第21話 二年生、マリエラの受難はなくならない(6)
「やだぁヴァン様ったら、本当に口がお上手なんですから」
「俺は本当のことを言っただけだよ。君が美しいのなんて皆も知ってるでしょ」
ウフフフフ、と小鳥が羽ばたくような軽やかさを感じる笑い声が聞こえる。
(よりによってヴァン様ね。今日も女の子たちに調子良いみたいで何より)
あまり見つからずに通り過ぎたい。そう思っていたのに、ガラス窓からマリエラを見つけたのはフィリップだった。
「あっ、マリエラ! ごめん、ちょっと出てくる」
フィリップに呼ばれると無視する訳にもいかない。仕方ないなと足を止めると、こちらを振り向いたヴァンと目が合う。女の子たちに見せていた笑顔はどこへやら、こちらを見る彼は無表情である。
「あっ、あれってあのマリエラ様?」「そうそう、シュベルト公爵家の、あのマリエラ様」
地獄耳なので女の子たちのヒソヒソ声もばっちり聞こえた。あのマリエラって何のマリエラなのだ。
「ごめんマリエラ、ちょっといい?」
もちろん、と少し場所を離れ、ソファ席へ行く。三人掛けソファに座るよう促され、フィリップは当たり前のように真横に座った。少し近い。
フィリップはやや身を屈め、小さな声で話し始めた。
「前にさ……ソフィーに調理実習で作ったスイーツを渡したんだけど、ソフィーあれから僕のこと気持ち悪がってない?」
「え? まさか、すごくすごくすごく喜んでましたけど」
「そ、か。なんかちょっと最近、偶然話しかけることができても、よそよそしいというか、なんか変なんだよ」
「そうなのですの?」
こくり、と床を見つめながらフィリップは頷いた。
ソフィーは……怖いのかもしれないなとマリエラは思う。
「フィリップ殿下。本気ならば、どうしても欲しいのであれば、誠意を見せて自分を曝け出すことですわ。そうしたらソフィーもきっと、本心を教えてくれます。殿下は知っているでしょうけど、ソフィーは未知数の力を秘めた王国期待の星です。でも本人は分かっていませんし、少し魔法が使えるくらいの庶民だと思っています。殿下のことは、手の届かない星のような存在です」
恋することは怖いだろう。なにせ、叶うわけがないのだから。辛い恋だと分かっていてどうして進むことができる?
この複雑な感情をこの男が理解できるか――
フィリップはしばし考え込み、ハッと顔をあげた。
「分かった、と思う」
そうですか、と静かに返す。
(どうかメリバENDには堕ちてくれないでくださいね、殿下)
「ありがとうねマリエラ。感謝する。またよろしく頼む」
フィリップから信頼のまなざしを受け、マリエラは胸が温かくなった。彼は優しい王子である。メリバルートの場合、淫蕩に唆した罪と断じてマリエラに酷い結婚をさせる人物だとは考えられない。
(恋に溺れるとそれほど人は変わってしまうのかな)
フィリップと別れたマリエラは、当初の目的である小説を探しに行った。街になかなか下りられない生徒を思ってか、数も豊富である。もっと前から利用すれば良かったと思いつつ、一冊二冊と手に取った。
「へぇ、マリエラ嬢って恋愛小説が好きなの? 自分の恋愛には興味ないのに」
「ひぃ! い、いま、耳に息吹きかけた!? 信じられない」
「もっと色気のある声期待してたのにさぁ」
音も立てず忍び寄っていたヴァンが隣に立っている。フィリップと入れ替わりで出てきたのだろう。この人はいつも突然隣にいる。
「いいじゃない、こーゆーお話は好きなんだから。それよりあなた、あの子たちを置いてきてよかったの」
「さっきマリエラ嬢のこと女の子たちが噂してたから、説明しておこうと思って」
「ああ、なんだか言っていましたね」
フォローにきたのだろうか。マリエラはくるりと振り返り、ヴァンを正面から見上げる。またあの無色な瞳だ。黒い髪の間からのぞく、薄い薄い灰色の瞳。
「シュベルト公爵家長女たるマリエラ様が、婚約者候補の噂すらないのはおかしい。フィリップ王子の婚約者に内定しているのか、他国の王子との婚約が進んでいるのか、どちらではないか――って貴族の間で言われ始めてるんだって」
「またそんな。皆、人のことを考えるなんて暇ね」
他国の王子との婚約なんてどうして……と考えたとき、首の後ろあたりがチクリとした。ぞぞぞ、と記憶が蘇る。
まさか、『マジラブ!』二週目で攻略可能になるキャラクターのメリバENDのことではなかろうか。マリエラは隣国の王子に嫁がされるのだが、実は双子の兄弟であり、毎夜執拗に責め立てられる日々を送る。次第に何も考えられなくなり、彼女は淫らな夜に焦がれる。しかし本当は、魔法で精神を操られて好きなようにされているだけであり、スチルの絵ではマリエラの目が死んでいる。
(二週目の可能性もあるの!? 攻略可能になるのは誰だっけ……思い出せない)
「ねぇ、事実なわけ?」
「事実じゃありません! もー、ヴァン様だったら分かるでしょうに」
「俺だって分からないことはあるけど」
ころん、とヴァンが首を傾げるので、マリエラも同じように首を傾げた。ヴァンが殊勝な態度をとると胸の奥がくすぐったくなる。
「あとさぁ。マリエラ嬢、まーた新しい舎弟つくったじゃん」
「舎弟? なんのことです?」
「あのダニエルを舎弟にするなんてね、さすが女王様」
「はい? 舎弟でもなんでもなく、クラスメイトですけど! ダニエルさんに失礼ですよ」
「ほら、マリエラ嬢って誰に対しても〝様〟付けで呼ぶのに、彼だけ〝さん〟付けじゃん」
「それはダニエルさんが私に対して気を遣うから」
まるで問い詰められているようである。剣呑とまではいかないが、ヴァンは妙にムスッとしている。
「じゃあ俺のことは呼び捨てにしなよ。何年の付き合いだと思ってんの? 俺もマリエラ嬢のこと呼び捨てにする」
「そう呼ばれるのは構いませんが、私も呼び捨てにするんですか? ヴァン様を?」
ヴァンにジロリと睨まれた。本気のやつらしい。
彼を呼び捨てにするのは、畏れ多いような、一歩関係が変わってしまうような気がして、少し怖い。
「ヴァ……ヴァン」
「よろしくねぇマリエラ」
ヴァンは目を細めてゆったり笑った。獲物を見つめる猛禽類を思わせる瞳だった。
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