第16話

 絶望と怒り、憎悪に狂った王妃は自らの派閥の人間のみが知っているとっておきの合言葉を叫んだ。


「『ミルクティーのネズミは月夜の晩に儚くなる!!』」


 僅かに躊躇った様子を見せた王妃の部下達は、顔に難色の色を写しながらもレイナードに牙を剥いた。


「あらあらまあまあ、愚かなこと!!私の大切なレイに手を出したいだなんて死にたいのね!!」


 興奮によって声が高くなっているキャサリンの楽そうな叫び声は、ホールにこだました。


「ギル、私も危ないかしら?」


 キャサリンを横目で確認したメアリーは不安げな瞳でギルバートを見て、ギルバートの礼服を僅かに引っ張った。


「う~ん、微妙だね。一応私から離れないようにだけして置いて。」

「分かったわ。さっきの言葉って、」

「あぁ、多分君の思っている通りだと思うよ。“ミルクティーのネズミ”は多分ミルクティー色のお髪を持つレイナード殿下、“月夜の晩に”の部分は多分夜会の晩とか時間帯、“儚くなる”はそのまま死を意味するんだろうね。」

「やっぱり私あの人嫌いだわ。」


 メアリーは嫌悪に顔を歪めて王妃を堂々と睨みつけた。


「いつから嫌いだったんだい?」

「………入場してこの私のことを眺めてきた時から。」

「ははは、君はやっぱり悪意に敏感だね。」

「お陰様でいつも変人扱いよ。」


 ギルバートの笑い声に不服な声を漏らしたメアリーは悲しそうに瞼を落とした。


「やーっておしまい!!」


 そんなメアリーをよそに、キャサリンは閉じた扇子を頭上から胸のあたりまでビシリと振り下ろした。


(キャサリン様、それは三流の悪役の台詞セリフだと思いますよ………。)


 僅かに苦笑したメアリーは、キャサリンの間違った#台詞__セリフ__#に少しだけ気分を上げることができた。

 メアリーが顔を上げた次の瞬間、黒衣の人間が天井から10人ほど息ぴったりに降ってきた。


(あ、あの人たちが味方なのね。天井から降ってくるなんてなんて頼もしいのかしら。………?…………降ってきた!?)


 なんの疑問を持たせないほどに自然に降ってきた人間に最初はなんの疑問も持っていなかったメアリーだったが、途中で異常な事態に気がついた。


(ここはとっても天井が高いのよ!?飛び降りるなんて普通は自殺行為よ!!)

「アリー、彼らは普通じゃないんだよ。」


 メアリーの心の叫びを読み取ったギルバートが疲れたように言い切った。何か因縁があるようだ。


 メアリーは少し彼らに興味が湧いてじっと観察してみることにした。

 真っ黒に見える黒い衣は、ぴったりとした真っ黒なタイツスーツに黒に近い紺色で染められた絹で作られた筒袖とズボンを履いていた。靴もブーツではなく、草履というものだった。


「忍者?」


 メアリーは初めて実在を確認した集団に好奇心に輝いた瞳を向けた。


「流石アリーだね。ニンジャを知っているのかい?」

「実際に見たことはないわ。ただ、文献で知っているだけ。確か東の方の大陸で暗躍している黒ずくめの人間の事を言うのよね。」

「う~ん、そこに関して私はよく分からないな。」

「そう。」


 メアリーは残念そうに唇を窄めた後、彼らがどんな風に戦うのかを見るためにほんのちょっとだけ身を乗り出そうとしたが、それはギルバートによっていとも簡単に防がれてしまった。


「ダメだよ、アリー。危ないから。」

「えぇー、私とっても見たいわ!!」

「不服いっぱいでもダメなものはダ~メ。」


 ギルバートは一瞬負けかけたが、理性を総動員させ、メアリーの安全を最優先させた。


「でも、彼らは本物のニンジャではないんだよね~。」

「そうなの?」


 ギルバートの苦笑いをしながら紡がれた言葉に、メアリーは心底ガッカリした。何故なら、好奇心旺盛なメアリーはなんでも本物を自分の目で見てみたがるからだ。忍者を見られるかもしれないという絶好のチャンスだと思っていたのにも関わらず、それが偽物だと分かったのならば、それは誰だってガッカリとするものだろう。


「そうそう。彼等のコスプレはキャサリン嬢の趣味だよ。」

「へー。………へ?」


 びっくりしてギルバートの方を2度見したメアリーは、ついつい思っている事を口走ってしまった。


「え?キャサリン様って可愛いもの好きよね?忍者って可愛くなくない?」

「忍者はなんとなくキュートなのよ!!」

「え、分かんない。」


 扇子を振り回してキュートというキャサリンは可愛らしかったが、メアリーはそれどころではなく、意味のわからないキュートの概念に目を白黒させた。


「ギル、どう思う?」

「そもそも“影”である彼らに可愛さを求めるのが間違ってると思う。」

「そうよね。やっぱりおかしいわよね。」


 メアリーは自分の感覚が間違っていないことにほっとし、ツッコミを入れるのは後にしてひとまず彼らの戦い方とこれからの行く末を静かに見守ることとした。


「ねぇアリー、クノイチってやつもいるってキャサリン嬢は前に言っていたんだけど、クノイチって何か知ってる?」

「“くノ一”っていうのは女性の忍者のことを指す言葉だったはずよ。でも、あの格好はコスプレってことは、彼女たちは“くノ一”ではなくてただの女性の影よ。」


 メアリーはガッカリしたことを隠す気もない口調でさらりと知識を披露した。

 王妃の部下がナイフを握ったのに合わせて、キャサリンの配下たるエセ忍者が“クナイ”を握った。

 もちろんここでメアリーのテンションは爆上がりした。


「ギル、見てみてギル!!クナイだよ!クナイ!!」

「クナイ?それはニンジャの武器なのかい?」

「えぇ!クナイは忍者の使う有名な武器の1つよ!!」

「ひとまず落ち着こうか、アリー。」

「ひゃぅー、ごめんなさい。」


 王妃派の人間の武器にたっぷりと毒を塗られているのを見たギルバートは、さりげなく楽しそうに身体を揺らすメアリーを抱く手を強めた。

 メアリーはなんだかんだ言ってこの事態を楽しみすぎて、危機感を持てていない。ギルバートがメアリーの分まで危機感を持っていることは大切なことだろう。


ーーーガチャーン!!

ーーーキーン!

ーーーヒューン!!


 キャサリンの影が投げたクナイを皮切りに、2つの部隊による死に物狂いの死闘が始まった。


「すごいねー、ギル!!」

「アリー、君は一旦事態の緊急性を理解し直そうか………。」


 メアリーはきゃきゃっと楽しそうに笑った。

 レイナードは唖然とした表情で、ギルバートは呆れた表情でそんなメアリーを見つめた。


「ギルバート、君の婚約者は相当大胆な女性なようだね。」

「殿下の婚約者様には劣りますよ………。」

「そうだね。男の私を押しのけて大胆不敵に戦ってるんだからね………。」


 普通や平凡という言葉とは程遠いちょっと変わった婚約者を持つ2人の男達は、お互いに自分のちょっとおかしい婚約者を見て、同情の瞳を交わしたあと、大きくため息をこぼした。

 戦いは圧倒的に各々の高い実力とリーダーによる統率力によって、あっという間に決着がついた。


 勝者は当然キャサリンだ。


 そして、このキャサリンの圧倒的な勝利は、ただでさえ折れかけていた王妃の心をぽっきり折ることとなった。


「わぁー、勝ったねー、ギル。それで?彼女はこの国に必要な人財なの?」

「必要ないよ。権力に物を言わせてこの王城を我が物顔で闊歩していた贅沢がだーいすきな害虫だからな。」

「あら、酷い物言い。」


 ギルバートの憎々しげな言葉に、メアリーはくすくすと愛おしそうに笑った。メアリーはこういう毒舌を吐くギルバートがなんだかんだ言って好きなのだ。

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