第四章『再会』

第24話 モリザワ・レイジ

 には休みなんてない。

 仕事がやけに忙しく、毎日苦労する。とはいえ、ブラック企業で働いているわけではない。

 ただ、彼女ーー中野なかの美於みおとの将来を想像し、再び会える日まで金を稼ごうとしている。なぜなら、俺は彼女と付き合いたいから。仕事中でもそういう白昼夢をよく見る。しかも毎回、夢の内容はほとんど同じだ。

 ようするに、偶然に彼女の姿を見かけた瞬間、賑やかな街が突然空いて二人きりになるという夢……。

 しかも、夢で見た街は秋葉原にあるに違いない。そこに行きたくなって、俺は列車に乗り込んだ。だが、途中で仕事から電話が来て、会社に戻らなければならなかった。

 まるで運命が俺たちを引き離そうとしているかのようにーー

 しかし、彼女が秋葉原にいるということを確信している。だから、俺はどうしても会いに行く。

 ……クビになっても。


♡  ♥  ♡  ♥  ♡


「す、すみません」


 そう言ったのは見知らぬ女性だった。

 この会社の象徴の付いたネックストラップが彼女の襟元からぶら下がっている。名前は『谷川たにがわさくら』らしい。

 茶色の長い髪が背中にかかる。視線を落とすと、OLならではの黒いタイツが目に入った。


「今日、入社したばかりなんですが……」


 言って、さくらは戸惑った表情を浮かべた。


 ーーそういうことか。新人が来るのは珍しい。いや、


「つまり、案内とか説明が欲しいだろうね」


 俺がそう言うと、彼女は口をぽかんと開ける。


「じ、自己紹介を言い忘れた! 私ーー」

「必要ないだろう。名前はIDカードに載ってるんだ」


 と、俺は彼女の自己紹介を遮って言った。

 彼女はネックストラップに視線を落として、苦笑した。


「そ、そうですね。では、よろしくお願いします」


 さくらは頭を下げて、そう言った。


「よろしく」


 新人が来るのは新鮮だけど、俺の問題児になりかねない。そもそもなんで俺が彼女の世話をすることになったのか? 仕事をするだけで切羽詰っているし。

 しょうがないと自分に言い聞かせ、俺はオフィスチェアから立ち上がった。


 ーー案内する、か。メイドからの案内が恋しいなぁ。


 歩きながら、珈琲コーヒーの香りがした。

 おそらく、仕事もせず珈琲を淹れることしかしない奴らの仕業だろう。そんな奴がまだクビになっていないのは本当に奇跡だ。彼らを見るたび、俺は仕事を辞めたくなる。


、ここは珈琲コーヒーを淹れる場所だ。この奴らは反面教師をしているよ。いつもここでうろついて仕事をサボっているんだ」

「そうですか……。私、仕事に頑張りますから」


 そして、俺たちは次の場所に向かった。エレベーターの前に立ち止まって、しばらく待っていた。


「もう知っているだろうけど、IDカードを持っていなければエレベーターが使えないんだ。忘れないようにしておけよ」


 さくらは俺の助言に軽く頷く。

 そして、エレベーターのドアが開いた。一緒に入ってから、俺はボタンを押した。 

 エレベーターの中が狭く、さくらは少しまいしそうになった。

 やはり階段のほうがマシだったかもしれない。


「おい、大丈夫か?」

「あの、エレベーターが苦手なんですが」

「そんな事は言ったほうがいいじゃないか。じゃこれからは階段を使えばいい」


 言って、俺はおおに長い溜息を吐いた。

 たった三十分で、この新人はもう問題を起こしている。やはり俺の問題児になるんだろう。

 エレベーターが低い音を立てて、下り始めた。

 さくら身体からだを隅に預かって、深呼吸をする。


 ーーまったく、この子は……。


 次々に色々な場所を訪れたあと、俺たちは事務所に戻ってきた。


「案内してくれてありがとうございました」


 と、さくらは席について言った。

 俺は心地いいオフィスチェアに座り、疲れの吐息を吐いた。

 彼女と友達になったら、仕事が少しでも楽しくなる気がする。俺の隣に座っているし、雑談くらいはできるだろう。


「なあ、谷川たにがわさん。なんでこの会社に入ったか?」


 彼女は答えを必死に探しているようだった。


「実は、事務所で働くのは初めてです。高校生のころ、私はコンビニでバイトしてました。えーと、もう一つの理由があるんだけど、ちょっと恥ずかしくて……」


 言葉を慎重に選んでいるのか、さくらは突如黙り込んだ。

 少し間を置いて、彼女は再び口を開いてこう言った。


「一週間、メイド喫茶で働いたんですが……」


 言いながら、彼女の頬が赤くなった。


「すみません、自分語りばかりしましたね……」

「いや、全然大丈夫だよ。俺はメイド喫茶が好きなんだ」


 俺が言うと、さくらは俺のネックストラップに目をやった。


「モリザワさん、ですか?」

「そうだよ」


 頷いて、俺はそう答えた。

 十五分くらい雑談したあと、お腹が昼休みの始まりを告げるかのように突然ゴロゴロする。

 時計を一瞥すると、午前十一時五十九分だと気づいた。


 ーー腹減ったなぁ。


 立ち上がると、さくらは俺に顔を上げる。


「昼ご飯を食べに行きますか?」

「ああ、一緒に来ない? ところで、俺だから敬語じゃなくていいよ」

「そうか……。でも入ったばかりなので、急にタメ語で話すのはおかしいんじゃないの?」


 その言葉に、俺は苦笑いした。


「……この会社で働いているなら、もっと大きな問題が山ほどあるよ」


 ーーそんなことは新人に言うな、俺!!

 

 『大きな問題』の言葉に不安になったのか、彼女は突然話題を振った。


「じ、じゃー。昼ご飯を食べに行こうか?」


 口より腹が先に答えた。幸いなことに、そのゴロゴロ音が聞こえたのは俺だけだったようだ。


「そうだな、早く行こうぜ」

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