出産の影響だと聞いている。元々身体の弱い姫君で出産のは無理だと言われていたらしい。それでも阿修羅王の御子を産みたいと望み、生命と引き換えに産み落としたと」


「そんな」


 父かもしれない人は御子を護るために戦死し、母かもしれない人は御子を産むために亡くなった。


 御子はどこまでも戦乱を招く。


 それが静羅?


 静羅の存在する意味?


 そんな現実はあんまりだっ!!


 心で叫んでも苦い現実は消えなかった。


「紫瑠王子。あなたは一体?」


「俺の母は兄者の母上が亡くなってから、かなり経ってから迎えられた第二妃だ」


「阿修羅王にはお妃がふたりいらしたのか」


「従って俺と兄者は母親が違う」


「そういうことか。そこまでは知らなかったな」


 納得するラーシャに紫瑠は話を元に戻した。


「それでどうして天の話題を出したんだ?」


「気付かないか? 東天王と南天王が天界を離れてまで守護する相手。俺にはただひとりしか思い浮かばない」


「あ」


「天帝」


「帝釈天」


 3人が交互に言って静羅は極限まで瞳を見開いた。


 和哉が帝釈天?


 そんなバカな。


「だとしたらこの環境にいるのは危険だな。いつ彼が覚醒して静羅を阿修羅の御子の生命を狙うかわからない」


「和哉はそんなことしねえよっ!!』


「和哉じゃない。そのときの彼は帝釈天だ。阿修羅の御子の生命を狙う相手だ」


 言い切られて静羅は息を呑んだ。


 和哉はそんなことはしない。


 それは自信を持って言い切れる。


 でも、そのときの和哉の意識が帝釈天なら?


 次期天帝の阿修羅の御子を放置するだろうか。


 聖戦を引き起こしてまで帝位を望んでいた帝釈天が。


「俺は……」


 力なくその場に座り込んでしまう静羅に4人とも気の毒そうな顔をしている。


 気持ちはわかっても譲れないのだと言いたげに紫瑠が口を開いた。


「兄者の辛い気持ちはわかるけど、なるべく早くここから離れよう」


「俺はっ!!』


「見たいのか? 彼が変わってしまうところを。兄者の生命を狙うところを」


「そんなの見たくねえよっ!! なんで……」


 泣いたことなんて一度もないのに泣いてしまいそうだった。


 和哉が帝釈天で静羅が阿修羅の御子。


 生まれながらの宿敵同士。


 そんな現実がふたりも知らない間に用意されていたなんて。


 踞りそうになったが、なんとか無理に立ち上がった。


 それから紫瑠の方を見る。


「後少し後少しだけ待ってくれないか、紫瑠」


「兄者?」


「和哉が帝釈天かどうか、それだけは確認したい」


「そんな真似をしたら危険だぞ、静羅」


「それでもやりたい。このままなにもわからないまま流れに流されて、和哉と敵対することになったという事態だけは避けたいんだ。敵対するにしてもしないにしても、自分の目で真実を確かめたい」


「王子。それは本当に必要なことでしょうか?」


「柘那?」


「帝釈天であることはほぼ確実。それを確かめることは王子のお心を傷付けるだけです。そこまでして確かめたいのですか? 結果的に彼がその場で覚醒してお生命を狙ったら? そのとき王子は傷付かないのですか」


「……それは」


「彼がこのまま帝釈天として覚醒しない可能性も残っています」


 志岐が突然そう言って静羅が彼を見た。


「東天王と南天王がやってきてかなり経つのでしょう?」


「ああ。2年以上になるな。そろそろ3年近いかもしれない」


「それだけ掛かっても彼は覚醒していません」


「……あ」


「帝釈天が人として生まれた以上、覚醒は簡単なことではありません。覚醒しない可能性もあるのです。だからこそ、いつどんな異変が起きてもいいように、東天王と南天王が傍にいるのでしょう。だったら王子が直接、帝釈天かどうか確認することは、彼の覚醒を早めてしまう可能性もございます」


「確かに」


 和哉が帝釈天だとしよう。


 しかし今のところ覚醒の兆候はない。

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