再会

 マリアが街頭でのトラブルに巻き込まれてから数日。孤児院における彼女の日常は何ら変わることはなかったが、彼女の心中ではあの時自らを助けてくれた青髪の女性のことがずっと気にかかっていた。


 その時は頭を過ることすらなかったが、無事に孤児院に帰りついた時、ふと彼女の脳裏に4年前に見た夢が浮かんだのだ。文字通りあの日、マリアは女神を名乗る女性によって啓示を授けられた。そして、その中に『マリアの下に使者が訪れ、"革命を守ること"を勧めるであろう』というものがあったのだ。


 勘繰りすぎているだけなのかもしれないが、しかし――あの女性の瞳に、マリアはどこか神聖なものを感じ取っていた。それがどうしてなのか、自分でもはっきりと説明はできないが。


 そんなことを考えつつ、マリアは孤児院に設けられた教室で本を読んでいた。この孤児院には小さいながら学校が併設され、孤児たちは日中そこで最低限の社会常識などを身に付けることを課せられる。


 革命以後、貴族や富裕市民ブルジョワジーによって事実上独占されていた高等教育は遍く共和国市民に開放され、市民は学ぶ権利を享受したが、しかし共和国政府が教育行政の民営化を進めたために教育には高い値段がつけられるようになった。


 初等教育こそ各地方政府によって運営される公立学校がその役割を担い、ほぼ無償で教育の提供が行われるなどした。しかし、その公立学校も入学の要件に自らの身分の証明を求められるため、様々な理由で親を失い、当然に身分の証明などできるはずもない孤児たちは初等教育すら受けられないという状況に陥った。


 結果として共和国の社会保障の枠組みから阻害された孤児が生活に窮して犯罪集団などに身を投じ、スラム街を形成するという事例が全土で頻発することになる。


 状況を問題視した共和国政府は──遍く共和国市民全てによって共和国は成り立ち、そして市民によってこれは防衛されなければならないという建前を掲げる都合上──孤児院に対して補助金を助成することを条件に初等教育とほぼ変わらない内容の教育を行う教育機関を併設することを要請し、こうしてマリアたち孤児は一応の教育の機会を手に入れたのである。


 祖父が生きている限りは何不自由なく暮らしてきたマリアは、教育においても家庭教師を付けられるほど恵まれていたし、彼女自身の才もあって平均的な同年代の少年少女と比して何ら遜色ない能力を持っていたのだが。


 しかし、それでも学校というものは退屈な孤児院の生活において、少なくない退屈しのぎになるスパイスであるのは事実であるし――そして何よりもマリアにとって嬉しかったのは、孤児たちの識字率を高めるために様々な本が孤児院の中に入ってきたことであった。


「また本ばっかり読んで。たまには外で遊んだらいいのに」

「……私が行っても誰も喜びませんよ。アメリー」

「辛気臭いなぁ。そうやって悲観的なことばっかり言ってると、幸せがどこかに行っちゃうよ」


 人の気配を感じてマリアが顔を上げると長い栗色の髪を流した少女、アメリーが呆れ顔で立っていた。彼女の服はあちこちに泥を被った跡があり、つい先ほどまで彼女が外にいたことを物語っている。


「逃げていく幸せが、果たして私にあるんでしょうか」

「あー、だからそういうところがダメなんだって!誰にでも幸せは宿っているよ」

孤児院ここでそんなこと言ったら殴られちゃいますよ……」

「今は確かにみんな幸せじゃないけどさ、まだまだ私たちの人生は長いわけだよ。いつかはきっと皆幸せになるチャンスが回ってくるよ」


 そう言って青色の目に輝きを宿しながら屈託ない笑顔を見せるアメリーを見て、マリアは少し顔を俯かせる。彼女はマリアの数少ない友人の一人である。銀髪という不吉の象徴をその身に宿し、更には元貴族令嬢という出自、そして長く監禁されていたという事情から他者とのコミュニケーションに少なくない問題を抱えていたマリアに救いを差し伸べてくれた恩人ともいうべき人物であり、そして――恐らくはマリアと同じ事情を抱える人物元貴族令嬢である。


 当然アメリーが明言したわけでもなく、証拠などもない。しかし、彼女の所作や言動の節々にマリアは『同類』の匂いを感じ取っていた。貴族の世界を極めて偏った色眼鏡で見ている孤児たちに対してはうまくカモフラージュ出来ていたのだろうが、マリアは事情が違う。


 尤も――アメリーもそれを承知の上でマリアに手を差し伸べ、言動にそういった要素を混ぜ込んでいた可能性は否定できないが。同じ貴族の産まれであるなら仮に自分の出自がバレても敵意を向けることは考えにくく、そして周囲からの覚えがあまり良くない以上秘密を暴かれるような心配はない。『同類』であることを匂わせておけば自分に対する好感度も上がるだろう――こんなところだろうか。


 ……マリアとて、良くしてくれる相手に対してこのような疑念を抱くことは失礼なことであるとは理解している。しかし、地下牢で芽生え、姉たちによって育まれた猜疑心は、常に彼女に対し警鐘を鳴らし続けるのだ。人を打算的に観察せよ、盲目的に信ずること勿れと。


 そう言った理由で、マリアはアメリーに対し少し後ろめたい気持ちを抱いている。しかし、そんなことを露ほどにも知らないアメリーはこうしてマリアに話しかけてくれるわけだが。


「……そう言えば話は変わるけどさ、マリアが前に馬に乗って買い出しに行ったとき変なトラブルに巻き込まれちゃったんだって?」

「はい。でも女性の軍人さんに助けてもらって……」

「え、女性の軍人?確か共和国軍は男性しか徴兵しないみたいな話を院長先生から聞いたことがあるんだけど……」


 マリアの言葉を聞いたアメリーは首を傾げながらそう答えた。あの女性は軍人ではなかったのだろうか?しかし、あの時女性は部下から『大尉』と呼ばれていたし、それは軍隊で使われる階級名だったはずだ。しかしアメリーが言うには今の共和国軍には男性しか入隊出来ないという。


「警官には女性にもなれるって言ってたし、間違えちゃったんじゃない?ま、どっちにしても助けてもらってよかったね」

「うーん、そうですね」

「というかそろそろお昼だよ。食堂に行かないと」

「あ、もうそんな時間ですか」


 アメリーに促され、マリアは席を立つ。この孤児院は首都の中心部にもあるにも関わらずかなり広いため、教室から食堂まではそこそこ距離がある。


 道を歩いている途中、他の孤児の集団と何度かすれ違うが、その多くから軽蔑の目線を向けられることにも、マリアはもう慣れっこだった。


「出入り口の方、何か騒がしいね」

「言われてみれば、確かに」


 教室から食堂までの最短経路のちょうど真ん中に、孤児院の出入り口が存在するのだが、その出入り口の方が少しガヤガヤしているのが聞こえてくる。何かあったのかな、と思いつつマリアとアメリーが出入口を覗くと、そこには孤児院の大人たちと――この前見た軍服と全く同じ服装を纏った男性が何やら話していた。


「……事前通告もなく来られると、こちらとしても困るんですが」

「それについてはこちらの不手際です。申し訳ありません」


 職員を代表して応対しているらしき孤児院長は声色からして明らかに不機嫌な様子だ。軍服の男性の方も、どこか気まずそうな表情を浮かべている。


「……なんだかあんまりいい雰囲気じゃなさそうだね」

「そうですね。こんな場所に何か用事があるとも思えないですし……」


 マリアとアメリーの他にも、物珍しい客人の姿を見て何人かの孤児たちが集まり、遠巻きにその様子を眺めていた。軍服姿の男性はおそらく20代半ばくらいだろう。少し長めの黒髪が特徴的な、端正な顔立ちの青年であった。軍服の男性と孤児院の職員の間で気まずい空気が流れたその瞬間、孤児院の扉が開かれる。


 入口から現れたのは――あの時の青髪の女性だった。マリアは思わず「あっ」と呟き、目を見開く。それを聞いたアメリーが怪訝そうな顔でマリアの方を見るが、彼女はそれに構わず女性を凝視した。


「申し訳ありません。用事がありまして、部下だけ先に寄越してしまい……」

「……どなたでしょうか?」

「あぁ、申し遅れました」


 誰何された女性は懐から名刺と思しき紙を取り出し、それを孤児院長に渡しつつ名乗った。


「私はルスター共和国革命親衛隊首都特別親衛師団のエヴァンジェリン・コルデー大尉と申します」

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