第4話 白き聖女の瞳

「リ……リラ様!?」


 洗面用のタライを足元に放ったまま、亜麻色の髪を揺らしてメイド姿の女性が駆け寄ってくる。


「マリー……マリーなんですね?」

 

「そうです、マリーでございます!ご気分はいかがですか?」


 マリーはリラの両手を握りしめ、キャラメル色の瞳に涙を浮かべながら、心配そうな表情でリラを見つめた。


 リラの頭に、5回目のループの記憶が蘇る。



・・・・・・・・・・・・・・・



 サクラの陰謀によって冤罪をかけられ国外追放されることになったリラは、粗末な馬車に揺られていた。

 手元に残ったのは小さな旅行カバン一つと、メイドのマリーだけ。


 マリーはそっと寄り添い、固く握られたリラの拳の上に手を重ねる。


「リラ様……マリーはいつまでも味方でございます。マリーの心の中には、これまでのお嬢様の姿がございます」


 マリーは、リラの頬を伝う涙をハンカチで拭いながら続けた。


「お嬢様は優しいお方です。18年間、ずっと見て参りましたから。世間がお嬢様のことをどう言おうとも、マリーの心の中のリラ様は揺らぎません。お嬢様は、お嬢様らしく生きてくださいませ」


悪女と罵られ、石を投げられ、逃げるように国を出てきたリラは、燻った心に僅かに光を灯す。


 自分が産声を上げた時から側で支え、母が亡くなってからは第二の母親のように育て上げてくれたマリー。温かな彼女の肩に頭を預けながら、リラはようやく微笑みを取り戻した。


「ありがとうございます、マリー。あなただけは、私が──」


 そう言いかけた途端、馬車がガクンと揺れて止まった。馬のいななきと御者の悲鳴の後、乱暴にドアが開けられる。


「な!?あなた方は……!?」


 リラ達を馬車から無理矢理引き摺り下ろしたのは、王城の騎士達だった。その後ろから退屈そうに腕を組んだサクラが現れ、二人を見下ろす。


「も〜!今回も上手くいかなかったわ!またリセットするしかないわけ」


 あ〜あ、と肩をすくめながら、サクラは気怠そうにリラに杖を向けた。マリーが慌ててリラの前に飛び出し、腕を広げる。


「お嬢様に何をするおつもりですか!?国王陛下のご命令は、国外追放だったはず……それをこうして、騎士達まで引き連れて襲うとは!」


「はいはい、前回と何か変化をつけようと思って国外追放に仕向けたけど、結局意味はなかったわ。確かに命令違反だけど、もうこの回も終わるから怒られることもないし」


 えいっと声を上げてサクラが杖を振るうと、マリーの体が氷の短剣で貫かれ、ドサリと音を立てて地面に倒れた。


「マリー……?マリー!?」


 リラが震える手で抱き起こすもマリーの目は虚に空を映すばかりで、すでに息は絶えていた。


「それじゃ、サヨナラ。──どうせまた会うことになるでしょうけど」


 サクラが騎士に目をやると、騎士は持っていた剣でリラの首を切り落とした。



・・・・・・・・・・・・・・・



「リラ様……?やはりまだどこか痛みますか?」

 

「いいえ……大丈夫です」


 心配そうに覗き込むマリーを見て、本当に過去に戻ってきたのだと実感する。


 生きている。マリーが、生きている。

 

 本当に、もう一度、やり直せるのだ。


 目からは大粒の涙があふれるが、マリーがオロオロと慌てる姿が懐かしく、ふふっと声が漏れる。


「本当に大丈夫です。ありがとうございます、マリー」


 最期の時まで私を守ろうとしてくれて……と、心の中で付け足して噛み締める。


「お嬢様が本棚の本を取ろうとされて椅子から落ちて……。その後全然目を覚さないものですから……お嬢様に何かあれば、マリーめはもう、土に還るしかないかと……」


 よよよ……と泣くマリーの頭を撫でようとすると、自分の手の小ささに気が付く。マリーも見たところ、17歳くらいだろうか?

 

 ──これ、一体いつに巻き戻っているのでしょうか?

 

 壁際に置いてある鏡台に目を凝らすと、ちんまりとした自分の姿が目に入った。


 その時、派手な音を立てて大柄な男性が飛び込んできた。


「リラーーー!!椅子から落ちたと聞いたが、大丈夫かーー!?……と思ったら、もう起きているではないか!」


 紅茶色の髪をした男性は、驚異のスピードでベッドの側まで駆け寄ってくる。


「あらあなた……気分が悪くて寝ていたらどうするつもりだったのですか」


 続けて、ラベンダー色の長い髪をサラサラと揺らし、細身の女性がゆっくりとこちらに向かってくる。


「お父さま……お母さま……」


 前回のループですでに亡くなったはずの両親の姿に、リラは再び涙をこぼす。

 母親は魔物討伐の際に亡くなり、そして父親は──国王暗殺の容疑をかけられ、獄死したのだった。


「あらあら……まだ頭が痛む?無理をしては駄目ですよ」


 リラの頭を撫でながら、母親は優しく微笑む。


「いいえ……ただ、お母さまとお父さまに会えたのがうれしくて」

 

「ハハッ!今朝会ったばかりなのに大袈裟だな!──しかしなリラ、俺も我が娘に会えてうれしいぞ!!」


 ガハハ!と大きく笑いながら、父親はリラの頬にフサフサの髭面をこすりつける。


「もう!あなたったら……リラは病み上がりなのですよ」


 母親は小さくため息をつきながら、逆側の頬にキスをする。

 その瞬間、触れた場所に小さく光が灯った。


「もう神父様によってヒール済みですけれど……早く良くなるようにおまじないです」


 懐かしい母の優しさにじんわりと胸を温めていると、父親がリラの髪を手に取ってまじまじと見つめる。


「それにしても、リラの髪は綺麗なアメジスト色だな!ライラックと名付けたのは大正解だったな」


 リラの本名はライラック=アメジスト。アメジスト伯爵家の一人娘だ。

 アメジスト家は代々紫色の髪をしており、それが一家の象徴なのだ。


「先祖返りと呼ばれた私よりも、濃い紫色ですものね。でも目はあなたによく似た深緑色──あら?」


 母親がリラの目を不思議そうに覗き込む。

 リラはパチパチと長い睫毛を震わせて瞬きをした後、遠くの鏡台に目を凝らした。

 

 そこには、金色の瞳を持つ少女が映っていた。


「なに!?目が金色になっているではないか!!」

 

「おかしいですね……今朝会った時はいつも通りでしたけれど──まさか、病気?それとも、頭を打った衝撃で何か……?」

 

「なんだって!?急いで医者を!!」


 はい!とマリーが部屋を飛び出そうとするのを、リラが慌てて止める。


「ちょ……ちょっと待ってください!」


 これはきっと、神の仕業だろう。瞼にキスをし、いたずらっぽく微笑む神の表情を思い出す。


「あの……実は先ほど、夢の中で神さまと会ったのです」

 

「な、なんだって!?」「なんですって!?」


 両親が声を揃えて叫び目を見開く横で、マリーが口をあんぐりと開け、もう一度タライを落としていた。

 

 リラはどう説明したら良いか……と頭をひねり、考え込む。


「それで……神はなんと?」

 

「夢の中で神さまは……私に神聖力と、先見の力を授けると仰りました。その力で、皆や世界を守るようにと」

 

「な……んと、だから目が金色になったのか」

 

「……そのようです」


 この世界では髪と目の色が濃いほど魔力が高く、薄いほど神聖力の適性が高い。

 特に金色の目を持つ者は桁外れの適性を持ち、女性の場合は「聖女」と呼ばれるのだ。

 

 前回までのループでは、サクラがこの「聖女の瞳」の持ち主であった。

 

 一般に髪と目の色は同程度の濃さが多く、魔力と神聖力を兼ね備える人物は滅多にいない。

 

 貴族家では、生まれた子の髪色が濃い場合は魔力の高さを喜び、薄い場合は神聖力強化のため、熱心に教会に通わせることになる。

 

 神聖力は信仰心と行いに比例するので、ただ教会に通ったからといって神聖力が上がるわけではないのだが……。


「それで、気分はどうですか?体に変わったところは?」


 母親が動揺を隠しつつ、落ち着いた口調で尋ねてきた。

 幼い娘があり得ない夢の話をしているにも関わらず、ひとまず信じてくれる器の大きさをありがたく思う。


「変わりありません、お母さま。元気いっぱいですよ!」


 リラはふんっ!と細い腕で力こぶを作るポーズをした。それなら良かったです、と安心した様子を見せつつ、母親はこう続ける。


「神聖力の話は気になりますが……取り急ぎ、明日王城へ参るのはどうしましょうかね」

 

「うむ……椅子から落ちて頭も打ったことだし、延期していただくように使者を出すか」

 

「──待ってください、今日は何月何日ですか!?」

 

「まだ混乱しているのかしら……7月の6日ですよ。あなたが楽しみにしていた、花祭りの前日ですね」


 花祭りの前日、そしてこのくらいの年齢……。

 

 前回までのループを辿り、遠い記憶を思い出す。


 7歳になる前の年の夏、椅子から落ちて王城へ行くのが延期になったことがあったはずだ。そして、楽しみにしていた花祭りに行けなかったことも。


「お母さま、お父さま──明日必ず、王城へ参らなければなりません」

 

「何故だ?頭を打ったのだし、大事を取っても……」

 

「どうしても……行かねばならないのです。あの、神さまが、そう仰っていて……」


 しどろもどろになりながらも、リラは力強く訴える。


「まあ……普段わがままを言わないリラがそこまで言うのですから、何か理由があるのでしょう。……体は本当に大丈夫なのですね?」

 

「はい、それはもう!」

 

「では、仕方ありませんね。明日は予定通りお城へ参りましょう」

 

「ありがとうございます、お母さま!」


 抱きつくリラの頭を、母親が優しく撫でる。父親は心配そうに見つめるが妻には逆らえないのか、待てを言われた大型犬のように大人しくしている。


「それでは、今日はゆっくりお休みなさい。頭の中を整理しておいてくださいね。夢の話は、明日馬車の中で聞きますから」

 

「はい、おやすみなさい……お父さま、お母さま」


 両親はリラの額にかわりばんこにキスをし、部屋を後にした。マリーも「お食事を持って参ります」と、慌ただしく部屋を出て行った。


 静かになった部屋で、リラは昔の記憶を思い返す。

 

 明日は花祭り──ノアの10歳の誕生日だ。

 

 そして、ノアと王族との契約が取り交わされる日でもある……血の契約が。


 ──何としても、それを阻止しなければ!

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