1 煙る余燼

 金属の取っ手の冷たさが手のひらに伝わったその瞬間、蠟燭ろうそくに橙が灯った。

 右も左も天と地もわからない黒い世界に燭台を翳し、あたりを見回す。


 ――ここはどこなの。


 漠然とした不安に心を奪われて、つい手元への注意が散漫になってしまっていた。振り返ったその際に蝋燭が中ごろから折れて落下する。小指の先ほどだった火が瞬きの間に燃え広がり、視界のはるか先まで黒が赤に塗り替わる。


 ――またこの景色。


 物が燃える音も、こんな景色も嫌になって、あたしは目を閉じて耳をふさぎしゃがみこんだ。


 ――もういいの。あたしは一人でいい。わかってるから、だから……もうやめてよ。


 胸の内で幾度となく唱えた言葉をまた思う。その直後、頭を撫でる誰かの手に驚き、目を開く。ついさっきまで広がっていた惨状は見る影もなく、目の前には夕暮れに染められより一層深くなった赤の軍服。しわ一つないその着こなしに目の前にいるのが誰なのかわかって、耳をふさぐ手をどけ、顔を上げる。


「だいじょうぶですよ。千歳さん」


 視線が合い、微笑とともに紡がれたきれいな女性の声はいつもあたしを安心させてくれる。


「暗闇の向こうまで、先生と一緒に行きましょう」


 その言葉でようやく察しがついた。誰もいない教室で約束したあの日をもう一度見てる。


「……はい。先生」


 あの日をなぞるように頷くと、突然強い風が吹いて、あたりの匂いが変わる。青々とした若葉の匂いから、咲いた花の甘い香りへ。

 紫色の花弁が風に舞いあげられ、青い空へ旅に出る。


「おめでとう。よく頑張りましたね。先生はずっと千歳さんを応援していますよ」

 ――待って。


 スイートピーの花束を持って、先生が踵返して行ってしまう。日の光を羽織って遠く遠くへ。


 ――離れる前に約束が欲しい。

「今よりもっと強くなったら。この国が誇る立派な騎士になったら……また、会ってくれますか」


 できうる限りの大きな声でそう言うと、先生はゆっくり振りかえる。



 そこであたしの目が覚めた。

 夢だとわかってはいたけれど、まだ体が浮遊感に浸っている。再度、目を閉じて、ゆっくりと深呼吸してから起き上がった。

 キャラメル色の布地のソファーを離れて、空きっぱなしの出窓からの風に飛ばされた紙類をほど近い両軸机に置く。

 整頓された文房具を見てあたしは今の状況を思い出した。


「お待たせ千歳ちゃん!ごめんね遅くなって」


 それと同時に扉が開きこの部屋の主である女性が麗しい笑顔を向けながら駆け寄り


「改めまして剣士序列2位おめでとう!今日から千歳ちゃんは見習騎士ソルダから所属騎士トループの西館所属だね」


 まだ実感の湧かない自分の役職を祝っていただいたのだった。

 確かに暗闇の向こうまで来た。だから先生はいなくなってしまったのかな。


 出窓から見える、深緑の屋根をかぶった5階建ての白亜の城を見ながら、ふと気になった。あの夢が続いていたらどんな顔をしてくれたんだろうと。



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