第24話 リディアは『主人公』と決別する

「セインくん、どこ行っちゃったんだろう……」


 時は少しさかのぼる。

 化粧室で用を済ませたリディアは、セインがいなくなっていることに気づき、不安感を覚えた。


 ──もしかして、なにか気に障るようなことしちゃったかな。

 お手洗いが長くて、うんざりしちゃったのかな。


 セインはいつも冷静沈着で、怒っている姿はほとんど見たことがない。

 だからこそ、リディアは不安でいっぱいだった。


 しかしその不安感も、一人の見知らぬ女性に声をかけられたことで、すぐに解消することとなる。


「もしかしてあなたがリディアちゃん?」

「えっ……あっ、はい。そうですけど……!」

「セイン様から『事件を解決しに行ってくる。すまない』って伝言を預かってるわ」

「え、事件……ですか?」

「わたしもよくわからないのだけれど、さっき女性の悲鳴が聞こえてきてね。たぶんその現場に向かったんだと思うわ」


 女性の言葉を聞いて、リディアは「自分が嫌われたわけじゃないんだ」と思え安心できた。


 不安がまったくないと言えば嘘になる。

 だがリディアは、セインの勇気ある行動を誇らしく思った。

 そして、通りすがりの女性を通して伝言を残してくれたセインの気遣いに、感謝の気持ちでいっぱいだった。


「教えてくださってありがとうございますっ!」

「行くなら気をつけてね。まだ危ないかもしれないから」


 リディアは、セインからの伝言を伝えてくれた女性に頭を下げた。

 取り急ぎ、セインを探しに行こうと走り出す。

 ──その直後。


「ようリディア。偶然だな」


 満面の笑みを浮かべたシンが現れ、唐突にあいさつしてきた。

 リディアには不思議と、シンが通せんぼしているかのように思えてしまった。


 そしてシンからは「狂気」がにじみ出ている……そのような気がしてしまった。


「あ、こんにちはシンくん。悪いんだけどちょっと急いでるからまた後で──」

「セインの野郎を探してるんだろう?」

「そうだけど、それがなにかな?」

「オレ、さっきセインがエリスと一緒にいるところを見かけたんだ。これからホテルでヤりまくるんじゃねえか?」

「違うよ。エリスさんは今お仕事中だよ。そしてセインくんは人助けをしてるって、さっき知らないお姉さんが教えてくれたよ」

「もしその女がセインの仕込みだとしたら?」

「どうしてそんな風に考えられるのか、わたしにはちょっとわからないな」


 リディアは「じゃあね」と言って、その場から去ろうとする。

 しかし……


「今から証拠を見せてやる。ついてこい!」

「な、なにするの! 離して!」


《勇者》シンに腕を掴まれたリディアは、ずるずると引っ張られてしまう。

 上級職とはいえ筋力に劣る《魔女》では、《勇者》の天職を持つ男に抗うことはできなかった。


 だがリディアは、周囲に助けを求めることができなかった。

 その理由は、助けに入ってくれた人が「人外」に返り討ちにされることを恐れたから。


 しかしながら、リディアの心配はまったくもって杞憂だった。

 なぜなら最初から誰も、リディアたちのことなど目に入っていない様子だったから。


 これはあまりにも不自然すぎると、リディアは周囲を観察する。

 すると、周囲には嫌な魔力が充満していることが分かった。

 おそらく認識阻害されているせいで、誰もリディアたちのことに気づけないのだろう。


 しかしリディアにはどうすることもできない。


 リディアは黒魔術のスペシャリストであって、白魔術は使えない。

 術者を倒すこと以外に、白魔術 《ベール》を解除する術を一切持っていなかった。


 それにしても、一体誰が《ベール》を使っているのだろう。

 非魔術師のシンにはできない芸当のはずだ。


 色々考えているうちに数十分近く引っ張られ、リディアはとある建物のエントランス前に連行されてしまった。

 その建物はまさに「小宮殿」と呼ぶにふさわしい外観だったが、どこか淫靡いんびな雰囲気を放っている。


 ──いつのまにかこんなところまで来ちゃった……嫌だよ帰りたい……

 リディアは一刻も早くこの場を離脱したかったが、《勇者》シンに腕を掴まれているため、それは叶わなかった。


「セインの野郎はこのラブホで、エリスとヤりまくっているはずだ」

「なにを根拠に言ってるのかな。いい加減にしないと怒るよ?」

「オレはお前のためを思って言ってやってるんだ。あいつはお前にいい顔をしておきながら、裏で女遊びするようなカスなんだよ。高貴で犯しがたい聖女であるエリスとヤることで、背徳感と性欲……そして支配欲を満たしてるんだ」

「セインくんはそんな人じゃない」


 リディアは、あえて静かに言った。

 わざわざ叫んで否定する必要もないくらい、シンの言い分が嘘だと分かっているからだ。


「まあいい、オレの言い分を信じるも信じないもお前次第だ。で、リディア。今ここでセインに見つかったら、あいつどう思うだろうな?」

「えっ……!?」


 リディアは間髪も入れず、背筋が凍った。

 シンの言葉の「その先」を想像することを、脳が拒否した。


「な、なんでかはわかんないけどっ……いま認識阻害されてるから、見つかることはない、はずっ……」

「セインは不可能を可能にする男だ──そうだろう?」

「で、でも──」

「セインはオレたちを見て、きっとこう思うだろうな」

「やめて……」

「『リディアはシンのことが好きだったんだな』『リディアはもう処女じゃないのか……』『リディアはシンという恋人がいながら、俺に好き好きアピールしてきたビッチだったのか』……ってな」

「やめてっ……!」


 リディアは、脚が強く震えているのを感じた。

 少しでも気を抜けば立っていられなくなるほどの、強烈な不安感がリディアを襲う。


 そしてリディアの心には、徐々に怒りの感情が芽生え始めていた。


 無理やり繁華街まで引っ張ってきたシンに対する怒り。

 そして、そんなシンの「目的」を察することができず、抵抗できなくてラブホテル前までついてきてしまった自分に対する怒り。


「もういっそのことセインなんて捨てろよ。あいつぶっちゃけ女嫌いな童貞野郎だろ」


 確かにセインは「男の回復術師」というだけで、いろいろな女性からバカにされてきた。

 あるいは「いないもの」扱いされてきた。


 もちろんセインに分け隔てなく接する女性は存在した。

 リディアもそのうちの一人である、という自負はある。


 しかしそれでも、セインに悪意の目を向ける女性の方が多かったのも事実だ。


 そんなセインが、女を嫌いにならないわけがない。

 嫌いにならなかったとしても、苦手意識を持って当然だ。


 女であるリディアは、今までそのことを考えないようにしてきた。

 わたしは大丈夫だと思って、無自覚に現実逃避してきたのだ。


 ──もしかして、今日のデートを楽しんでたのはわたしだけだったのかな……

 セインくんは優しいから、我慢して付き合ってくれてたのかな。


 リディアの心の中には、「デート」に付き合わせてしまったセインへの罪悪感が生じ始めていた。


「その点、女性経験が豊富なオレなら、カマホモメンヘラ野郎と違ってお前を悲しませたりはしないぜ?」


 リディアには、シンの言葉がまるで異国のもののように感じられ、理解できなかった。

 しかし、侮蔑の感情だけはハッキリと分かった。


 シンは猫なで声でささやきながら、リディアの腰に手を伸ばした。


「そしてこじらせ童貞野郎と違って、お前を悦ばせることも──」

「わたしに触らないでッ!」


 バチッ!


 リディアは魔術を使って、雷をその身にまとわせた。

 シンはリディアの行動に驚いたのか、冷や汗をかきながら間合いを取った。


「な……な、なにすんだよてめえ! 殺す気か!」

「これはれっきとした正当防衛だよ。電流は抑えめにしておいたからね」


 リディアはシンに対して、あえて大得意な氷魔術ではなく「それなり」に使える雷魔術を使った。

 それは紛れもなく、腐れ縁であったシンに向ける「最後」の恩情であった。


「《勇者》ってちょっと電流を浴びたくらいじゃ死なないんでしょ?」

「だ、だからって魔術はないだろ魔術は! オレたち幼馴染だぞ!」

「今までわたしは信じてた。『あなた』が昔の、誰に対しても優しかった『シンくん』に戻ってくれるって。でもそれは間違いだったんだね」


 リディアにとってシンとは、もはや幼馴染でもなんでもない。

 敵である。


 リディアの尊厳を傷つけようとした敵。

 そして、初恋のセインをおとしめる敵なのである。


 リディアが7歳のころ、家族ぐるみの付き合いをしていたシンが豹変した。

 普段は穏やかだが人一倍正義感が強かった男の子は、ガサツで乱暴なガキ大将に変わった。


 リディアは今まで、必死にシンを理解しようとした。

 しかし分かってあげられず、ひそかに苦しんできた。

 シンが変わってしまったのも、シンを更生させられなかったのも、幼馴染である自分のせいだ……そう思った時期もあった。


 だが、リディアは完全に吹っ切れた。

 性行為をほのめかす男に「纏雷てんらい」という名の鉄槌てっついを下したことによって……


「お前ら女はオレみたいな男が好きなんじゃねえのか! オレはセインの野郎よりもイケメンで男らしいし有能だし《勇者》なんだからな!」

「確かにあなたはモテてたかもしれない。でもわたしは、あなたよりもセインくんのほうが……ううん、そうじゃない。わたしは、セインくんっていう一人の男の人が好きなの!」


 リディアは《魔女》という天職を得たその時から、司祭を始めとする狂信者から「魔王の尖兵せんぺい」と罵られた。

 そして友達からは距離を置かれ、絶縁状態となった。


 両親からは受け入れてもらえたが、それと同時にいつも憐れまれてきた。


 しかしセインだけは違った。


 ──俺はリディアの、思いやりのあるところが好きだ。それは、リディアが《魔女》になろうが関係のない話だ。


 ──《回復術師》も確かに人のためになるけど《魔女》も立派な天職じゃないのか?


 セインは、リディアが欲しかった言葉をくれた。

 リディアを受け入れはしたが、まったく憐れんだりしなかった。

 むしろ《魔女》の天職に込められた可能性を、セインは見出してくれたのだ。


 そして、友達から絶交されたり腫れ物扱いされたりして寂しい思いをしていたリディアに、セインはこう言ってくれたのだ。

 ──リディアがそれを望むなら、もちろんいくらでも一緒にいる……と。


 単なる友達の一人でしかなかったセインはこのとき、リディアにとっての「初恋」となった。

 そして「かけがえのない大切な人」になったのだ。


 そんなセインと、単なる腐れ縁であるシンが、同列であるはずがない。

 ましてやシンへの悪感情が、セインへの恋愛感情を上回ることはありえないのである。


「わたし、もうあなたには近づかない。だからあなたも二度と視界に入ってこないで。そしてセインくんにも二度と変なことしないで」

「お、おい……さっきから気になってたけど、オレは『あなた』じゃない。いつもみたいに『シンくん』って呼んでくれよ!」

「バイバイ……」


 リディアは聞く耳を持たず、繁華街の出口を目指す。

 しかし──


「そうか。よく分かったぜ」


 シンが珍しく、静かにつぶやいた。

 もうすでにシンとは距離が取れているはずのリディアだったが、なぜかそのつぶやきが鮮明に聞こえてきた気がした。


「リディア、やっぱりお前は主人公であるオレのものであるべきだ」


 リディアの目の前には、いつの間にかシンが立ちはだかっていた。

《縮地》で回り込まれてしまったのだ。


 シンは大剣を鞘から抜き放ち、ただならぬ雰囲気を漂わせていた。


「死にたくなければオレの女にな──」

「リディア、一人にしてごめん」


 シンが言い切る寸前、突如として一人の男が割り込んできた。

 その男は、リディアの幼馴染にして想い人でもある《回復術師》セイン……その人だった。


 緊張した心が、弛緩しかんしはじめたリディア。

 足がふらつきそうになるのをぐっと堪えた。

 そして深呼吸をして、言葉をつむいだ。


「セ、セインくん! 助けに来てくれたんだね! ああ、よかった……ありがとう、ほんとにありがとうっ……!」

「こっちこそ、怖い思いをさせてしまってごめん」


 セインに頭を優しく撫でられ、恐怖心がだんだんと和らいでいく。

 幸せな気持ちで塗り替えられていく。

 もっと……いつまでもナデナデしてほしいと、リディアはふけっていた。


 そこに──


「て、てめえ! なんで認識阻害を突破できたんだよ! それに、いくらなんでも到着が速すぎる!」


 シンは驚愕と怒りの表情をあらわにし、狂ったように吠えたけっていた。

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