8:メイドのミヤゲ

如月きさらぎ冬真とうまっ! 勝負だっ!」


 放課後の校庭に、美浜つくもの声が響き渡る。腕を組み、堂々たる立ち姿。「地球征服部」の部長に相応しいポーズだが、高校二年生になっても小学生と間違えられる背の低さと、隣に同じポーズで立つ二メートル超えの鉄人の存在もあって、完全に霞んでしまっていた。


「今日こそ、私の鉄人九十九号が──」

「ごめん、つくもちゃん! 今日は用事があるから! また明日ね!」


 冬真は両手を合わせつつ、駆け足でつくもと鉄人の前を素通りしていく。つくもは遠ざかる背中をギロリと睨んだ。……あんなひょろっとした、日陰の原木に生えてそうな男に、私の鉄人が負けたなんて、未だに信じられん。きっと、とんでもない不正があったに違いない。明日こそ、それを証明してやるぞ、如月冬真ぁっ!


 ポコンと、つくもの頭に黄色いメガホンが落ちる。つくもが頭を押さえて顔を見上げると、体育教諭の安藤が、困り顔で立っていた。


「コラ、美浜。学校に余計なものを持ってきちゃダメだろう?」

「で、でも、私、あ、許可も、ちゃんと……うう……」

「ああ、泣くな泣くな。お前はもう、高校生なんだから」

「だって、先生、顔が怖い……」

「悪かったな。ほら、ジュースを奢ってやるから」

「わ~い!」


 けろっと泣き止み、バンザイするつくも。「現金な奴め」と、首を振る安藤。そんな二人を、鉄人九十九号は、その赤いモノアイでじっと見詰めるのだった。


※※※


 ピンポーン。冬真は漫画本を放り出し、部屋から玄関へと走る。


「ミヤゲさん、お帰りなさい!」


 冬真が扉を開けると、黒地に白のメイド服を着た女性、ミヤゲが頭を下げる。


「ただいま帰りました」

「ミヤゲさん、今回の帰省はどうだった?」

「その前に……」


 ミヤゲは黒い瞳を細める。冬真の肩越しに見えるリビングの惨状は、離れていても明らかだった。脱ぎ散らかされた衣服。食い散らかされたお菓子の袋。投げ散らかされた漫画本。玄関からは死角となっているキッチンの惨状も、予言者ならずも見通せるであろう。


「お掃除が先決ですね」

「今回は頑張ろうと思ったんだけど……」

「冬真様はお掃除とは縁遠いお方ですので、手出し無用でございます」

「面目ない」

「いえ。そのために、私がいるのですから」

「ミヤゲさん……」

「では、お掃除の邪魔になりますので」


 ミヤゲは冬真の脇の下に手を入れ持ち上げると、ポイという感じで外へ放り出す。続いて靴がポイポイと投げられ、冬真は両手でキャッチ。扉が閉まると、冬真は靴を履き、エレベーターホールに足を向けるのだった。


※※※


「冬真、何やってんの?」


 冬真がマンションの回りを散歩をしていると、シャツにジーンズというラフな恰好の少女が声をかけてきた。冬真は軽く手を上げて応じる。


「なんだ、僕の幼なじみの高校二年生、クラスメートの天野夏美じゃないか」

「露骨な説明はやめい」

「本当のことじゃないか」

「だけどもさ……まぁ、いいか。で、何? 人生にでも迷った?」

「ミヤゲさんが帰ってきてさ」

「あの無愛想なメイド、まだ辞めてなかったの?」

「酷いこと言うなよ。ミヤゲさんはね、僕の母親のような──」

「あんたの母さん、めっちゃ存命じゃん」

「たとえだよ。最近はメールばっかりだから、AI化している可能性はあるけど」

「時代の最先端じゃん」

「で、夏美は何してるんだ?」

「幼なじみが不審人物として通報されないよう、構ってあげてるとこ」

「それは、ありがとう」

「どういたしまして。じゃあね。私はこれからショッピングなのだ」

 

 遠ざかる夏美の背中に、冬真は声をかける。


「なぁ、夏美もミヤゲさんの話を聞かないか?」

「私はパ~ス」


 冬真は肩をすくめると、そろそろ掃除が終わったかなと、自宅に足を向ける。


※※※

 

「さすがはミヤゲさん!」


 家の扉を開けるなり、冬真は感心した。まず、流れる空気が違う。そして、リビングは隅々まで綺麗さっぱり、フローリングは鏡のように磨き上げられ、冬真が舞うように腰掛けたソファーから眺めるキッチンも、あるべき物があるべき場所に並べられているのだった。


「冬真様、おかえりなさいませ」

「じゃあ、早速!」

「かしこまりました」


 ミヤゲは銀のお盆にティーセットを載せてキッチンを出ると、リビングのテーブルに並べていく。冬真は紅茶が注がれたティーカップを持ち上げ一口。


「やっぱり、ミヤゲさんの紅茶は最高だな! 僕が淹れると黒くなっちゃって……」

「冬真様、それは恐らくコーヒーでございます」

「それより、早くお話してよ!」


 ミヤゲは冬真の向かいのソファーにちょこんと腰掛け、背筋を伸ばした。


「……今回の帰省の目的は、魔王退治でございました」

「あれ、前も魔王退治じゃなかった?」

「はい。人の世にも多くの王がいるように、魔族の世にも多くの王がいるのです」

「魔族の国って、まだ存在しているの?」

「公式には、戦後に全て解体されました。なので、肩書きとなります」

「でも退治ってことは、今も悪さをしてるってことでしょ?」

「そう言われてはいますし、事実、そういう魔王も少なくありません」

「……何だか、例外がありそうな口ぶりだね」


 ミヤゲは冬真を見返す。冬真はティーポットを取り上げ、空のティーカップに注ぐ。表面張力がギリギリの紅茶を、ミヤゲは「ありがとうございます」と零すことなく口に運び、静かにすする。ミヤゲはティーカップをソーサーに戻し、口元をナプキンで拭った。


「魔王退治は、ミヤゲさん一人で?」

「はい」

「ミヤゲさんは強いんだなぁ」

「いえ、それほどでも」

「魔王退治ってぐらいだから、やっぱり、依頼主は王様?」

「はい。ギルドを通じて打診がありまして」

「実際に王様と謁見したりはしない感じ?」

「手続き上、謁見は必須という訳ではないのですが、望まれることは多いですね」

「じゃあ、今回も?」

「はい」

「なら、パーティとか、舞踏会とか、ご馳走とかも?」

「はい。ただ、私は仰々しい場は苦手なので、早々に辞退させて頂きましたが」

「もったいない」

「私は目立ちたくないのです」

「じゃあ、英雄って呼ばれるのも、嫌?」

「好きではありませんが、力ある者の責務であるとも考えております」

「仕方がないってこと?」

「平和な世界に英雄は必要ありません。忘れられること、それが私の願いです」

「それも寂しい気がするけど。きっと、ミヤゲさんに感謝している人は大勢いると思うよ? そういう人達は、ミヤゲさんを忘れないし、忘れたくもないと思う」


 ミヤゲはティーカップを取り上げ、口に運ぶ。冬真はミヤゲのティーカップに紅茶を注ごうとするが、「結構です」と断られ、ミヤゲの手で自身のティーカップに新たな紅茶を注がれるのだった。冬真はティーカップに口を付け、ソーサーに戻すと、先を続ける。


「魔王って、お城に住んでるの? ……あ、でも、もう国はないんだっけ」

「今も城住まいの魔王は多いですよ。国は解体され、魔族の大半は地底への移住を強制されましたが、その跡地はほとんど手つかずのままなのです」

「そうなんだ」

「人が生きて行くには厳しい環境である場所が大半ですから」

「なら、わざわざ国を解体なんかしなくても良い気がするけど」

「……そうですね」

「じゃあ、他に誰もいないお城で暮らしてるんだ。それも寂しいね」

「中には人をさらって奴隷にしている魔王もおりますが」

「前言撤回。ミヤゲさんが討伐を依頼されたのも、そういうダメな魔王?」

「いえ。私が討伐依頼を受けた魔王は、装飾品の店に勤務しておりました」

「……魔王が?」

「はい」

「そういうことって、あるの?」

「人にとって有用だと認められた魔族は、地上に留まることを許されております」

「なるほど。魔王の再就職か」

「ただ、魔王は例外です」

「例外ってことは……」

「はい。身分を詐称して勤務していました。それが人の同僚の告発で判明し、私に討伐の依頼がきたわけです」

「……念のため確認するけど、その魔王って、何か悪さしているの?」

「いいえ」

「じゃあ、魔王ってだけで?」

「はい」

「おかしいよ! そりゃ、魔王っていうぐらいだから、戦争中はとんでもない悪さをしてきたんだろうけどさ」

「そうでもありません」

「へ?」

「魔王は世襲制ですし、戦後に生まれた子供は、悪さのしようもありません」

「世襲って、お断りはできないの?」

「手続きをすれば可能です」

「じゃあ、なんで……魔王って、何かメリットがあるの?」

「恐らく、家業を継ぎたかったのだろうと思います」

「家業」

「親の仕事を子が引き継ぎたいと願うのは、おかしなことではないと思います」

「……そうだね。魔王だって、色々いるだろうし」


 冬真は頷きながら、話を打ち切るべきだろうかと考える。だが、話して欲しいとねだったのは自分だ。最後まで、ミヤゲさんの話を聞くのが筋だろう。だから──


「退治、したの?」

「はい」

「強かった?」

「いえ。人とのハーフで、魔力も乏しい少女でしたから」

「……そっか」

「ありがとうございます」


 ミヤゲは深々と頭を下げる。


「いつも話を聞いて頂きまして」

「もう、お礼なんていいよ! 僕が話を聞きたかったんだから!」


 ミヤゲは立ち上がり、じっと冬真を見下ろした。


「冬真様、お土産がございます」


※※※


「……で、それがお土産ってわけ?」


 翌日の登校中、夏美は冬真が手にしたものをまじまじと眺めた。鞘に収まった剣。


「ガラスの剣。魔王退治用に王様から貰ったんだけど、使うまでもなかったんだってさ。どんなものでも、一回だけ切り裂くことができるらしいよ」

「そんな物騒なもん、学校に持ってこないでよ。アンドーナツに没収されるわよ?」

「大丈夫だって。ほら、遠目で観れば傘っぽくない?」

「思いっきり、晴れてるんだけど」

「日傘男子って奴だよ。夏美も来ればよかったのに」

「胡散臭いメイドの話なんて聞いて、何が楽しいのよ」

「楽しいよ。切なくもあるけれど、ファンタジーみたいでさ。色々と脚色されてるとは思うけど、ミヤゲさんの故郷って、どこにあるんだろ? 海外なのかな?」

「冬真、それマジで言ってるでしょ?」

「え?」

「……そんなことより、何か気づかないの?」

「何かって、何?」

「だから、私のさ、顔というか、髪というか」

「髪?」


 冬真は夏美の黒髪を見詰める。いつも通り、ショートカットだ。髪留めも──


「如月冬真っ! 勝負だっ!」


 下駄箱までもう少しということろで呼び止められ、冬真は振り返った。腕組みしているつくもと鉄人の姿に、冬真はポンと手を打ち鳴らす。


「つくもちゃん、昨日はごめんね!」

「ジュースに免じて許してやろうっ! だが、今日は逃さんぞ!」

「じゃあ、放課後に」

「待てるかっ! 行けっ! 鉄人九十九号!」


 鉄人が「グォオォオォン!」と雄叫びを上げ、冬真に向かって走り出す。冬真はガラスの剣を抜き放ち、鉄人に向かって振り下ろす。鉄人がスパッと真っ二つに両断され、冬真の手からガラスの剣が光となって消え失せる。


「鉄人九十九号ーっ!」

「ああ、せっかくのお土産が……」

「いいじゃん、役に立ったんだし」

「……わ~んっ! き、きさらぎ、とうまぁ ! お、おぼえてろぉ~!」


 泣きながら、走り去っていくつくも。これから授業なのに……冬真は真っ二つになった鉄人に手を合わせる。ごめん、後でつくもちゃんに直して貰ってね。南無南無。


「冬真、遅刻するわよ」

「あ、ちょっと待っ……」


 キラリと、夏美の髪留めが光った。違和感。


「夏美、その髪留め」

「やーっと気づいたか、この鈍感男め!」

「だって、それいつものとほとんど形は一緒じゃん」

「何よ、このきめ細やかな装飾が目に入らぬか! ほれ! ほれ!」

「頭を押しつけてこないで……ああでも、確かに凄いね、コレ」

「でしょ? 新しいアクセサリー屋さんがオープンしたって聞いたからさ」

「ああ、昨日はそこに行ってたのか」

「そ。『魔王』とかいう焼酎みたいな名前の店だから、どんなヤバいアクセがあるかと思ったら、すっごい可愛い感じでさ! 価格も安いし、お店の人が外人さんで、日本語もまだカタコトなんだけど、これまた可愛くて……」


 魔王。ただの偶然かもしれないけれど、そうだったらいいなと、冬真は思った。


「……冬真、どうしたの? にやにやしちゃって、気持ち悪い」

「いや、よく似合ってるなって思ってね」

「キャーッ!」


 夏美の平手打ちが冬真の頬を強かに打ち据えた。パンッと、乾いた音が響く。


「急にそう言うことを言うんじゃない! この馬鹿!」


 顔を真っ赤にして走り去っていく夏美。一体何を怒っているのだろうと、冬真は頬を摩るのだった。

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