侯爵領炎上

「一体何がどうなっておる!パルデス中将を呼べ、州軍には東部へ向かえと命じたはずだぞ!」


 コーネリアをヴィルバスへと送り出してからおよそ2ヶ月ほどが経った、教暦608年7月5日。革命軍はいよいよ勢いを増し、ルスターは内戦状態に近い様相を呈するようになっていた。元々保守的な土地柄であった西部諸州には革命の影響は少なく、いくつかの都市で蜂起が起きたがいずれも州軍によって鎮圧されていた。


 だが、東部や中央地域で常備軍や民兵隊なども飲み込んだ革命軍が政府軍を圧倒するようになると、ロシェミエール州をはじめとする西部諸州も自領防衛の方針を転換して東方へと派兵することになり、デロルもロシェミエール州軍として麾下の部隊に東方へと進出するように命令を下した。


 しかし――


「侯爵閣下、情報が錯綜しており正確なことは未だ分かりませんが、州軍の一部――いえかなりの部隊が離反した模様です。おそらくは、革命軍に呼応したものと思われます。パルデス中将も、州軍司令部にて反乱を起こした警備隊によって殺害されたとの情報が……」

「そんな馬鹿な……」


 既に革命軍によって浸透されていた第11師団・第22師団の両師団を中心とする州軍部隊が反乱を起こし、革命軍の迎撃という任務を放棄した上でロシェミエールへと反転し、フローリア侯爵領をはじめとする貴族領へと侵攻を開始したのである。


 メンヒルに置かれていた州軍司令部でも革命軍側に寝返った警備隊による反乱が起こり、州軍司令官のラウル・モイーズ・シルヴェストル・ド・パルデス中将も反乱兵によって殺害されていた。


 少なくない部隊が反乱に加担せずロシェミエール州防衛のためにデロルの指揮下に留まったものの、司令部機能を喪失した上に圧倒的な反乱軍に対しては無力であった。


「幸い私の侯爵邸警備隊は未だ侯爵閣下に忠誠を誓っております。反乱軍がここに辿り着く前に、お嬢様を連れて警備隊と共に脱出してください」

「……しかし、民を置いて私だけ逃げるわけには」

「その民が閣下を殺しに来る可能性すらあるのですぞ。今は非常事態です。自らのお命を第一にお考えください」


 侯爵邸警備隊長の諫言に、デロルは悩んだ。デロルは『銀の血統』への憎しみや、それに伴う娘への扱いこそ非道なものではあったが、それ以外の点においては――少なくとも平均的な大貴族という尺度を用いればという話であるが――民草のことを考える領主であった。


 尤も、彼が逃げることを渋ったのは『命を惜しんで逃げた恥知らず』という悪名を恐れてだということもあるのだが。しばらく押し問答が続く中、彼らが話している人影が現れた。


「父上、これは一体どういうことですか……」

「アントワーヌ……」


 娘のアントワーヌは、窓の外に広がる惨状に絶句していた。反乱軍によってメンヒルは焼き討ちされ、中小貴族の家屋や豪商の倉庫などは略奪に遭っている。


「何でもない。安心するんだ、お前だけは絶対に守るから」

「そういう話をしてるんじゃありません!!何故、私たちの領地に軍が攻めてきているんですか!?まさか少し前に姉上をヴィルバスへと送り出したのも……」


 少々感情的になる嫌いがあったコーネリアと違い、アントワーヌは冷静沈着な性格であった。そんな彼女が声を荒げて取り乱しているのを見て、デロルは彼女の恐怖を悟った。


「お前も知っているだろう。我が国で革命が起きている。その影響が、我々の軍にも及んでいた。そして──彼らは多分私たちを殺しにきている」

「そんな……嫌です!私は死にたくなんてない!」

「……侯爵閣下、お嬢様。もう一度申し上げます。我々がお守りいたします。どうかご決断を」


 とうとう泣きじゃくるようになったアントワーヌを宥めながら、デロルは警備隊長の提案を容れる決意を固めた。卑怯者と罵られるかもしれないが、命あっての物種もある。民と家族を天秤にかけた時、彼が取ったのは家族であった。


 自分を裏切った民に義理立てをする必要はない。彼はそう考えて、逃亡の決意を固めた。


「分かった。アントワーヌ、行こう。隊長、頼む。この子を守り抜いてくれ」

「御意。では参りましょう。こちらへどうぞ」

「父上……あっ!」


 警備隊長に導かれ館から出ようとしたその時、アントワーヌは何かに気づいたように父の手を取って叫んだ。


「どうした!?」

「父上、はどうするのですか!」

「アレ?」


 デロルは娘の言葉の意味を図りかね、首をかしげる。しかしすぐに、娘の言わんとしていることに気づいた。


「しまった……地下牢に入れたままだったな……」

「あんなものが見つかったら……父上の信用はガタ落ちですよ」


 地下牢に閉じ込めたまま存在を忘れていたマリアの存在を思い出し、デロルの顔色は真っ青になった。


 マリアは、表向きには『不慮の事故で死亡した』ということになっている。それが実は生きていて、更に実家の地下牢に監禁され親族による拷問まがいの虐待を受けていたとなれば、その対象がいくら王国で忌避されている銀髪の持ち主だったとて大スキャンダルは免れないだろう。


 しかし、この場でマリアも連れ去ろうとすると、警備隊長らその秘密を知らない侯爵邸の関係者に彼女のことがバレてしまう。デロルに忠誠を誓う彼らが裏切るとは考えにくかったが、まさに軍に裏切られたばかりの彼には、その忠誠を全面的に信頼することは難しかった。


(……反乱軍の連中が、殺してくれることに期待するしかあるまい)


 苦渋の判断だったが、デロルはマリアを置き去りにすることに決めた。彼らにとっては忌々しき存在であるマリアだが、反乱軍はそんな事情など露ほども知らない。彼女のことをデロルやアントワーヌと同じ『憎むべき貴族階級の人間』と判断するであろうことに賭けたのだ。


「……心配するな。奴は放っておけば何とかなる」

「閣下、一体何のお話を……?」

「何でもない。すぐにここを出発してくれ」


 警備隊長は怪しげな表情を浮かべるが、それ以上は何も言わず隊員らに指示を出し始める。一方、アントワーヌは父親に手を引かれながら、不安そうな顔で背後を振り向いた。彼女の視線の先には、地下牢の入り口となる部屋があった。

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