第2話


 その日は雨の降る寒い日だった。


 繭子は縁台で趣味の編み物をしていると、坂を登ってくる晴樹が見えた。黒い傘を差して、片手にはビニール袋を持っている。


 繭子は立ち上がり、縁台から晴樹を出迎えた。


「晴ちゃん、どうしたの?」

「これ、うちの母ちゃんが繭子さんにって」


 と、バナナマフィンを持ってきた。


「まあ、ありがとう! あ、晴ちゃん。ちょっと待って。きんぴらを持って行って!」


 マフィンを受け取ると、繭子は大量に作りすぎたお惣菜をお裾分けするために台所へと向かう。


「縁台で待っていて」

「うん」


 晴樹は遠慮なく縁台に座り、手持ち無沙汰なのか、コートのポケットからスマートフォンを取り出した。


「……晴ちゃんもスマホ持っているのね」

「こんな田舎でスマホこれがないと、誰とも連絡も出来ないし、何も買えないし」


 と言いながら、晴樹は画面を凝視し真剣に見ている。

 繭子はきんぴらをタッパーへ詰め込むと夢中で画面を見つめる晴樹の背後からスマホを覗いた。


「……何を見ているの?」


 すると晴樹はハッとして、思わずスマホの画面を隠す仕草をする。


「あ、いや、別に」

「女の子を見ていたの?」

「あ、や、まあ……アイドルを……」


 晴樹は恥ずかしそうにシドロモドロになりながら、少し躊躇ったものの、繭子に動画を見せてくれた。


 そこには可愛らしいフリフリの衣装を着た三人の女の子が映し出されていた。ピンク・青・黄色のミニドレスを着た女の子達は女性の繭子が見ても可愛らしい子だと思った。


 ポップな音楽が流れ出す。

 それに合わせて三人は息の合った軽快なダンスを踊る。楽しそうに掛け声を掛けて、どんな楽しい曲が始まるのかと思った途端、曲調が一気に転調し、曲がプッツリと消えた。

 静寂が流れた途端、センターのピンクの女の子がダン! と白のハイヒールブーツを踏み込んだ。


「!!」


 繭子はびっくりして、思わずスマートフォンを落としそうになったのを、晴樹が慌てて救った。


 驚きつつも、繭子は画面に釘づけになった。

 そのピンクの衣装の女の子に。


 コツコツ、と足でリズムを取る女の子。そこから驚くようなハードロックの曲調となり、衣装と全く合わないヘヴィメタルが始まった。


 繭子は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


 ヘヴィメタルを歌うとは思えない可愛い女の子達が、まるで地獄の様な歌を歌っているのだから。


 繭子はピンク色のセンターの女の子を目で追う。

 主旋律を歌っているからだろうか。いや、それ以外にもこの子を目で追ってしまう何かがある。


「……は、晴ちゃん。このピンクの子って名前は?」

「カスミン」

「カスミン……」


 名前を呟いただけで、繭子の心臓が高鳴る。

 繭子は曲が終わるまで、ずっとカスミンを見続けた。


「繭子さん……?」


 あまりの高揚感に、呆然とする繭子。


「……晴ちゃん、もう一度、聞かせてくれる?」


 震える手で、スマートフォンを晴樹に差し出した。

 晴樹は嬉しそうに、頷いた。


 それから、繭子は何十回もそのアイドル『わーるど☆ぱい』の「天獄と時間」という曲を聴き続けた。

 ループ再生の何度目からか、いつもは無口の晴樹が饒舌に『わーるど☆ぱい』の事を説明してくれた。


 メインボーカルは正統派美少女のカスミン。

 青い衣装はハスキーボイスのクール系美女のユッキー。

 黄色い衣装は可愛い系美少女、ツインテール女子のまみまみ。


 晴樹は、まみまみが推しらしい。


「私、カスミン推しになったわ!」

「繭子さんが『わーるど☆ぱい』の良さが分かるなんて! 俺、超嬉しい!!」


 今まで見たことない晴樹のはしゃぐ姿に驚きつつも、繭子も久しぶりに感じたときめきに、繭子の脳内には「天獄と時間」のカスミンの煌めく瞳と声が繰り返し再生をしていた。




 ◆




 由紀菜は麻美にも『わーるど☆ぱい』を辞める事を告げた。


 今までの苦労を前にあっさり辞めようとする由紀菜に、麻美が怒り出すのでは無いかと内心期待した香住。しかし麻美は驚く事なく冷静に「ふーん」と呟き「まあ、いつかはこうなると思ってたしね。で? 香住はどうするの?」と麻美にも身の振り方を問われた。


「わ、私?」

「実は私もさ、声優の方もチャレンジしてみたいって思っていたんだよね」

「じゃあ、私が脱退、麻美が声優に力を入れるという事で、事実上解散って事ね」

「そうね」


 まだ心情が追いつけない香住を置いて、二人はどんどんと話を決めていく。


「ファンにはどのタイミングで言う?」

「結成記念日ライブじゃない? そこで今年いっぱいで解散すると」

「そうね……本当のファンなんて、もう殆ど居ないと思うけれど……」

「ライブも友人知人ばっかりで、毎週配信している生ライブも再生回数も僅かだもんね」


 と苦笑いを浮かべる由紀菜。


 それから、事務的な話を進める二人。

 その中、香住だけが自分の行き先と道が見えず、ただただ困惑するばかりだった。






 ◆






 ――繭子がカスミン推しになってから、晴樹は部活帰りに必ず繭子の家へやって来ては『わーるど☆ぱい』の配信動画やライブDVDを見せてくれた。


 学校帰りでお腹の空いている晴樹のために軽食を用意し、それを二人でつまみながら『わーるど☆ぱい』の動画を見る。


 その日も唐揚げを頬張りながら定期配信動画に見入っていた。

 三人が他愛無い話をしたり、ゲームしたり、歌ったりする十分間動画。

 それを見ていて、繭子は気が付いたのだった。


「……なんか、最近のカスミン、元気ない気がする」

「え……そっかなぁ?」


 唐揚げを頬張り、まみまみしか見ていない晴樹が適当な返事をする。


「うん、なんだか覇気がないのが分かる」


 晴樹は唐揚げを飲み込むと、歯切れ悪く、


「……『わーるど☆ぱい』ってさ、世間的には人気無いし、売れていないから……カスミンは性格が真面目だから、元気なくなるのも分かるんだよね」


 と言う。繭子も晴樹に聞いて驚いた事実だった。こんなに才能に溢れた子達が人気が無いなんて……。


 その時、動画のユッキーが『えーと! みなさんに嬉しいお知らせがありまーす!』と話を切り替えた。


『今度のクリスマス・イブに、通年通り『わーるど☆ぱい』結成記念日ライブを行いまーす☆』と言う。

『たくさんの人と、楽しいクリスマスを過ごせたらいいな~♡』とまみまみ。


 その後、数秒間、動画に沈黙が流れた。


 少し焦るまみまみが『おいおい、カスミーン、寝るな~(笑)!』とカスミンの肘を突いた。するとカスミンはハッと正気に戻り、綺麗な笑顔を貼り付け『あ、えーっと。詳しい情報はホームページをご覧下さい。ぜひぜひ、遊びに来てね~!』と手を振りながら配信は終わった。


 晴樹はさっそくスマホで詳細を調べ、ポツリと呟いた。


「会場はアイコン☆カフェ……渋谷かぁ。遠いな」



「……晴ちゃん、私、行くよ」


「は?」

「私、渋谷へ行くわ!」


「ええ!?」

「カスミンを応援しにいかなくちゃ!!」


「えええー!? マジか?」

「マジよ! 何よ、私が行くのがそんなにおかしい?」


「い、いいや、おかしくないけど……遠いよ?」

「晴ちゃんは、何度か東京に行ったことあるんでしょ?」

「ま、まあ、親戚がいるから……」


「旅費は私が全部出す! だから晴ちゃん、一緒に付いて来て!」


 繭子はそう意気込むと、爪楊枝で唐揚げをブッスリと刺し、パクリと食べて力強く咀嚼したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る