第35話 邪魔者

 夜も更けてきた。

 霧生志遠は、縁側で月を見上げている。

(このところ寝つきが悪い)

 志遠は、溜め息をついた。

 原因は分かっている。

 先日のこと。

 鬼面の集団との戦いだ。

 あの時、自分がしたことは正しかったのか。

 襲撃を受け。斬って斬り続けた。

 自分と仲間の身を守る為に。

 心の鍛錬という意味で、志遠は剣の道に入った。

 しかし、自分が歩んだ道は、剣で人を斬る道に入っていた。自分の手が血に汚れていくのが分かった。

 その感触は、今も残っている。

 冷静になると、その答えは出ない。

 志遠は、剣の道の行き着く先は、正しいことだと信じている。

 だが、自分がしていることが正しいのか。

 迷いはある。

 しかし、それは志遠だけの話ではない。

 剣術を学んでいる者なら、誰しもが一度は悩むことであろう。

 人を斬ることを追求して剣術は生まれた。

 そこに思想は無かったハズだ。敵を斬ることで、己を守り、仲間を守る。人を守り、国を守る。

 それだけだったはずだ。

 しかし、江戸時代に入ると、剣術は次第に戦争に使う技術としてより、武士の精神修練としての意味合いを強めていった。

 そして、現代。

 もはや、戦いはスポーツ化しつつある。

 それは、平和になった証なのかもしれない。

 志遠は思う。

 本当に、それで良いのだろうか?

 戦うことは、本当に悪いことなのか。

 戦うことでしか守れない存在がある。我欲にまみれた存在を斬る。

 一殺多生。

 一人の悪を斬り多くの人を救う。

 人を斬ることを得た剣士・志遠が目指すべき道は、そこにある。

 だが、それは決して今の時代にには許されざることだ。

 だからこそ、志遠は迷う。

 自分の進むべき道を。

 志遠は、空に浮かぶ月を見る。

 雲一つない満天の星空だ。

 志遠は、目を細める。

 そこには、無数の星々が輝いていた。

 そこに庭の砂利を踏む音がする。

 隼人だった。

「お帰り」

 志遠は、隼人に表情を綻ばせ声をかける。

 隼人は、何も言わず縁側に座った。

「ちゃんと送ってあげたかい?」

 志遠に訊かれて、隼人は答える。

「ああ。礼も言っておいた。澄香の世話は、同じ女である瑠奈しかできないからな。まだぎこちないが、澄香は一人で身の回りのことはできるだろう」

 隼人は少々頭を掻く。

 何となく煮え切らない表情をしているのを、志遠は読み取る。

「瑠奈くんと、何かあったかい?」

 志遠に問われ、隼人は苦笑いしながら言う。

 図星のようだ。

 志遠は、思わず笑ってしまった。

「何か瑠奈の奴、俺のことをスゲエ睨むんだよな。訊いたら訊いたで、別にって言って、はっきり言わねえし。挙げ句の果てに、女の意識がない間に、あれこれする昏睡ものが好きじゃないでしょうね。って言うしよ。訳分かんねえよ」

 隼人は首を傾げながら、志遠の隣に座る。

 志遠は微笑んだまま言う。

 隼人は気づいていないが、それは仕方ないことだと彼は思った。

「女心と秋の空と言うじゃないか。思春期の娘は難しいものだよ」

 隼人は溜め息をつく。

 そこに、廊下を歩く音がした。

 志遠が、そちらを見ると食器を乗せたお盆を手にした澄香が立っていた。浴衣の帯には脇差を差している。

 澄香は縁側に隼人が居るのを目にして、身を固くした。

 隼人もまた、澄香に視線を向ける。

 二人の間に、緊張した空気が流れる。

「……霧生さん。夕食、ごちそうさまです」

 澄香の言葉に、隼人は素っ気なくも安心した様子を見せる。

 志遠は微笑んで言う。

「足元もしっかりしてるね」

「はい。お陰様で。いつまでも寝ていては身体がなまりますので、片付けは私がさせて頂きます」

 志遠は、そんなことをしなくても良いと口にするが、隼人は推奨した。

「いいじゃねえか。やらせてやれよ。暇なんだ」

 隼人の言うことは正論ではあるが、言い方に棘があり澄香はムッとした表情になる。

 志遠は、二人が果し合いをしようとした間であることから、言葉を挟むのを躊躇ためらわれた。

 志遠と隼人の後ろを澄香は通る。

 隼人の背後を通り過ぎた所で、澄香は脚を止めた。

 そして、隼人に振り向かずに言った。

「隼人。昼間は聞きそびれたわ。鬼面の連中に私が背中を斬られた時、私のことを助けたわね。なぜ?」

 澄香の言葉に隼人は少し驚く。

 彼女は覚えていた。

 止めを刺されようとした時、隼人が男を斬り伏せたことを。あれは敵を倒す為である前に、自分を救う意味合いの方が強かった。

 敵意を持っている相手に救われる。

 それは、澄香にとって屈辱的なことだった。

 だが、同時にそれは感謝しなければならないことでもある。

 だからこそ、それを訊ねずにはいられなかった。

 隼人は、静かに口を開く。

 その声は、穏やかだ。

「なんだ。知っていたのか」

 隼人は溜め息混じりで言う。

 その態度が気に入らないのか、澄香は振り返り隼人を見た。その瞳には怒りの色が見える。

 しかし、すぐに澄香は目を伏せた。感情を落ち着かせる。

 そして、静かに口を開く。

「質問に答えて。私は、お前を斬るのが目的なのよ」

 隼人は戸惑う。

 だが、この問いの答えは決まっている。

「じゃあ訊く。もし逆の立場だったら、澄香はどうする?」

 澄香は考え想像した。

 許せなかった。隼人を斬ることは目的ではあるが、他人に殺されたのでは意味がない。

 志遠に助太刀を求めたが、あくまでも止めは澄香が行うことが前提となっている。

 斬って命を奪うのは、他の誰にも譲れない。

 それが許されるのは、澄香自身だけだ。

 そこまで考えて、彼女は気づく。

 隼人は、澄香を斬る覚悟を持っいたのだ。

 そして、それは自分も同じであった。

 つまり、お互いの考えは同じなのだと。

 澄香は自分の中で納得すると、顔を上げた。そこには迷いの色はなかった。

「隼人。お前を斬るのは、他の誰でもないわ。私よ」

「そういうことだ。だから他の奴に斬られるんじゃねえぞ。ましてや、死ぬのはもっての外だ」

 二人は、互いの目を見て確信し合った。

 二人の会話を聞いていた志遠は思う。

(今は、これで良かったのかな……)

 志遠には分からない。二人はいずれ果し合いをするのだ。

 しかし、今だけはこうしていて欲しいと思った。

 澄香その場を後にすると、台所に立った。

 少し古めかしい台所だが、きれいに整理整頓され清潔感がある。

 澄香は流しにある食器がいくつかあるのを見た。

 この家に居たのは隼人、澄香、志遠、瑠奈の4人だっただけに、食器が溜まっていた。不本意だが、隼人の分も洗ってやるかと思った。

 浴衣の袖をまくり、洗い物をしようとして気がつく。持参した澄香の食器を加えても3人分しかないことに。

 4人居たので、てっきり4人の食器があるかと思っていたが、実際は違ったようだ。

 数が合わないことに疑問に思いつつも、澄香は食器を洗い始めた。

 

 ◆

 

 縁側では、隼人と志遠が並んで座っていた。

「さて。風花さんが回復したのは嬉しいが、これからどうしたものか……」

 志遠が呟いた。

「邪魔者が居るな」

 隼人が言う。

 隼人と志遠が考えていたのは、やはり鬼面の剣士達のことだった。

 奴らは、隼人と澄香の名を口にした。

 つまり、狙いは二人ということだ。

 しかし、奴らがなぜ自分を狙ってくるのかが分からなかった。

「隼人。奴らに心当たりは?」

「前に一度、狙われた。8人に《闇之太刀》を仕込んでおいた。それだけだ」

「なるほど。それで、一度に8人が死んだ訳か。それで、その時に変わったことは無かったのかい?」

 志遠に訊かれて、隼人は考える。

「いや。俺は《なにがし》であることを理由に狙われることは多いからな。その前は《鎧》の名で通っている3人組剣士の二人を斬ったな」

 そして、ふと思い出したことがあった。

 隼人は、その記憶を思い出す。

 あの時、狙う目的を訊いた時、数胴は言っていた。


「依頼主の名は言わぬが掟よ」


 と。

 依頼人が居たということだ。

 そして、連中は隼人が《なにがし》であることを知った様子は無かった。剣士としての矜持を持っていたが、単に邪魔者を消すという意図。

 つまり、純粋に隼人自身を邪魔に思った奴が始末をしようとしたということだ。

「《鎧》の奴ら、俺を《なにがし》と知らずに殺そうとしていた」

「……ということは、その前に君がしたことが関係しているな。何をした?」

 志遠に問われ、隼人は思い出す。

杉浦すぎうら正明まさあきって言う、女ばかりを狙った麻薬の売人を始末した」

 隼人は言う。

「麻薬の売人か。なら、その男を殺したことで、仲間や、その組織から恨みを買っている可能性はあるな」

 志遠は考える。

「大当たりよ」

 突然の声に、二人は庭先を見る。

 そこには、一人の女性がいた。

 黒いチュールワンピースに、黒のブラウスを羽織り、肩にはストールを掛けていた。

 足元は白のサンダルを履いており、首元からはネックレスが覗いている。

 髪は長く、艶やかな黒い髪を腰まで伸ばしている。

 整った顔立ちをしており、目鼻立ちがくっきりとしていた。

 まるで人形のような浮世離れしたような雰囲気のある女だ。

 口入屋・月宮つきみや七海ななみだ。

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