第30話 先陣を切るは数字、開戦を叩きつけよ

 16時45分22秒。

 魔獣の腕が、黄金の残骸を踏み砕いた。

 主の祝福、人を守る輝きが、砕け散った瞬間だ。

 ステイツに神の加護ありと謳われた、神の国を守護せし城壁。アメリカという国家の願いと憧憬を込めた“栄光グローリー”。

 その称号を背負うミッチェルとはいえ、この魔獣は個人で立ち向かうものではない。

 だが、無謀ではなかった。

 勇敢であり、最善だった。

 世界最高の知性たる“盟主イヴィル・ワン”と“過保護AIルヴィ”がおおよその時間として見出したのは、奇しくも同じ“16時40分”。だがミッチェルは5分22秒の時間を捻り出した。

 僅かな時間だ。しかしその価値は計り知れない。

 対応に追われる人間達において、一分一秒でさえもが至高の助けとなる。事実、冷静な動きができていたのは真宵というカリスマにまとめ上げられた日本支部、少数だったイギリス支部、動きを知っていたかのようなフランス支部、次点で自衛隊といったところだろう。他はほとんど想定外の危機にてんやわんやで、対応も遅れていると言って良い。それでも真宵の演説で多少はマシになった方だろうが。

 彼らにとって、ミッチェルはまさに天の助け。“英雄”だ。

 約45分の奮闘のすえに、十分過ぎるほどの結果を残して『主よ遥か栄光を守護したまえランパート・オブ・グローリー』はその役割を終えたのだ。


「……は……ははは……こんな負け方したの、いつぶりだったかな」


 仰向けになりながら、ミッチェルは満足そうに笑う。

 後方で日本支部が動いたことは伝えられていた。万全の準備ができたことも聞いていた。尤も、衝撃波で通信機器がイカれてしまってもうわからないが。

 だから限界まで粘ったのは、ミッチェルの意地だ。

 自分が粘ればそれだけ後方が楽になるのがわかっていたから、がむしゃらに通せんぼうし続けた。

 ミッチェル以外の全員を逃した以上、そもそも彼には離脱する手段がない。

 人間の走力など話にならないし、解放力の制限もあって壁がある間は自由に動けないからだ。

 理解している。これだけヘイトを買えば、魔獣であれミッチェルを逃すことはない。

 現に今、魔獣はミッチェルに焦点を合わせている。


(エルメダ。逃げるって約束、破ってすまない)


 死ぬ覚悟ができているかは正直微妙だが、死ぬときぐらいは陽気に逝きたい。

 ああでも、最後の最後に嘘しかつけなかったのは、心残りかもしれないな。


「主よ。我らが同胞とステイツに、栄光を」


 目を閉じ、祈りを口にする。


「あのう、それはまた今度に言ってください」


 通信機器も無くなった今、もう聞くことはないと思っていた人間の声が耳に届く。

 目を開けば、見覚えある女性がミッチェルを見下ろしている。


「メリュ・フォーサイス。これは……」


 気付けば、周囲がしていた。上体を起こせばよく見える。

 光が歪んでいるのか、それとも形が狂っているのか。大地も海も空も歪んで見える。

 そして境界のようなものか、魔獣が壁を引っ掻くような動作を繰り返している。

 どうやったのかはわからないが、この現象を起こしたのがメリュであることだけは確かだろう。


「う、え……。と、とにかくこちらへ!」


 手を引かれるままに立ち上がり後ろを向けば、そこには奇妙なナニカがあった。

 極彩色の壁、前衛芸術のキャンパス、光の渦。

 そのナニカの中に、ナニカが見える気がする。


(あれは……妖精、か?)


 極彩色の光の流れに、小人達が瞬いている気がした。

 果たしてあれはナニカ。ミッチェルでは欠片さえ理解できない。

 だがその空間が捩れているとしか思えないそこに、メリュはミッチェルを導こうとしているらしい。

 足は止めないが、疑問が湧く。

 本当に入っても大丈夫なのだろうか? 自分は今どのような状況にいるのか?

 メリュの横顔を見る。必死な、恐れにも覚悟ある表情。


(……ふ、信じるか。どうせ死んだ命だ)


 あのままなら死んでいたのだ。ならば足掻き頼るくらいどれだけでもしてやる。

 手を繋ぎながら、極彩色へと二人は足を踏み入れた。


【————————】

(っ……。なんだ?)


 聞こえる音はメリュと自分の息遣いと衣擦れ音だけ。そのはずなのに、頭の中で何かが響いている感覚がある。

 子供のような、老人のような、男のような女のような。どれでもないと同時にどれにも当てはまる。聞き続けると正気を失いそうな《声》だ。


(待て、俺はなんでこれが《声》だと思った?)


 その疑問の答えを得る前に、二人は極彩色から抜け出した。

 目の奥に極彩色がまだ残っているような感覚を覚えつつ、周囲を確認する。

 廃棄された背の高い建物の屋上。自分とメリュの他に、二人の女性がこちらを見ている。


「どうにか、助かったか。命を投げ出すなエイブラハム。お前の仕事は終わっていない」


 そのうちの一人が、ミッチェルへと遠慮ない言葉を投げつける。

 軍服に大型のケース。武装の類は見えないが、隠されているだけだろう。

 しかし彼女はすぐにミッチェルから視線を離し、メリュの方へと注意を向けた。


「メリュ、気分はどうだ?」

「……どうにか」


 すでに手を離していたメリュは、女性達へと合流していた。


「それが妖精の力だ。環境を変化させるのではなく、世界法則そのものを“混線”させる。元は異界の存在だ、異界の法則こそが彼らの強み」

「異界の、法則」

「今は気分が悪いだろう。十分に安め」

「私も同意見だ。疲労が抜けるように調整するから、しばらく横になるといいよ」


 オリヴィエがウィンクしてくるのに、ミッチェルは曖昧な笑みを見せた。


「さて、初めましてだな、エイブラハム・グローリー・ミッチェル。私は三日月真宵、出来の悪いティーチャーだ」


 ジョークなのか本気なのか判断がつかない。


「まずは君の無事と功績を祝福しよう」

「俺は当然のことをしたまでだよ」

「魔獣の異常性を見抜くと同時に、事前に避難経路を確認し最悪を想定する。素晴らしい視点だ。賞賛に値する」

(これ返事じゃなくない?)

【続けてください】


 どうやら真宵には、ミッチェルの言葉は重要ではないらしい。実際はルヴィのせいだが。


「だが軽々しく命をかけるな。メリュがいなければ君は今頃向こうに見えるやつの腹の中だ」


 真宵の視線を追って振り返れば、遥か向こうに魔獣の姿が見えた。


空間転移テレポート…‥。いや、『妖精会話フェアリーテイル』にそんな能力はなかったはずだ」

「そこは重要ではない。気になるならオリヴィエにでも聞けばいいだろう。聞いてわかるのならばな」

(私にはさっぱりだったし)


 真宵は見ての通り。


(なるほど。オリヴィエを敵に回すから)


 ミッチェルは勘違い。


((わからないか))


 凸凹なのに結論だけは一致した。これが人間のテレパシーなのかもしれない。お互い感知していないが。


「それで、これで俺の仕事は終わったはずだが? 生き残ったんだったらビールでも飲みたい」

「最初に言ったはずだ。お前の仕事は終わっていない」


 ミッチェルも覚えている。

 だからこれはジョークだ。残念ながら伝わらなかったようである。


(えーと、なんだっけ?)

【まず寝てもらってください】


 そうだった、とうんうん頷く真宵。無論心の中でだ。


「ではミッチェル、メリュの横に寝ろ」

「「は?」」

「ああすまない、言葉足らずだった。シートは別々に用意しているから並んで寝ろ」


 何故真宵がここまで口下手になっているのか。それは真宵の“陽キャセンサー”がミッチェルに反応しているからである。オリヴィエレベルではないが、陽キャオーラの濃さが凄まじい。

 実際、ミッチェルはいわゆる“ナード”という言葉とは無縁の人間。友達には陰の者がいても、自分は絶対にならないタイプ。

 その人柄を知らない以上、真宵にとって恐怖の対象である。


「はははは! 真宵、君はいつからそんなに口下手になったんだい? 子供のように繊細なお嬢さんプリティフェイスだからって、意外に内面まで繊細なのかな」

「では君に一任しよう」

「すまないが、私は主より前にはでしゃばらない主義なんだ。戦いなら別だがね」

「なら私の言葉を噛み砕いて伝えてくれ」

「その程度なら慎んで」


 ミッチェルは聞き逃さなかった。オリヴィエは今、真宵を“主”と呼んではいなかったか。

 いつものジョークならば良いのだが、もしそうではないのなら……。

 よく考えればおかしい。オリヴィエはいつも自分から進んで目立ちに行く、なのに今回は真宵に任せているように見えた。彼女がそれほど立てる人間など、イギリス王室以外にあっただろうか。


「そこまでだエイブラハム。考えすぎれば身を滅ぼす。真宵は君とメリュに即急に休んで即座に動けるようにしろと言っているんだ。ほら、君達は今限界だ」


 言われて自覚する。メリュは寝転んだまま立ち上がれないようだし、ミッチェルの足も震えていて立っているのも限界だ。


「……そのようだ。俺にまだ仕事があるというのなら、休むべきだな」


 意識してしまってはもう逃れられない。

 正直喋っているだけでも辛い。頭はふらつき、足も満足に出ない。


「気をつけろ。今お前に倒れられるわけにはいかない」


 気付けば、真宵がミッチェルに肩を貸していた。

 細い女性には自分は重いだろうと思ったミッチェルだったが、真宵は苦しい顔ひとつせずに楽々ミッチェルを支えている。

 ティーチャーとはいえ鍛えてはいるのか。伊達に軍服を着ているわけではないようだ。

 簡易的に敷かれたシートに横たわれば、疲労感のせいで今すぐにでも眠りそうになるミッチェル。

 そんなミッチェルに、真宵は通信機を差し出す。

 耳に掛ければ、聞き知った声が響いた。


『ミッチェル!? ミッチェルですか!? 無事だったのですね!?』


 ミッチェルは安堵に笑いながら、自分の生を噛み締めた。


「言っただろエルメダ。俺は死なない」





     †††††





 新前線における戦闘。その戦端を開いたのは茜でもリアムでもなく、日本支部が自衛隊から供与された兵器を使った砲撃だった。

 精密とは言い難い、数に頼った砲撃。それでも十分な効果は得られた。

 降り注ぐ弾幕。魔獣は進行速度を落とす。

 それを確認してから砲撃は散発的となり、“本命”をぶち当てる準備の準備が整ったことを告げた。


「セット」


 魔獣から見て300メートル前方に、突如としていくつもの光球が現れる。

 直径は20センチほどで、数は50程度。それが何か、魔獣は知る術はなかった。

 それでも問題はない。どうせすぐに知る羽目になるのだから。

 光球の光でわかりずらいが、その背後には人影があった。色黒の大男で、車かと見紛うモンスターマシンに跨っている。

 リアムは魔獣の興味を十分引いたのを確認してから、『複雑弾道光弾コンプリケイテッド・バリスティック』を解放した。

 左右上下斜め、複雑に折れ曲がった信じられない軌道で魔獣に迫る光弾。とてもではないが現実のものとは思えない。新作SFの謎兵器と言われた方が、まだ納得できる。

 しかしこれは紛れもない現実だ。そしてこの世界で科学的に一部解明された現象でもある。

 “光弾”とは名付けられているが、それは光子で構築されているわけではない。同時に素粒子でも反物質でもなく、だが既存の物質とも言えない。わかっているのは、これがリアムの周囲でしか生成されない未知の“鉱石”であること。“鉱石”が“観測”に強く反応する性質があること。

 つまりは、リアムが“そうあれ”と望み結果を観測すれば、“鉱石”はその通りに動くというわけだ。


「オールナイス」


 光弾が魔獣の頭部に集中砲火を浴びせかけ、その進行を完全に止めた。

 しかしこれを“本命”とはとても呼べない。光と衝撃で惑わせてはいても、有効打には全くなっていないからだ。

 事実、魔獣の頭部には目立った傷は見られない。

 だからこれは本当に足止めだけが目的なのだ。

 ここにいる日本支部で“本命”を担当するならば、やはりが相応しい。

 駆け上がる。

 真紅の体表に足をつけ、550キロの巨塔を背負いながら頭を目指す。

 アーツのスコアは3を維持。うねる巨体など意にも介さない。

 魔獣も抵抗はしている、並のオペレーターならばこの時点で振り落とされているだろう。

 だが彼女には生ぬるい抵抗だ。

 日本ナンバーズ7。

 世界最高のアーツ使いアーツマスター

 中近距離最高峰のオペレーター。

 すなわち先陣を切るのは、東堂茜に他ならない。


「とっ————たぁぁぁあッ!!」


 流石に頭で止まることはできなかった。

 だが頭にその杭を突きつけることはできた。

 引き金に指をかける。

 スティンガーパイル——正式名称『対大装甲用327式無反動徹甲杭JS-SA-327-エクスキューショナーズパイル』——がその力を解き放ち……


 ズガアァァァアアアンッ!!!!!!


 凄まじい衝撃と共に、杭が魔獣の頭をぶん殴った。

 打ち込まれた勢いのままにぶっ飛んだ頭と、それに引っ張られて倒れ込む躯体。

 各国合同任務で初めての有効打が、真紅の魔獣に叩き込まれた瞬間だ。


(これでも貫通できない……)


 地面を抉りながら着地した茜。

 その口元には、獰猛な笑みが浮かんでいる。


「いいわね……やりがいがある……っ!」

再装填リロードの時間は稼ぐ。存分に叩き込め』

「了解!」


 真紅の魔獣、お前は確かに強い。

 だが、今この場でお前は狩られる側だ。

 死にたくなければ、“強者えいゆう”と“全知うんめい”を越えてみせろ

 できるものならば、な。

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