第34話 屈辱と敵
さとし君の突進を避けられないと判断した俺の脳裏を
――駄目だ。それだけは命を懸けてでも避けなくてはならない。
覚悟を決めた俺は、透花を守るように、その身体に覆いかぶさる。
しかし、次に聞こえたのは鉄塊との激突音ではなく──。
「後は任せてもらおうか!」
それは凛とした男の声。
突然現れた声の主は、腰を落とすと、瞬く間にさとし君を空高く投げ飛ばしてみせる。
まるでビニール人形のように軽々と宙を舞うさとし君。
そのまま頭からぐしゃりと地面に激突すると、しばらく痙攣した後、すぐに物言わぬガラクタと成り果てたのだった。
「危ないところだったな、我が妹よ。それに留学生もな……」
たった今、馬鹿デカい鉄の塊を容易く投げ飛ばしたその男は、まるで朝のあいさつでもするかのような気安さでからからと笑う。
「兄さん……」
「清明……先輩……」
俺たちのピンチを救ったその人物は、生徒会長にして、百合グループ次期当主。
そして透花の実の兄――
「おや、噂の留学生にも知ってもらえているとは光栄だな。初めまして、ティベリア・S・リリィくん」
そう言って手を差し伸べる清明先輩。
その差し出された手に、俺は強い敗北感を覚える。
「……さすが、噂に聞く百合清明会長。アレを軽々と投げ飛ばすなんて……」
「はは、大した事じゃないさ。投げ飛ばしたといっても、さっきのは、相手の突進する力と悪路の跳ね返りを利用して、その勢いを上へと反らしただけだからな」
あれくらい朝飯前だと軽く言いのける清明先輩。
だが言うのは簡単だが、それは並大抵の技術で出来ることではない。
しかも、あれだけの重量物が相手となれば、人並み外れた
女になった今の俺には、到底真似できない芸当だった。
「ふむ……それにしても期待外れだったな……」
俺と透花を順番に立ち上がらせた後、変わらぬ笑顔で清明先輩が言った。
「期待外れ……?」
好意的な表情のままだったので、その意図が汲み取れずついぽかんとしてしまう。
「いや、こっちの話さ。まぁ、そんなにガッカリすることはないよ、ティベリアくん。駆けつけるときに、キミの動きは見せてもらったが、そう悪くはなかったよ……」
「そう悪くはないって、何を言って――」
「悪くはない……とはいえ総一郎には遠く及ばないがね」
「なっ!」
誰からも愛される生徒会長の笑顔の奥に見えたのは──侮蔑と敵意。
「兄さん! ティアちゃんは、一生懸命わたしを守ってくれたのに、その言い方はないんじゃないですか!?」
「はは、そんな怖い顔をするな、妹よ。俺もやっとの思いで帰国したというのに、可愛い
その
「ただ、もし透花の側にいたのが総一郎であれば、あんな機械人形ごときに後れを取ることも無かっただろうし、俺の妹を危険な目に遭わせることも無かったはずだ。そう考えてしまうのは当然のことだとは思わないか、ティベリアくん?」
清明先輩はあくまで笑顔を崩さない。
だが、その眼鏡の奥の瞳は欠片も笑っていなかった。
「喧嘩……売ってるんですか、先輩?」
「おかしなこと言う。この百合清明が、キミみたいな可愛らしい女の子に喧嘩を売るわけがないだろう? これはただの忠告だよ。総一郎が不在の間、透花の側で騎士の真似事でもしていたようだが……キミではいささか実力不足なのではないか、とね」
「先輩……あんた一体何を言って……」
「気に障ったなら謝るよ。ただそれでも、キミには騎士の真似事よりも、ドレスの方が似合っていると俺は思うがね」
それは明確な侮辱。だが反論はできなかった。
事実、俺は透花を危険な目に合わせ、何もできないまま最後は清明先輩に助けられたのだから。
そう。たとえ〝裏で糸を引いていたのが清明先輩〟だったとしても、その事実だけは変えられない。
「やってくれたな……清明先輩。全部、私を試す茶番だったってことかよ?」
「全部? 茶番? 何のことを言っているのかさっぱり分からないな」
「へ、とぼけやがって……」
じゃあ、初対面であるはずの俺に対するそのバリバリの敵意は何なんですかね?
口ではとぼけているが、その実、全く敵意を隠すつもりがないのが何よりの証拠だろ。
「あの監視するみたいな光も、池袋のチンピラも、透花と総一郎の噂を広めて一年をけしかけたのも、それに今回のロボットが暴走したのも……全部、アンタの仕業なんだろ」
「何を言っているのか、さっぱり分からないな」
両手をあげてワザとらしいオーバーリアクション。
とことん挑発してくれるじゃねえの。
急な帰国からして怪しいとは思っていた。容疑者としての条件も整っていた。
俺が透花に振られたことも、実の兄であれば知る
「透花が総一郎を振ったことを知ったアンタは、急遽留学を切り上げ帰国。それを隠したまま、総一郎と入れ替わるように現れた私を監視していたんだな……」
でも、何でそんなことを……いや考えるまでもないか。理由は単純明快。
「清明先輩は、透花に相応しいのは私じゃなくて総一郎だと、そう言いたいんですね」
だから清明先輩は、様々な事件を引き起こして、俺の不甲斐なさを透花の目の前で露呈させようとしたのだ。
「それは当然だろう? 理由は自分の胸にでも聞いてみたらどうだ?」
スクラップと化したさとし君を一瞥してから、返す視線で俺を貫く清明先輩。
何もできなかったのはお前だろうと、眼鏡の奥の冷たい瞳が突き付けてくる。
「くっ」
先輩の目はどこまでも冷徹で、俺は先輩のこんな目を見たことは一度もなかった。
俺と透花のことを一番応援してくれてたのは清明先輩だったのに、なんて皮肉だろうか。
俺の記憶の中にある、あの優しい瞳とは似ても似つかない。
「たった今理解したよ。アンタは私の敵なんだな」
目の前にいる男は優しく頼りになる兄弟子ではない。
今の百合清明は、俺が透花と結ばれるための障害でしかないのだと。
「はは、敵だなんて物騒だな。怖い怖い。そんなこと俺は思っていないよ。君にはこれからも、透花とは〝いいお友達〟でいて欲しいと思っているのだから」
「っ、てめ!」
「――っと、もうこんな時間か」
清明先輩が、ワザとらしく腕時計を確認する。
「今日のところは、ちょっとした挨拶のつもりだったんだが、少々
清明先輩は両手を上げ、もう何もしないと意思表示する。
「部活の案内中なんだろ、続けるといい。俺は退散する。これでも忙しい身なんでね」
一方的に言い放つと、その場から去っていく清明先輩。
結局、好きなだけ言われて何も反論できなかった。
悔しかった。
旧知の先輩に侮辱されたことよりも、自分の無力さに唇を噛む。
女になって生きる決意をした。そして、それは上手くいっていると思っていた。
でもそうじゃなかった。
総一郎の消えた世界の
俺は、そんな焦燥を感じずにはいられないのだった。
結局その日は部活の案内を続ける気にはなれず、交わす言葉も少ないまま透花と別れた。
明日からゴールデンウィークだというのに、告白どころか、遊びに誘うことすらできなかった。
家に帰ってから真っ白なカレンダーを見て後悔する。
清明先輩のもたらした
なんて今更後悔しても、虚しくなるだけだよな。
だが、そんなぐずついた夜に透花から一本の電話が入った。
「――ティアちゃん……ゴールデンウィーク、二人でどこか遊びに行かない?」
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