第12話 悪魔が青春に願うもの

 その豪邸の上には蝙蝠が飛び回っていて、カラスの鳴き声が不吉を呼んでいるかのようだった。

 人気のない山の奥。


「ここが私の実家だよ」


 睦月エンダに連れられて、なぜか僕は睦月の実家に呼ばれている。

 深いため息が漏れる。

 どうしてこうなった……。



   ☆★☆★☆



「ねえねえ知ってる?」

「なになに~」

「駅前にクレープ屋できたんだって!」

「なにそれ、今日行こ~」


 クラスの喧騒が健全なこともあるんだなぁ、なんて。

 だから今日は少なくとも何事も起こらないんだろうなんて、油断していた僕が悪いのか。

 なわけあるか、と自己問答。


「やぁ」


 休みから復帰した睦月が僕の机の横で口を開く。

 きっと僕に声をかけたんじゃない、と祈りのように願いながら、僕は机に突っ伏していた。


「ふふっ、無視とはいい度胸だね。君の秘密を暴露してあげようか」


 僕に秘密なんてないから無視は継続していた。


「みんな聞いておくれ。実は彼は妹に食べ」

「はいなんでしょう睦月さん」


 なんで知ってんだよストーカーだろ。

 実際それが暴露されたところで僕は痛くも痒くもないなんだが、変な噂になってさやの学校にいる生徒に伝わったらさやがおかしな目で見られてしまう。

 あそこの兄ちゃんド変態なんだって、と陰口叩かれるなんて沙羅の経歴に傷もいいところだ。


「実にいい返事だね」

「あのさ……せめて放課後とか人目のないところで声をかけてくれんか。お前の影響力考えたことある?」

「どうして私が世界に合わせるんだ。世界が私に合わさればいい」


 絶対に権力者とかにしちゃいけないタイプだ。いや、もう権力ぐらいありそうだった。

 なにせこいつの不用心な声掛け一つで、取り巻きAとBが落ちたものを拾ったのか僕の髪の毛らしきものを鍋に煮込み始めている。教室にカセットコンロと鍋があることについては面倒くさいので目を逸らした。


「それでなんだよ」

「うん。それなんだけどね」


 と言うも、中々口を開こうとしない。

 眉をしかめてもじもじと指を回している様というのは、睦月エンダから想像もつかないが事実だ。


「なんだよ、気持ち悪いな……」

「し、仕方ないだろう。こんなこと私も頼む気はなかったんだ」

「頼む? 睦月が僕に?」

「頼まないとどうにもならないんだよ。君は私に借りがあるから、受けるしかないとはいえ」


 ああ、夢ちゃんの時の借りか。

 夢ちゃんの尊厳のために借りたことだから、返さないと夢ちゃんに顔向けできない。


「で、なに。僕の毒殺計画が完了する前に言ってくれ」

 取り巻き組が呪文のようなものを唱えているから。


「実は、その、実家に来てくれないか?」

「……なんで?」

「親に君を連れて来いと言われた」

「親いたのか」

「いるに決まっているだろう。私をなんだと思ってる」


 これまでの睦月の所業を思い返す。

 うん、普通じゃない。


「なんで僕が睦月の親に呼ばれるんだよ」

「実は、その、家業を継ぐことを考えろと言われていてな。でも私はバンドもしたいし、まだ帰りたくないんだ」

「じゃあバンドメンバー連れてけよ」

「と、友達もできたって言ったんだ!」


 身から出た錆、か。


「じゃあその友達を連れて来いと言われてだな……」

「なるほど……一つ聞きたいんだが、ついていったとして、僕は生きて帰れるのか?」


 睦月エンダの親。

 人外な能力を幾つも備えた睦月エンダの親だ。

 その不安は持ち合わせておくべきだろう。


「ふふっ、おかしなことを言うね。大丈夫だ」


 と、営業めいた笑顔で返した睦月が、横を向いて「多分」とこっそり呟いたのを僕は聞き逃さなかった。



   ☆★☆★☆



「お帰りなさいませ、エンダ様」


 館の扉を開けると使用人が数人並んで迎えていた。

 玄関は僕の部屋より余裕で広く、本当にこんな世界があるんだな、なんて呆然としてしまう。


「父さんは?」

「お仕事で出ております。夕食後には帰るとのことですので、本日はお泊りください」

「泊りはそのつもりだからいいよ。自室でゆっくりしてるから、適当に持ってきて」

「かしこまりました」


 エンダと会話をしている使用人の淑女のメイドさんは少しお偉い人なんだろうか。彼女がきっと僕を睨みつけて、ただそれだけで肝が冷えた。

 もしかして僕、いい印象を持たれてないんだろうか。


 睦月の部屋に案内されて、なんというか、無駄に広かった。

 無駄にと言ってしまうのは仕方がなく、その広さに対して家具が少なすぎた。

 ベッドとソファー、本棚とギターとピアノ。

 なんかもっとあって然るべきだと思うんだけど、なにもなかった。

 ただそのベッドや、閉じ切ったカーテンや、扉の装飾一つとってもお金がかかっていることが庶民にもわかる。


「さて、と」


 睦月はギターを手にしてソファーに座る。


「なんか弾くのか」

「え、ああ。いや、すまない。癖なんだ」

「癖?」

「バンドを始める前はずっとギターかピアノを弾いてたからね」

「そりゃ意外というかなんというか」

「君の私に対するイメージはおかしなものになっているようだね」

「そりゃなるだろ」

「別に。私は半端者の人間だよ」


 睦月の白髪が揺れる。

 寂しげな表情がどこか絵画のようですらあった。


「でも、そうだね。お父さんに会うというのであれば、少し私のことを説明しないといけないね」

「家業がどうとか言ってたな」

「そう、それも含めて。結論から言ってしまえば私は――人間と悪魔のハーフなんだ」

「そうなんだ」

「……え、それだけ?」


 口調が崩れてしまうくらいには驚きだったらしい。


「私けっこう勇気のいる告白したと思うんだけど?」

「いや、お前が今までにしてたこと思うと、人間混ざってんだ、ぐらいの驚きなんだけど」

「そ、そうか……」


 睦月は本当に勇気を出していたのか、肩透かしとでも言わんばかりに首を傾げて唸っている。

 いつもの演技めいた表情と違って素が出ているようで、すこしおかしかった。


「ともあれ、ハーフなんだよ、私は」


 ごほん、と口調を戻して睦月が口を開く。

 それキャラ付けだったんだな。まぁ、いつも中二病めいたこと言ってたし、そういうキャラなんだろう。


「お前の数々の力も悪魔の力ってところか」

「その一端だね。私は母の人間側の血が濃ゆいから、悪魔の力を全て使えはしない」

「で、今日父親に会わせるってことは、そっちが悪魔の家系なんだな」

「そうだ」


 僕今日生きて帰れるかな。いや、生きて帰るけど。

 沙羅のために。


「母親は?」

「私を産んだ時に死んだよ。悪魔の出産に人間が耐えることはできなかったらしい。そのピアノは母の忘れ形見だ」

「へえ」


 それで音楽を今やってる、ってことを考えると、睦月の半端者の人間という口ぶりも納得がいく。


「それで家業ってのはなんだよ。悪魔の家業っていうと、ろくな想像できないんだが」

「父は魔界の貴族だからね。領地を収めるって話さ。もちろんすぐに継げって話じゃなく、勉強から入るんだけど、やることが多いらしくてね。早い方がいいらしい」


 思った以上に悪魔っぽくない普通のお話だった。


「継げばいいだろう、いっそ」

「酷いことを言うな、君は」


 悪魔の家に事後報告で連れてきたこいつとどっちが酷いかなぁ。


「前も言った通り、私はまだバンドをしたいんだ。それに……と、友達ともまだ一度しか遊んでないぞ」


 あのゲームの時のことね。


「まだ修学旅行とか、文化祭とか、色々あるだろう? どうせ家業を継げば人間界にいられなくなる。体験してからでもいいじゃないか」

「中学で体験してないのか?」

「中学の時は私の力が効かない人間なんていなかったんだ。力を行使しなくても、私の周りには魅了の空気があるから、勝手に人は寄ってくるしな」


 取り巻きAとBが頭に浮かぶ。


「だから、君と一緒なら、た、楽しいかな、と」


 透き通るような白い肌に赤みが差す。

 恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、と思う反面、こういったことも含めて睦月のやりたいことなのかもしれない。

 それは多くの人が思い描く青臭い物語なんだろう。

 悪魔が青春に憧れを抱くなんて、チープなお話だと思うけど。

 いかんせん現実だ。


「あっそ」

「だから協力してくれ」

「善処します」

「私は知っているぞ。日本人の殆どは断る時にそれを言うのだ」

「検討します」

「それもだ」


 睦月がむきになって口をすぼめる。

 青春に憧れを抱かなかった僕が、まるで友達と会話をしているようで、なんだか笑ってしまった。



   ☆★☆★☆



 夕食は晩餐という言葉が似合うくらいに立派でお腹も膨れた。

 食器が片付けられて長方形の大きな机に食後のお茶が置かれる。

 全て人間用の食事だったんだろうか、と思うけど、美味しかったからいっか、なんて。

 間接的に人を食べたこともあってしまうわけだし。


「そういやライブん時、あれ人のなにを吸ってんだ?」

「邪気だよ。あれはいい栄養になるんだ」

「悪魔つってもいいことしてんだな」

「包丁だって使い方次第だろう?」


 いいこと言ってるつもりかもしれんが、全校生徒洗脳して殺し合いさせようとしたこと忘れてないかこいつ。


「間もなくご主人様がお越しになります」


 すると、談笑していた睦月の表情がすっと戻り、緊張で強張っているようだった。

 この豪邸のような雰囲気もあるが、悪魔の父親ともなると一般家庭の家族のような接し方はしてきていないんだろうか。


 どんな化物が現れるんだろう。

 そんなことを考えていると、重苦しい空気の中、鈍く、部屋の扉が開いていく。


「やぁやぁ、君がエンダの友達か!」


 現れたのは居酒屋にいても違和感のない、ガタイのいいひげ面のおじさんだった。


「あ、ども……」


 軽く会釈をする。


「はははっ。そんなに固くならなくていい。今日は少し話がしたくてな!」


 全くもって人間にしか見えない。それは睦月と見比べても、よっぽど人間らしかった。悪魔、って事前情報に疑いを持つほどだ。


「この方が君も話しやすいだろう? それとも翼や角でも生やした方が理想に適ったかな?」


「あ、いえ」


 しっかりと睦月の親だった。

 心を読む力ってのは悪魔界あるあるなんだろうか。


「いやなに、我らの能力がより強いのがそこというだけだよ。人だろうと悪魔だろうと、心を操ることに長けているんだな!」


 だというのに、と続けて。


「君には効かないんだな」


 おじさんの眼球が三つに割れたかと思えば、瞬間、脳が大きく揺さぶられるような吐き気が襲った。

 視界が歪んで平衡感覚が失われる。


「や、やめてもらってもいいですか……」


 声を出すのがやっとだった。

 すると飲んでくれたのか、ふっと全身にかかっていた重圧が取り払われる。


「父さん!」

「いやぁ、すまない。どうしても試してみたくなったんだ。本気じゃないとはいえ、これに耐えられるなんてな。普通の人間なら死んでしまうというのに」


 背筋が凍る。

 どこに紛れていてもおかしくない人の姿をしていたからこそ、油断していた。

 紛れもなく目の前にいるのは、人の命に価値を置いていない、悪魔なんだと思い知る。


「だとすれば困ったな、君は我らの――天敵、か」


 腹の奥から震えが収まらない。

 ここ最近本当に色々なことがあって、人造とはいえ神の出来損ないと一体化して、色々な感覚が麻痺していたと思っていたけど。

 彼がその気になれば簡単に死んでしまう。

 その恐怖の名前は、絶望だった。


「父さん! 今日はそんな話じゃ!」

「いけない、いけないぞエンダ。こんな人間如きに感化されて、悪魔の規律を忘れたのか?」

「忘れて、なんか……」

「ほう、言ってみなさい」

「弱肉強食、です」

「そうだ。強き者が正しい。強さが絶対だ。それなのにエンダ、お前は我に逆らうのか?」


 睦月が隣でガタガタと震えている。

 悪魔ともなれば親子関係も僕の想像とは違うらしい。

 弱肉強食が規律だというのなら、僕もエンダも弱者なこの場所で、僕達に発言権なんてものはないのかもしれない。

 ただ、そう、だな。


 僕は僕の考えたことに苦笑した。


「だったら」


 まだ少し気持ちが悪い。

 だけどこのままでいたって、なにが変わるのかわからない。


「どうして、人間と子供を作ったんですか」

「ほう? どういうことだね」

「睦月は……エンダは、悪魔と人のハーフだからか知らないけど、人に憧れを抱いてます。母親の楽器を触って、母親の思い出をなぞるみたいに、音楽をしてます。それもこれも、あんたが人間との子供を作ったせいで」

「やめておけ!」

「いい、続けなさい」


 睦月の、エンダの静止にほくそ笑んだ。

 人間の心配までして、馬鹿な奴だな。


「悪魔の規律だなんだっていうなら、悪魔と子を作ればよかったのに」

「ふむ」

「あんたの自分勝手な行いに、エンダを巻き込むのは、違うでしょう」


 本当に、苦笑しかない。

 どうして僕は睦月のことで苛立っているんだろう。

 目の前にいるのは悪魔で、そりゃまぁ、どう足掻いたって死んでしまうのかもしれないけど、だとしたって。

 青臭い青春に憧れはしなかったけど、青臭い青春は、楽しかったんだろうか。

 自分じゃわからない。

 妹さえいればいいと思っていた僕は……ただ逃げていただけなんだろうか。


「だったら、どうする?」

「エンダの……エンダの好きなように生きさしてやってください」


 エンダの横でそんな言葉を吐いて頭を下げるのは、きっと恥ずかしいことなんだろうけど、エンダの父親の重圧は依然として苦しさを増すばかりで、照れる余裕なんてありはしなかった。


 沈黙が流れる。

 張り詰めた空気が風船のように弾かれたのは、エンダの父親の豪快な笑い声で。


「そうかそうか。はっはっは。面白い人間だ!」


 ほっと息をつく暇はなかった。


「だったら――」


 エンダの父親が指で一つぱちんと鳴らすと、近くの使用人が机の上にごとりと置いた。

 装飾もなにもない、重厚な斧だった。


「――腕を一本、置いていきなさい」

「父さん! どうして!」

「それはそうだろう。悪魔にお願いをするんだ。対価もなしにできることじゃない」

「だ、だったら……私が!」

「エンダ。それじゃ意味がない。おじさんの要件は僕の腕なんだろ。お前が切り落としたところで、なにも対価になってないんだよ」

「ああ、それにだ、エンダ。腕はエンダが切り落としてあげなさい」

「……っ」


 苦虫を嚙み潰したようにエンダが俯く。

 ここで死ぬことを考えれば、腕一本で済むならありがたいんだけど。


「だったら……だったら別に私は……」

「おいおい、お前が最初僕になにをしてきたか覚えてないのか?」

「そんなの友達になる前だ! それに、あの時にしたって、君に大した怪我はなかったろう……」


 そういえばなかったなぁ、なんて。


「でもさ、エンダ。お前、僕の友達を名乗るんならさ、自分の気持ちには正直であれよ」

「でも、でも……」

「それにさ、あの時の借りが腕一本で済むなら――」


 斧を右手に持つ。左腕を机に置いた。

 心臓が痛いほど胸を打っている。


 この世界のどこに左腕を切り落として喜ぶ馬鹿がいるのか。

 きっといない。

 そんな馬鹿であればどれだけ楽だったか。

 いや、そんな楽なことをエンダの父親は選んでくれない。

 これが妹が引き合いに出されたら流石に首を縦に振らなかった。

 そう、だからこれは幸運なんだ。

 たかだか僕の腕一本でこの場が収まるっていうのなら。


 高く上げた斧を左腕に全力で振り下ろした。


「っぐぅぅぅぅぅぅううああああ!」


 痛みで息が止まるかのようだった。

 だというのに、それは、あまりにも予想通りに切り落とすことができなかった。

 自分の腕を切断するような力が僕にあるわけがない。

 刃は僕の骨で止まって、溢れだした血が高級な白のテーブルクロスを濡らしていく。


「う、ぐ……エンダ」

「馬鹿、馬鹿だ君は、どうするんだこんなことして!」


 エンダの瞳からははばかれることなく涙が溢れている。

 白髪の、白い陶器のような肌が、ぐしゃぐしゃに涙で濡れている。

 不覚にもそれはエンダに似合っていないと、歪む意識で思ってしまった。


「まだ、だ、エンダ……早く、切り落としてくれ……」

「エンダ! お前の友は覚悟を決めている。お前も覚悟を決めなさい!」


 まるで普通の親子のような言い方だった。

 ああ、これが悪魔流の育て方なのか。

 いやぁ、理解したくないな。

 そんな思考も、冗談のように斜に構えたくたって、余裕がないほど激痛でなにもかもが埋まっている。


「あぁぁっ」


 肉を叩き潰していた斧がエンダの手によって持ち上げられる。


「どうして、どうして君は……」

「友達、なんだろ……」

「うぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」


 肉と、神経と、骨が一緒くたに潰され、砕かれ、切り離された痛みを超えることは、きっとこの先の人生で経験したくない。

 エンダの言う通り、馬鹿だと思った。

 沙羅のためじゃないのに、なんでこんなことしてんだろうか僕は。

 もしかしたら、全て辞めますといえば、許してもらえたかもしれないのに。


 痛みに跳ねる思考の中で、それはないなって。

 だって、なぁ。

 友達が好きに生きれないなんて、そんなくだらないこと、ないよな。


「はっはっは! いい目だぞ、エンダ」

 ふとエンダを見ると、さっきまでガタガタと震えていたエンダはどこへやら、実の父に向ける目線のそれではなく、あからさまに恨みを感じ取れた。


「その覚悟を持って生きなさい。人の世で生きるとは、そういうことだ」


 そんな覚悟いらんだろ、と突っ込みたいが、口は開かないし、開いたとしてこの人にそんな言葉を投げる気も起きない。


「いいや、いるんだよ、その覚悟は。人と悪魔が交流を持つ、ということはな。それよりだ、少年」

「がぁあああっ」


 いつの間にか真横に立っていたエンダの父親が僕の腕を掴み上げる。


「君の願い、覚悟。しかと受け取った。これはエンダの友達でいてくれる礼だ」


 ふっと斧で不細工に切り落とされた腕の切り口に息を吹きかけられる。

 傷口に塩を塗るってほどじゃないだろうけど、僕の暗雲とした意識を飛ばすには充分で、限界を超えた激痛を最後に記憶はそこで途切れている。



   ☆★☆★☆



 目を覚ますとエンダの部屋のベッドだった。

 漫画の世界で見るような天蓋のベッドはひらひらと揺られていて、カーテンから漏れる光から翌日なんだと気づいた。


 まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど。


 すやすやと僕の横で眠っている睦月エンダがいた。

 なんで?

 そして、もう一つ。


「……」


 昨日切り落としたはずの左上を握っては開いて、動かしてみる。

 腕が生えたんだろうか。

 なんで?

 悪魔の館に来たんだから腕が生えたことに疑問を抱くのはおかしいだろうか。


「ん、ん……あぁ、おはよう」


 エンダがうっすらと目を開ける。


「……なんだい?」


 エンダは未だ男か女かわからないけれど、どちらにせよ美形の極みような顔をしていて、そんな奴が横で眠っていたら見惚れてしまうのは人として当たり前のことなんだ、と自分に言い聞かせた。


「なんでもない。いやなんでもある。なんで横で寝てんだよ」

「そりゃぁ、ここは私のベッドだからね」

「じゃあなんで僕がここで寝てんだよ」

「さぁ?」


 絶対こいつがここに運んだだろうことはにやついた表情から察することができた。

 けど、意識が飛んでた以上、確かめる術はない。


「あー……じゃあこっちは。腕、なんで生えてんだこれ」

「それは父がね。覚えてないかな?」

「覚えてない。なに、あの人僕に腕を切れって言っておいて、生やしたのか」

「そうなるね」


 性格わっる。


「父曰く、一度だけ力を貸すそうだよ」

「えぇ……」


 悪魔の力付きなんだ、この腕。

 すっごい嫌だ。いらなすぎる。


「まぁ、君には凄くよく似合っているよ。そこらの悪魔よりも悪魔らしい君にはね」

「なにそれ。悪魔流の誉め言葉?」

「蔑んでいるんだよ。いいかい、昨日みたいなことは二度とやめてくれ。別に私は君を犠牲にしてまで自由に生きたくない」

「勘違いするなよ、命がかかってなかったからやっただけだ。僕の命は妹のもんだ」

「酷いシスコンだね、君は。ともかく、ありがとうなんて言わないぞ」

「別にお礼がほしくてしたわけじゃないからいいよ」


 すると、エンダに胸倉を掴まれて引き寄せられた。

 頬にエンダの冷えた唇が当たり、乾いた音が耳に届いた。


「……なんだよ」


 頬をさすりながら聞くと、エンダは慌ててそっぽを向く。


「ふんっ、悪魔流の朝の挨拶さ」

「……あっそ」


 白い髪の隙間から覗くエンダの耳は真っ赤に染まっていて、なんだか釣られて、僕の耳まで赤くなってしまったような、そんな気がした。


「そ、そういえば君、私のことをエンダと呼んでいたな」

「親父さんの前で苗字で呼ぶのは違うかな、と思ってな」

「睦月は母親の性だ。まぁ、それはいいとして、そ、それなら私も君を名前で呼ぶべきだろう」


 別にこの先もエンダを下の名前で呼ぶ必要はない気がしたけど、今更どちらでもいい気がした。


「好きにしろよ」

「ふふっ。ではよろしくな、レイジ」


 親以外に名前を呼ばれたことは数年ぶりで、やけに気恥ずかしかった。

 だから顔が赤くなってしまったし、胸打つ心臓がいつもより早く感じられたのも、きっとその所為だろう。





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