第2話 悪女、華麗に挨拶をする。
そういえば、この子の名前を聞いてなかったな。
心の中の本人に聞きたくても、彼女がさっそく眠りについてしまった。それがいい。心が疲れてしまったなら、まずはゆっくり休むことが先決。
とりあえず階段上の少女らと同じ制服で、同じ緑色のリボンが付いているから、同学年なのかな。お友達を階段から突き落とすなんて、八百年も経ってずいぶんと『遊び方』も様変わりしたね。
立ち上がった私は、ゆっくりと話しながら階段を上がる。
「こんな小柄な私に随分な挨拶だね。昔から弱い者ほど群れるというけど、なるほど時代が変われど人間の本質は何も変わらないご様子」
ふふっ、どうしたの? なぜ私を見てそんなに怯えているの?
そりゃあ、ちょ~っと殺気と魔力が抑えきれていないかもしれないけれど……
思わず、一人のあごを指先で持ち上げる。
「可愛い。とっても可愛い……ねぇ? あなたたちも自分でそう思っているのよね?」
あまりの愛おしさに舌なめずりした時だった。
「な、なに気色悪いこと言ってるのよ⁉」
私の手は思いっきり振り払われて……うん。私も八百年ぶりの身体の扱いが下手だね。そのままゴロゴロと階段から落ちてしまった。
……ふふっ、どこをぶつけたのかな。もう全身のあちこちが痛い。再び起き上がると、階段上の彼女らが「ぎゃあっ」と悲鳴をあげる。ここはお貴族様が多く通う学校だったと思うのだけど、ずいぶんと品のない悲鳴だね――と見上げようとしたけど、首が横を向いたまま回らないぞ?
「ふーん」
だけど、まぁいいかと立ち上がった。手足は動くんだもの。彼女たちを見上げるのに、どうしても横歩きになるけど……八百年クリスタル漬けにされていた身からすれば、大した問題ではない。自分の意思で好きに動けるってなんて素敵なのかな!
それに、
「ふふっ……あははっ! 痛い! ものすごーく痛いっ‼」
何よりも心地いいのが、あちこちの痛み。嬉しいな。八百年ぶりの痛み……これが生きているってことなのね。八百年前も、クリスタル漬けにされる前に拷問されたっけ? ひどく、ひどく懐かしい。もう笑いが止まらないわ!
これはもう彼女たちに『ありがとう』とお伝えしなければと、再び歩み寄ろうとした時だった。もしかして泣いていたかな。彼女らが「ぎゃああああ」と令嬢らしからぬ悲鳴をあげて廊下を走り去ってしまう。
あら、残念。このまま後を追ってもいいけれど……散らばった紙束をどうにかしないと。この身体の持ち主のやりかけの仕事。きっちりこなしてあげるのも契約の一つだわ。
そう、階段を下りようとした時だった。私の足元に固いものがなかった。……ようは踏み外したのね。首が横を向いたまま動かないから。
だから、また痛みが来るのかと――ちょっぴりワクワクして衝撃を待っていたのに。
この身が覚えたのは浮遊感だった。そのままふよふよと階段を下って行って、私が収まるのは、とある男子生徒の腕の中。
あら、なかなかイイお顔。口元のほくろが色っぽいね。金色よりも優しい亜麻色の髪も柔らかそうだし、肌は白いけど骨格や筋肉はしっかり『男の子』しているみたい。
そんな少年が私に優しい笑みを向けてくる。
「大丈夫? さっきから落ちてばかりだけど」
「心配ありがとう。でも大丈夫だから、早く下ろしてくれると嬉しいかな」
色男に優しくされて悪い気はしないけど、そういう色恋は後回しでいいかな。まずは普通に生徒らに馴染むところから始めないと。同性の友達が欲しいところね。
なのに、彼は私を手放さないまま目を丸くする。
「へぇ……さっきのやり取りでも驚いたんだけど、きみは本当に
……半分正解。頭を打ったわけじゃないけど、人格が変わったのは本当。
でも、そんなこと他の誰に話すはずがないから、私は「失敬ね」と頭に伸ばされた手を払う。そして軽く口を尖らせながら文句を続けた。
「本当に早く下ろしてくれない? この紙束を拾いたいのよ」
「あ、これ?」
彼が口笛を吹く。するとたちまち、散らばっていた紙束が一つの場所に集まって。彼がその内容を一瞥するやいなや「歴史学の先生ね」ともう一度口笛。そして紙束は勝手にどこかへと向かって飛んでいく。
その華麗な技を見て、今度は私が目を見開いた。
「あら、今の世にもこんなに魔法を使いこなせる人がいるのね!」
「くくっ、何言ってるの。魔術に決まってんじゃん」
せっかく褒めてあげたのに「魔法なんて古代の妄想だろう?」と笑われてしまった。悪かったわね、こちとら八百年前はその『妄想』の申し子と呼ばれていた者でして。
でもたしかにそうね……もう今の世に、私が愛した魔法はないのか。魔術という概念はふんわりとしか把握してないけど、まったく別の理論で構築されている様子だし。
「寂しいね……」
「うん? どうかした?」
「何でもないわ。それより、いつになったら下ろしてくれるの?」
「んー。保健室に着いたら、かな」
そして、彼は私を抱きかかえたままスタスタを足を動かし始めてしまう。
とりあえず、あれね。
他の生徒ら(特に女性徒)の視線がひたすら痛い。嫉妬されているのかな。この魔法使いくん、見た目はかなりの色男だものね。
なので私は色男くんに運ばれながら、とりあえず他の生徒らに笑顔で手を振ってみた。当然『これから一年よろしくね』という、私なりの挨拶である。
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