第3話 のぞみの跡継ぎ

 十分後、ゆめゐ喫茶の店先が視界に入ってきた。

 お店にしては、かなり見つけにくい場所にある。秋葉原の穴場と言っても過言ではないだろう。

 しかし、だからこそ私はゆめゐ喫茶をいぶかしみ始めた。

 本当に願い事を叶えてくれるのかな?

 そんな疑問を持って、私は引き返したくなった。けど、この期に及んで逃げてはいけない……。

 なぜなら、私は使命を果たさなければならないから。


 ーー零士れいじを探す、いや、見つけること。


 のぞみは立ち止まって、私に振り返った。


「それではーー」


 彼女が口を開いた途端に、真っ白な閃光が目の前にひらめいた。眩しすぎる光に、私たちは目がくらんだ。

 そして、車の音が聞こえてきた。その音が次第に大きくなって、私はあることに気がついた。


 ーーその車が、こちらに近づいているんだ!!


退いてよ希!! 誰かの車がーー」


 と私は叫んだけど、もう手遅れになってしまった。

 大きな急ブレーキの音が耳をつんざいた。

 本能的に自分の命を優先したのか、私は思わず彼女から距離を取った。

 その車がのぞみに向かって、加速する。


「ノゾミイイィーー!!」


 と、私は思い切りわめいた。

 ガチャン、と大きな音が立ち、静まり返った街に響き渡った。

 その音を聞くと、背中に寒気が走った。

 私は視線を逸らして、頭を抱えた。

 車のエンジン音が再び轟く。車が遠ざかるにつれ、エンジンの轟音は次第に小さくなっていった。

 気づいたら、私は車を逃してしまった。


「待って!」


 車を追いかけようとしたけどすぐに諦めた。全力疾走しても追いつけるのは無理だとわかっているから。

 私はきびすを返して、渋々とのぞみのほうに視線を向けた。

 彼女の死体が目に入った瞬間、私は酷く吐き気がした。


 ーーのぞみは、しまったんだ。


 運転者が轢き逃げしたので、事故死だと思わない。しかも、車が加速した。だから、その運転者はきっと殺気に満ちていた。

 よくわからないけど、のぞみ轢殺れきさつというか、ようだ……。

 

 ーーこんな無残な死はあんまりだ。


 そう思いながら、私はのぞみの死体を見下ろす。私には関係ないことのはずなのに、今にも泣きそうになった。

 鼓動が高鳴った。悲鳴を上げたかった。嗚咽を漏らしたかった。

 しかし、私は何もできなくて、ただ立ちすくんでいる。

 そして、ゆめゐ喫茶のドアが開けたーー


のぞみ!!」


 私より若い女性がゆめゐ喫茶の玄関からこちらに駆けつけてくる。

 長い青髪あおがみが青空のように見えた。彼女もメイド服を身にまとっている。


 ーーもしかして、ゆめゐ喫茶の店員なのかな?


 彼女はのぞみの死体と私を何回も交互に見てから、絶望したように膝をついた。


「どうして……どうしてのぞみは……」


 そして、彼女の目から涙が大量に溢れ出した。

 その情けない顔を見つめると、私は彼女を抱きしめたくなった。慰めたくなった。


「一体何が……起こったの……?」


 メイド喫茶は人を幸せにするためにあるとずっと思っていた。しかし、それはやっぱり私の思い込みに過ぎなかったのか?

 こんなことに幸せは微塵もないし。

 そうは言っても、すべてのメイド喫茶がそんなものだとは思わない。きっと何か……事情があるはずだ。

 のぞみの死体を見下しながら、その女性は嗚咽を漏らしている。

 私はそちらに近寄って、彼女の暖かい身体からだを抱きしめた。恐怖で凍りついた私の身体からだに温もりが伝わってきた。

 彼女を慰めるつもりだったのに、逆に私が慰められているじゃないか?


「……」


 口を開こうとしたけど、私はまだ言葉に詰まっている。

 だから、無言で彼女の弱々しい身体からだを受け止めた。


「君は……誰?」


 私のブレザーに涙をこぼしながら、彼女はそう尋ねた。

 その涙が雨粒のようにぽつぽつと落ちて、ブレーザーの生地に染み渡る。


「な、中野なかの美於みおですけど」


 いきなり誰何すいかされて、私は少し戸惑った。


「わたくしはかなえ。……この店の店長」


 そのメイドーーのぞみとほとんど同じ服を着ているのに、やっぱり身分が違ったのか……。

 かなえの涙が止まったことに気がついて、私は彼女の身体からだを放した。

 

中野なかのさんに……お願いしたいことがあるの」


 と、かなえは鼻をすすりながら言った。


「それは?」


 疑問を投げかけると、かなえは地面から立ち上がって、私と目を合わせた。

 彼女の表情は真剣そのもの。


のぞみの跡継ぎになってください」


 ーーのぞみの跡継ぎってどういうこと……?


「ごめん、よくわからないんですが」

「なら、説明しようか。中野さんは今日仕事をクビになって、ずっと会えたかった男を探し始めたのね」


 その言葉に、私は目を見開いた。尻餅をつきそうなくらいのショックを受けた。おそらく、のぞみの死を目撃したときよりも。

 スイッチが入ったように恐怖感が困惑に切り替わった。かなえの言うことは全部図星だったから。

 でも、なぜそこまで知っているのか……?


「……あの、占い師ですか?」


 私の問いに、かなえは苦笑いを浮かべた。


「わたくしは他人の願い事を叶えることができる。だから、去年ゆめゐ喫茶を開いた。そして、助手としてのぞみを雇った。悪意の願いが叶わないように、お客様と願い事について語り合う人が必要。……それはのぞみの役割だった」


 情報量が多すぎて、途中でかなえの説明がわからなくなった。

 

「つまり、私に……のぞみの役割をやってほしいんですか?」


 かなえは頷いた。


「もちろん、無理強いはしないけど。ただ、君には大きな願いがあるのね。だから、こちらの助手になったら、恩返しにその願いを叶えてあげる」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 私でもその仕事はできるのかな? かなり責任が重いし、そもそも私はあまり可愛くなくて……。

 しかし、かなえ零士れいじの捜索に協力してくれるなら……。

 言っとくけど、別に希茶きちゃは飲みたくない。なぜなら、零士れいじの気持ちがわからないから。

 希茶きちゃの力で彼を惚れさせても、私が望んでいる恋愛関係にはならないだろう。だから、希茶きちゃは飲まないことにしておこう。

 そんなことが許されるなら、私はゆめゐ喫茶で働きたいと思う。

 

「せっかくだから、ゆめゐ喫茶に入ったほうがいいでしょ?」


 その提案に、私は無言で頷いた。

 かなえに従って、ゆめゐ喫茶に入った。

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