12:空賊娘が欲しいもの

 ──千載一遇、とはまさにこのことだろう。


 史上最悪の空賊「船堕としのカラミティ」の一人娘が突然、世界統一王国に亡命の申し入れをしたのが数日前。


 対応に当たった地方の小船では手に余ると、王国軍の旗艦ニルヴァーナにより、その身柄は王都エスペランサに移送……いや、護送されることとなった。


 軍学校を卒業したばかりの小娘で、一兵卒である私が、ニルヴァーナに乗艦できただけでも望外の幸運なのに、くだんの一人娘……ジェシカ・カラミティの世話役として抜擢されたのは、運命としか言いようがなかった。


 家族の、世界の仇を討てと、神様が囁いているかのようである。


 ──十年前。


 カラミティの手によって、この空から船が一つ消えた。


 数万人が暮らす小さな船だったけれど、そこに暮らす人々……私にとっては、世界そのものが失われてしまったも同然だった。


 人が大地を離れ、空で生きるようになって五十年余り。


 翼のない人にとって、安寧の止まり木である船を脅かす空賊は天敵中の天敵であり、船を堕とすことは最大級の犯罪であった。


 この十年、私は記録に残る唯一の生存者として生きてきた……いや、生かされていた、と言った方が正しいだろう。


 私の周囲の人々は、私以上に私を復讐へと駆り立てた。


 それが、ただ一人生き残った私の責務であるかのように。


 今度の亡命にしたってそうだ。


 誰も何も、私に伝えることはないけれど、それはお膳立てとなって、ジャケットの内側に忍ばせた拳銃で何をなすべきかを、導くかのようであった。


 ──葛藤もある。


 私の仇はカラミティであり、ジェシカはその一人娘でしかない。


 ジェシカを殺しても、仇を討ったとは言えない。


 それでも、私は決心した。


 唯一の生き残りではない、私が私として生きていくために。


※※※


 ティーセットを載せたトレイを片手に、私は木造の扉をノックした。


「失礼します。お茶をお持ちしました」


 返事はなかった。もう一度ノックし、「失礼します」と再度断り、扉を開ける。

 

 ニルヴァーナは美しい船だ。


 ただ、それは軍艦としての美しさ、機能美なのだけれど、彼女の部屋はまるで、豪華を絢爛で着飾った淑女のようであった。


 それは彼女のために用意されたものではなく、王族のための部屋だったが、見事な装飾の椅子にゆったりと腰かけ、主のような風格を漂わせている少女こそ、「船堕としのカラミティ」の一人娘、ジェシカ・カラミティその人であった。

 

 豊かな金髪が、深紅のドレスに映えている。


 その手には、革のカバーで覆われた本……一体、何を読んでいるのだろうか。


 その表情は退屈そうな、それでいて、愁いのある微笑を浮かべているようでもあり、ただ掛値なく、人形のように美しいことだけは確かだった。


 随分と離れているのに圧倒されるのは、彼女の力のなせる業なのだろうか。


 私がこれからなそうとすることに対する恐れ、不安、躊躇いの表れなのだろうか。


「いつまでそのまま突っ立っているつもり?」


 凛とした声。


 それが私に向けらているものだと気づくまで、しばらく時間がかかった。


「……失礼しました。今、そちらに」

「ご苦労様。丁度、喉が渇いていたの。淹れて頂ける?」

「はい、喜んで」


 ……何が喜んでだと、自身に舌打ちしそうになるのを堪える。


 いくら世話役だといっても、彼女は私の主人ではない。


 必要以上にへりくだる必要もないのに……年齢は私と同じはずだが、この違いは一体どこから……やはり、見た目なのだろうか。


 私は癖毛に触れたくなるのを堪えつつ、強張った足を動かし、一歩、一歩、彼女に近づき、その正面に立った。


 この距離なら外さない。


 全てを終わらせるのは、今しかない。

 

 事をなした後、私は犯罪者として裁かれるのだろうか。


 よくやったと喝采され、英雄にでもなれるのだろうか。


 ……そんなこと、私の知ったことか。


 お望み通り、仇でもなんでも、討ってやろうじゃないか。


 この息苦しさから逃れることができるなら、私は。


 だが、そんな思いとは裏腹に、私はポットを傾け紅茶を注ぎ、ソーサーに載せたティーカップを彼女の前に差し出していた。


 彼女は白い手を伸ばし、ティーカップの取っ手を摘まんで持ち上げる。

 

 赤い唇をティーカップの淵につけて、こくりと一口。


 ふぅと一息。


 ティーカップがソーサーに戻されるまで、私は彼女から目を離せなかった。

 

 見れば見るほど、手配書のカラミティと瓜二つだった。


 彼女もあと十年もすれば、船を堕とすような空賊になってしまうのだろうか。


「どうしたの? 仕込んだ毒が効かなくて、驚いているとか?」

「そんな、毒なんて……」


 その手もあったし、その手が使われていてもおかしくなかったのだと、私は今更ながら、自分が置かれている状況の危うさ、異常さに戦慄する。


 きっと、言い逃れはできなかっただろう。

 

 私には、動機と理由しか用意されていないのだから。


「冗談よ。だけど、ね」


 彼女はおもむろに立ち上がると、私に右手を伸ばした。私は身構え──


「動かないで」


 彼女の白い手はまっすぐ私のジャケットの内側へと滑り込み、再び現れた時には拳銃が握られていた。


 あっさりと、あっけなく。


 彼女は手にした拳銃をくるりと回し、私の右手にグリップを握らせると、その銃口を自身の左胸に押し当てて見せた。


「撃ちなさい。アリス・バロット」


 彼女に名前を呼ばれた瞬間、全ては彼女のお膳立てだったのだと悟った。 


 彼女は全てを承知の上で私を選び、私に撃てと迫っているのだ。


「……どうして?」


「仇を討ちたいんでしょう?」


 それを、当の仇から……いや、その娘から言われるとは思わなかった。


 私が引き金を引いたら、どうなるだろう。


 もちろん、彼女は死ぬだろう。


 美しい、その微笑を浮かべたままの姿で。


 それを見届けるためだけでも、引き金を引く価値があるように思えた。

 

 私は全力で腕を引き戻し、拳銃をジャケットの内側にしまった。


 心臓が早鐘のように激しく鳴り、心音で耳が痛いほどである。


 胸を軽く叩き、深呼吸を一つ。


 吹き出す汗をそのままに、私は彼女に尋ねた。


「……あなた、何が、目的なの?」


「欲しいものは必ず手に入れる。それが、空賊というものよ」


 彼女はにっこりと微笑む。

 

 私は金魚のように口をぱくぱくさせていたが、一言だけ、絞り出した。


「ずるい!」


 私はくるりと方向転換。

 

 後先のことなど考えず、走り出した。


 扉を開けるのももどかしく、退室の挨拶も何のその、とにかく、一刻も早く、この場所から、彼女から離れるしかない、その一心で走り続けた。


 あの笑顔の前では、復讐も、息苦しさも、何もかも、無力だった。


 それどころか、私は、私は、私は!


※※※


 ジェシカは開け放たれた扉が独りでに閉まるのを見届けると、テーブルの脇に置かれた本を取り上げ、パラパラとページをめくった。


「……うまくいかないものね」


 その本……『友達の作り方』には多くのアドバイスが書かれており、「相手の望みを叶えてあげましょう!」という一文は、何重もの赤丸で囲まれていた。

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