弔いランタン〜氷の平原を渡った娘の話〜

園田樹乃

手紙

親愛なるヘンリエッタ


 お元気ですか?

 俺は今、ヘンリエッタたちが知っている地図には載っていない土地にいます。

 ここの地図とヘンリエッタたちの地図とは、二階と一階のような関係なんだけど……分かりにくいかな? つまりまあ、地続きではないってこと。

 俺たち船乗りはいろいろな場所を目指して航海をするわけだけど、今回は世界の果てから年に二回だけ開く門のような所を通って、この地図の世界へ来ました。


 俺たちの船は今、寒い港街に停泊しています。

 街の外れには、葉を落とした白い木の寒々とした林があって、その向こうには溶けることのない氷の平原がどこまでも続いているらしい。



 ここに着いた二日後に海運局の前局長が亡くなったので、俺たちもお葬式に参列してきました。陸に上がって長いらしいけど、彼も元は海の男だから。


 ヘンリエッタの街のお葬式は、家族だけが集まったよね? 俺は養い母さんのそのまた養い母さんのお葬式にしか、出たことがないんだけど。

 ここでは、お葬式をするための大きな建物があって、街の人たちが次々とお別れにくるんだ。

 花の少ない街なので、棺の大部分は弔問客が一掴みずつ持ってきた麦藁で埋められて。

 そして最後に、故人と縁の深かった数人が光沢のある葉と赤い花が付いた枝を遺体の胸元に供えると、棺の蓋が閉じられる。


 お葬式では幾つかの歌が歌われる。不思議な音が出る楽器が建物に組み込まれているらしくって、眠たくなるような旋律。聞いていると引きずり込まれそうで、俺は人魚の物語を思い出した。

 人魚の物語って、覚えてる? 十年ほど前、お土産に持っていった西の大陸の絵巻物。挿し絵が綺麗だったよね。


 お葬式のあと、棺を乗せた台車は林の中にある墓地へと向かう。その後を、参列者もついて行くんだ。

 列の先頭は故人の奥さん。

 他の街から嫁いできたらしくって、男性並みの身長なんだけど、一人だけ緑色の長い上着を着ていた。

 俺たちはまあ、ほら……旅人な訳だから。小綺麗な格好ってやつだけど、街の人たちは弔いの黒い服を着ている。その中で一人だけ、鮮やかな緑色なんだ。とても目を引いたよ。

 この街で緑色は命の象徴らしい。冬が長い土地では、春の息吹が貴重なんだろうね。

 葬列の先頭、緑の服を着た奥さんは手に緑色のランタンを下げていた。お葬式が行われた建物の軒先、屋根を縁取るように点々と灯っていたうちの一つじゃないかな? あれ。

 この街は、全ての建物の入り口にランタンが吊ってあるんだ。消せない・消えないランタンらしくって、昼夜を問わず点いている。さすがに吹雪の日には、屋内に片付けるみたいだけど、ちょっとの雨や雪ならそのまま。見た感じは、ペーパーランタンの一種だと思うんだけど、耐水性の素材みたい。

 色は三色。赤と青と黄色。

 緑色は、お葬式の建物だけに使われている。


 その灯りに導かれて、辿りついた墓地にも緑のランタンが四つ灯っていた。

 墓地の最奥、礼拝所の入り口に大きめのが一つ。残りの三つはあっちとこっち……の墓標に。

 隣にいる人が教えてくれたんだけど、ランタンが灯っている墓標は、最近亡くなった人のお墓らしい。

「家から墓地、そしてあの世へと導く灯りなんだよ」

 って、その人は言っていた。魂があの世に着いたら、ランタンそのものが消えて無くなるらしいんだ。

 礼拝所の大きなのは逆に、あの世へ行った故人が家族のもとに帰ってくる時の目印なんだって。

 死んだ人が帰ってくるって、どんな感じなんだろうね。



 お葬式の影響で海運局の業務が滞ってしまった上に、雪雲が居座っているので、出航は十日ほど遅れる見通し。

 こんな時、俺たち船乗りは飲んでカードをして、街を見物して……って暇を潰すんだけど。

 その晩はちょっとカードの負けが続いてさ。気分転換のつもりで俺は、大きな通りへ散歩に出かけた。

 夜半近く。人通りの絶えた通りをほのかに照らす各家のランタンは、違う世界に迷い込んだような気にさせる。

 まあ、確かに。違う世界なんだけどさ。


 そんな通りの向こう側、一人で歩く人影があった。

 俺みたいに散歩でも……? って、思ったけど、どうやら違うらしい。

 ふわふわとした足取りで、街の外れに向かっていたのは、前局長の奥さん。この街には珍しい長い黒髪と白い肌は、間違えることがない。

 独り歩きの女性を放っておくわけにもいかなくて、俺は声をかけたんだ。


 奥さんは、お墓参りに行こうとしていたと言う。

「こんな夜更けに一人で林の中に……ですか?」

 護衛がてら……と申し出たお供は、少し迷うような顔で受け入れてもらえた。


 お墓まで往復する間、街に灯ったランタンの話になった。

 奧さんは、ランタン売りの一族出身らしい。年に一度の商いに、見習いとしてお母さんと一緒にこの街を訪れた時、亡くなった局長さんと出会って。故郷を捨てるようにして、この街に嫁いで来たんだって。


「故郷では伴侶と寿命を共にするのに……どうして私は残ってしまったのかしら」

 家まで送っていった別れ際、ポツリとこぼした言葉が、とても辛い声だったのを覚えている。



 それから数日が経って、出航の目処がそろそろ立ちそう……って頃。

 夕飯時、宿屋に併設された食堂に、血相を変えた一人の女性が訪れた。

 母親の姿を見なかったか、と尋ねる彼女は、あの奥さんの娘だという。


 『この前、夜に墓参りをしていたしなぁ……』と思って、軽い気持ちで

「墓地では?」

 って訊いたら、

「日が暮れてから、林に入るなんてことは……ないだろ」

「今夜は新月。林の中で方角を失って、氷の平原に迷い込んだら命に関わる」

 と、周りで飲んでいた街の人達から否定されたんだけど。

 『どうして残ってしまったのかしら……』と呟く彼女の声が耳に蘇ってしまった俺は、探しに行かなきゃって、思ったんだ。


 俺は旅鳥の獣人だから夜目は利くし、寒さにも強いだろ? この天候で、俺以上に迷子探し向きの人間なんていないからさ。


 隣に座ってた船長に行き先を告げて部屋に戻ると、同室の竜の獣人が後からついてきて窓を開けてくれた。

 そして鳥の姿に変化した俺は、夜の空へと飛び立った。


 白い骨のような林を飛び越え、墓地を目指す。あの世から死者を迎えるという大きなランタンを下げている柱に止まって、前局長の墓を見下ろすと、墓標に灯されていたランタンがなかった。

 あの世に、魂がたどり着くには早すぎる。

 きっと彼女が持っている。ランタンを目印に探せば、見つかるに違いない。

 そう考えて、再び雪の空へと羽ばたく。


 さっきよりも高い所から大地を見下ろすと、氷の平原の彼方に緑色の灯りが見えたんだ。確かに。


 必死で追いかけようとしたけど、軽い鳥の身体に向かい風が強すぎて。

 氷の平原の端に辿りつくのがやっとで。

 寒さに強い旅鳥とは言っても、飛び続けることすらできなかった。



 凍える手前で、なんとか街へと戻った俺は、食堂で熱いシチューを抱え込む。器越しの熱で、寒さに強張った指を溶かす。ホクホクのジャガイモで、腹の中から冷えた身体を温める。


 波止場の方へと探しに行ってた人達が帰ってきたばかりの店内は、明日の捜索についての相談でざわついていた。

 隅っこの席に座っていた俺の耳に、壁側で一人静かに飲んでいた皺くちゃ爺さんの声が聞こえてきた。

「ランタン売りは、最期には氷の原に帰っていくもんじゃて。うちの婆様も、言うておった」

 店内が、その言葉に静まりかえる。


 爺さんのお祖母さんが子供の頃に聞いた話……らしい。

 奥さんと同じように、ランタンを売りにくる一族の娘が、この街の若者と恋に落ちた。

 氷の平原を越えて、年に一度。束の間の逢瀬で、二人の想いは燃え上がり……で、娘が嫁いできたんだって。

 月日は流れ、若夫婦も歳をとり。

 夫を亡くした妻は一人、緑のランタンと共に姿を消したらしい。

「連れ合いを亡くしたランタン売りから、目を離したらいかんのじゃ。墓地のランタンが一緒に連れて行ってしまうからの」

 そう言ってマグに口をつけた爺さんの言葉に、俺はあの緑色の上着を身につけた奥さんが、白一色の平原を歩く幻を見た。

 もしかしたら、あの晩。

 俺が声をかけなかったら、彼女はそのまま帰ってこなかったのだろうか。



 どう? ヘンリエッタ。

 暮らしている地図が違う世界では、お葬式一つでも違うね。

 言ってなかったけど、この世界に来るのは実は二度目なんだ。俺。

 前は……三年ほど前かな? 収穫祭の直前にヘンリエッタを訪ねたあと。

 今回はこのまま、しばらくこっちで暮らしてみようかと思う。ここでも船乗りとして、あっちこっちの街を見てくるよ。

 この街の海運局留で郵便を出したら、年に二回の定期便でヘンリエッタの家に届けることができるらしいから、手紙が届いたら弟や妹にも、この世界のことを話してやってよ。


 じゃあ、また。

 何か変わった事を見かけたら手紙を書くからね。

 レオンによろしく


   旅鳥のジョセフより


※追伸

 蜂蜜酒が手に入ったので、一緒に送ります。

 こっちのミツバチって、言葉が通じないんだよ。蜂蜜を集めるのに苦労するから、貴重品なんだ。

 あ、獣人もいないみたいだけど、気をつけてヒトの姿で旅をするので心配はしないで。

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