出来る乳母と策士な王妃

「ルイ、お前シャーリーのことが好きなんだったら、泣かせるなよ!!」

「っ、だってー!!」


 その日、キャサリンとレイナードの愛息子、7歳になったルイーズは、クラディッシュ公爵邸のお庭の端っこでべそをかいていた。そして、そのことを見つけたカロリーナとラウルの愛息子、同じく7歳のカイルに叱られている。


「お前さー、王子なんだし、もっとシャンとしなよ!!シャーリーは泣き虫で虫嫌いだってことぐらい知ってるだろう!?」

「うぅー、」


 べしべしと背中を叩かれたルイーズは半泣きどころか思いっきり泣き出しそうな勢いだ。キャサリンは愛息子の情けのない姿にそっと溜め息を吐いた。


「キャサリン様、恐れながらちゃんとルイーズ様を教育なさっているのですか?うちのお嬢様を泣かせるとは何事ですか。」

「カロン、可愛いお顔で凄まないで。私、あなたの可愛さに夢中になってなんでも頷いちゃいそうになっちゃうから。」

「あらあら、それは好都合です。我が家のお嬢様に相応しくあの泣き虫王子を教育してくださいませ。」


 にこにことここ数年、旦那様ができたことでハニートラップに磨きをかけたカロリーナが、本気でキャサリンのことを落としにかかる。

 キャサリンの性格を知っているからこそなせる技だ。


「うちの愛らしい奥様は、ルイーズ様のことを大層気にかけているのです。シャイなシャーリーが懐いているからっていう単純な理由で。」

「まあ!あの愛らしいメアリーが気にかけているって本当!?」


 キャサリンとカロリーナは『愛らしいメアリーを守る会』という特殊な会を設立しているメアリー信者同士だ。よって、2人の世界の中心はメアリーを中心に回っている。


「メアリーが望むのならば、ルイーズをシャーリーちゃんに見合うようなしっかりとした紳士に育てなくっちゃ!!」

「えぇ。そうですね。」


 キャサリンの弾んだ声に、カロリーナの満足げな声が答える。

 側から見れば、彼女たちは狂っている。だが、彼女たちの旦那様方の彼女たちへの溺愛はもっともっと狂っている。だから、側から見れば、彼女たちはまだマシな分類なのだ。


「そうそう、メアリーはカイルをルイーズの側近にしたいみたいよ。仲良し幼馴染組ってなんか憧れるって言っていたわ。メアリーには幼馴染が旦那様以外にいないみたいだから。」

「そうですか。奥様はうちの息子をルイーズ様の側近にすることをお望みなのですね。分かりました。ならば、うちの愚息もしっかりと教育せねばなりませんね。」

「えぇ、お願いするわ。まあ、今のままでも十分そうだけれど。」

「いえいえ、教育の余地ありですよ。動きへの練度が全くもって足りません。」


 暗殺者目線の反応に、キャサリンは苦笑をこぼした。彼女の元婚約者を奪い取ってくれたカロリーナは、今や世界に名を轟かせるメアリーの最強の裏の護衛にして、『血濡れの女王ブラッディークイーン』の名を欲しいがままにする裏社会の絶対女王的な存在だ。可愛い顔をしてえげつないことをいとも簡単にしてしまうらしい。トラウマ組から聞いた話は、誇張もあるかもしれないが、どれも鳥肌ものだった。


「貴方は愛息子をどうする気なの………?」


 キャサリンは恐る恐るカロリーナに質問した。なんだか不穏な予感がしてならないのだ。そして、キャサリンのこういう予感は、何故か十中八九当たってしまう。まるで野生児だと例えられるキャサリンの特技の1つだ。


「え?完璧な影に仕立てる気ですが………?」

「………どうして裏社会に自分の愛息子を引っ張り込もうとするのよ!?」

「え?旦那もその気で指導していますが?」


 キャサリンはクラディッシュ公爵家の恐ろしい忠臣夫婦に、頭を大きく抱えた。何故従者や騎士団長、宰相を目指させないのだろうか、と。

 2人はクラディッシュ公爵、ギルバートに伯爵位を頂いている。伯爵家ならば、十分に官職に就くことも可能であろうに、この夫婦には一切そういった考えがないらしい。


「………カイルにはルイーズの従者になってもらいたいわ。」

「はて?何故従者なのですか?」


 キャサリンは考えに考えを重ね、カイルに進んで欲しいと願う進路を決定した。けれど、カロリーナは全くもって理解してくれない。これはうまく説得する必要があるだろう。


「1つ、メアリーの願いである、『子供たちの3人ずっと一緒』を最も叶えやすいから。

 2つ、宰相は忙しくてルイーズに構えなくなる可能性があるから。

 3つ、騎士団長は遠征があって離れる時期があるから。

 4つ、カイルを影にするなんて、メアリーが知ったら絶対に許さないから。そして何より、メアリーは貴方が影であることを知らないから。

 5つ、従者ならば、あの子の持つ天性の天才性を活かせるから。

 以上!!」


 キャサリンは1つ1つ丁寧に説明した。そして、俯いて考えるカロリーナのことを息を止めて見守った。


「………カイルは確かに、頭もいいですし、運動神経もそこそこ良くて、旦那そっくりのイケメンで、人当たりもいいです。」


 未だにレイナードの背中をバシバシと叩いている栗毛に空色の瞳を持った、ラウルにそっくりの愛息子、カイルを一瞥したカロリーナは、すっとキャサリンに視線を向けた。


「ですが、従者は荷が重いかと。従者というのは、基本侯爵家の人間がやるものでは?」

「いいえ、伯爵家くらいの人間が普通よ。確かに、侯爵家の人間がやることもあるけれど、それは大体三男以降の子だけ。レイの従者も、落ちこぼれ侯爵家の次男。」

「………………。」


 カロリーナは『はあぁー、』と、わざとらしく大きな溜め息をこぼした。おそらく、キャサリンに聞かせるためのものだろう。分かりやすすぎる。


「分かりました。そのように教育いたします。」

「えぇ、お願いね。従者は確かに大変なお仕事。完璧な礼儀作法に、鉄壁の強さを誇る護身術、そして、王をも上回る知識を要求される。見た目も必要だし、家柄もそこそこ出ないと駄目。カイルはバッシングを喰らってしまうかもしれない。でも、私は彼以外にルイーズに相応しい人物を知らないのよ。」


 艶っぽい吐息をこぼしたキャサリンに、カロリーナは微笑んだ。確かに愛息子は従者に相応しい逸材なのかもしれない、と。愛息子を褒められて上機嫌なカロリーナは、お茶を美しく注いで、一礼した。


「奥様に帰還を願ってきます。」

「えぇ、お願いね。」


 カロリーナは、虫が怖いと泣きじゃくる愛娘を抱きしめてあやしているメアリーに、シャーリーを連れて庭園に戻るように促した。


「奥様、そろそろ戻ることをお勧めいたします。

 シャーリーお嬢様、ルイーズ様は大変反省しておいででしたよ。カイルに背中を叩かれながら、泣いております。」

「るいが?」


 涙声もまた大変愛らしいシャーリーが、メアリーの腕の中で首を傾げて問いかけた。


(あぁ、なんという至福………!!ここに絵師さえいれば………!!)


 カロリーナはシャーリーに頷き返し、メアリーに頷いて戻るように促した。子供たち3人のためにも、今日の小さな虫事件で不仲のままにしておくのもよろしくないだろう。


「もう、虫いない?」

「えぇ、薔薇についていた芋虫も、今日たまたまです。運が悪かっただけですよ、シャーリーお嬢様。」

「本当?」

「はい、誓って。」


 シャーリーはぴょん!とメアリーのお膝から飛び降りて、カロリーナに抱きついた。


「カイルはルイのことの?」

「………“ボコってる”なんていう言葉は誰に教わったのですか………?」

「? カイルだよ?」


 カロリーナは満面の笑みで吹き上がる怒りを表した。


 今日も今日とて、カロリーナは愛しの主人の愛娘ために、キャサリンと共に愛息子を愛の鞭でしごかなくてはいけないらしい。


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あの、………どなたでしょうか? 桐生桜月姫 @kiryu-satuki

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