第3話『不思議な空間』

 玄関先にランタンが置かれている民家を探しに、通りを外れて路地に入る。大きな村ではないので、その建物は簡単に見つかった。ソラの言っていた通り、看板はなく外見はごく普通の民家に見える。

 店先にはとびらの右側にだけぼんやりと光るランタンが置かれており、不釣ふつり合いに感じる。


 少々不安になるが、ランタン自体は置いてある。フェネルか、それともスミレか。少なくともどちらかはいるだろう。

 確認のために扉に手をけると、かぎはかかっていないようだ。店は営業しているらしい。


 扉を開けると、ウィンドチャイムの音色がひびく。店に入ると、何とも不思議な空間が出迎でむかえてくれる。

 目に飛び込んできたのは、想像していたような店内ではなかった。同時に、ソラが言っていた言葉の意味を理解する。


普通……確かにそうね」


 目の前に広がるのは、どこまでも続く森。右を見ても、左を見ても延々と森が続いているように見える。

 後ろを振り返ると、森の中にぽっかりと空いた扉の形の空間に、さっきまでいた路地が見える。

 いきなり、どこか知らない場所に飛ばされた訳ではないらしい。もちろんここは店なので、そのようなことはあり得ない。だけど、目の前にいきなり異質な空間が現れたら誰しも不安になってしまうだろう。

 なにも起きていないことを確認して、安堵感あんどかんを覚えたので扉を閉める。すると、扉は森に飲み込まれるように同化して消えていった。凝視ぎょうしすれば辛うじて判別はできるものの、ほとんど森の一部と化してしまっている。


 森の中は外より空気が湿しめっていて、気温が低いように感じる。空中には、見慣れない植物たちの苔玉こけだまが浮かんでいる。苔玉が浮いている森はないので、ここは人工の森なのだと認識ができる。

 注意深く森を見回すと、むらさき色の残像が見えたような気がしたが、人の気配はない。ランタンは置かれているし、時間もある。店も開いているようなので、この興味深い森を観察しつつだれかが来るのを待ってみることにした。




 しばらく森を観察していると、森の中から扉と共に紫色の髪をした女性が現れた。ふらついた足取りに、重たい目をこすっている。明らかにつかれている様子でねむそうだ。


「……なるほど、そう言うことね」


 何か納得した様子で、女性はそうつぶやく。


「いらっしゃい、珍しいお客様。お姉さんの方は、はじめまして、かしら?」

「そうね、ここへ来るのは初めてだもの。あなたがスミレさん?」

「ええ、私がスミレよ。それにしても、初めてでよくここがわかったわね」

「ソラに聞いたのよ。彼ならわかると思って」

「なるほど、彼に聞いたのなら納得だわ」


 欠伸あくびみ殺すと、スミレはひとつ提案をする。


「立ち話もなんだし、座って話さないかしら?」

「ええ、いいわよ」


 すぐ終わる用件のはずなのだが、断る理由もないし、時間も十分にある。スミレは疲れているようなので、私は提案に快諾かいだくする。

 了承を受けて、スミレは何かを探す。


「……ガーデンテーブルセットは、これね」


 苔むした切り株にしか見えないものに呪文じゅもんを唱える。


「スペクト・ティアフィグ……」


 切り株がガーデンテーブルセットに姿を変えた。


「そういえば、椅子いすがふたつしかなかったわね」


 思い出したように、スミレがつぶやく。

 その発言に、私は疑問をいだく。


「私とスミレなら椅子はふたつでいいでしょ?」

「もうひとりいるのよ」


 どうやら、この空間にはもうひとりいるらしい。スミレは更に呪文を唱える。


「デンス・コン・リフィケ……」


 先程とは違い、今度は何も変化がないようだ。呪文詠唱えいしょうを失敗したのだろうか?


「メリッサ、色はあなたが好きに付けなさい」

「はぁい」


 どこからか声が聞こえると、その声も呪文を唱える。


「しゅぺくと・こる・おーたーうるー!」


 あわい青に染まった、スライムみたいな物体が現れた。いきなり、意味不明な物体が出現したので面食らう。


「これは……何?」

「そうね、なんと言おうかしら。……空気でできたクッションみたいなものよ。色を付けないと無色透明とうめいで目に見えないけどね」


 スミレが唱えた呪文は失敗したのではなく、元々無色透明な空気クッションを生成するものだったようだ。

 彼女はガーデンチェアに腰掛けながら、私に座るのをうながす。私はもう一方のチェアに座るが、スライムのような空気クッションは空席のままだ。


「メリッサ、いつまでも私の後ろに隠れてないで出てきなさい」


 スミレの後ろから、彼女よりもい紫色のかみをした子供らしきものが顔をのぞかせる。その表情と、スミレのスカートのすそを強くにぎっていることから、怖がっていることがうかがえる。


「メリッサ? スミレの後ろの子のこと?」

「そうよ、この子が私の使い魔。店番をさせていたの」


 刹那せつなに見えた残像は、この子のものだったのだろう。


「この子、初対面の人だけは異様に苦手なのよね。2回目となれば別に何ともないのだけれど……」


 おびえているメリッサに、スミレは声を掛ける。


「別に怖がることはないのよ、メリッサ。この人は、神社のとこのお姉さんだから」

「あいか、の……おねえしゃんさん?」


 呪文詠唱の時とは違った、不安そうな声で私に確認をする。


「そうよ。だから危ない人じゃないのよ」


 知っている人物とつながりがあるとわかったからか、安堵の表情が混じる。しかしまだ怖いようで、スミレのとなりまでクッションを動かして座る。メリッサが座ったのを確認してスミレが自己紹介しょうかいを促す。


「ほらメリッサ、この人に挨拶あいさつしなさい」

「メル、メェイイーメィリィっていうの。ご主人しゃまさまからは、めりっしゃ……めりっ、さ!って呼ばれているの」


 緊張きんちょうしているからか、盛大にんだ。


「この子、メィリィっていう名前なの。舌足らずだからよく噛むのよ。多めに見てあげてね」


 どうやら緊張とか関係なく噛むみたいだ。自分の名前をちゃんと発音できていないが、それがまた小さな子供っぽくて可愛かわいらしい。


「メイリィちゃん、私は紅葉くれは藍花あいかのお姉さんよ。よろしくね」

「くれはしゃんさん、よろしくねっ!」


 妹の名を出したからだろうか、メイリィから恐怖きょうふ感と警戒けいかい感がうすれて、呪文を詠唱していたときに聞いた、元気のいい声に戻っている。


「メリッサの紹介で話がれてしまったわね。それで、用件は何かしら?」

「フェネルに用があるの」

「フェネル……? なぜ?」

「おつかいよ。妹にたのまれたの」

「残念だけれど、それには応えられないわ」

「なんで?」

「フェネルは今、ここに居ないのよ。仕事をしにフォレスフォード行っているわ」

「フォレスフォード?」

「“西の大陸”レヴァルロの樹海にある集落よ」

「また遠いところに行っているのね」

「ええ、仕事しにどこかへ行くのはよくあることなんだけれどね。でも、今回のはとりわけ大変だから、今日中には帰ってこないと思うわ」

「1日かかるって大変な仕事なのね」

「そうね。フォレスフォードの建築物の基礎きそは樹海の樹木なの。無数にありそうなその木々を、1本1本チェックする必要があるんですって」

「それは大変だわ……」

「それで、フェネルに伝える内容はなにかしら?」

「神社の植物の健康状態の確認よ」


 私がここに来た理由になんとなく合点がてんがいったのだろう。スミレはに落ちたという表情を見せる。


「フェネルが戻ったら伝えておくわ」

「ありがとう」


 店を探すところから始めたおつかいはこれで完了。このまま帰ってもいいのだけど、不思議な森のことが気になっているので、この空間について聞いていくことにした。


「疲れているところ申し訳ないんだけど、ひとつ、聞いてもいいかしら?」

「ええ、構わないわ。想像はついているもの。この森のことでしょう?」

「ええ!? なんでわかったの?」

「初めてここに来る人は、必ずといっていいほどこの森について聞いてくるのよ」

「この店に来る人ってほとんど魔法まほう使いじゃないの?」

「ええ、そうよ。魔法を扱うことが生業なりわいの彼、彼女ですら、この空間について聞いてくるのよ」

「それだけ不思議な空間なのね」

「ええ。かなり複雑なものだから、この空間について話すと長くなるわよ。ただ――」

「――ただ……?」


 何かあるのだろうか。


「みんなこぞって聞きたがるのよね。長さなんて関係ないみたい」


 最初に座って話をするのを提案したのは、この話題にれられるのを見越みこしていたのもあるのだろう。


「それだけ、みんなこの空間について聞きたいのね」

「ええ」

「なら私も聞くわよ? かなり興味があるし」

「まあ、そうなるわよね。いいわよ。でも、今は本調子じゃないから、手短にね」


 全ては語れないけどと断って、スミレはこの不思議な空間について語りだす。


「この空間の本来の姿は、石畳いしだたみゆか以外は特に何の変哲へんてつもない広めの部屋よ」

「屋外じゃなくて、室内なのね」

「ええ。そこに色々と魔法が掛けられていて、森の環境を再現しているのよ」

「ここには、どういう魔法が掛けられているの?」

「かなり多くの魔法が掛けられているわ。すぐに思い出せないくらいにはね」


 少々スミレが思考する。果たして、いくつの魔法が組み合わせられているのだろうか。私には見当もつかない。


「私が掛けているのは、空間拡張系と幻視空間増幅系げんしくうかんぞうふくけい、それと天体再現の魔法ね」

「幻視空間増幅系の魔法……?」

「幻視空間増幅系の魔法はかべに対して掛けているの。際限なく森が広がっているように見えるのがその効果よ」


 他にもどんな魔法が掛けられているか気になってくる。スミレの方は空間系の魔法っぽい。では、フェネルの方は?


「フェネルはこの森に、どんな魔法を掛けているの?」


 空間を見回すとスミレは、あくまで予想だけれど……と前置きをして、フェネルが掛けていそうな呪文を答えてくれる。


「フェネルが掛けていそうな魔法は、この空間には物体浮遊ふゆう、育成環境最適化、物体視認変化術。天井てんじょうには光源生成に……とにかく沢山の魔法を掛けているのよ。彼女は好き勝手に魔法を掛けたり解いたりするから、正確にはわからないけどね」

「この空間って魔法のかたまりのようなものなのね」

「そうね。私とフェネルの得意な魔法分野で構成される魔法空間よ」


 スミレが席を立つ。話は終わりのようだ。


「ざっくりと説明するとこんなところよ。もっと聞きたかったら、また来るといいわ」


 眠さの限界が来たらしく、欠伸あくびを噛み殺そうとしているが噛み殺し切れていない。

 まだまだ色々と聞きたいことはあるけど、疲れている中対応してもらったのでいさぎよく引くことにする。


「眠いところ引き留めて悪かったわね。ありがとうスミレ」

「大丈夫よ……帰りは気を付けてね」

「くれはしゃん、またきてねっ!」

「ええ、また来るわ」


 扉を開けると、そこには村の路地が広がっている。ウィンドチャイムの音と共に、魔法の森は扉の向こうに消える。

 しばし扉の前に立って、森の風景を思い出す。

 

 たまにはこういう、不思議なことに遭遇そうぐうするのも悪くないわね。

 ……でも、あの森はただの森ではない気がするわ。掛けている魔法の数もそうだし、本物の森みたいな感じだったし、ただの部屋のかざりにしては豪華ごうかすぎるのよね。

 きっと何か、大事なものがあるんだわ……それが何なのかはわからないけど。


 私はきびすを返して、神社への帰路へつく。不思議な森の景色を、記憶きおくに加えて。

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