第30話 アイビー婆さんの魔法杖店

 帰りの馬車の中、テディは疲れ果てて眠ってしまった。洗礼式から始まり、旧友との再会、人攫いに遭いかけ、初めての観劇……と、あまりにも色々なことがあった一日だった。


 人攫いの話をすると、サフランは大きくため息を吐いた後、リラの頭をコツンと手の甲で叩いた。


「そんな大変なことがあったならば、流石に観劇どころではないです。すぐに言わなければ駄目ですよ」


「ごめんなさい……」


 リラはその通りだと思い、小さく縮こまって謝る。


「ヒールは済んだとのことですが、失った血が戻るわけではないので……体は大丈夫ですか?」


「大丈夫ですが……今日はすぐ寝ます」


「絶対にそうしてください」


 そう言ってから、サフランはリラの体をふわりと抱きしめる。


「……怖かったでしょう。助けにいけなくて、ごめんなさい」


「そんな……」


 サフランの体温が触れた部分からじんわりと伝わり、張っていた気持ちがゆるんで涙がこぼれる。サフランは娘の頭をゆっくりと撫で続けた。


「それにしても……おかしいよなぁ。ノアのことを王子と呼んでいたんだろう?ノアが王子と公表されたのは今日だし、リラのことも聖女って……」


 マシューが眉根をひそめ、頭を大きく傾ける。その拍子に、もたれかかっていたテディの体がずれ落ちそうになり、マシューは慌てて姿勢を正す。


「まあ!珍しく冴えていますね……その通りです。噂が回ってから賊を雇う時間があったとは考えられませんし、首謀者は洗礼式に参加していた者……もしくは、ノアが王子だとあらかじめ知っていた、王城の関係者かもしれませんね。何にせよ、王立騎士団の取り調べを待たないと……あら?」


 サフランが目を向けると、リラもすやすやと寝息を立てていた。父と母は目を合わせて微笑み、馬車は静かに家へと駆けて行った……。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「リラ、改めて……洗礼おめでとうございます」


 一週間後の夕食時、デザートのアイスクリームに手をつけた辺りで、サフランが切り出した。


「本来は洗礼式の日に渡すはずでしたが、色々とあったので……あなた、あれを」


「ああ!……リラ、洗礼おめでとう!父さんと母さんからのプレゼントだ」


 マシューが緊張の面持ちで、リボンのかかった細長い箱をリラに手渡す。


「ありがとうございます!……わあ、魔法杖の持ち手ですね!!」


 リラが箱から取り出したのは、銀色に輝く細長い棒だった。ライラックの花の繊細な細工が施され、色とりどりの魔石が一直線に埋め込まれている。


「ついにこの日が……本当にうれしいです!」


 この国では、洗礼を終えた者のみが杖の携帯を許される。幼い子供は魔力操作が不安定のため、杖を使って魔法を暴発させることがあるためだ。


「おめでとうございます!……でもお姉さまは素手でも普通に魔法が使えるのに、何のために杖が必要なのですか?」


 テディがアイスクリームを口に含みながら尋ねる。


「杖があると、より繊細な魔法操作が出来るようになるのですよ!例えば、水属性を手のひらで発生させると水球程度しか出来ませんが……杖を使えばジェット噴射とか、氷や熱湯にする温度操作だって出来ちゃいます!」


「……お姉さま、素手で雨を降らせていませんでした?」


「うっ……あれは見た目ほど難しい操作じゃないんです。ええと……絵を描く時、指先を使うと太い線しか描けないですが、ペンを使うと小さく細かい模様まで描けるような……そんな感じです!」


「まあ、リラは絵はからっきしだから、指でも手でも独創的だけどな!」


「もう!お父さまったら……」


 リラは恥ずかしそうに首をすくめる。何でも器用にこなすリラだったが、絵だけはめっぽう苦手であった。その「個性的」としか言いようのない画風を見て、家族は「画伯」と呼んでいた。


「うふふ……まあそれはそれとして、持ち手を見てくださいな。リラの属性に無い魔石を埋め込んでおきました」


 サフランは持ち手の魔石を指差す。九色の魔法属性の内、赤と青以外の7色の魔石が嵌められている。


「持ち手の素材は銀にしました。……底を見てください、丸く凹んでいるでしょう?どんな意味があると思います?」


 サフランが悪戯っぽく、くすくすと笑う。


「……え!もしかして……神聖力付与用ですか!?」


「ふふっ、正解です!その凹みにダイヤを置けば、銀が受け皿となっていつでも神聖力が付与できます。持ち手の素材は木や白金が一般的ですが、特別仕様にしてもらいました」


 銀は黒ずみが出てくるようなので、お手入れは少し大変かもしれませんが……とサフランは続ける。


「お手入れなんて、毎日するので問題なしです!……ありがとうございます!」


 リラが大切そうに箱を抱き締めるのを見て、サフランは微笑む。


「それで、肝心の杖の本体部分ですが……今週末一緒に買いに行きましょう。こればっかりは、本人が行かないとどうしようもないですから。それでですね……」


 サフランが皿を下げようとしていたメイドのマリーに声をかけると、マリーは頷いて部屋を出た。下げかけた皿は忘れて行っている。


 数分後ドアをノックする音が聞こえ、マリーと共に一人の青年が入室してきた。


 20歳くらいだろうか、背の高い青年は騎士団の格好をしている。髪は深いエメラルドグリーンで、サラサラとした直毛だ。少し吊り上がった目元に表情はなく、俯き気味に前を向いている。


「以前から予定していたのですが……今後は、リラに護衛を付けることにしました。ユーリ=エメラルド君です!」


 ユーリと呼ばれた青年は、無言で頭を下げる。


「よろしくお願いします……って、まさか、エメラルド家の方ですか!?あの宰相の……」


 エメラルド家といえば、将来召喚されたサクラが引き取られる家だ。今は召喚前とはいえ、思わず緊張で声が上ずる。


「宰相は私の叔父です。以前、従妹もリラ様にお会いしたことがあると……」


「……?あ!あの、テディを馬車で轢きかけたご令嬢の……」


 リラの頭に、キャンキャンと叫ぶ緑髪の令嬢が思い浮かぶ。そういえば、あの日はあのまま放置してしまったが、大丈夫だったのだろうか……。


「その節はご迷惑おかけしまして……」


「い、いえいえいえ!……お母さま!エメラルド家の方と、どこでお知り合いに……!?」


「うふっ、スカウトしてきちゃいました。王立騎士団から」


「王立騎士団から!?」


 聞くところによると、リラが聖女になるにあたり危険が増すと考えたサフランは、事前に王立騎士団に視察に行っていたらしい。

 そこで腕っ節の良い出世頭を見つけたため、あろうことかヘッドハンティングしてきたそうだ。


「お、王立騎士団から引き抜きなんて、聞いたことがありません……」


 王立騎士団といえば、国家公務員のようなものである。どんなご時世でも食いっぱぐれはなく、給料も高く、エリート故に結婚も引く手あまただ。

 そんな職場を蹴って、どうしてこんな地方領地に来てくれたというのだろう。


「自分、出世には興味ありませんから。……伝説の騎士団長の元で働けるなんて、光栄です」


 ユーリは表情を変えずにそう応える。クールな見た目とは違い、意外と熱い男なのだろうか。マシューは照れたように、でへへと笑って頭をかいている。


「リラが領地の外へ出る際には、ユーリ君に護衛をしてもらおうと思っています。普段は領地の騎士団の指導と、孤児院兼学校の先生をしてもらう予定です」


「孤児院兼学校……ですか?」


「ふふっ、これはまたの機会に話しましょう。──さて、ユーリ君の紹介も終えたことですし、食後の祈りをしましょうね」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 次の土曜日、リラは再び王都へと向かっていた。

 

 こう連続で王都を訪れると、少し飽きたようでテディも退屈そうだ。本人の希望で同行してきたのだが、外の景色も見ずに本を読み続けている。


 初めての護衛となったユーリは、御者と共に御者台に腰掛けていた。激しい揺れにも、全く姿勢を崩さず涼しい顔をしている。鍛え上げられた体は伊達じゃないと言ったところだろう。


 リラはと言うと、興奮で胸を高鳴らせながら、目をキラキラと輝かせていた。

 魔法杖をオーダーメイドで作るのは、今回が初めてだった。前回まではサフランの死で邸宅が混乱していて、領地の杖屋で適当に買った杖を使っていたのである。


「さあ、着きましたよ!」

 

 広い王都の一番外れ、魔境の森のほど近くにその店はあった。


 煉瓦造りのその店は、よく言えば「レトロ」、悪く言えば「オンボロ」だ。

 外壁は斑入りのアイビーの蔦でほとんど覆い尽くされており、真っ赤なドアと小さな木製の看板だけが辛うじて客の目に入る。

 雨晒しになっている看板には「アイビー婆さんの魔法杖店」と、消えそうな字で彫られていた。


 コンコンッと軽くノックをした後、サフランが苺ジャム色のドアをゆっくりと開ける。ドアに付けられた鈴がチリンと可愛らしく音を立て足を踏み入れると、思いもよらない景色が広がっていた。


「うわあ、何これ……!?」


 テディが驚きのあまり声を上げ、リラの腕に身を寄せた。

 

 円形に広がった店内は外観の10倍はあろう広さで、妖精たちが光の粉を振り撒きながら飛び回っていた。

 

 ログハウス風の壁は一本一本質感と色の違う木が縦方向に並んで出来ており、生木のように所々に枝葉が出ている。

 店内の壁に沿って木製の螺旋階段がぐるぐると上まで続いていて、10m以上はあろうかという天井は、壁の木々から伸びた枝と葉で覆われていた。


 店内では、洗礼を終えたであろう子供達が、親と共に壁の木を触って歩いている。リラとテディが口をあんぐりと開けて上を見上げていると、螺旋階段の半ばから女性が身を乗り出してきた。


「まあまあ、そこに居るのはサフランじゃないの!お久しぶりねえ」


 手摺につかまりながらゆっくりと降りてきたのは、目尻に優しそうな皺を刻んだ小さなお婆さんだった。

 

 

 

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