第50話 斬られた心

 念流道場の離れ座敷。

 そこで澄香は部屋の片付けをしていた。

 すでに荷物をまとめ、いつでも出られるように準備をしている。

 だが、その表情は浮かないものだった。

 澄香は思う。

 なぜ、あんなことを言ってしまったのだろうか。

 澄香は昨日の自分を恨んでいた。

 隼人の言う通り、自分の目的は復讐。

 そのことに変わりはなかった。

 だが、澄香は感じていた。

 隼人に対する想いの変化を。

 最初は、ただ単に憎いだけの敵だった。

 首を討ち、父と母の墓に添える花にするつもりだった。

 しかし、隼人は違った。

 自分のために、戦ってくれた。

 自分のために、命を張ってくれた。

 自分のために、危険を冒してくれた。

 そして、澄香の想いを救ってくれた。

 澄香の心の中に温かい感情が生まれていたのだ。

 それは、澄香が初めて抱く不思議な感覚だった。澄香はその気持ちが何なのか分からなかった。

 だから、混乱していた。

 そして、澄香は隼人のことを考えると胸が苦しくなるのを感じていた。

 この苦しみは何なのだろうか。

 澄香は、その日初めて眠れぬ夜を過ごした。

 次の日の朝、澄香は目を覚ます。

 布団を干し、部屋の掃除に加え、全ての清掃を行った。

 志遠は、そんな澄香にほどほどにするように言ったが、澄香はそれを断った。

 澄香は黙々と作業を続ける。

 すると、正午を過ぎた頃に、志遠がやって来た。

 志遠は澄香の姿を見て驚く。

 まるで別宅のように部屋が綺麗に整頓されていたからだ。

 さらに、床の間には季節の花まで飾られていた。

 志遠は、この短時間でここまで、できるのかと驚く。

 その様子に、澄香は清々しい様子で答える。

「花の生け方や、飾り方は、お母さんから教わったんです。花は心を癒やしてくれます」

 その表情は生き生きとしていた。

 澄香の表情に、彼女は母親との懐かしい思い出がるのだと察した。

 志遠は寂しそうな表情で訊く。

「――隼人と戦うそうだね」

 その言葉に、澄香は真剣な顔で応える。

 澄香の決意は固まっているようだった。

「はい。納骨を済ませましたが、まだ花は添えてはいません。母のかたきを取れました。今度は、父のかたきを討ちます」

 その瞳には確かな闘志が宿っていた。

 何の前触れもなく、志遠は澄香に頭を下げた。

 突然のことに、澄香は動揺した。

「ど、どうされたのですか。霧生さん」

 志遠は頭を上げなかった。

「風花さん。恥を忍んで、お願いします。かたき討ちを、止めて頂くことはできませんか?」

 その声は震えていた。

 澄香は困惑する。

 志遠の言葉の意味を理解しかねたからだ。

「隼人は、風花さんのお父さん。角間さんを殺した訳ではないんです。むしろ、命を救ったと言うべきなんです」

 その言葉に、澄香は耳を疑った。

 父を殺さなかった? では、あの時見た血まみれの姿はなんだったのだろう。

 それに、父が殺された時の記憶がある。

 あれは夢ではないはずだ。

「どういうことですか」

「風花さんが危篤状態を脱した時のことです。隼人から詳細を聞きました。どうして角間さんは、隼人に果たし合いを挑んだのか。隼人は話してくれました。角間さんは一年前のあの時に、余命三ヶ月もない状態だったんです」

 志遠の言葉に、知りもしなかったことに澄香は詰め寄る。

「どういうことですか。お父さんが無くなったのは一ヶ月前ですよ。そんな余命で、どうし……」

 澄香は思い当たる。《闇之太刀》という剣に。

「今、風花さんが思っている通り。命すらも操る《闇之太刀》。角間さんは余命幾ばくもない状態を知り、幻の秘剣術なにがしと戦って剣士として死にたいと思われた。それが、隼人と果たし合いをした理由です。

 隼人は、角間さんの食客をしていたことで、周囲の状況を知っていました。だからこそ、角間さんの病巣を斬り、余命を病気によるものではなく、自分の最も愛する者の死として《闇之太刀》で斬ったんです。

 それによって、角間さんは寿命では死ねなくなりました。奥様が殺されることがなければ、ご夫婦は末永く生きていくことができたんです。

 娘の成人した姿、花嫁姿、孫をその腕に抱く。そんなごく普通の幸せを送ることができた」

 澄香は愕然としていた。

 理由が分からない震えが起こる。

「じゃあ。隼人が、お父さんにしたのは。延命……」

 志遠は頷く。

 その表情は苦渋に満ちていた。

「鬼哭館によって奥様が殺され、その死を見たことで《闇之太刀》が発動。奥様を殺されたのに、そのかたきを討つことができなかった角間さんは、さぞ隼人と《なにがし》を怨んだことでしょう。

 ですが、それは不可抗力だった」

 志遠は、絞り出すように話す。その目からは涙が溢れていた。

 その悲痛の表情は、澄香の心に深く突き刺さった。

 澄香は拳を握る。

 目を閉じ、何かに耐える。

「……考え直して頂けませんか?」

 志遠は尚も頼み続ける。

「……霧生さん。真実をお話頂き、ありがとうございます。ですが、私が看取った、お父さんの姿が私の頭から離れません。お父さんは、お母さんの無念を晴らせず、どんなに辛い思いをしたことでしょう。

 お父さんは、最後お母さんのもとに行きたくて必死に手を伸ばして死んでいきました。私は、その無念を晴らしてあげなければいけません」

 澄香は真顔で涙を零しながら答えた。

「――では、もう一つだけ言わせて欲しい。君はもう《なにがし》に、勝っています」

 その言葉に、澄香は驚く。

 勝つ?

 なぜ自分が、《なにがし》に隼人に勝ったと言うのか理解ができない。

 隼人のような凄まじい剣速で下段からスカーフ斬りができる訳ではない。

 多人数剣で20人を斬れる訳でもない。

 一尺五寸(約45.5cm)の雁金斬りができる訳でもない。

 《闇之太刀》が使える訳でもない。

 不死身の体を持っている訳でもない。

 一体自分の何が、《なにがし》に隼人に勝ったというのか澄香には分からなかった。

 だが、志遠は真剣な眼差しをしていた。

 澄香はその言葉の意味を訊ねた。

「私が、いつどうやって《なにがし》に隼人に勝ったというのですか」

 志遠は、澄香の目を見て答える。

 その目は澄香を見据え、澄香の心に語りかけるようであった。

 澄香は息を飲む。

「隼人と初めて会った時のことを覚えていますか? 隼人は学校の裏地で鍬を打ち込んでの鍛錬をしていた。その時、隼人は持っていたくわを倒しました」

 言われて、澄香はそんなこともあったと思い出す。

 だが、あれが何だというのか分からない。

「隼人は、そのことを酒を嗜んでいる時に考えたそうです。風花さんの炯眼けいがん。蒼い光を宿した瞳。思い出しただけで盃を落としてしまったと言っていました」

 澄香は、志遠の言葉に首を傾げる。

 まだ分からない。

「それが、何だと言われるのですか?」

「怖かったんですよ。風花さんが」

 志遠は静かに言う。

 その言葉に、澄香は目を大きくする。

 隼人が自分を怖いと言った? あの魔物の血を受け継ぐ隼人が、自分を恐れていたというのだろうか。

 信じられない。

「何を言うのですか。私が隼人を圧倒したと言うんですか。あれだけの技量を持つ剣士をですよ……」

 志遠は、ゆっくり頷く。

「事実です。ある時、君が子を連れて出会う。君とその子が、ひかる眼で睨む。次に会った時は、君が老婆になり、子が親になり、君の孫を連れて現れひかる眼で睨む。

 隼人は、そんな眼をした貴方と、子供、孫が、その眼が増えていき、自分を見るのを想像して恐怖を覚えた」

「……そんなバカな」

 そんなことがあるはずがない。

 あの隼人が。

 あれだけの剣士が。

 そんなことはありえない。

 そんなこと……。

 そんな澄香に、志遠は優しい口調で話す。

「風花さんは、隼人の肉を斬らずに、心を斬ったんです。考えようによっては、殺すことは難しいことではない。

 でも、相手に敗北感を与え屈服させることは難しい。君は刃を向けることなく、気迫だけで隼人を屈服させた。これは、紛れもない勝利です」

 志遠の言葉に、澄香は戸惑う。

 自分が、隼人に勝ったなどと言われても実感が湧かない。

 それでも、志遠は真剣だった。

 その言葉は澄香の胸に響く。

 だが、その言葉を鵜呑みにすることはできなかった。

 なぜなら、それは隼人の口から聞いていないからだ。

 自分の思い込みかもしれない。

 それでは、意味はないのだ。

 だから、澄香はこう言った。

「ありがとうございます」

 志遠は微笑み、頭を垂れた。

 その顔は、凛々りりしく美しかった。

 志遠は、それ以上何も言えなかった。

 澄香は立ち上がる。

「お世話になりました」

 そして、深々と頭を下げると、部屋を出て行く。

「風花さん」

 志遠は呼び止める。

 澄香は脚を止めた。

「隼という鳥はですね。孤独な鳥なんですよ。地球最速の狩人である隼は、非常に高い狩猟能力を持っているがゆえに、ありとあらゆる鳥から避けられるんです。

 トビやノスリも同じ猛禽類ですが、彼らの周りには他の鳥がいることも珍しくはありません。

 でも、隼だけは近くに他の鳥が居ることはほとんど無いんです。いつも単独でポツンといる。彼らも誰も近づいて来てくれないことに、寂しさとかは感じるのでしょうか」

 澄香は振り向かない。

 志遠の言う意味を、澄香は理解する。

 《なにがし》という恐るべき剣。

 隼人は、それを習得したくて習得したのではない。

 剣を捨てて生きていくことは、《なにがし》として生まれた時から決定ずけられていたのだ。

 逃れられない運命に、彼は剣を磨いた。

 だが、その名を高らかに名乗ることはできない。

 魔物の剣故に、人々から忌み嫌われるからだ。

 生き方を変えられない。

 そんな悲しい存在。

 澄香は唇を噛む。

 隼人に同情した訳ではなかった。

 ただ、隼人を哀れだと思った。

 だからと言って、復讐を止めるつもりはない。

 自分は、両親の敵を討つために、あの日から今まで生きてきた。

 金打きんちょうをした。

 今更、止められない。

 それは隼人自信も覚悟していた。

 彼は、澄香の父を殺したことを言い訳しなかった。

 自分が犯した罪から逃げることはしない。

 それが、彼の贖罪なのだ。

 その想いは、澄香も理解できる。

 だからこそ、澄香は戦うことを決めた。

「そうかもしれません。ですが、それは他人が汲み取ってあげることではないと、私は思います」

 澄香は答える。

 志遠は微笑む。

 澄香の決意は変わらないと悟った。

 彼女は強い女性だと、志遠は思った。

 澄香が去っていくのを、志遠はただ黙って見送るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る