壊れたオルゴール

月見 夕

夢幻の調べ

 ああ、いけない。また眠ってしまったようだ。

 緋色の炎が薪を舐めるように包み込み、緩やかに灰に変えていく。随分小さくなってしまったそれに新たな薪をくべようとして、はたと気が付いた。

 膝の上で眠る我が主。彼のせいで立ち上がれない。まったくもう、しょうがない人ですね。

 ここが居心地がいいのだと、使用人の私を暖炉の前に座らせ膝枕をせがんだ、この館の主。その長い睫毛が目元に影を落としていて、何度見ても私はドキリとしてしまう。

 ああ、何度見ても美しい。

 高鳴る胸を抑え、腕の中で眠る主人に目を落とす。永遠にも思える瞬間を目に焼き付けようと、その端正な横顔を眺めた。

 暖炉の点るこの部屋で貴方と二人、ずっとこうしていられたらいいのに。そんな淡い願いも、神様は叶えてくれやしない。


 ぴん、ぴん、ぽとり。

 意識の外に追いやっていた音が、私を現実に引き戻した。金属片に弾かれた櫛は、何度も同じ旋律を繰り返す。

 何度も、何度でも、同じところで音を詰まらせる。どうやら、壊れてしまったようだ。

 そばで転がる、舶来製のオルゴールに手を伸ばす。主がこれを私にと渡してくれた時、どんなに嬉しかったか。

 知らない国の旋律で愛を歌う無限の機械に貴方の姿を重ね、何度そのぜんまいを巻いたことだろう。


 ぴん、ぴん、ぽとり。

 音は同じ場所で落ちていく。

 掌の中で鳴る金色の円筒に視線を落とす。

 私にはいつもベッドで囁くその声が、肌に触れるその時があればそれで良かったのに。なのに何故、多くを望んでしまったのだろう。

 世界でただひとり、私だけを愛して欲しいなどと。

 ただ私は、貴方の寵愛を受ける最後のひとりでありたかった。

 それだけなのに。


 ねえどうして、貴方は変わってしまったの。新しい使用人に現を抜かしていたのを、私がどんな気持ちで見ていたのか貴方は知らない。

 膝の上で動かなくなった主人に再び目を遣り、その割れた頭をそっと撫でる。長い睫毛はもう二度と瞬かない。

 こうしていれば、夜伽の後に眠っているのと何も変わらないのに。こうしていれば、私達はオルゴールの音色に包まれて永遠になれるのに。


 ぴん、ぴん、ぽとり。

 血脂に濡れたオルゴールは、いつも同じ場所で音を詰まらせる。私は溜息を吐いた。

 もうどうやっても、元の音色には戻らない。

 オルゴールを床に転がした。


 もう戻れない時を噛み締めるように、私は腕の中の主人を抱いて眠りについた。


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壊れたオルゴール 月見 夕 @tsukimi0518

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