【13】離婚しましょう!ミュラン様

わたしは、侍女に着せられた恥ずかしいネグリジェのまま、寝室に彼が訪れるのを待っていた。

昔は「触れないで」と言ってたくせに、今は自分のほうから、あの人を誘おうとしている……すごくみっともないし、恥ずかしい。


でも。『わたしを、あなたの本物の奥さんにしてください』と、お願いしようと決めていた。


もしも勇気を出しても……ミュラン様がわたしのことを、拒んだら。慰謝料なんか貰わなくていいから、すぐに離婚させてもらおう。


そんな覚悟を決めたわたしは、ミュラン様をじっと待っていた。


   *



――結果。

離婚が確定した!!



「リ。リコリス!? なぜ君が僕の部屋に!? その恰好はどうした!?」

ミュラン様は寝室に入るなり、ぎょっとした顔でわたしを見ていた。明らかに退いている。


「か、火事か? 煙が……!?」

お香は、火災と勘違いされていた。


ちっともロマンティックな雰囲気じゃない! 

大敗北の予感しかしなかったけど、わたしは勇気を振りしぼり、ベッドから飛び降りてミュラン様に抱きついた。


「リコリス!?」

「ミュラン様。……「触れないで」なんて言っちゃって、ごめんなさい」

「え!?」

「わたしを、ミュラン様の奥さんにしてくれませんか」

「奥さん!?」


普段は柔らかい態度を崩さないミュラン様が、明らかに動揺しまくっている。


「もう、慰謝料なんかいりません……ワガママばかり言って、ごめんなさい。わたし、あなたと本当の夫婦になりたいです」


ミュラン様は、言葉の意味を理解したらしく息をのんでいた。

でも、やがて戸惑いがちに呟いた。


「……どうせ、侍女たちにでも入れ知恵されたんだろう? そんな恥ずかしいネグリジェまで着せられて。可哀そうに」

「っ!? ち、違います、これは、わたしが着たかったから着たんです」


少し冷静さを取り戻した様子で、ミュラン様は苦笑していた。

「まったく、うちの侍女には困ったものだ。たまに驚くような奇行に及ぶんだよ、彼女らは」


「聞いてください、ミュラン様! わたしは本当に、あなたの奥さんになりたいの!」


「ムリして嘘をつかなくていいんだよ。君は、あんなに僕を嫌ってたじゃないか。最近は少し親しくしてくれているが……本当はまだ、僕を嫌いでたまらないはずだ」

「違……」


「偽らなくていいんだ。リコリス。当初の予定通り、3年で十分だよ。それ以上は望まないから、だから……離れてくれ!」


ぎゅ、としがみついていたわたしの腕を、ミュラン様は強い力で引きはがした。


ミュラン様ははっきりと、わたしを拒絶していた。

瞬間。わたしの頭は真っ白になってしまう。


「…………だったら。今すぐに、離婚してください」

「……?」


「離婚しましょう! ミュラン様。今すぐに!」

「……今すぐに?」


ミュラン様は、動揺しているようだった。色香の漂う切れ長の目を大きく見開き、顔色が悪くなっている。


「待ってくれリコリス。3年の約束はどうしたんだ。今すぐって……本気なのか?」

「もちろんです!」


わたしは、羞恥心と悔しさが交じった目で、ミュラン様を睨みつけた。

ワガママ勝手なお願いだと分かっていても、こんなにきっぱり拒まれてしまったら悔しくて仕方ない。


「あなたと一緒にいるのは、もう一秒でも耐えられません! もう、あなたを見たくないし、見られたくないです! 慰謝料なんかくれなくていいから、今ここで別れてください!!」


「見られたくないって……なら君は、どうしてそんな恥ずかしいネグリジェを着てるんだ? それは女性が体を見せて、男を誘うとき着るものだぞ」


「分かってますよ!! これを着てもあなたが喜んでくれなかったら、離婚するって決めていたんです!! 結果、あなたは全然喜んでる様子がないので……もう、離婚です。さようならミュラン様!」


わたしは泣きべそをかいて毛布を引っかぶり、手足と顔だけ出すと寝室から飛び出そうとした。


「待ってくれ、リ――」

リコリス。と呼ばれる前に、わたしは自分で毛布を踏んで転んだ。


ずでん。


顔面を床に打ち付けて、痛みに悶えてうずくまる。


「お。おい、……大丈夫かい?」

「触らないで! どうせわたしのことなんか、好きじゃないんでしょ!?」


悔しい。……恥ずかしい!


目のやり場に困ったような顔をして、ミュラン様は壁を見つめていた。


「そんなことはない。僕は、…………君が本当に好きだ」

「じゃあ、どうして奥さんにしてくれないんですか? 好きなら、別れなくてもいいはずでしょ!?」


わたしは恨みがましい態度でミュラン様を責めていた。でも、ふと冷静さを取り戻して、後継者問題のことに思い至った。


「……もしかして。後継者問題のことで、悩んでらっしゃるからですか。わたしだけじゃ足りなかったら、また愛人さんが必要になるから……?」


ミュラン様が、後継者問題で悩んでいることはよく知っている。

ガスターク公爵家は、代々子供を授かりにくい家系だから。わたしが妻になっても授からなかったら、他の女性が必要になるに違いない。


たしかに、そう考えると胸が張り裂けそうになる……


(もしかして、ミュラン様は後継者問題でわたしを傷つけないために、夫婦関係を避けてきたの……?)

「いや、違う」


ミュラン様はきっぱり否定した。


「君を抱けば、一度ですぐに子を授かる。しかも双子だ」


えっ。双子?


「やけに具体的ですね……なんで分かるんですか?」

「分かるんだよ。僕は、君と関係を持った先の未来を、全部知ってるんだ」


未来を知っている? そんな預言者みたいなこと、ミュラン様にできるはずがない。四聖爵の能力にも、未来予知はなかったはずだ。


「……もっと深刻な理由が、別にあるんだよ」

「深刻な理由って、なんですか?」


彼は心底困った顔をしていた。

「本当のことを言っても、君は絶対に信じないと思う。……それでも、聞いてくれるのか?」


あまりに真剣な表情だったから。

「……信じます。話してください、ミュラン様」


ミュラン様は、覚悟を決めるように深呼吸をしていた。

やがて呟いたのは――




「実は僕らのいるこの世界は、乙女ゲーの中なんだよ。そして僕らは、悪役令嬢の父親と母親になる運命なんだ……」


はい???

彼を信じると決めていたのに、さっそく意味不明だった。


「おとめげーって? 悪役令嬢っていうのは、何ですか?」

「どこから説明すればよいのか…………」


ミュラン様は、苦悶に満ちた顔で眉間を押さえていた。


   *


たっぷり30分くらい悩みに悩んでいたミュラン様は、やがて困り顔で説明を始めた。ちなみにわたしは、みっともないから毛布をかぶって顔だけ出して話に聞き入っている。


「……えぇと。『乙女ゲー』というのは、娯楽の一種だ。異世界の人間は、娯楽のために『乙女ゲー』という世界を作る。その世界のうちのひとつが、僕らの生きるこの世界だ」



ぽかーん。。。として、わたしは彼の話を聞いている。



「乙女ゲーの世界には、異世界人に定められた筋書きストーリーがある。基本的には、逸脱できない。……質問はあるかい、リコリス?」


「質問だらけですけど、いちいち突っ込んでたらさらに混乱しそうなので。どうぞ」

「ありがとう」


こほん。と咳払いをして、ミュラン様は話をつづけた。


「……僕の前世は、異世界人だったんだ。乙女ゲーを嗜む、16歳の少年だった」

「おかしな宗教に入団なさったんですか」


「本当にまじめな話だから、もう少しだけ我慢して聞いてくれ。……僕は2年前に昏睡状態になったとき、前世の記憶を取り戻した。そして、君を待ち受ける悲劇についても知ってしまった」


わたしを待ち受ける悲劇……?


「君は無理やり僕に抱かれて、望まぬ妊娠をさせられるところだった」

「最低ですねあなた」

「そういうストーリー設定だったんだよ」


ミュラン様は、深刻な顔で一息に語った。


「その設定の中では、ミュラン=ガスターク公爵は愛人をたくさん囲っているし、妻リコリスを愛していない。だけれど、ある晩に夫婦で言い争いになったことをきっかけに、嗜虐心に駆られたガスターク公爵はリコリスを貶める。……その一夜の交わりで、リコリスは望まぬ妊娠をさせられてしまう」


「ぞっとします」

「ぞっとするだろう?」


双子の男女が、生まれるそうだ。男児はミラルドと名付けられ、ガスターク家の後継者となる。女児はミレーユ。


「そのミレーユが、悪役令嬢になる。実は、僕らの世代はバックグランド的にさらりと述べられる程度で、この乙女ゲーのメインストーリーはミレーユたちの時代だ」


ミレーユは冷酷非道な悪女になって、いずれ大罪を犯すことになる……と、彼は言った。


「ミュラン様。『悪役令嬢』がわかりません……」

「悪役令嬢というのは、乙女ゲーの世界を混沌に陥れる悪女のことだよ。悪役令嬢は、悪行の末に断罪される宿命にある」


「そんなに悪い子になっちゃうんですか? ……わたしたちの娘」

「ミラルドもミレーユも最悪だ。外見だけは美しいが、卑怯で愚劣な兄妹になる」


ミュラン様は、顔色が悪かった。


「この国には建国以来ひとりも聖女が生まれていない。だがミレーユたちの時代、ある日突然に、とある平民の少女が聖女の力を得る。……その少女が、乙女ゲーの主人公ヒロインだ」


平民聖女ヒロインは、王太子と恋をする。その恋路を執拗に邪魔し続けるのが、悪役令嬢ミレーユだ。ミラルドと結託して、ヒロインを何度も殺そうとする。……最終的にはすべての悪事が暴かれて、ミラルドミュランともどもギロチンで処刑されることになる」


「ギロチン!? そ、そこまでの犯罪者になっちゃうんですか?」

叫んだ直後に、わたしは重要なことに思い至った。


「……わたしリコリスはどうなるんですか? ギロチンのメンバーに母親が入ってませんけど」

「君はすでに死んでいる」

「死っ!?」


ミュラン様の話は、どこまでも穏やかではない。

「なぜ!? わたし、いつの間に死ぬんですか」


ミュラン様は言いたくなさそうにしていたけれど。……やがて、つぶやいた。

「君は、自殺する」

自殺!?


「憎い夫に無理やり孕まされ、愛人たちには虐められ。産んだ子を愛せない自分自身に絶望して心を病んだリコリスは、首を吊って自ら命を絶ってしまう……。僕の母と、ほとんど同じ死に方だ」


驚いた。……でも、あまり現実味がない。わたしは意外と冷静だった。

「ミュラン様。わたし、自殺するような性格じゃないと思います」


「……分からないだろう? 慰謝料を楽しみにして暮らしていたのに、憎い夫に無理やり孕まされたら。そんな夫の子供を愛せるか? 実家にも帰れなくなり、夫や愛人から手酷い扱いを受け続けたら。正常な心でいられるか?」


「……う。それは確かに病みそうです」


「前世の記憶を取り戻した僕は、絶対に未来を変えなければいけないと思った。だから、君には優しくしたし、君の希望通りに3年で離婚すると決めた。だが――こんなに君を愛してしまうなんて、当初は予想していなかったんだ」


絶望しきった様子で、ミュラン様はうなだれていた。

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