第51話 落ちた花

 街の一角にある公園にて、一人の少女がお手玉で遊んでいた。

 質屋の一人娘・黒井くろい沙耶さなと言った。

 年齢は11歳。

 栗色の髪を肩口で切り揃え、前髪も眉上で綺麗に整えられている。

 服装は、淡い水色のワンピースを着ていた。

 彼女なりのお洒落なのだろう。

 彼女は真剣なお面持ちで、お手玉を投げている。

 3つ玉を投げると、1つずつ手に持っては投げを繰り返す。

 歌は、「あんたがたどこさ」だ。

 沙耶は、この歌が好きだった。

 彼女の母が、よく歌ってくれた思い出があるからだ。

 沙耶が、ふと視線を上げると、そこに一人の少年がいた。

 少年を見かけると、沙耶は笑顔を咲かせる。

 嬉しくなって、沙耶は駆け出した。

 少年の元に辿り着くと、沙耶は元気良く挨拶をする。

「隼人!」

 その様子に、隼人は苦笑する。

「よう。元気してたか?」

 隼人の言葉に、沙耶は満面の笑みを浮かべる。

 その表情に、隼人は目を細める。

 その笑顔が眩しすぎたのだ。

 隼人には、今までにこのような経験がなかった。

 それは、彼が人との関わりを意図的に避けていたせいもある。

 だが、一番の理由は、彼に近づく者は皆、彼の強さに吸い寄せられてくる者達だったからである。

 その誰もが、彼に取り入ろうとするか、利用しようとする者ばかりであった。

 彼らは、隼人の強さを羨み、嫉妬し、時には憎悪すら抱くこともあった。

 それでも、隼人は気にも止めなかった。

 彼にとって、他人とは利用するかされるかの関係だった。

 自分の人生に、他者は必要無かった。

 隼人は孤独だった。

 だが、そのことに悲観したことは一度も無い。

 その力故に、隼人は常に一人だった。

 しかし、今は違う。

 志遠、瑠奈、七海、澄香……。

 そんな友人であり、知人であり、強敵がいる。

 そして、何の利害もなく慕ってくれる少女の存在が、彼を戸惑わせていた。

 沙耶は無邪気に笑う。

 その無垢で純真な瞳が、隼人を見つめる。

 隼人はその真っ直ぐな眼差しに戸惑いながらも、優しく微笑んだ。

「隼人。今日は、どうしたの。お父さんの所で、また刀を買うの?」

「……いや。前の約束を守りにきた」

 隼人の言葉を聞いて、沙耶は思い出す。

「あ! あれやってくれるの。やってやって」

 沙耶の目が輝く。

 隼人は、沙耶の頭を撫でると、黒布から無鍔刀を取り出し帯刀する。

 腰を据えて構える。

 そして、目を閉じると呼吸を整え始めた。

 ゆっくりと息を吐きながら、丹田に力を溜めていく。

 身体の隅々まで、酸素を送り込むイメージだ。

 そして、一気に空気を取り込んでいく。

 すると、全身の細胞が活性化していくのを感じる。

 まるで、自分の中に眠る力が呼び覚まされていくような感覚に陥る。

 隼人の体内を巡る血液が、熱を帯び始める。

 やがて、隼人の額に薄っすら汗が滲む。

「いいぞ。ただし一個だぞ」

 隼人はお手玉を無為に壊すことを注意する。沙耶は、三個全部を投げようと思っていただけに、釘を刺されたと思った。

 沙耶は頷き、お手玉を構えた。

「分かった。いくよ」

 沙耶は、お手玉を宙に放る。

 お手玉は回転しながら、弧を描くように飛んで行く。

 隼人は、それを見ながら、タイミングを図る。

 鯉口は、すでに切っている。

 柄を下から添える。

 身体と腰を使って刀を鞘から抜く。

 一瞬にして抜刀された刃は、お手玉に吸い込まれ抜ける。

 お手玉は地へと落ちた。

 何事もなかったように。

 刀は瞬時に鞘へと帰る。

 隼人は目を閉じ、呼吸を整える。

 数秒後、ゆっくり瞼を開く。

 沙耶は、お手玉を見つめていると、袋が突然裂けて小豆が流れ出た。

 彼女は、その光景を見て、驚きの声を上げた。

 隼人は、そんな沙耶の頭に手をポンと置く。

 沙耶は、顔を上げて隼人を見た。

 隼人は微笑む。

 その微笑みは、沙耶の心に深く突き刺さった。

「見事ね、隼人」

 突然の声に、隼人は声の主を見る。

 ラクロスケースを担いだ、黒いセーラー服の少女・澄香だった。

「澄香……。ああ、ようやく本調子だ」

 隼人は、澄香の方を見るとそう言った。

 澄香は、少しだけ微笑む。

 だが、すぐに真剣な表情に戻った。

「隼人。あの人誰?」

 沙耶は訊いた。

「あの、お姉ちゃんはね……。友達、だよ」

 隼人の言葉に、澄香は眉間にシワを寄せた。

「ちょっと待って。私は隼人と友達になった覚えはないわよ」

 隼人はゲンナリした表情をする。

 沙耶は、二人の顔を交互に見比べている。

「……じゃあ、子供になんて説明するんだ」

 隼人は、困り果てた様子で答える。

 澄香は顎に手を当て考える。

 その様子を見て、沙耶はクスリと笑った。

「隼人。友達じゃなきゃ、彼女でしょ」

 沙耶はマセた表情を隼人に向ける。

 隼人は言葉に詰まる。

(この感覚。口入屋に似ているな……。将来、あの女みたいになるのか?)

 隼人は沙耶の将来を少し心配しつつ、こんな小さな少女に誤解されては堪らないと思った。

 だから、否定しようとしたのだが、その前に澄香が口を開いた。

「と、友達よ」

 その言葉に、隼人は唖然とする。舌の根も乾かぬうちに、肯定されるとは思わなかったからだ。

 澄香は、照れ笑いを浮かべる。

 だが、その笑顔が可愛らしくて、隼人は思わず笑んでしまう。

「……ふーん」

 沙耶は、ジト目で澄香を見る。

 隼人は、沙耶の様子に、ただ苦笑することしかできなかった。

「そ、そうだ。隼人、これ」

 澄香は一通の手紙を手渡す、隼人は左封じの手紙に覚悟を決めた。

 左封じの手紙・果たし状だ。

「あ。ラブレターだね。やっぱり恋人同士じゃん」

 沙耶はイヤラシイ目で隼人を見、手紙を覗き込んだ。

 隼人は、どうしたものかと考える。

 だが、この場を切り抜けられる上手い言い訳が思いつかない。

 沙耶は澄香の手を取る。

 そして、微笑んだ。

 澄香も、その微笑みに釣られて微笑んだ。

「ねえ、お姉ちゃん。私とお手玉で遊んで」

 沙耶は、澄香におねだりする。

 その様子が微笑ましく、澄香は頷くしか無かった。

「……うん。いいよ」

 沙耶の願いを聞き入れることにした澄香は、一緒に遊ぶことを決める。

 澄香と沙耶は公園のベンチに腰掛け、二人お手玉を始めた。

 「あんたがたどこさ」を歌いながら、二人はお手玉を投げ合う。

 沙耶もだが、澄香もなかなかに上手い。

 それは、まるで姉妹のようで、隼人は微笑ましい気持ちになる。

 自分が居て、澄香が居て、沙耶が居る。

 ふと、まるで家族みたいだと感じた。

 隼人は、そんなことを考えてしまった自分に戸惑う。

 彼は、今まで家族というものを意識したことがなかったのだ。

 だが、今は違う。

 自分の周りには、自分を頼ってくれる者達がいる。

 それが心地良いと感じていた。

 だからこそ、隼人は思った。

 いつまでも、こんな日々が続けばいいと。

 しかし、無情にも時は流れていく。

 隼人は果たし状を開けると、内容に目を通す。

 少し眉をひそめる。

 やがて、歌が終わった。

 そのタイミングで、隼人は澄香に訊く。

「澄香。志遠に立会人はしてもらわなくていいのか?」

 澄香は首を小さく縦に振る。

 彼女の髪が揺れる。

 風に靡き、シャンプーの良い香りが漂う。

 その横顔を見て美しいと素直に感じた。

「私は、二人だけで勝負をしたい。これは私のわがままよ。ダメ?」

 その言葉を聞いて、隼人は自分の意見を言う。

「別に。もし俺に最期があるなら、志遠に骨を拾ってもらいたかった。それだけだ」

 隼人の言葉に、澄香は申し訳なさそうにした。

「私が拾うのはダメか?」

「もう勝った気か。言っておくが、俺の命は母親が自分を犠牲にして繋いでくれた命だ。粗末にする気はねえぞ」

 澄香は、その言葉を聞くと少しだけ微笑む。

 だが、すぐに真剣な表情に戻る。

 そして、隼人の目を見つめる。

「それは、私のセリフよ。しっかりと首を洗っておくことね」

「そうしよう」

 隼人は立ち上がる。

「澄香。先に行って待ってる」

 隼人は、澄香に背を向けると歩き出した。

 澄香は、その背中を見つめる。

 彼の後ろ姿は、どこか寂しそうだ。

 だが、彼から立ち上る闘気が、それを覆い隠しているようだった。

 沙耶は隼人に呼びかける。

「隼人。みせてね」

 隼人は少し振り返って答える。

 その声には、いつもの明るさはなかった。

 隼人は、自分の中の感情を押し殺すように言った。

「ああ。生きてたらな」

 その言葉は、澄香の心に深く突き刺さった。

 沙耶は、その言葉の意味を理解できずにいたが、それでも隼人の表情を見ると、それ以上何も言うことができなかった。

 隼人は、その場を後にした。

 澄香は、しばらく動けなかった。

 沙耶は、心配そうな表情で澄香の顔を覗き込む。

「ねえ。澄香お姉ちゃん。隼人とは、チューしたことある?」

 澄香は、その言葉に驚いた。

「え?」

 沙耶の瞳は好奇心で輝いている。

 澄香は顔を真っ赤にして、首を振る。

 沙耶は嬉々として話す。

「だって彼女でしょラブレター渡していたし。恋人同士って、みんなチューするんでしょ。ねえ、どんな味がするの?」

 澄香は困り果てる。

「え? いや。それは……」

 まさか、こんな質問が飛んでくるとは思わなかったからだ。

 沙耶は澄香に詰め寄る。

「じゃあ、”せっくす”は?」

 沙耶は目をキラキラさせて訊いた。

 澄香は、沙耶の顔が近くて恥ずかしくなり、手で押し返す。

「……意味。知ってて訊いてる?」

 澄香は照れながら答えた。

 沙耶は、キョトンとした表情を浮かべている。

 何かを思い付いたのか、ニヤリと笑う。悪魔に憑かれたように。

 沙耶は、澄香の手を取る。

 澄香は、その行動に驚いている。

「私、全然分からない。分からないから訊いてるの? ねえねえ、どんなことするの? どんなことされるの? 今度、隼人と”せっくす”してるところ見せて」

 沙耶は、興味津々とばかりに澄香に問い質す。

 澄香は困惑していた。

(この子……。知ってるでしょ)

 澄香は、沙耶の将来を心配した。

 この子は、性に対して関心が強すぎる。澄香は、何とか誤魔化そうとする。

 だが、沙耶の勢いを止めることができない。

 沙耶は更に迫る。

 そして、耳元で囁く。

 それは悪魔の誘惑のように甘く響いた。

 澄香は、その言葉を聞き思わず目眩を覚える。

「ねえ。いいでしょう」

 澄香は、その言葉に抗えなかった。

 彼女は、ゆっくりと口を開く。まるで催眠術にでもかけられたかのように。

 その口から、言葉が紡ぎ出される。

「……ごめん。私、したことないから分かんないの」

 澄香はうつむき正直に話した。

 沙耶は、意外だと言わんばかりの反応をする。

 そして、残念そうにする。

「えー。まだ処女なんだ」

 沙耶は、すぐに表情が変える。

 コロコロと変わる表情は、まさに子供だが言葉が痛い。

 澄香は、少し傷ついた。

 確かに、自分は未経験だ。

 だが、それが悪いことのように言われると、傷つく。

 澄香は叱られた犬のように、シュンとしてしまう。

 沙耶は、そんな澄香の様子に気づくと、澄香の肩をポンと叩く。

「まあまあ。誰でも初めてがあるんだし、気にしないで。隼人は優しいから、優しくリードしてくれるよ」

 沙耶は澄香を慰め、別のことに関心を寄せた。

「じゃあ。隼人とは、どうやって知り合ったの? きっかけは?」

 沙耶は、今度は隼人との出会いについて聞き始めた。

「ず、ずいぶんと食いついてくるね」

 澄香は苦笑する。

 沙耶は、当然といった様子で答える。

 澄香は、その様子が可愛らしく感じた。彼女は、自分のことを好いてくれている。だからこそ、自分のことを知りたいのだろう。

「私、テレビの新婚さん番組好きなの。いっつも最初に聞いてるよ。お嫁さんになったら、絶対出たい」

 沙耶は満面の笑みで、両手を握り胸の前で合わせた。期待と希望に胸を膨らませていた。

(テレビの影響なのね……)

 澄香は微笑み、沙耶の頭を撫でる。

 すると、沙耶は気持ち良さそうにした。

 澄香は、沙耶に優しく語りかける。

「そうね。何から話したら良いかな……」

 澄香は思い出しながら語る。

 それは、まるでアルバムを見ながら懐かしむような表情だった。

「まずは、《なにがし》という剣について、お話しないといけないかしら……」

 澄香は、ゆっくりと口を開いた。

「《なにがし》?」

 沙耶は首を傾げる。

 澄香は、沙耶の疑問に答えるように話す。

「そう。尊敬と敬意を示される由緒ある剣でありながら、人々から恐れ忌み嫌われた剣士さんのお話だよ……」

 興味津々な顔をした沙耶は、澄香と隼人の出会いを訊く。

 澄香は、一人の両親を失った少女。

 かたきを取る為、少年に戦いを挑んだ物語を聞かせた。

 沙耶は、その話を目を輝かせて聞いていた……。


 ◆


 明けきらぬ朝。

 太陽はまだ顔を出していない。

 夜と朝の狭間の時間。

 志遠は、浴衣姿のまま刀と脇差を腰に差すと庭へと降りた。

 朝の空気には肌寒さが感じられる。

 彼は空を見上げる。

 雲ひとつない晴天だ。

 辺りには暗闇が広がっている。

 闇に目が慣れていないせいか、視界がぼやけて見える。

 それでも、彼は進むべき道が分かるようだった。

 志遠は歩き出す。

 砂利を踏みしめ、歩く。

 やがて、庭の端まで来る。

 最近の志遠には、素振り前の楽しみがある。

 月下美人を眺めることだ。

 咲き続ける月下美人。自然の摂理に反して咲き続けるのは、隼人が《闇之太刀》で切った為だ。

 だが、今はそれが良かったと思う。

 この花を見る度に思うのだ。

 花が咲き誇る様は、それは美しいものだ。

 だが、咲いている花は、いつ散ってもおかしくはない。

 あの時、隼人が斬っていなければ、とうの昔に花は散っていた。そうなれば、見ることは叶わなかった。

 志遠は、この奇跡に感謝していた。

 そして、今日もそれを眺めるために庭に出た。

 脚が止まった。

 志遠は驚愕する。

 その光景に目を疑った。

 月下美人の花が落ちている。

 昨日見た時は、しっかりと咲いていたはずだ。

 何故、こんなことになったのか分からない。

 志遠は不思議に思いながらも、その花を手に取る。

 手に取った瞬間、あることに気づく。

 目を閉じると涙が頬を伝う。

 この花が、なぜ咲き続けていたのかを理解したからだ。

 あるいは、この花を《闇之太刀》を使った者がいなくなったか。

 志遠は、声を押し殺して泣いた。

 この世から、友が居なくなったのを知ったから……。

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