今日のおやつはなんでしょう?

無月彩葉

今日のおやつはなんでしょう?

 オーブンから小麦粉の焼けるいい香りがしてきた。本日の主役が完成するまで、あと三分少々。


 シンクにたまった調理器具を片付けながら、ほのかなオレンジ色に染まるオーブントースターを眺める。今日は時間に余裕があったから、ついつい凝ったものを作ってしまったけれど、それほど味の保証はできない。

 時計を見て、そろそろ紅茶も淹れておこうかと茶葉を取り出しかけた時、

「クッキー?」

 と、小さな声がした。気づけばいつの間にか小さな頭がオーブンを覗いている。腰まで伸びたブロンドの艶やかな髪と桃色に染まる頬。もうオーブンを覗けるほど大きくなったのかと少し微笑ましく……それから、寂しくも感じた。

「違いますよ、お嬢様」

 茶葉を缶から取り出しながら、彼女の質問を否定する。

 そうそう、今日の茶葉はマルコポーロに決めた。

 有名紅茶ブランドだったマリアージュの中ではポピュラーで人気商品でもあったけれど、フレーバーの中身は最後まで非公表で謎に包まれている。香りがやや強いけれど、ミルクティーにしてみるとまろやかになり、味が深まるのでオススメだ。

「だったらなんなのよ」

 ちょっとからかって否定しただけで、お嬢様は少し頬を膨らませて不服そうに聞いてくる。やっぱり彼女はまだまだ子ども。だから、もっとからかいたくもなる。

「なんだと思います?」

 サクッとした食感と、口いっぱいに広がる甘さ。確かにクッキーに似ているけれど、クッキー以外にもこうしたお菓子はいくつかある。

 因みにクッキーは旧アメリカ合衆国から伝わった焼き菓子。この国では糖分と脂肪分が全体の40パーセント以上のものをクッキーと呼んでいて、おやつの定番としてはまずクッキーが浮かぶ。しかし残念ながら不正解。

「あ! 分かった、サブレね」

 顎に指を当ててじっと考えていたお嬢様が不意に目を輝かせた。

 太陽のような瞳がすこし眩しい。

「何故ですか?」

 尋ねてみれば、お嬢様は茶葉の入っていた缶を指さす。

「その缶、マリアージュのものよね。マリアージュはヨーロッパにあったフランス共和国のブランドで、ルイ14世の御用達。で、同じくフランスのお菓子と言えばサブレだもの」

 正解だとばかりに彼女の目は輝いている。愛らしい様子に思わず肯定してあげたくなるが、残念ながら不正解だ。

「よくお勉強されていますね。ですが違います。確かにサブレはフランスから伝わったお菓子ですが、紅茶がフランスのものだとしても、おやつがそれに合わせたものだとは限りません」

「ミスリードだわ」

「これはお嬢様の好きな小説ではありませんので」

 意図していないところで、ひっかけを作ってしまった。と、いうより元からクイズにする為に作っていた訳ではないのだけれど。

 お嬢様は不満げに、しかし真剣に答えを考えている。

 それにしてもいつの間に紅茶の知識を得たのだろう。書庫にそのような本でもあっただろうか。

 もう本が増えるようなことはないだろうし、情報を得るための媒体なんてこの屋敷の書庫しかないだろう。

 私も今度書庫を覗いてみようか。


 そんなことを考えつつもカップを出して、オーブンからおやつを取り出す用意もする。

 お嬢様のカップはピンクの花柄。昔から変わらない、ずっと使い続けている愛用の品だ。

 少なくとも私がメイドとしてこの屋敷に来た時には、既にこのカップが使われていたと思う。

「クッキーもサブレも違うとしたら……ビスケットじゃないかしら」

 まあ流石に消去法でそうなってしまうだろう。

「正解です。クッキーやサブレとは違い、少々固さがあるのがビスケット。日本ではクッキーと区別するために糖分と脂肪分が全体の40パーセント未満のものをビスケットと呼んでいたようです。では……さらに問題ですよ。ビスケットの生まれた国はどこでしょう?」

 喜ぶお嬢様を横目に質問を追加して、オーブンから焼きあがったビスケットを取り出す。

 小麦色に焼けた一口サイズの四角いビスケット。一つ拾って食べてみれば、ザクっとした食感と、ミルクと卵、バターの優しい甘さが混じり合う。これはマルコポーロのミルクティーによく合うだろう。

 ふとお嬢様の方を見てみると、愛らしい眉間にしわを寄せて考え込んでいた。

「……ヒントを頂戴?」

 彼女の頭の中には紅茶についての知識はあっても、まだビスケットの知識はないらしい。

「では、お嬢様は本日どちらへ行かれていたのでしょうか?」

「ただの散歩よ。おうちの周りをぐるっと一周。いつもと特に変わりはないけれど」

「そこにヒントがあるかもしれませんよ」

 お嬢様は調理場の窓の外を見つめた。所々石が突き抜けたアスファルトの道。本物と見間違えるほどの人工芝。化学物質を正確に調合した花の香りが一面に広がって、そこに造花が咲いている。人工金属を加工して作ったこの造花は、庭師が月ごとに種類を変えている。今回はバラ、スイセン、シャムロック、アザミ。色も形も異なるこれらの花が、どうして同じ庭に咲いているのか。お嬢様に分かるだろうか。

「もしくはそうですね、今お嬢様が読んでいる本もヒントかもしれません」

 窓の外をじっと見つめているお嬢様にもう一つ別のヒントを出した。彼女は最近の愛読書の出版国が分かるだろうか。

「今読んでる本? 今、私が読んでいる本は旧フランスの文学であるボヴァリー夫人で……」

「ああ、そちらではなく、お嬢様が爪切りで深爪されたときに読んでいた本ですね」

 ベッドの上に転がっていた分厚い雑誌と、ピンクの爪切りに絆創膏のゴミ。大方本を読みながら爪を切っていたら切りすぎて深爪したのだろう。そう予測を立てて聞いてみたが当たりだったようだ。顔を真っ赤にして「なんで知ってるのよ……」と呟いている。

「昔の医学雑誌、ランセットよね……これの編集室があったのはニューヨークと……ロンドン……あ、答えはイギリス、イギリスね!」

 パッと顔を輝かせて、お嬢様は自慢げに伝えてくる。やっと正解に辿り着いた喜びがこちらにも伝わってきて、つられて笑顔になってしまいそうだ。

 ビスケットはイギリスの保存食として作られたのが起源と言われていて、外に咲いている四種類の造花はイギリスと呼ばれた島国……グレートブリテン及び北アイルランド連合王国それぞれの国の花だ。多くの書物ではイギリスと一括りにされているが、元々はイングランドをはじめとする四つの国の集まり。だから国花も四つあり、庭師がそれをテーマに造花を配置した。これも、来月になればまた変わってしまうのだろう。庭師の努力には恐れ入る。

 まだこの国に四季があった頃には庭の花は勝手に咲いて、勝手に季節ごとの色を見せてくれていたそうだけれど。子どものころおばあ様から聞いた話だから、本当のことなのかどうかすら私にはわからない。

「もう……私もまだまだね」

「ええ、そうですね」


 さて。紅茶も淹れ終えたことだし、そろそろ本日のティータイムにしよう。

 リモコンで窓の外の人口太陽の位置を調整する。15時と書かれたボタンを押すと、太陽は今の位置より少しだけ西に傾いた。

「やっぱりティータイムはテラスに限るわよね」

 お嬢様はそう言って、外に繋がる扉を開く。

 キッチンの棚にはまだまだ紅茶の缶が大量に積み上げられている。小麦粉も、砂糖も問題ない。卵も当面の間は困らないだろう。

 でも、いつかはこのティータイムが終わってしまう日がくるのかもしれない。

 風化現象はすぐ近くまで来ているし、食糧だって……いつかは底をつく可能性がある。けれど、もう少しだけ。

 名前の消えたこの土地で、この勉強熱心なお嬢様とささやかな温もりを積み重ねていきたい。

 今日もそう願っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日のおやつはなんでしょう? 無月彩葉 @naduki_iroha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ