閑話 父子

閑話 父子



「彼はよく眠っていたか?」

「はい」


 腕を自ら切り落とそうとした頓珍漢を私の部屋に運んで、少し話があると父さんに言われ食卓に戻った。

 机の上には大量の血痕と阿呆の腕が生々しく転がっている。


「それで、話ってなんでしょう」

「うむ」


 気まぐれなのか姿は未だに人のままだった。

 かといって、父さんから放たれる圧に変わりはないだけに、広い部屋の空気は淀んでいるけれど。


「まず彼の腕だが、あれには召喚術がかかっている。なにかあったら一度だけ我を呼び出せると教えておけ」

「……え?」

「お前の疑問は正しい。通常、我ほどの存在だと現世に出入りするには相応の手順や対価が必要だからな」


 そう。

 だから彼には面倒だから話していないけれど、この屋敷は魔界に存在している。

 森を進む途中に転移しているから気づいていないだろう。

 私は悪魔と人間のハーフだから現世へ自由に行き来ができているだけだ。


「だが、彼を介せば必要ないわけだ。お前も違和感程度は気づいていたんじゃないのか?」

「それは、そうですが……」

「あとなぁエンダ。気付いていないようだから言っておくが、我はお前に家業を継がせる気は毛頭ない」

「は?」


 思わず親に向けていいものじゃない言葉が出た。


「当たり前だろう。現世と魔界を自由に行き来できる悪魔。領地の支配なぞ吹き飛ぶような適役がある。そもそもお前の寿命はおそらく我より短いんだぞ?」

「じゃあ、どうして呼んだんですか」

「最近お前が気に入っている人間がいると報告を受けてな、調べてみたら面白い存在だから一度見てみたかった」

「……腕を落とす必要はあったんですか」

「縁を作るにはどうしてもな。別にそれは腕だろうと目だろうとなんだってよかったが、お前の覚悟も見たかった」


 とんだ狸爺だ。


「だがな、エンダ。真の覚悟を問うのはこれからだぞ」

「彼の腕を飛ばすよりも必要な覚悟があるんですか?」

「そうだな。有り体に言ってしまえば、死ぬぞ、お前」


 ……死?


「父さん、いくら私でも現世で遅れを取るようなことはそうありませんよ。確かに彼はやたらと化物騒ぎに巻き込まれてますが、それで私が命を落とすとは考えられません」

「それはそうだろうが、別にお前は無敵じゃない。我とて、無敵じゃないようにな」


 私や父さんが適わないような存在が干渉してくる? それこそ荒唐無稽の話だ。そんなものが現世で発現するなんて考え難い。

 世界の仕組みはシンプルじゃない。様々な要因が絡み合って成り立っていて、そこには悪魔の規律なんて鼻で笑ってしまうようなほどの、絶対の規律が在る。

 でなければ、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする世界で、人類が繁栄することなんてできなかった。

 現世には現世の規律が在る。


「だが、彼の周囲でそれが歪み始めている。でなければ、ああもトラブルに巻き込まれはせん」

 報告を受けているというだけあって、色々と見ているらしい。

 それはそうと自分の子供の心を読むのは趣味が悪いとしか言いようがない。


「なにが起こってるんですか、彼に」

「そこまではわからん。いや、現世の規律が歪むような事象を我が読み取ることは不可能に等しい。ただ一つ言えることは――なにが起こるかわからない、ということだけだ」


 何百年も生きている悪魔の言葉なだけに、それは深く重く感じた。


「だからだ、エンダ。彼の友達でいるということは、そういう覚悟が必要なわけだ」

「覚悟、って……」


 聞かれて、つい笑ってしまった。


「見たでしょう、父さん。彼は幽霊が視えるだけのただの人間だっていうのに、私の意思を通すために躊躇なく腕を切り落とそうとしたんですよ。ふふっ、本当に、本当に馬鹿だ。あんなのは私が知っている人間じゃない」


 だから惹かれるものがあった。

 人と悪魔のハーフである私が、人なのに人じゃないような彼を見て、惹かれないわけがないのだろう。


「私はそれに応えるだけです。よく知りはしませんが、友達というのはそういうものでしょう?」


 ふんっと父さんが微笑む。


「弱肉強食の魔界に友情なんてものは存在しない。故に我にはわからぬが、似た想いをしたことがある。ただ、我の場合は、愛情だったがな」


 途端に顔が熱くなった。


「わ、私は違います! 愛情とか、そんなものは知りません!」

「はははっ。それはそれでいい。だが、それがお前の覚悟だというのなら、肝に銘じておけ。悔いなく生きろよ」


 がはは、と父さんは豪快に笑い席を立つ。


「そうそう。彼が切り落としたその腕、お前が食べておけ」

「私に人肉を食す趣味はないのですが……」

「これは命令だ。食え。なにか役立つ時もあるかもしれんからな」


 人肉に興味を抱いたこともなければ、どちらかといえば忌避したくなる事柄に近い。私の体に流れている人の血がそう思わせるのだろう。

 けれど命令とまで言われてしまえば拒否権はなかった。


 血が抜けて細くなった腕を持って、その肉をかぶりつこうとした時に、なぜだか恥ずかしくなってしまった。

 もしかしなくても私はかなり変態的な行為をしようとしてしまっているんじゃないか? と、疑問が浮かぶのだ。

 けれど再三言おう、拒否権はない。


「ええい」


 投げやりに彼の腕だったものにかぶりつく。

 肉を噛みちぎり、口の奥で噛みしめて、ごくりと喉を通した。

 脳髄の中心で爆発が起きたような気分だった。

 それはなにか力が覚醒したとか、そういったことの比喩ではなく、ただ、これは、おそらくだけれども。


「うっ……あっ……」


 胸が熱い。

 心臓の鼓動が早まっている。

 もう一度それを感じたくて、気づけば貪るように彼の腕を食い破っている私がいた。

 あぁ……なんて、破廉恥な。

 これは、これは――恍惚、だと、悪魔の血が蠢いた。



   ☆★☆★☆



 ガタイのいいひげ面の中年がベッドに倒れこむ。

 枕元には写真立てがあり、それを手に取った。

 そこには睦月エンダに似た、白髪の女性と二人で撮った写真が入っていた。


「不思議だな。お前はいないのに、あいつはお前に似たみたいだ」


 悪魔が唯一愛した女性。

 難病持ちで、余命もなかった女性。

 人のままで死にたいと貫いた女性。

 どうせ死ぬなら、貴女との子が欲しいと、命を賭けて子を成した女性。


 男は写真の中の思い出を永遠に忘れはしない。


 


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