陰謀の芽

「……」

「奥様、閣下がお呼びです」

「分かったわ」


 マリアが共和国革命親衛隊に入隊したのとほぼ時を同じくする、教暦614年8月11日。


 彼女の長姉であり、フローリア侯爵家の"最後の生き残り"であるコーネリアは、故郷ロシェミエールから遠く離れた隣国・ヴィルバス帝国の首都に位置する邸宅にいた。


 彼女の表情は暗い。貴族の政略結婚というものは元来『そういうもの』であるというのは、コーネリアとて理解していた。ましてや、その相手が仮想敵国の人間ともなれば、普通の家庭を営むことなど叶わぬ願いと成り果てる。


 さらに言えば──革命によって他国に逃れたルスター人は、悲惨という言葉では言い足りないほどの仕打ちを受けていた。コーネリア自身は元侯爵令嬢、そして伯爵夫人という身分を持ち、また革命が拡大する前にヴィルバスへと亡命したため──“比較的”という言葉を枕に付けなければならないが──マシな扱いを受けていた。


 そうではないルスター人は『共和国のスパイ』の嫌疑をかけられ、紛争地帯であるラダニア地方に設けられた『難民強制収容市』に収容され、軍部隊による厳しい監視下に置かれている。2年前の共和国軍と帝国軍による大規模な軍事衝突では収容市が砲撃され、数百人の死者を出す事態に陥った。


 帝国軍は碌に救援も行わず、ようやく救援部隊が現地に入ったのは、休戦協定が結ばれ共和国軍砲兵隊の射程から収容市が外れてからのことであった。


 自らの境遇が──在ヴィルバスルスター人という定規を用いれば──恵まれていることを自覚してなお、コーネリアはこの4年間を鬱屈とした気持ちで過ごさざるを得なかった。


 いまや仮想敵国ですらなく『領土で争い、そして相容れないイデオロギーを抱いた』敵国と成り果てたルスターからやってきた妻を丁重に扱うほど、彼女の夫は出来た人間ではなかった。


「あら奥様、こんな時間から珍しいですね」


 夫であるオイレンブルク伯爵の執務室へと向かい廊下を歩くコーネリアに、よく通る声で話しかける人影が一つ。その声に若干の苛立ちを覚えつつ、コーネリアは振り返り、話しかけてきた相手に対して形式的な挨拶を返した。


「ご機嫌よう、ベルタ第一夫人殿」

「ええ、ご機嫌よう。それで、普段はお部屋で過ごすことの多いあなたがこんな時間から外に出るなんて、気になってしまいまして。良ければ理由をお聞かせ頂けますかしら?」


 声をかけてきたのは、オイレンブルク伯爵の第一夫人であるベルタ・エレオノーラ・フォン・オイレンブルクであった。オイレンブルク伯爵の正妻であり、帝国統務省政務次官を務める多忙な夫の代わりに家中における事実上のトップとなっている女性である。


 正室が側室を嫌うのは最早必然だが、ベルタの場合はその傾向がことさら強かった。彼女自身が口に出すことは殆どないものの、彼女が家中の人間に対してコーネリアに対する接し方を『指導』しているというのは、火を見るよりも明らかであった。


「伯爵閣下に呼び出されましてね。妻が夫の下に向かうことが、そんなにおかしいかしら?」

「いえいえ、そんなことは。そこまで邪推されてしまうとは、心外ですわ。私たちは同じ夫に奉仕する『仲間』ですもの。もっと心を開いて頂けるといいのですけど」

「……努力いたしますわ。急いでますので、ここらで失礼させて頂きますわね」


 これ以上彼女と会話をして、無駄に苛立つのは時間の無駄だ。コーネリアはそう判断し、ベルタに会釈してからその場を去ることにした。そんなコーネリアを見てベルタは微笑み、小さく手を振った。その表情に、僅かに侮蔑の感情が含まれていたことをコーネリアは見逃さなかった。


 ベルタを何とかやり過ごしたコーネリアは再び伯爵の執務室へ向けて歩き出した。


(なんで、私がこんな目に……)


 歩きながら、彼女はこれまで何度したか分からない、しかし今後一生答えが出ないであろう問いを心の中で繰り返した。


 彼女の人生は約束されていた。王国の黎明期からずっと続く侯爵家の長女として生まれ、順当にいけばそのまま侯爵位を継ぐはずだった。妹のアントワーヌは気立てもよく、王家の類縁に当たるフォンテーヌ公爵家との縁談も固まっていた。うまくいけば、彼女を通じて王家とのつながりもでき、家をもっと発展させることが出来るかもしれない。そのような話を父としたことを、コーネリアはまだ覚えていた。全てうまくいっていた。


 ――ただ一つ、気味の悪い忌み子マリアがいたことを除けば。自分が出国した後、祖国は共和主義者を名乗る暴徒の集団に蹂躙され、故郷ロシェミエールもそれを免れることが出来なかった。当然、そんな力が存在しないことは了解しているが――あの『革命』とやらは、あの死に損ないが引き起こしたのではないかと。そして、未だに自分たちを憎んでいるのではないかと、そう思う時があった。


 そこまで考えて、コーネリアは頭を振った。仮にあの後生きていたとしても、貴族の館で見つかった娘など共和主義者どもからすれば殺すべき敵となるであろう。いくら何でも、死んでいるはずだった。


「……伯爵閣下、失礼いたします」

『入れ』


 執務室の前までたどり着き、ノックと共にコーネリアは中へと入室する。オイレンブルク伯爵は書類と格闘していたが、コーネリアの姿を見るとペンを置いて顔を上げた。その顔には疲労が滲んでおり、彼が激務に追われていることが伺えた。


「やっと来たか。立ち話をするのもなんだ、そこに掛けたまえ」

「……ありがとうございます」


 夫婦の会話とはとても思えない、よそよそしいやりとり。コーネリアは勧められた通り席に着く。伯爵は向かいの席に座った。しばらくの間、2人の間に沈黙が流れる。その重苦しい雰囲気に耐えられず、コーネリアは口を開いた。


「それで……何故私をお呼びになられたのでしょうか」

「そうだな。とりあえず、これを見てくれ」


 そう言いながら、オイレンブルク伯爵は数枚の書類をコーネリアへと差し出した。一瞬、怪訝な表情を浮かべるものの、彼女は受け取った書類に目を通す。読み進めるうちに、彼女の顔色が変わっていく。しばらくした後、コーネリアは書類を机に置き、伯爵に問いを投げかけた。


「伯爵閣下、ここに書かれていることは……いえ、帝国政府は、本気なのですか?」

「如何にも本気だとも。その『計画』は、既に帝国の最高指導会議で裁可を受け、軍務省や統務省は準備に取り掛かっている。あの唾棄すべき『共和国』は、王を吊るだけに留まらず、我が国の『歴史的領土』であるラダニアへとその魔の手を伸ばし、更にはこの国をも破壊せんと企んでいる」

「……しかし、ならばなぜ戦争をしないのですか。このような手段を取るのは、帝国の誇りに傷をつける行為では」

「共和主義者のために、我らが臣民の血を流すわけにはいかない。もっと言えば――ルスター出身の君に言うのは若干気が引けるが――ルスターの人民は我が国を憎んでいる。君たちルスター人自らの手で、ルスターの民を共和主義者による洗脳から解き放つことは、帝国の利益にも適うのだ」


 淡々と語る伯爵の顔は、無表情であった。コーネリアは自分の夫としてきた男のまるで仮面でも被っているかのようなその表情が、ずっと苦手であった。


「……帝国政府の意向は理解しました。しかし、それが私と何の関係が……」

「君の実家は先の革命で共和主義者の襲撃を受け、悲惨な目に遭われたそうだな。革命によって家を失った悲劇の令嬢が、高貴なる血を引くルスターの貴族が、今再び祖国のために立ち上がり、共和主義者に立ち向かう……というのは、いかにも『感動』的ではないかね?」

「それで、まさか」

「その通り。君には、ルスターにとっての『救世主』となってもらうつもりだ」


 オイレンブルク伯爵は、事も無げにそう言った。唖然とするコーネリアを前に、伯爵は説明を続ける。


「君にとっても悪くはない話だろう。全てがうまくいけば――新生ルスター王国の、王妃になれるかもしれないのだぞ?君の家族も、きっと喜ぶはずだ」

「それは……」

「もし君が断るのならば、無理にとは言わない。探せばルスターの亡命貴族など、他にもいるからな。だが……帝国への『献身』を拒んだ人間を、果たして故郷へと送り返すほど帝国政府が情に溢れた存在であるとは、私は到底思わないがね」

「……」


 事実上の恫喝であった。しかして、今のコーネリアにとっては、『鳥籠』であるこの伯爵邸で一生飼い殺しにされるより、愛する祖国ルスターで死んだ方がよっぽどマシな選択であることも、また事実である。


 それに、全てがうまく行った時のリターンは、彼女にとって魅力的の一語で済ませられないほどに、大きいものであった。


 しばらくの沈黙の後、コーネリアは結論を出した。恐らくは──それは彼女にとって故郷から亡命することを決めたその時よりも、いや、それまでの人生の何よりも重い決断であった。


「……分かりました。必ずやルスターの『共和主義勢力』を叩き潰し、我が祖国に正統なる君主制を取り戻してご覧に入れましょう」

「君ならばそう言ってくれると信じていたよ。……要件は以上だ。追って改めて、軍務省や統務省の役人がこれからの計画について説明を行うためにここへやってくるだろう。それまでは、ここで待機しているといい」

「……ありがとうございます」


 コーネリアはオイレンブルク伯爵に一礼した後、部屋を退出した。


 共和国を叩き潰し、正統なる君主制を取り戻した英雄として祖国に凱旋する。その瞬間を思い描き、コーネリアは暗い笑みを浮かべた。

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